2020年05月17日「アンティオキアでの衝突 안디옥에서의 충돌」

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アンティオキアでの衝突 안디옥에서의 충돌

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ガラテヤの信徒への手紙 2章11節~14節

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【讃美歌68】

【主の祈り】

【信仰告白_ウェストミンスター小教理問答35~36】
問35 聖化とは何ですか。
答 聖化とは、神の無償の恵みの御業であり、それによってわたしたちは、神のかたちにしたがってその人全体が新たにされ、ますます罪に対して死に、義に対して生きることができるようにされます。
問36 この世において、義認、子とすること、聖化に伴い、あるいはそれから生じる恩恵とは何ですか。
答 この世において、義認、子とすること、聖化に伴い、あるいはそれから生じる恩恵とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、そして恵みの内に最後まで堅忍することです。

【献金】

【聖書朗読】

2:11さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。
2:12なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。
2:13そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。
2:14しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ガラテヤの信徒への手紙 2章11節~14節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

 本日の舞台はアンティオキアですが、シリアのオロンテス川沿いにあるアンティオキアという町は、紀元前にセレウコス朝の時に建てられた都市であり、パウロの時代には、ローマ帝国の支配下にありました。小アジアには他にもこの名前を持つ都市があった為、オロンテス川沿いにあるこの都市を、特に「大アンティオキア」とか、「美しいアンティオキア」と呼んでいました。当時ローマとアレクサンドリアに次ぐ、三番目に大きな大都市であり、居住民としてはローマ人とギリシャ人の他に、ディアスポラとして散らされたユダヤ人もたくさん住んでいました。福音がアンティオキアにも伝わると、エルサレム教会からバルナバが派遣され、バルナバは、シリア地方で伝道していたパウロを見出し、パウロを同労者としてアンティオキア教会に連れてきました。アンティオキアの群れは、伝道されて間もないのに関わらず、エルサレムに献金を送ることができるようになり、さらには、異邦人伝道の拠点となるほどに成長していきました。本日、お読みしたアンティオキアにおけるパウロとペトロの衝突は、第一次宣教旅行から帰って来た直後に、起こったと考えられています。使徒言行録13~14章には第一次伝道旅行の様子が書かれていますが、14:26~28にはアンティオキアへの帰還について次のように書かれています。

“そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。”

このアンティオキアでのユダヤ人信者と異邦人信者との問題が、その後に開催される、エルサレムでの使徒会議の議題となったと考えられます。ですから、ガラテヤ書が執筆されたのも、恐らくパウロがアンティオキアにしばらく滞在していたこの時であると思われます。

さて、アンティオキアにエルサレムにおいて柱として目されている使徒ペトロも訪問して、兄弟姉妹と深く交わりを持っていました。ペトロは、以前、使徒言行録10章に記されていますが、ヤッファの皮なめし職人のシモンの家で祈っている時に夢心地になり、その夢の中で、天から大きな布にくるまれながら、あらゆる獣、地をはうもの、空の鳥がつるされてきました。そして「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と声がかかります。ペトロは「主よ、そんなこととてもできません。」と答えると、再び声がありました。「神が清めた物を、清くないなどと、言ってはならない。」そのような事が三度もあった後、ちょうど神を信じる百人隊長のコルネリウスがペトロを訪ねてきて、神が異邦人をも受け入れておられることを確信し、コルネリウスに洗礼を授けました。このようなことを経験していましたから、ペトロはアンティオキアにおいて異邦人と、日常のように、食事の交わりをすることにおいて、何の神学的な戸惑いなどはありませんでした。ところがある日、エルサレムの監督のヤコブのもとから「ある人々が」やって来ました。11~12節を御覧ください。

【1】. ケファが恐れた「割礼を受けている者」とは?

 “さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。”

ヤコブのもとから来た“ある人々”とは一体誰であったのか、また、ペトロがそれほどまでに恐れた“割礼を受けている者たち”が一体誰であったのか、神学者によって解釈が異なりますが、大きく分けますと、二種類ありまして、第一に“ある人々”と“割礼を受けている者たち”が同一の人々であるという考え方です。第二に“ある人々”と“割礼を受けている者たち”とは、そもそも、別の人々であるという考え方です。私もこの意見に賛成ですが、“割礼を受けている者たち”とは、非キリスト者の熱心なユダヤ教徒たちであり、彼らはいよいよメシア時代を到来させるために民族主義的になり、暴徒化していったと思われます。彼らはその後、約20年後のAD66~70年にローマの支配に対抗してユダヤ戦争が勃発させますが、その時に核のメンバーであるいわゆる熱心党員と考えられています。彼らは、ユダヤ人のキリスト者が無法な異邦人と交わることを良く思っていませんでした。そのためにエルサレムのキリスト者は、熱心なユダヤ教徒たちからの報復の危機に常にさらされていました。そのような重苦しい雰囲気の中で、エルサレムのキリスト者の中においても、波風をたてないように、不必要にユダヤ人の感情に触れることなく、かえって、異邦人に割礼を説きながら、異邦人が救われるためにはユダヤ化されて、ユダヤ人にならなければならないと教える「ユダヤ主義的」な考えを持った信者が現れて来たのであります。そのようにすることで、熱心なユダヤ教徒からの報復を防ぐことができると考えたのです。ガラテヤ書の6:12~13には、熱心党を恐れる、ユダヤ主義的キリスト者の内心が暴露されています。御覧ください。

“肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。”

ですから、ペトロが恐れたのは、民族主義運動が高調していく中で、核となっている熱心なユダヤ教徒たちであり、ヤコブから遣わされた“ある人々”とは、ペトロに対し、「異邦人と自由に交わることによって彼らを刺激してしまい、エルサレムの兄弟たちに危険が及ぶかもしれないから慎んでいただけないでしょうか」、という伝言を受けたのだと考えられます。ペトロはそれ以来、少しずつ、異邦人たちとの食事の交わりから退くようになり、身を引いていきました。エルサレム教会の人々の生活を、より困難なものにするよりは、異邦人との食事を止める方が良いという誠実な判断によってであります。そして、それを見た他のユダヤ人キリスト者と、さらには、愛の人、バルナバまでもがペトロの行動に、引きずり込まれていきました。

【2】. パウロのけん責

 一方において、パウロは、ペトロの行動を非常に激しく反対しています。11節で“非難すべきところがあったので”とありますが、ギリシャ語ではもう少し強い語調になっておりまして、「(神の前に)有罪判決を受けた状態であるため」と直訳されます。なぜパウロがそこまで、激しく正面切って反対したのでしょうか。13~14節を御覧ください。

“そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」”

パウロは、ペトロの行動を“見せかけの”行動として非難しています。この“見せかけの”という言葉は、イエス様がファリサイ人や律法学者の行いに対して非難した言葉であります。「偽善の」とか、「背教の」という意味の言葉です。なぜエルサレムの兄弟姉妹に対し、誠実で配慮のあるペトロの分離(後ずさり)が、パウロにとって「背教の」行為として映ったのでしょうか。

パウロは、ここで、福音の真理の名において、福音の真理の光に照らした時に、ペトロが自分の行為の重大さに充分に気づいていなかった点を問題にしているようです。その重大な問題とは、ペトロとバルナバによって捨てられたアンティオキアの異邦人に突き付けられた選択についてです。その選択というのは、彼らが、ユダヤ人のようになって交わりに入れてもらうか、或いは、教会の交わりに受け入れてもらえない二流の教会員として留まるかという選択でありました。これは教会の中に一種の階級を生み出すものであり、それによってユダヤ人は自らの割礼を誇り、「神の恵み」の根本的な否定であって、許しがたい福音の歪曲であったということです。結局、ペトロの取った行動というのは、本人が自分の行動の重大さに気づいてはいませんでしたが、異邦人信者全員に対し、救いのためには「ユダヤ人になるように強要すること」であったということです。パウロにとっては、もし、兄弟姉妹の一致が、恵みの福音の妥協を要請するようなものであるなら、そのようにして人間的に作り出された一致など断じて同意することは出来ないということでした。パウロは飢饉の中で、第二回目のエルサレム訪問をした際に、ヤコブとペトロとヨハネによって福音の一致のしるしとして右手を差し出され、皆が一つであることを確認しましたが、それは「福音の真理」の前に一つであることの確認であって、決して異邦人をユダヤ化することの一致ではなかったということです。

【3】. 教会のしるしである御言葉

 パウロが、このアンティオキアでの衝突を、なぜガラテヤの諸教会に対する書簡に記したのかということについても考えてみましょう。パウロはこれまで、自分の福音というのが、人から伝授されたものでも、教授されたものでもなく、神からのものであると主張しながら、自身の使徒性を弁護してきました。そして、何よりもこのアンティオキアでの衝突において、使徒であるペトロもヤコブも、福音の真理の名の下に、反対されているのです。このことは、つまり、使徒という地位それ自体が、権限を持っているのではないということであり、いくら、イエス様の全権大使である使徒たちであっても間違えることはあるということです。つまり、使徒自身に何か権威があるのではなく、使徒たちと共に働かれる聖霊によって語られる御言葉に権威があるということです。ですから、人間の語る言葉に権威があるのではなく、聖霊によって語られた福音の真理にこそ、権威があるのであって、パウロを含めて、使徒たちは、その権威の下に仕えているに過ぎないということです。ですから、パウロの福音も、使徒たちの福音も同等であり、パウロの福音が使徒たちの福音に依存しているのではなく、独立しているということです。そして、ただ福音の真理のみがキリスト者の一致の絆であるということです。

このことを現代に生きる私たちに適用してみましょう。ローマカトリック教会は、プロテスタント教会を非難するに当たって、「なんと個人主義であり、一致がなく、分離と分裂を繰り返しているのか」と言うでしょう。カトリック教会ではローマ法王を頂点とする階級的な圧力によって教会の一致を守ろうとしているために、分離や分裂などは一切ありません。つまりカトリック教会では、ローマ教皇による教会の使徒性の継承を主張していることになります。一方で、プロテスタント教会では、教会の使徒性を、教理の継承として捉え、人間や人間の地位によって使徒性が継承されるということをきっぱりと否定しました。そもそも使徒というのは臨時的な職務でありますし、そして使徒であっても間違いを犯すからです。プロテスタント教会では、教会が教会であるための「教会のしるし」として御言葉と礼典と戒規の三つを挙げていますが、第一に挙げられているのが、福音の純粋な説教であり、御言葉であるということです。このことが大変重要なことだと思うのですが、なぜなら、カトリック教会では、ローマ教皇が頭として治めていることになりますが、プロテスタント教会では、全ての人々に等しく与えられている「御言葉」が教会を治めていることになるからです。被造物ではなく、御言葉であられるイエス様が、恵みの福音であられるイエス様が、直接、頭として私たちを治められるのです。ただし、主は信者各人に対し、御言葉の解釈権と、理解する自由を与えられましたので、どうしても御言葉の解釈において多様性が出てきてしまいます。しかし神は、一致の中の多様性を愛されるのであって、この多様性によって神の栄光が飾られるからです。地上において分離と分裂があるのは、明らかに罪の結果であって、天の教会においては分離や分裂はありません。しかし、この分離や分裂というのは、それは罪が入る以前に教会がもっていた多様性が腐敗し、変質化されたものとして考えられます。本日学んだように、初代教会の使徒たちにおいてさえ、共同体からの分離がありました。宗教改革以降、教会は多様性の時代に突入しましたが、教会の一致というのは、組織の形態や階級的な圧力によってもたらされるのではなく、信者一人一人が福音の真理の前に立って、信仰の霊的きずなの中において、探すように求められているということです。

【結論】

 第一に、ペトロとバルナバは、エルサレムのキリスト者を喜ばせようとして、熱心党員の圧力と要求に安易に和合しようとしてしまい、そのことが福音の真理に照らしてみる時に罪であることが明らかにされました。私たちも人の目に一見、善いことであるように見えても、実は、それが福音の妥協を要請するものではないのか、福音を歪曲するものではないのか、常に祈り求めて行かなければなりません。第二にパウロのけん責から学ぶことができるのは、ただ福音の真理だけがキリスト者の唯一の一致の絆であるということです。ガラテヤの人々はパウロによって語られた福音を聖霊の感動の中でどのように受け入れたのか、自分たちがどのようにしてイエス様にお会いしたのかを思い起こさなければなりませんし、その福音の真理に照らして、惑わす者たちが語っている言葉を吟味しなければならないということです。教会には多様性があり、私たちが罪びとである以上、分離と分裂の罪を犯すことはやむを得ないことですが、それにも関わらず教会の頭は、被造物ではなく人でもない、御言葉であられる主イエス様であって、そして福音の真理だけが唯一の一致の絆であることを覚えつつ、感謝して歩ませていただきましょう。

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안디옥에서의 충돌

2020년 5월 17일 설교 카와에 토모아키 목사

갈라디아서 2장 11절~14절

(서론)

오늘의 무대는 안디옥입니다만, 시리아의 오론테스 강변에 위치한 안디옥이라는 도시는 기원전 셀레우코스 왕조 시대에 건설된 도시로, 바울의 시대에는 로마 제국의 지배하에 있었습니다. 소아시아에는 이 이름을 가진 다른 도시들도 있었기 때문에, 오론테스 강변에 있는 이 도시를 특히「대안디옥」이나 「아름다운 안디옥」이라고 불렀습니다. 당시 로마와 알렉산드리아에 이어 세 번째로 큰 대도시였으며, 거주민으로는 로마인과 그리스인 외에도 디아스포라로 흩어진 유대인들도 많이 살고 있었습니다. 복음이 안디옥에도 전해지자, 예루살렘 교회에서 바나바가 파견되었고, 바나바는 시리아 지방에서 전도하던 바울을 찾아내어, 바울을 동역자로 삼아 안디옥 교회로 데려왔습니다. 안디옥의 교회는 전도를 받은 지 얼마 되지 않았음에도 불구하고 예루살렘에 헌금을 보낼 수 있게 되었으며, 나아가 이방인 전도의 거점이 될 정도로 성장해 갔습니다. 오늘 읽은 안디옥에서의 바울과 베드로의 충돌은 제1차 선교 여행에서 돌아온 직후에 일어난 것으로 여겨집니다. 사도행전 13~14장에는 제1차 선교 여행의 모습이 기록되어 있는데, 14: 26~28절에는 안디옥으로의 귀환에 대해 다음과 같이 기록되어 있습니다.

사도행전14장

26 거기서 배 타고 안디옥에 이르니 이 곳은 두 사도가 이룬 그 일을 위하여 전에 하나님의 은혜에 부탁하던 곳이라

27 그들이 이르러 교회를 모아 하나님이 함께 행하신 모든 일과 이방인들에게 믿음의 문을 여신 것을 보고하고

28 제자들과 함께 오래 있으니라

안디옥에서 발생한 유대인 신자들과 이방인 신자들 간의 문제가, 그 후 예루살렘에서 열린 사도 회의의 안건이 되었을 것으로 보입니다. 따라서 갈라디아서가 집필된 시기도 아마도 바울이 안디옥에 잠시 머물렀던 이때였을 것으로 생각됩니다.

한편, 안디옥에는 예루살렘에서 기둥으로 여겨지던, 사도 베드로도 방문하여 형제자매들과 깊은 교제를 나누었습니다. 베드로는 이전에 사도행전 10장에 기록된 바와 같이, 욥바의 무두장이(가죽장수) 시몬의 집에서 기도하고 있을 때 황홀한 중에, 그 꿈 속에서 하늘에서 큰 천에 싸여 땅에 있는 각종 네 발 가진 짐승과 기는 것과 공중에 나는 것들이 내려오는 것을 보았습니다. 그리고 「베드로야, 일어나 잡아 먹어라」는 음성이 들려왔습니다. 베드로가 「주여 그럴 수 없나이다 속되고 깨끗하지 아니한 것을 내가 결코 먹지 아니하였나이다」라고 대답하자, 다시「하나님께서 깨끗하게 하신 것을 네가 속되다 하지 말라」 라는 음성이 들렸습니다. 그런 일이 세 번이나 있은 후, 마침 하나님을 믿는 백부장 고넬료가 베드로를 찾아왔고, 베드로는 하나님이 이방인들도 받아들이신다는 것을 확신하여 고넬료에게 세례를 베풀었습니다. 이러한 일을 경험했기 때문에, 베드로는 안디옥에서 이방인들과 평소처럼 식사를 나누는 데 있어 아무런 신학적인 망설임도 없었습니다. 그런데 어느 날, 예루살렘의 감독 야고보에게서 「어떤 사람들이」 찾아왔습니다. 11~12절을 보십시오.

(1) 게바가 두려워했던 「할례자들」이란 누구인가?

11 게바가 안디옥에 이르렀을 때에 책망 받을 일이 있기로 내가 그를 대면하여 책망하였노라

12 야고보에게서 온 어떤 이들이 이르기 전에 게바가 이방인과 함께 먹다가 그들이 오매 그가 할례자들을 두려워하여 떠나 물러가매

야고보에게서 온「어떤 이들」이 도대체 누구였는지, 또 베드로가 그토록 두려워했던 「할례자들」이 도대체 누구였는지에 대해서는 신학자마다 해석이 다르지만, 크게 나누면 두 가지 견해가 있습니다. 첫째는 「어떤 이들」과 「할례자들」이 동일한 사람들이라는 견해입니다. 둘째로 「어떤 이들」과 「할례자들」은 애초에 별개의 사람들이라는 견해입니다. 저도 이 의견에 동의하지만, 「할례자들」이란 비기독교인인 열성적인 유대교도들이며, 그들은 마침내 메시아 시대를 도래시키기 위해 민족주의적으로 변해 폭도화되어 갔던 것으로 보입니다. 그들은 그 후 약 20년 뒤인 서기 66~70년에 로마의 지배에 대항하여 유대 전쟁을 일으켰는데, 그때 핵심 구성원인 이른바 열심당원들로 여겨집니다. 그들은 유대인 그리스도인들이 무법한 이방인들과 교제하는 것을 달가워하지 않았습니다. 그 때문에 예루살렘의 그리스도인들은 열성적인 유대교도들의 보복 위험에 항상 노출되어 있었습니다. 그러한 무거운 분위기 속에서, 예루살렘의 그리스도인들 사이에서도 파문을 일으키지 않기 위해, 불필요하게 유대인들의 감정을 건드리지 않으면서, 오히려 이방인들에게 할례를 권하며, 이방인이 구원받기 위해서는 유대화되어 유대인이 되어야 한다고 가르치는 「유대주의적 사상」을 가진 신자들이 나타나게 된 것입니다. 그렇게 함으로써 열성적인 유대교도들의 보복을 막을 수 있다고 생각했던 것입니다. 갈라디아서 6:12~13에는 열성파를 두려워하는 유대주의적 그리스도인들의 내면이 드러나 있습니다. 보십시오.

갈라디아서 6장

12 무릇 육체의 모양을 내려 하는 자들이 억지로 너희에게 할례를 받게 함은 그들이 그리스도의 십자가로 말미암아 박해를 면하려 함뿐이라

13 할례를 받은 그들이라도 스스로 율법은 지키지 아니하고 너희에게 할례를 받게 하려 하는 것은 그들이 너희의 육체로 자랑하려 함이라

그러므로 베드로가 두려워한 것은 민족주의 운동이 고조되는 가운데 그 중심에 있던 열성적인 유대교도들이었으며, 야고보에게서 파견된「어떤 이들」이란, 베드로에게 「이방인과 자유롭게 교제함으로써 그들을 자극하여 예루살렘 형제들에게 위험이 미칠지도 모르니 삼가 주시겠습니까」라는 전언을 전달한 것으로 생각됩니다. 베드로는 그 이후로 조금씩 이방인들과의 식사 교제에서 물러나기 시작했고, 점차 거리를 두게 되었습니다. 예루살렘 교회 사람들의 생활을 더욱 어렵게 만드는 것보다는 이방인과의 식사를 중단하는 편이 낫다는 성실한 판단에 따른 것이었습니다. 그리고 이를 본 다른 유대인 그리스도인들과, 나아가 「사랑의 사람」바나바마저도 베드로의 행동에 휩쓸려 들어갔습니다.

(2) 바울의 책망

한편, 바울은 베드로의 행동을 매우 격렬하게 책망하고 있습니다. 11절에「책망 받을 일이 있기로」라고 되어 있지만, 헬라어 원문은 조금 더 강한 어조로 되어 있어, 「(하나님 앞에서) 유죄 판결을 받은 상태이기 때문에」라고 직역됩니다. 왜 바울은 그토록 격렬하게 정면으로 반대했을까요? 13~14절을 보십시오.

13 남은 유대인들도 그와 같이 외식하므로 바나바도 그들의 외식에 유혹되었느니라

14 그러므로 나는 그들이 복음의 진리를 따라 바르게 행하지 아니함을 보고 모든 자 앞에서 게바에게 이르되 네가 유대인으로서 이방인을 딸고 유대인답게 살지 아니하면서 어찌하여 억지로 이방인을 유대인답게 살게 하려느냐 하였노라

바울은 베드로의 행동을「외식」이라고 비난하고 있습니다. 이 「외식」이라는 말은 예수님께서 바리새인이나 율법학자들의 행위에 대해 비난하셨던 말입니다. 「위선적」이나 「배교적」이라는 뜻의 말입니다. 왜 예루살렘의 형제자매들을 향한, 성실하고 배려심 있는 베드로의 분리(물러남)가 바울에게는 「배교적」행위로 비쳤던 것일까요?

바울은 여기서 복음의 진리의 이름으로, 복음의 진리의 빛에 비추어 보았을 때 베드로가 자신의 행위의 중대성을 충분히 깨닫지 못했던 점을 문제 삼고 있는 듯합니다. 그 중대한 문제란, 베드로와 바나바에 의해 버림받은 안디옥의 이방인들에게 강요된 선택에 관한 것입니다. 그 선택이란, 그들이 유대인처럼 되어 교제의 자리에 들어갈 것인지, 아니면 교회의 교제에 받아들여지지 않는 2류 교인으로 남을 것인지 하는 것이었습니다. 이는 교회 안에 일종의 계급을 만들어 내는 것이었으며, 그로 인해 유대인들은 자신의 할례를 자랑하게 되었고, 이는「하나님의 은혜」에 대한 근본적인 부정이자 용서할 수 없는 복음의 왜곡이었다는 것입니다. 결국 베드로가 취한 행동은, 본인은 자신의 행동이 얼마나 중대한지 깨닫지 못했지만, 이방인 신자 전원에게 구원을 얻기 위해서는 「유대인이 되도록 강요하는 것」이었다는 것입니다. 바울에게 있어서는, 만약 형제자매의 일치가 은혜의 복음에 대한 타협을 요구하는 것이라면, 그런 식으로 인간적으로 만들어낸 일치 따위는 결코 동의할 수 없다는 것이었습니다. 바울은 기근 속에서 두 번째 예루살렘 방문을 했을 때, 야고보와 베드로, 요한에게 복음의 일치의 표징으로 친교의 악수를(갈2:9)하여 모두가 하나임을 확인했지만, 그것은 「복음의 진리」앞에서 하나임을 확인한 것이지, 결코 이방인을 유대화하는 데 대한 일치가 아니었다는 것입니다.

(3) 교회의 표징인 말씀

바울이 왜 안디옥에서 일어난 이 갈등을 갈라디아 교회들에 보낸 서신에 기록했는지에 대해서도 생각해 봅시다. 바울은 그동안 자신의 복음이 사람에게서 전해진 것도, 배운 것도 아니라 하나님께로부터 온 것이라고 주장하며, 자신의 사도직을 변호해 왔습니다. 그리고 무엇보다도 이 안디옥에서의 갈등에서, 사도인 베드로와 야고보도 복음의 진리라는 명목 하에 반대받고 있습니다. 이는 곧 사도라는 지위 그 자체가 권한을 가진 것이 아니며, 아무리 예수님의 전권대사인 사도들이라 할지라도 실수할 수 있다는 것을 의미합니다. 즉, 사도 자신에게 어떤 권위가 있는 것이 아니라, 사도들과 함께 일하시는 성령에 의해 선포되는 말씀에 권위가 있다는 것입니다. 그러므로 사람의 말이 권위를 갖는 것이 아니라, 성령에 의해 선포된 복음의 진리야말로 권위를 갖는 것이며, 바울을 포함하여 사도들은 그 권위 아래에서 섬기고 있을 뿐이라는 것입니다. 그러므로 바울의 복음도 사도들의 복음도 동등하며, 바울의 복음이 사도들의 복음에 의존하는 것이 아니라 독립적이라는 것입니다. 그리고 오직 복음의 진리만이 그리스도인들의 일치를 묶는 끈이라는 것입니다.

이 점을 현대에 사는 우리에게 적용해 봅시다. 로마 가톨릭 교회는 개신교회를 비난할 때, 「얼마나 개인주의적이고, 일치가 없으며, 분리와 분열을 반복하고 있는가」라고 말할 것입니다. 가톨릭 교회는 교황을 정점으로 하는 계급적 질서를 통해 교회의 일치를 지키려 하기 때문에, 분리나 분열 같은 것은 일절 없습니다. 즉 가톨릭 교회는 교황을 통한 교회의 사도성 계승을 주장하는 셈입니다. 반면 개신교 교회는 교회의 사도성을 교리의 계승으로 간주하며, 인간이나 인간의 지위에 의해 사도성이 계승된다는 것을 단호히 부정했습니다. 애초에 사도라는 것은 임시적인 직무이며, 또한 사도라 하더라도 실수를 저지르기 때문입니다. 개신교 교회에서는 교회가 교회로서 존재하기 위한 「교회의 표징」으로 말씀과 성례와 징계, 세 가지로 꼽고 있는데, 그중 첫 번째로 꼽히는 것이 복음의 순수한 설교, 즉 말씀이라는 점입니다. 이 점이 매우 중요하다고 생각합니다. 왜냐하면 가톨릭 교회에서는 로마 교황이 머리로서 다스리고 있지만, 개신교 교회에서는 모든 사람에게 동등하게 주어진 「말씀」이 교회를 다스리고 있기 때문입니다. 피조물이 아니라 말씀이신 예수님께서, 은혜의 복음이신 예수님께서 직접 머리로서 우리를 다스리시는 것입니다. 다만 주님께서는 신자 각자에게 말씀의 해석권과 이해할 자유를 주셨기 때문에, 어쩔 수 없이 말씀의 해석에 있어 다양성이 나타나게 됩니다. 그러나 하나님께서는 일치 속의 다양성을 사랑하시며, 이 다양성을 통해 하나님의 영광이 드러나기 때문입니다. 지상에서 분리와 분열이 있는 것은 분명 죄의 결과이며, 하늘의 교회에는 분리나 분열이 없습니다. 그러나 이 분리나 분열이라는 것은, 죄가 들어오기 이전에 교회가 가지고 있던 다양성이 부패하고 변질된 것으로 볼 수 있습니다. 오늘 배운 바와 같이, 초대 교회의 사도들 사이에서도 공동체로부터의 분리가 있었습니다. 종교 개혁 이후, 교회는 다양성의 시대로 접어들었지만, 교회의 일치란 조직의 형태나 계급적인 압력에 의해 이루어지는 것이 아니라, 신자 한 사람 한 사람이 복음의 진리 앞에 서서, 신앙의 영적 유대 안에서 찾아가야 할 것을 요구받고 있다는 것입니다.

결론

첫째로, 베드로와 바나바는, 예루살렘의 그리스도인들을 기쁘게 하려는 마음에 열심당원들의 압력과 요구에 너무 쉽게 타협하려 했고, 이것이 복음의 진리에 비추어 볼 때 죄임이 밝혀졌습니다. 우리도 남의 눈에는 겉보기에 선한 일처럼 보여도, 사실은 그것이 복음에 대한 타협을 요구하는 것은 아닌지, 복음을 왜곡하는 것은 아닌지, 항상 기도하며 분별해 나가야 합니다. 둘째로 바울의 책망에서 배울 수 있는 것은 오직 복음의 진리만이 그리스도인들의 유일한 일치의 결속이라는 점입니다. 갈라디아 사람들은 바울이 전한 복음을 성령의 감동 속에서 어떻게 받아들였는지, 자신들이 어떻게 예수님을 만났는지를 되새겨야 하며, 그 복음의 진리에 비추어 미혹하는 자들이 말하는 말을 면밀히 검토해야 한다는 것입니다. 교회에는 다양성이 있고, 우리가 죄인인 이상 분리나 분열의 죄를 범하는 것은 피할 수 없는 일이지만, 그럼에도 불구하고 교회의 머리는 피조물도 아니고 사람도 아닌, 말씀이신 주 예수님이시며, 오직 복음의 진리만이 유일한 일치의 결속이라는 사실을 기억하며, 감사하는 마음으로 걸어가도록 합시다.

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