2020年05月17日「アンティオキアでの衝突」

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【讃美歌68】

【主の祈り】

【信仰告白_ウェストミンスター小教理問答35~36】
問35 聖化とは何ですか。
答 聖化とは、神の無償の恵みの御業であり、それによってわたしたちは、神のかたちにしたがってその人全体が新たにされ、ますます罪に対して死に、義に対して生きることができるようにされます。
問36 この世において、義認、子とすること、聖化に伴い、あるいはそれから生じる恩恵とは何ですか。
答 この世において、義認、子とすること、聖化に伴い、あるいはそれから生じる恩恵とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、そして恵みの内に最後まで堅忍することです。

【献金】

【聖書朗読】

2:11さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。
2:12なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。
2:13そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。
2:14しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ガラテヤの信徒への手紙 2章11節~14節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

 本日の舞台はアンティオキアですが、シリアのオロンテス川沿いにあるアンティオキアという町は、紀元前にセレウコス朝の時に建てられた都市であり、パウロの時代には、ローマ帝国の支配下にありました。小アジアには他にもこの名前を持つ都市があった為、オロンテス川沿いにあるこの都市を、特に「大アンティオキア」とか、「美しいアンティオキア」と呼んでいました。当時ローマとアレクサンドリアに次ぐ、三番目に大きな大都市であり、居住民としてはローマ人とギリシャ人の他に、ディアスポラとして散らされたユダヤ人もたくさん住んでいました。福音がアンティオキアにも伝わると、エルサレム教会からバルナバが派遣され、バルナバは、シリア地方で伝道していたパウロを見出し、パウロを同労者としてアンティオキア教会に連れてきました。アンティオキアの群れは、伝道されて間もないのに関わらず、エルサレムに献金を送ることができるようになり、さらには、異邦人伝道の拠点となるほどに成長していきました。本日、お読みしたアンティオキアにおけるパウロとペトロの衝突は、第一次宣教旅行から帰って来た直後に、起こったと考えられています。使徒言行録13~14章には第一次伝道旅行の様子が書かれていますが、14:26~28にはアンティオキアへの帰還について次のように書かれています。

“そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。”

このアンティオキアでのユダヤ人信者と異邦人信者との問題が、その後に開催される、エルサレムでの使徒会議の議題となったと考えられます。ですから、ガラテヤ書が執筆されたのも、恐らくパウロがアンティオキアにしばらく滞在していたこの時であると思われます。

さて、アンティオキアにエルサレムにおいて柱として目されている使徒ペトロも訪問して、兄弟姉妹と深く交わりを持っていました。ペトロは、以前、使徒言行録10章に記されていますが、ヤッファの皮なめし職人のシモンの家で祈っている時に夢心地になり、その夢の中で、天から大きな布にくるまれながら、あらゆる獣、地をはうもの、空の鳥がつるされてきました。そして「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と声がかかります。ペトロは「主よ、そんなこととてもできません。」と答えると、再び声がありました。「神が清めた物を、清くないなどと、言ってはならない。」そのような事が三度もあった後、ちょうど神を信じる百人隊長のコルネリウスがペトロを訪ねてきて、神が異邦人をも受け入れておられることを確信し、コルネリウスに洗礼を授けました。このようなことを経験していましたから、ペトロはアンティオキアにおいて異邦人と、日常のように、食事の交わりをすることにおいて、何の神学的な戸惑いなどはありませんでした。ところがある日、エルサレムの監督のヤコブのもとから「ある人々が」やって来ました。11~12節を御覧ください。

【1】. ケファが恐れた「割礼を受けている者」とは?

 “さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。”

ヤコブのもとから来た“ある人々”とは一体誰であったのか、また、ペトロがそれほどまでに恐れた“割礼を受けている者たち”が一体誰であったのか、神学者によって解釈が異なりますが、大きく分けますと、二種類ありまして、第一に“ある人々”と“割礼を受けている者たち”が同一の人々であるという考え方です。第二に“ある人々”と“割礼を受けている者たち”とは、そもそも、別の人々であるという考え方です。私もこの意見に賛成ですが、“割礼を受けている者たち”とは、非キリスト者の熱心なユダヤ教徒たちであり、彼らはいよいよメシア時代を到来させるために民族主義的になり、暴徒化していったと思われます。彼らはその後、約20年後のAD66~70年にローマの支配に対抗してユダヤ戦争が勃発させますが、その時に核のメンバーであるいわゆる熱心党員と考えられています。彼らは、ユダヤ人のキリスト者が無法な異邦人と交わることを良く思っていませんでした。そのためにエルサレムのキリスト者は、熱心なユダヤ教徒たちからの報復の危機に常にさらされていました。そのような重苦しい雰囲気の中で、エルサレムのキリスト者の中においても、波風をたてないように、不必要にユダヤ人の感情に触れることなく、かえって、異邦人に割礼を説きながら、異邦人が救われるためにはユダヤ化されて、ユダヤ人にならなければならないと教える「ユダヤ主義的」な考えを持った信者が現れて来たのであります。そのようにすることで、熱心なユダヤ教徒からの報復を防ぐことができると考えたのです。ガラテヤ書の6:12~13には、熱心党を恐れる、ユダヤ主義的キリスト者の内心が暴露されています。御覧ください。

“肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。”

ですから、ペトロが恐れたのは、民族主義運動が高調していく中で、核となっている熱心なユダヤ教徒たちであり、ヤコブから遣わされた“ある人々”とは、ペトロに対し、「異邦人と自由に交わることによって彼らを刺激してしまい、エルサレムの兄弟たちに危険が及ぶかもしれないから慎んでいただけないでしょうか」、という伝言を受けたのだと考えられます。ペトロはそれ以来、少しずつ、異邦人たちとの食事の交わりから退くようになり、身を引いていきました。エルサレム教会の人々の生活を、より困難なものにするよりは、異邦人との食事を止める方が良いという誠実な判断によってであります。そして、それを見た他のユダヤ人キリスト者と、さらには、愛の人、バルナバまでもがペトロの行動に、引きずり込まれていきました。

【2】. パウロのけん責

 一方において、パウロは、ペトロの行動を非常に激しく反対しています。11節で“非難すべきところがあったので”とありますが、ギリシャ語ではもう少し強い語調になっておりまして、「(神の前に)有罪判決を受けた状態であるため」と直訳されます。なぜパウロがそこまで、激しく正面切って反対したのでしょうか。13~14節を御覧ください。

“そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」”

パウロは、ペトロの行動を“見せかけの”行動として非難しています。この“見せかけの”という言葉は、イエス様がファリサイ人や律法学者の行いに対して非難した言葉であります。「偽善の」とか、「背教の」という意味の言葉です。なぜエルサレムの兄弟姉妹に対し、誠実で配慮のあるペトロの分離(後ずさり)が、パウロにとって「背教の」行為として映ったのでしょうか。

パウロは、ここで、福音の真理の名において、福音の真理の光に照らした時に、ペトロが自分の行為の重大さに充分に気づいていなかった点を問題にしているようです。その重大な問題とは、ペトロとバルナバによって捨てられたアンティオキアの異邦人に突き付けられた選択についてです。その選択というのは、彼らが、ユダヤ人のようになって交わりに入れてもらうか、或いは、教会の交わりに受け入れてもらえない二流の教会員として留まるかという選択でありました。これは教会の中に一種の階級を生み出すものであり、それによってユダヤ人は自らの割礼を誇り、「神の恵み」の根本的な否定であって、許しがたい福音の歪曲であったということです。結局、ペトロの取った行動というのは、本人が自分の行動の重大さに気づいてはいませんでしたが、異邦人信者全員に対し、救いのためには「ユダヤ人になるように強要すること」であったということです。パウロにとっては、もし、兄弟姉妹の一致が、恵みの福音の妥協を要請するようなものであるなら、そのようにして人間的に作り出された一致など断じて同意することは出来ないということでした。パウロは飢饉の中で、第二回目のエルサレム訪問をした際に、ヤコブとペトロとヨハネによって福音の一致のしるしとして右手を差し出され、皆が一つであることを確認しましたが、それは「福音の真理」の前に一つであることの確認であって、決して異邦人をユダヤ化することの一致ではなかったということです。

【3】. 教会のしるしである御言葉

 パウロが、このアンティオキアでの衝突を、なぜガラテヤの諸教会に対する書簡に記したのかということについても考えてみましょう。パウロはこれまで、自分の福音というのが、人から伝授されたものでも、教授されたものでもなく、神からのものであると主張しながら、自身の使徒性を弁護してきました。そして、何よりもこのアンティオキアでの衝突において、使徒であるペトロもヤコブも、福音の真理の名の下に、反対されているのです。このことは、つまり、使徒という地位それ自体が、権限を持っているのではないということであり、いくら、イエス様の全権大使である使徒たちであっても間違えることはあるということです。つまり、使徒自身に何か権威があるのではなく、使徒たちと共に働かれる聖霊によって語られる御言葉に権威があるということです。ですから、人間の語る言葉に権威があるのではなく、聖霊によって語られた福音の真理にこそ、権威があるのであって、パウロを含めて、使徒たちは、その権威の下に仕えているに過ぎないということです。ですから、パウロの福音も、使徒たちの福音も同等であり、パウロの福音が使徒たちの福音に依存しているのではなく、独立しているということです。そして、ただ福音の真理のみがキリスト者の一致の絆であるということです。

このことを現代に生きる私たちに適用してみましょう。ローマカトリック教会は、プロテスタント教会を非難するに当たって、「なんと個人主義であり、一致がなく、分離と分裂を繰り返しているのか」と言うでしょう。カトリック教会ではローマ法王を頂点とする階級的な圧力によって教会の一致を守ろうとしているために、分離や分裂などは一切ありません。つまりカトリック教会では、ローマ教皇による教会の使徒性の継承を主張していることになります。一方で、プロテスタント教会では、教会の使徒性を、教理の継承として捉え、人間や人間の地位によって使徒性が継承されるということをきっぱりと否定しました。そもそも使徒というのは臨時的な職務でありますし、そして使徒であっても間違いを犯すからです。プロテスタント教会では、教会が教会であるための「教会のしるし」として御言葉と礼典と戒規の三つを挙げていますが、第一に挙げられているのが、福音の純粋な説教であり、御言葉であるということです。このことが大変重要なことだと思うのですが、なぜなら、カトリック教会では、ローマ教皇が頭として治めていることになりますが、プロテスタント教会では、全ての人々に等しく与えられている「御言葉」が教会を治めていることになるからです。被造物ではなく、御言葉であられるイエス様が、恵みの福音であられるイエス様が、直接、頭として私たちを治められるのです。ただし、主は信者各人に対し、御言葉の解釈権と、理解する自由を与えられましたので、どうしても御言葉の解釈において多様性が出てきてしまいます。しかし神は、一致の中の多様性を愛されるのであって、この多様性によって神の栄光が飾られるからです。地上において分離と分裂があるのは、明らかに罪の結果であって、天の教会においては分離や分裂はありません。しかし、この分離や分裂というのは、それは罪が入る以前に教会がもっていた多様性が腐敗し、変質化されたものとして考えられます。本日学んだように、初代教会の使徒たちにおいてさえ、共同体からの分離がありました。宗教改革以降、教会は多様性の時代に突入しましたが、教会の一致というのは、組織の形態や階級的な圧力によってもたらされるのではなく、信者一人一人が福音の真理の前に立って、信仰の霊的きずなの中において、探すように求められているということです。

【結論】

 第一に、ペトロとバルナバは、エルサレムのキリスト者を喜ばせようとして、熱心党員の圧力と要求に安易に和合しようとしてしまい、そのことが福音の真理に照らしてみる時に罪であることが明らかにされました。私たちも人の目に一見、善いことであるように見えても、実は、それが福音の妥協を要請するものではないのか、福音を歪曲するものではないのか、常に祈り求めて行かなければなりません。第二にパウロのけん責から学ぶことができるのは、ただ福音の真理だけがキリスト者の唯一の一致の絆であるということです。ガラテヤの人々はパウロによって語られた福音を聖霊の感動の中でどのように受け入れたのか、自分たちがどのようにしてイエス様にお会いしたのかを思い起こさなければなりませんし、その福音の真理に照らして、惑わす者たちが語っている言葉を吟味しなければならないということです。教会には多様性があり、私たちが罪びとである以上、分離と分裂の罪を犯すことはやむを得ないことですが、それにも関わらず教会の頭は、被造物ではなく人でもない、御言葉であられる主イエス様であって、そして福音の真理だけが唯一の一致の絆であることを覚えつつ、感謝して歩ませていただきましょう。

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