?> 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」 栃木県鹿沼市のプロテスタント教会

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」

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「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」ヨハネ15:13 賀川豊彦というキリスト教の伝道者であり社会運動家の親友に、松崎里彦という伝道者がいました。松崎先生は元救世軍の伝道者でしたけれども、後に救世軍を辞めて、和歌山県の南部というところで一人で開拓伝道を始めました。伝道のかたわら、農村の青年を集めて聖書を教え、共に労働をし、塾のようなものを始めたのです。それに労祷学園、労働の「労」に祈祷の「祷」、「労祷学園」と名付けました。共に祈り、共に労働をするという意味です。  ところが松崎先生はごもくた先生、つまりごみため先生といわれる程の人で、先生の周りに集まってくる青年には問題児は少なくなかったのです。そのうち山本忠一という知恵遅れの少年が、行くところがなくて松崎先生の元に身を寄せるようになりました。彼は幼い頃、脳膜炎を患い、孤児になったのです。初めの頃、親類の者が世話をしていたのですが、大飯食らいで寝小便をする、そのことのために愛相を尽かされて捨てられ、そして、物乞いをしていました。その時に松崎先生に拾われたのです。  その少年がやってきてすぐ労祷学園の門柱に「アホ学園」と近所の人々が落書きをいたしました。そのことがすっかり南部地方の名物になったです。松崎先生は山本忠一に一生懸命に教育をいたしました。しかし、結局彼が覚えたのは讃美歌214番「北の果てなる氷の山」という歌だけで、山本忠一はいつも可愛らしい声でその歌を歌っていたそうです。しかし、アホ学園と近所の人々から馬鹿にされ始めましたので、他の青年たちは我慢が出来なくなって7人で松崎先生のところにやって参りまして、「あほチュウを追い出すか、さもなくば自分たちが出ていく」そのように談判をいたしました。有為の7人の青年と1人の知恵遅れの青年のどちらをとるか詰め寄られまして、松崎先生は本当に困りましたけれども、聖書のことばによって決断をいたしました。  「丈夫な人に医者はいらない、いるのは病人である。ある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を探しに出かけないであろうか。」その聖書の言葉にたって山本忠一を選ぶ決断をしたのです。7人の青年達は勿論、労祷学園を去って行きました。そのことがあって山本忠一は労祷学園を去って行きました。数年後、風の便りに彼は機帆船に拾われて働いていることを松崎先生は聞きました。  そんなある日、昭和十五年のことです。一人の紳士が松崎先生を訪ねてまいりました。「あなたは何年か前に山本忠一という子供をお世話くださった松崎先生ではありませんか。」と尋ねました。「おお、あなたは忠やんの消息をご存じですか。今どうしていますか。機帆船に乗っていると聞いていましたが」。でその紳士は、「実はその忠やんが立派な働きをして死にました。これが忠やんの形見です。」と言って差し出したのは、船の舵輪でした。その紳士は実は船長でした。彼の機帆船「幸重丸」は荷物を満載して紀州尾鷲を出たのです。ところが出帆間もなく海が時化だしてきて新宮沖に差しかかった時にはどうしても船が意のままに動かないで、ついに暗礁に船底をぶつけて浸水を始めたのです。「もうだめだ」と思っていると破れた船底から「親方、親方、船を、船を」という声がして行ってみますと、山本忠一が腰まで水に浸かりながら叫んでいます。不思議なことに水は少しも増えていません。船員が急いで水を掻い出してみますと、なんと驚いたことに山本忠一が船底の破れた穴に自分の太股をグッと突っ込んで、そして必死にもがきながら「船を、船を、早く、早く、陸に上げろ」と苦しく、狂おしく叫んでいるのです。船員たちは九死に一生を得ましたけれども、忠一はかわいそうに右大腿部をもぎ取られて出血多量のために、上陸するまでに息を引き取りました。  ヨハネによる福音書の第十五章十三節に「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」とあります。現在、労祷学園の屋根の一番上に山本忠一を記念して幸重丸の舵輪が飾られています。山本忠一は、寝小便をするような自分を抱きしめて一緒に同じ布団で寝てくれた松崎先生の心の温かさに触れて「松崎先生に喜ばれたい」そういう思いで一命を投じたのでしょう。キリストの愛の温かさが分ると「神様に喜ばれる生き方をしよう」という思いになります。私達は本当の愛に触れるときに「人を愛して生きよう」という力が湧き出てくるのです。 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」 ヨハネ15:13 「心の発見」よりラジオ福島から昭和63年3月1日放送したものを抜粋しました。

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」ヨハネ15:13

 賀川豊彦というキリスト教の伝道者であり社会運動家の親友に、松崎里彦という伝道者がいました。松崎先生は元救世軍の伝道者でしたけれども、後に救世軍を辞めて、和歌山県の南部というところで一人で開拓伝道を始めました。伝道のかたわら、農村の青年を集めて聖書を教え、共に労働をし、塾のようなものを始めたのです。それに労祷学園、労働の「労」に祈祷の「祷」、「労祷学園」と名付けました。共に祈り、共に労働をするという意味です。
 ところが松崎先生はごもくた先生、つまりごみため先生といわれる程の人で、先生の周りに集まってくる青年には問題児は少なくなかったのです。そのうち山本忠一という知恵遅れの少年が、行くところがなくて松崎先生の元に身を寄せるようになりました。彼は幼い頃、脳膜炎を患い、孤児になったのです。初めの頃、親類の者が世話をしていたのですが、大飯食らいで寝小便をする、そのことのために愛相を尽かされて捨てられ、そして、物乞いをしていました。その時に松崎先生に拾われたのです。
 その少年がやってきてすぐ労祷学園の門柱に「アホ学園」と近所の人々が落書きをいたしました。そのことがすっかり南部地方の名物になったです。松崎先生は山本忠一に一生懸命に教育をいたしました。しかし、結局彼が覚えたのは讃美歌214番「北の果てなる氷の山」という歌だけで、山本忠一はいつも可愛らしい声でその歌を歌っていたそうです。しかし、アホ学園と近所の人々から馬鹿にされ始めましたので、他の青年たちは我慢が出来なくなって7人で松崎先生のところにやって参りまして、「あほチュウを追い出すか、さもなくば自分たちが出ていく」そのように談判をいたしました。有為の7人の青年と1人の知恵遅れの青年のどちらをとるか詰め寄られまして、松崎先生は本当に困りましたけれども、聖書のことばによって決断をいたしました。
 「丈夫な人に医者はいらない、いるのは病人である。ある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を探しに出かけないであろうか。」その聖書の言葉にたって山本忠一を選ぶ決断をしたのです。7人の青年達は勿論、労祷学園を去って行きました。そのことがあって山本忠一は労祷学園を去って行きました。数年後、風の便りに彼は機帆船に拾われて働いていることを松崎先生は聞きました。
 そんなある日、昭和十五年のことです。一人の紳士が松崎先生を訪ねてまいりました。「あなたは何年か前に山本忠一という子供をお世話くださった松崎先生ではありませんか。」と尋ねました。「おお、あなたは忠やんの消息をご存じですか。今どうしていますか。機帆船に乗っていると聞いていましたが」。でその紳士は、「実はその忠やんが立派な働きをして死にました。これが忠やんの形見です。」と言って差し出したのは、船の舵輪でした。その紳士は実は船長でした。彼の機帆船「幸重丸」は荷物を満載して紀州尾鷲を出たのです。ところが出帆間もなく海が時化だしてきて新宮沖に差しかかった時にはどうしても船が意のままに動かないで、ついに暗礁に船底をぶつけて浸水を始めたのです。「もうだめだ」と思っていると破れた船底から「親方、親方、船を、船を」という声がして行ってみますと、山本忠一が腰まで水に浸かりながら叫んでいます。不思議なことに水は少しも増えていません。船員が急いで水を掻い出してみますと、なんと驚いたことに山本忠一が船底の破れた穴に自分の太股をグッと突っ込んで、そして必死にもがきながら「船を、船を、早く、早く、陸に上げろ」と苦しく、狂おしく叫んでいるのです。船員たちは九死に一生を得ましたけれども、忠一はかわいそうに右大腿部をもぎ取られて出血多量のために、上陸するまでに息を引き取りました。
 ヨハネによる福音書の第十五章十三節に「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」とあります。現在、労祷学園の屋根の一番上に山本忠一を記念して幸重丸の舵輪が飾られています。山本忠一は、寝小便をするような自分を抱きしめて一緒に同じ布団で寝てくれた松崎先生の心の温かさに触れて「松崎先生に喜ばれたい」そういう思いで一命を投じたのでしょう。キリストの愛の温かさが分ると「神様に喜ばれる生き方をしよう」という思いになります。私達は本当の愛に触れるときに「人を愛して生きよう」という力が湧き出てくるのです。 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」 ヨハネ15:13

「心の発見」よりラジオ福島から昭和63年3月1日放送したものを抜粋しました。

毎週日曜は礼拝の日

日本キリスト改革派 宇都宮教会では、毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、毎月第一、第三金曜日の聖書研究会&お祈り会がお勧めです。あるいは牧師の携帯電話(090-2411-7246)にご連絡くだされば、嬉しいです。

日曜礼拝
毎週日曜日 午前10時30分~11時45分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
聖書研究会&祈祷会
毎週金曜日 10時30分から12時00分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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