市川康則より「主を礼拝することは私たちの力の源」

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主を礼拝することは私たちの力の源

主を礼拝することは私たちの力の源

(旧約聖書・ネヘミヤ記8章10節)

―2020年度教会標語から―

 主を喜び祝うことこそ、あなたがたの力の源である―今年(主の2020年)の教会標語の基になった御言葉です(私たちへの応用のため、文言は若干変えられています)。主を喜び祝うとは、神様に対する私たちのあらゆる関わりの要約・中枢です。それは神への畏敬・讃美・祝賀等々を含む、神への関わりを表していますが、単純に言えば、神を礼拝することです。

 神礼拝はいつでも、どこでもなされ得ますし、なされるべきですが、特にその中心は主の日の公的礼拝(教会としての正式の礼拝)です。そして、主の日はキリストの復活の日で、週の初めの日です。また、主の日は前週と今週を、今週と次週を結ぶ日、週の初めにして終りの日です。そのような日に「わたしは・・・初めであり、終りである」(イザヤ44:6、黙示録22:13)と言われる方を礼拝することは、この日の最善の用い方・過ごし方です。それは私たちの霊的力の源泉です!

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 かつて、バビロン捕囚から帰って来たユダヤ人たちはエルサレムの町を修復し、神殿を再建して、門前広場でネヘミヤやエズラたちの律法朗読を中心に主なる神を礼拝しました。ところが、律法の朗読・翻訳・説明を聴いていたとき、耐えられなくなって、ついに泣き出し、悲嘆にくれました。それは、自分たちと先祖が神の律法に背(そむ)き、大きな罪を犯し、それに対する神の裁きのゆえに捕囚の民となったことを思い知らされたからでした。

 しかし、ネヘミヤたちは、罪の真実な悔い改めは決して涙で終わることなく、確かに神に受け入れられ、罪を赦されて、大きな喜び・感謝・讃美となることを教え、彼らを神礼拝へと励まし、促しました。神を礼拝することが神の民の霊的な力の源だからです。

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 私たちも―これまでも当然努めて来ましたが―この年、なお一層主の日の礼拝に励みましょう。そのためにも、特に礼拝「出席」の意義・重要性を確認しましょう。これを神様との関係、兄弟姉妹および求道中の人々との関係、および世の人々との関係において捉(とら)えます。

 先ず、礼拝出席が神との関係で持っている意義は、私たちがキリストにあって神との契約に生かされていることを自覚させられ、正に体験させられることです。契約を結ぶ(契約関係に召す)ことは、神の主権的な行為です。礼拝出席は神様からの召集への応召です。「教会」はギリシア語「エクレーシア」の訳語ですが、この言葉は、公的目的のために日常生活や業務から召集された者たちの集会や会議を意味しました。このことからして、教会は人々が神礼拝のために召集される場であると言えます。礼拝出席は、この神との契約への服従・献身を意味します。

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 礼拝は次に、聖霊に満たされた信仰者たちのキリストにある交わりです。それゆえ、礼拝出席は兄弟姉妹への愛と関心の尺度・指標ともなります。高齢者・乳幼児・けが人など、自力出席が困難あるいは不可能な人々の出席は、他者への励まし・慰め・チャレンジとなります。礼拝出席はまた、求道者・未信者への教育的効果をも持っており、事実(無自覚的にも)良くも、悪しくも教育的効果を生み出しています―どうして喜びに満ちているのだろう(何が秘訣かな)、礼拝は出られる時にだけ出ればいいのか(その程度のことなんだな)等々。

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 さらに、礼拝出席はこの世の人々(家庭・職場・地域などのキリスト信者でない人々)に対して、信仰者である自分の人生の土台や目標、また価値観についての証言・告白ともなります。礼拝出席と他の事柄が重なる場合、どちらかを選択しなければなりません。そこに、何を大事にしているのか、何を(誰を)恐れているのかが反映されます。敢えて礼拝に出席した結果、周囲から非難されることも、あるいは相手を躓かせることもあります。しかし、それは、キリストご自身が一緒に引き受けてくださいます。主の恵みと力を信じるかどうかが試されることになります。信仰上の困難は避けられません。しかし、それは、神から賜っている信仰者の特質であると教えられています(マタイ5:11-12、使徒5:41、フィリピ1:29)。

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 礼拝行為と儀式はすべての宗教に備わっているものです(その形態や方法は素朴なものから発達したものまであります)。すなわち、すべての人は何らかの(自分の)“神”を持っており、それに幸福や成功を祈願している訳です。この世に生きる限り、困難や苦悩は避けられません―病気やケガ、失敗、争い・・・最後は死です。敢えて申しますが、これらの苦しみ・悩みに世の神々は何をしてくれるのでしょうか。

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 もし、このような人生と世の中でも諦(あきら)めず、希望をもって生きることができれば、どれほど有り難いことでしょうか。天地の創造者でキリストを死から復活させられた神―聖書が教える神―を礼拝することが、その力の源です。この一年、主の日の礼拝において共々に御言葉に聴き、神様を讃美して、霊的力を受け続けましょう!

(牧師 市川康則)

毎週日曜日は礼拝の日

千葉県の千城台教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

日曜日 朝の礼拝
10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜日 夕の礼拝
16時00分~17時00分
こちらも必要な持ち物は特にありません。朝の礼拝に出席出来ない場合におすすめです。
水曜日 祈祷会
10時30分から11時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。お仕事などで日曜日に教会に通えない方におすすめです。

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