市川康則より「“インマヌエル”の実現としてのペンテコステ」

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“インマヌエル”の実現としてのペンテコステ

“インマヌエル”の実現としてのペンテコステ

市川康則

 今年も、聖霊の神様のご降臨を特別に覚え、祝うペンテコステの時期となりました(今年は5月31日です)。主なる神様の確かな導きを覚えて、感謝する次第です。

 ペンテコステとは「50番目(の日)」という意味ですが、救い主イエス・キリストの復活の日から(その日を含めて)50日目に、キリストに代わる助け主(弁護者)なる聖霊の神が地上に降られましたので(使徒言行録2章)、この出来事を覚える日として、教会の歴史の中で「ペンテコステ」(五旬節/五旬祭)と言い慣わされて来ました。

 この出来事は、私たち罪人が救われるための不可欠な神の恵みの御業として、イースター(復活節/復活祭)と共に、しっかりと記憶され、大いに祝われるべき出来事です。

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 聖書が教えている神は父・子・聖霊の三位一体の神ですが、救いについて言えば、先ず、父なる神は罪人の救いの計画を立て、準備されました。

 次に、御子なる神は人となって、罪人に下される神の裁きを身代わりに―罪人の代表と見なされて―十字架上に受けられました。同時に、本来人が義とされ、永遠の命を受けるために求められていた神の御心を完全に守り行ない、それに対する神の祝福として死者からの復活に与[あずか]られました。

 そして、聖霊なる神は、このキリストの出来事が現実に実を結ぶ―罪人(私たち)が救われる―ために、キリスト昇天後、地上に降臨されたのです。

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 聖霊なる神の御業の特徴を、キリストの御業の特徴と比較して確認しましょう。キリストは唯一の救い主として、父なる神から委ねられた務めをご自身によってだけ―他の誰もそれに参与、協力できない仕方で―果たされました(ペトロの躓きはこのことの典型的、象徴的な現れです。蛇足ながら、ペトロはキリストの予告を信仰的に聞かず、自らの知恵と力に寄り頼んだ結果、ものの見事に失敗した、などという解釈は無用です)。そして、キリストの御業は前後一回限りです。

 これに対して、聖霊は使徒たちや他の働き人たち、すなわち人間をご自身の器として主権的に用い、キリストの贖いが広く豊かに実を結ぶようにされます(ユダヤ権力者の迫害を恐れないペトロたちの堂々たるキリスト証言はこのことの典型的、象徴的な現れです)。しかしながら、それでいて、人間は決して神に(神的に)なるのではありません。ペトロはペトロ、パウロはパウロで、救われた罪人であり続けます。そして、聖霊の御業としての福音宣教は、世の終わりまで継続されて行きます。

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 聖霊は人間に臨み、確実に救ってくださいますが、実は、その前に、神の御子が人間になることを可能にされました。キリストが真の人間であるためには、すべての人間と同じように、人間の母親から生まれなければなりません。しかし、ヨセフとマリアから通常の仕方で生まれて来るなら、罪人に他なりません。そして、罪人は自分の罪のために神に罰せられるだけで、他人の罪の贖いをすることなど全く不可能です。それゆえ、聖霊は未婚女性マリアに臨み、マリアが懐妊し出産するという方法を採られ、主イエスが真の人間として、しかも罪を(ヨセフを通して)受け継がないようにされたのです(処女降誕はこのことの象徴です)。

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 主イエスの降誕に際して、天使がマリアの夫ヨセフに、彼女の出産が旧約預言(イザヤ7:14)の成就であることを啓示しましたが、これを記した福音書記者は、その旧約預言にある、生まれて来る子の名「インマヌエル」の意味を教えています―神は我々と共におられる(マタイ1:23)。

 イエス・キリストは、神と罪人との間の唯一の仲介者です。私たちはキリストにあってのみ、神の前に出ることができ、神と共にいることができます。それゆえ、キリストはインマヌエルなる方です。

 しかし、そのキリストによる贖いが実を結ぶ、つまり、私たちが救われ、神の民とされるためには、聖霊の内住と働きが不可欠です。その意味で、ペンテコステの出来事こそ、神がご自身の民と共にいてくださることの現実化である、と言っても過言ではありません。それで、アブラハム・カイパー(1837-1920年、オランダ改革派教会の牧師、神学者、政治家、文筆家)は、ペンテコステこそ十分な意味でインマヌエルである、と明言しました。

 聖霊は常に私たちと共に、私たちの内に住んでいてくださり、私たちを復活のキリストに堅く結び付け、そして私たちの救いを完成してくださるのです。

毎週日曜日は礼拝の日

千葉県の千城台教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

日曜日 朝の礼拝
10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜日 夕の礼拝
16時00分~17時00分
こちらも必要な持ち物は特にありません。朝の礼拝に出席出来ない場合におすすめです。
水曜日 祈祷会
10時30分から11時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。お仕事などで日曜日に教会に通えない方におすすめです。

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