2020年05月10日「異邦人への使徒として認められるパウロ 이방인의 사도로 인정받은 바울」

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異邦人への使徒として認められるパウロ 이방인의 사도로 인정받은 바울

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ガラテヤの信徒への手紙 2章1節~10節

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【讃美歌259】

【主の祈り】

【信仰告白_ウェストミンスター小教理問答32~34】
問32 有効に召される人は、この世において、どのような恩恵にあずかるのですか。
答 有効に召される人は、この世において、義認、子とすること、聖化、さらにこの世において、それらに伴い、あるいはそれらから生じるさまざまな恩恵にあずかります。
問33 義認とは何ですか。
答 義認とは、神の無償の恵みの行為であり、それによって神は、わたしたちのすべての罪を赦し、わたしたちを神の前に義なる者として受け入れてくださいます。それはただ、わたしたちに転嫁され、信仰によってのみ受け取られるキリストの義のゆえです。
問34 子とすることとは何ですか。
答 子とすることとは、神の無償の恵みの行為であり、それによってわたしたちは、神の子たちの数に入れられ、神の子のあらゆる特権にあずかる権利を持つ者となります。

【献金】

【聖書朗読】

2:1その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。
2:2エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
2:3しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。
2:4潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。
2:5福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。
2:6おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。
2:7それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。
2:8割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。
2:9また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。
2:10ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ガラテヤの信徒への手紙 2章1節~10節

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【序】

 本日の箇所は、パウロの福音が人からのものではなく、神に起因していることを弁証するための、パウロの自叙伝の続きでございます。この2:1~10に描かれている事件は、ユダヤ人の歴史において非常に大きな転換点をもたらした事件であったと考えられています。というのは、本来、律法の下にあるユダヤ人というのは異邦人を受け入れることができない人々であり、生まれたばかりのキリスト者の群れが、どのように「異邦人」という壁を克服して行ったのか、その手がかりを与えてくれる事件であったと見做されるからです。イエス様は、恐らく紀元前4年頃にお生まれになり、30歳になってから公生涯の3年半を歩まれて、恐らくAD30年頃に十字架に架かられて復活しましたが、復活当時、エルサレムにおいてほんの小さな集団であった教会が、1世紀末ごろには、地中海全域に拡大するにまで至ったのであります。

【1】. 二度目のエルサレム訪問の目的

 ガラテヤ書1章には、パウロが、初めてにエルサレムに上った記事が書かれています。15日間の短い滞在であり、使徒たちと会談したのは、ペトロとイエス様の弟であるヤコブだけであると語られていました。その時の様子が使徒言行録9:26~27に書かれています。聖書を御覧ください。

“サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼が旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって堂々と宣教した次第を説明した。”

パウロが初めてエルサレムに登った時にもやはり、バルナバが同行してくれたということです。バルナバとは、キプロス生まれのレビ人で、本名ヨセフといいますが、懐の大きい寛容な性格であったために、アラム語の「バル・ナヘマー(慰めの子)」というニックネームがつけられました。今回は、パウロとバルナバの二回目の訪問となりますが、一緒にテトスも連れていくことにしました。パウロとバルナバはユダヤ人ですが、テトスは異邦人です。恐らくアンティオキアでパウロによって伝道されたと考えられています。2:1~2節を御覧ください。

“その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。”

パウロが二度目にエルサレムに訪問をすることになったのは、啓示によって示されたからであって、召集されたからではありませんでした。この訪問の目的として、使徒言行録の11:27~30の大飢饉が襲った時の「施しと救済」のためなのか、或いは使徒言行録の15:1~30に書かれている「エルサレム使徒会議」のためなのか、神学者によって意見が分かれるところですが、使徒言行録の11:27~30の施しのための訪問であると考えられます。使徒言行録の11:27~30を御覧ください。

“そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。”

それは、なぜかと言いますと、その理由は第一に、もしこの二度目の訪問がエルサレムの使徒会議のためであるなら、パウロは初めての訪問と今回の訪問の間にも、エルサレムに行ったことがあるということになってしまうからです。つまり使徒言行録9章において一回目、11章において二回目、15章において三回目ということです。パウロの語る福音というのが、パウロ自身誓っているように、エルサレムの主だった人々から教授されたり、伝授されたものではなく、神さまによって与えられたものであり、従ってそれまでエルサレムには一度しか訪問したことがないと自分で力説しているために今回の訪問はエルサレム使徒会議ではありえません。第二に、もし2章1~10節の内容がエルサレム使徒会議であったのなら、会議の決議事項として、使徒15:20、15:29に繰り返し確認されているように“ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように”という決議事項がありますが、この大切な内容がガラテヤ書では省略されていて、むしろ2:6節に書かれているように、「そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせなかった」と書かれているからです。考えてみると、これは、場合によっては大変誤解を招く表現であり、公会議での決議された内容を、パウロがあたかも自分に都合の良いように歪曲しているようにも聞こえてくるからです。以上のような理由からパウロは啓示によってエルサレムに上り、エルサレムの貧しいキリスト者の為に施しをし、救済するためだったと考えられます。

そしてその機会を利用してパウロは自分が語っている福音を、主だった人々に個人的に提示したのであります。それは、自分の語っている福音について確信が持てなかったからではありません。たとえ、ヤコブとペトロとヨハネの三人が自分の福音を拒絶したとしても、パウロは、彼の福音を伝えることを止めるとか、神の言葉以外のものを加えて伝えるなどということは考えられませんでした。パウロは、今後の宣教の働きを協力しながら進めていけるのかどうか、教会の一致が得られるのか、一抹の不安を抱きながら個人的に使徒たちに自分の福音を提示したと考えられます。

【2】. 福音の真理

 ところが、思いがけなかったことに、エルサレムにはパウロたち一行をつけねらう者たちがいて、危うく異邦人のテトスが偽の兄弟たちによって、割礼を受けさせられるところでした。2:3~6節までお読みします。御覧ください。

“しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。”

偽の兄弟たちは、狡猾な工作員のように、テトスに割礼を受けさせようと働きかけましたが、パウロの断固とした態度の前に、結局、エルサレムの指導者たちを自分たちの思惑に巻き込むことに失敗しました。「柱として目されていた」ヤコブとペトロとヨハネは、「偽の兄弟たちに」ではなく、パウロに賛同してくれたということです。パウロが語る福音が、決して別の新しいキリスト教の宗派を起こすというような異端的な内容ではなく、ただ一つの福音が語られ、福音の真理がそのまま語られていることが認められました。これは、大変喜ばしいことであり、励まされることであったに違いないと想像されますが、パウロは主だった使徒たちが自分の側に賛同してくれたことを喜ぶのではなく、福音の真理が守られたことを喜んでいるようです。6節に、次のようなパウロの言葉が挿入されているからです。

“――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――”

パウロはこのように自分が使徒としての自覚を強く持ち、神さまの働きに徹底していました。たとえすべての人間が不誠実であったとしても、神の真実は常に確かであり、完全であることを止めることはないので、神の命令によって福音を語るようにされた者が、たとえその働きの実を結ぶことがなかったとしても、神の真実は決して失われることはないと言っているのです。

【3】. 主だった使徒たちは、異邦人の使徒パウロを知り、パウロに注がれた恵みを認める

 最終的に、主だった使徒たちは、パウロの福音を完全に認め、神によってパウロが異邦人への使徒と召されていることを知るに至りました。ここで重要なことは、パウロが彼らから使徒として任命されたということではなく、ただ彼らとは異なる別ルートによって使徒とされたということが認められたということです。7~9節を御覧ください。

“それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。”

9節にヤコブとケファとヨハネとありますが、ヤコブとは既に殉教しているゼベダイの子ヤコブではなく、イエス様の弟のヤコブです。なぜヤコブの名前が一番最初に出ているのかと言うと、この頃ヤコブがエルサレム教会の監督となり、教会政治と行政において頭角を現していたからと考えられます。また、「右手を差し出す」という行為は、ペルシャの影響によって当時、アラム語を使うユダヤ人たちの中で習慣となっていった行為ですが、これは相互間の「交わり」と「協力」を意味していました。つまり、ペトロには割礼を受けた人々への使徒として、パウロには異邦人への使徒として召されていることを理解して、お互いに交わりつつ、宣教協力をして行こうということです。しかし十二使徒の使徒性と比べる時に、パウロの使徒性というのは、確かに独特であり、独立的なものであります。使徒言行録1章21節には使徒として選出される条件が書かれていますが、パウロはそれを一切、満たしていませんでした。1章21節を御覧ください。

“そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。”

パウロはイエス様が地上にいる時、イエス様と交わりをすることはありませんでしたし、神の教会を迫害し、生前のイエス様によって召されたのではなく、復活されたイエス様によって召されました。つまり、十二使徒たちとは異なる仕方により、時期的にも遅れて、使徒に召されたのです。それにも関わらず、パウロの語っている福音は、十二使徒の使徒職を制限させたり、損傷させたりするような内容ではありませんでした。むしろ、十二使徒の土台を確定し、拡大させているということに、ヤコブとペトロとヨハネは気づかされたのでしょう。つまり、「十二使徒の信仰」という土台の上に、神殿を建築する建築家としての召しをパウロは受けているということです。1コリント3:10を御覧ください。

“わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。”

ここで、パウロは自分のことを建築家に譬えていますが、建築の際、最も重要なことは、基礎と土台をしっかり据えることです。パウロはまさに異邦人を、「使徒たちの信仰の土台」にしっかりと基礎づける建築家のような働きをしているのです。ヤコブとペトロとヨハネがパウロとバルナバに右手を差し出した時、この時、まさにユダヤ人の福音と異邦人の福音が一つになった瞬間でもありました。この宣教協力が契機となって、この後、パウロとバルナバは第一次宣教旅行に派遣されることになり、南ガラテヤの諸教会に福音を伝えることになるのです。

【結論】

 使徒言行録には異邦人伝道として十二使徒たちの働きが少しだけ紹介されていますが、使徒言行録13章からはペトロの席に、パウロがそのまま入れ替わっています。おそらく十二使徒たちだけでは、異邦人伝道に力強く出て行くことは不可能だったのでしょう。彼らはどうしてもユダヤ的であることに執着してしまうからです。しかし彼らとは別ルートによって使徒とされたパウロは、ユダヤ的な身ぐるみを全てはがしてしまい、野生のオリーブの木の枝である異邦人を、イスラエルの良いオリーブの木に接ぎ木することができたのです。この意味において、パウロの使徒職とは、十二使徒の使徒職を教会全体の土台とするための、一つの手段であったということです。パウロと十二使徒との関係は、旧約のヨセフと12人の族長たちの関係に譬えられるかもしれません。ヨセフはイスラエルの飢饉の時に、食糧の豊富なエジプトの地に族長たちの居住を許しましたが、もし、ヨセフがいなければ、族長たちはイスラエル民族の土台となることはできなかったでしょう。同じく、もし、建築家のパウロがいなければ、十二使徒の信仰が異邦人の土台として据えられることはなかったということです。そして私たち一人一人も実は、この土台の上に神の神殿の一部分として建て上げられているのです。私たちはこの土台から少しでもずれることのないように、共同体として建て上げられなければなりません。バベルの塔に建て上げるのではなく、注意深く、神の神殿に建て上げるために、福音の真理である、教理の継承を一層大切にしていき、時にはそれを弁証していかなければならない時もあるということです。

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이방인의 사도로 인정받은 바울

2020년 5월 10일 센겐다이 교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

갈라디아서2장 1~10절

서론

오늘 본문은, 바울의 복음이 사람에게서 나온 것이 아니라, 하나님께로부터 비롯되었음을 변증하기 위한 바울의 자서전의 연속입니다. 이 2:1~10에 묘사된 사건은 유대인 역사에 있어 매우 큰 전환점을 가져온 사건으로 여겨집니다. 왜냐하면 본래 율법 아래 있는 유대인들은 이방인을 받아들일 수 없는 사람들이었는데, 막 태어난 그리스도인 무리가 어떻게「이방인」이라는 벽을 극복해 나갔는지에 대한 실마리를 제공하는 사건으로 간주되기 때문입니다. 예수님은 아마도 기원전 4년경에 태어나셔서 30세가 되신 후 공생애 3년 반을 걸으셨고, 아마도 AD 30년경에 십자가에 못 박히셨다가 부활하셨습니다. 그러나 부활 당시 예루살렘에서 아주 작은 집단에 불과했던 교회가 1세기 말경에는 지중해 전역으로 확대되기에 이르렀습니다.

(1) 두 번째 예루살렘 방문의 목적

갈라디아서 1장에는, 바울이 처음으로 예루살렘에 올라간 기록이 나옵니다. 15일간의 짧은 체류였으며, 사도들과 회담한 것은, 베드로와 예수님의 동생 야고보뿐이었다고 기록되어 있습니다. 그 당시의 모습은 사도행전 9:26~27에 기록되어 있습니다. 성경을 보십시오.

사도행전 9장

26 사울이 예루살렘에 가서 제자들을 사귀고자 하나 다 두려워하여 그가 제자 됨을 믿지 아니하니

27 바나바가 데리고 사도들에게 가서 그가 길에서 어떻게 주를 보았는지와 주께서 그에게 말씀하신 일과 다메섹에서 그가 어떻게 예수의 이름으로 담대히 말하였는지를 전하니라

바울이 처음으로 예루살렘에 올라갔을 때에도 역시 바나바가 동행해 주었다고 합니다. 바나바는 키프로스 출신의 레위인으로, 본명은 요셉이지만 포용력이 넓고 관대한 성격이었기 때문에 아람어로 「위로의 아들」이라는 뜻의「바르 나헤마」라는 별명이 붙었습니다. 이번은 바울과 바나바의 두 번째 방문이 되지만, 함께 디도도 데려가기로 했습니다. 바울과 바나바는 유대인이지만 디도는 이방인입니다. 아마도 안디옥에서 바울에 의해 전도받은 것으로 생각됩니다. 2:1~2절을 보십시오.

갈라디아서 2장

1 십사 년 후에 내가 바나바와 함께 디도를 데리고 다시 예루살렘에 올라갔나니

2 계시를 따라 올라가 내가 이방 가운데서 전파하는 복음을 그들에게 제시하되 유력한 자들에게 사사로이 한 것은 내가 달음질하는 것이나 달음질한 것이 헛되지 않게 하려 함이라

바울이 두 번째로 예루살렘을 방문하게 된 것은 계시를 통해 지시받았기 때문이지 소집을 받았기 때문이 아니었습니다. 이 방문의 목적에 대해 사도행전 11:27~30에 기록된 대기근 때의 「부조와 구제」를 위한 것인지, 아니면 사도행전 15:1~30에 기록된「예루살렘 사도 회의」를 위한 것인지 신학자들 사이에 의견이 분분하지만, 사도행전 11:27~30의 구제를 위한 방문으로 생각됩니다. 사도행전 11:27~30을 보십시오.

사도행전 11장

27 그 때에 선지자들이 예루살렘에서 안디옥에 이르니

28 그 중에 아가보라 하는 한 사람이 일어나 성령으로 말하되 천하에 큰 흉년이 들리라 하더니 글라우디오 때에 그렇게 되니라

29 제자들이 각각 그 힘대로 유대에 사는 형제들에게 부조를 보내기로 작정하고

30 이를 실행하여 바나바와 사울의 손으로 장로들에게 보내니라

그 이유는 첫째, 만약 이 두 번째 방문이 예루살렘 사도 회의를 위한 것이라면, 바울은 첫 방문과 이번 방문 사이에도 예루살렘에 갔던 적이 있다는 결론이 나오기 때문입니다. 즉 사도행전 9장에서 첫 번째, 11장에서 두 번째, 15장에서 세 번째 방문이 된다는 것입니다. 바울이 전하는 복음이 바울 자신이 맹세하듯이 예루살렘의 유력하다는 이들로부터 가르침을 받거나 전수받은 것이 아니라 하나님께서 주신 것이며, 따라서 그때까지 예루살렘에는 단 한 번만 방문했다고 스스로 강조하고 있기 때문에 이번 방문은 예루살렘 사도 회의일 수 없습니다. 둘째, 만약 2장 1~10절의 내용이 예루살렘 사도 회의였다면, 회의의 결의 사항으로서 사도행전 15:20, 15:29절에 반복 확인된 대로「다만 우상의 더러운 것과 음행과 목매어 죽인 것과 피를 멀리하라」는 결의 사항이 있습니다. 그러나 이 중요한 내용이 갈라디아서에서는 생략되어 있고, 오히려 2:6절에 기록된 대로 「저 유력한 이들은 내게 의무를 더하여 준 것이 없고」라고 기록되어 있기 때문입니다. 생각해 보면, 이는 경우에 따라서는 큰 오해를 불러일으킬 수 있는 표현이며, 공의회에서 결의된 내용을 바울이 마치 자신에게 유리하게 왜곡하는 것처럼 들릴 수도 있기 때문입니다. 이와 같은 이유로 바울은 계시를 받고 예루살렘에 올라가 예루살렘의 가난한 그리스도인들을 위해 구제하고 돕기 위함이었다고 생각됩니다.

그리고 그 기회를 이용해 바울은 자신이 전하는 복음을, 주요 인물들에게 개인적으로 제시했습니다. 그것은 자신이 전하는 복음에 대해 확신이 없었기 때문이 아닙니다. 설령 야고보와 베드로와 요한 세 사람이 자신의 복음을 거부했다 하더라도, 바울은 자신의 복음을 전하는 것을 멈춘다거나 하나님의 말씀 외에 다른 것을 덧붙여 전한다는 것은 생각조차 할 수 없었습니다. 바울은 앞으로의 선교 사역을 협력하며 진행해 나갈 수 있을지, 교회의 일치를 얻을 수 있을지, 한 줄기 불안감을 안고 개인적으로 사도들에게 자신의 복음을 제시한 것으로 생각됩니다.

(2) 복음의 진리

그런데 뜻밖에도 예루살렘에는 바울 일행을 노리는 자들이 있어, 이방인인 디도가 거짓 형제들에게 할례를 받게 될 뻔했습니다. 2:3~6절까지 읽어보겠습니다. 보십시오.

3 그러나 나와 함게 있는 헬라인 디도까지도 억지로 할례를 받게 하지 아니하였으니

4 이는 가만히 들어온 거짓 형제들 때문이라 그들이 가만히 들어온 것은 그리스도 예수 안에서 우리가 가진 자유를 엿보고 우리를 종으로 삼고자 함이로되

5 그들에게 우리가 한시도 복종하지 아니하였으니 이는 복음의 진리가 항상 너희 가운데 있게 하려 함이라

6 유력하다는 이들 중에 (본래 어떤 이들이든지 내게 상관이 없으며 하나님은 사람을 외모로 취하지 아니하시니) 저 유력한 이들은 내게 의무를 더하여 준 것이 없고

거짓 형제들은 교활한 공작원처럼 디도에게 할례를 받도록 압박했지만, 바울의 단호한 태도 앞에서 결국 예루살렘 지도자들을 자신들의 의도에 끌어들이는 것에 실패했습니다. 「기둥으로 여겨지던」야고보와 베드로와 요한은 「거짓 형제들」이 아니라 바울을 지지해 주었습니다. 바울이 전하는 복음이 결코 다른 새로운 기독교 종파를 일으키는 이단적인 내용이 아니라, 오직 하나의 복음이 전파되고 복음의 진리가 그대로 전해지고 있다는 것이 인정되었습니다. 이는 매우 기쁘고 격려가 되는 일이었을 것이라 생각되지만, 바울은 주요 사도들이 자신의 편에 서서 동의해 준 것을 기뻐하기보다 복음의 진리가 지켜진 것을 기뻐하는 듯합니다. 6절에 다음과 같은 바울의 말이 삽입되어 있기 때문입니다.

6 유력하다는 이들 중에 (본래 어떤 이들이든지 내게 상관이 없으며 하나님은 사람을 외모로 취하지 아니하시니)

바울은 이처럼 사도로서의 자각을 강하게 가지고 하나님의 일에 철저했습니다. 비록 모든 사람이 불성실했다 하더라도, 하나님의 진리는 항상 확실하며, 완전함을 멈추지 않으므로, 하나님의 명령에 따라 복음을 전하도록 부르심을 받은 자가, 비록 그 일의 열매를 맺지 못했더라도, 하나님의 진리는 결코 사라지지 않는다고 말하고 있습니다.

(3) 이방인의 사도 바울을 알고, 바울에게 부어주신 은혜를 인정한 유력한 사도들

결국, 유력한 사도들은, 바울의 복음을 온전히 인정하고 하나님에 의해 바울이 이방인에게 사도로 부르심을 받았다는 것을 알게 되었습니다. 여기서 중요한 것은 바울이 그들로부터 사도로 임명되었다는 것이 아니라 단지 그들과는 다른 별개의 루트에 의해 사도로 세워졌다는 것을 인정받았다는 것입니다. 7~9절을 보세요.

7 도리어 그들은 내가 무할례자에게 복음 전함을 맡은 것이 베드로가 할례자에게 맡음과 같은 것을 보았고

8 베드로에게 역사하사 그를 할례자의 사도로 삼으신 이가 또한 내게 역사하사 나를 이방인의 사도로 삼으셨느니라

9 또 기둥 같이 여기는 야고보와 게바와 요한도 내게 주신 은혜를 알므로 나와 바나바에게 친교의 악수를 하였으니 우리는 이방인에게로, 그들은 할례자에게로 가게 하려 함이라

9절에 야곱과 계바와 요한이라고 있는데, 야곱은, 이미 순교한 세베다이의 아들 야곱이 아니라 예수님의 동생 야곱입니다. 왜 야곱의 이름이 가장 먼저 나와 있냐면, 이 무렵 야곱이 예루살렘 교회의 감독이 되어 교회 정치와 행정에서 두각을 나타냈기 때문이라고 생각됩니다. 또「친교의 악수를 하였으니」는 페르시아의 영향으로 인해 당시 아람어를 사용하는 유대인들 사이에서 습관이 되어간 행위인데, 이는 상호간의 「교합」과 「'협력」을 의미했습니다. 즉 베드로는 할례를 받은 사람들에 대한 사도로, 바울은 이방인에 대한 사도로 세움을 받았다는 것을 이해하고 서로 교제를 나누며, 선교 협력을 해 나가자는 것입니다. 하지만 12사도의 사도성과 비교할 때 바울의 사도성이라는 것은 분명 독특하고 독립적인 것입니다. 사도행전 1장 21절에는 사도로 선출되는 조건이 적혀 있는데 바울은 그것을 일절 충족시키지 못했습니다. 1장 21~22절을 보십시오.

사도행전1장

21 이러하므로 요한의 세례로부터 우리 가운데서 올려져 가신 날까지 주 예수께서 우리 가운데 출입하실 때애

22 항상 우리와 함께 다니던 사람 중에 하나를 세워 우리와 더불어 예수께서 부활하심을 증언할 사람이 되게 하여야 하리라 하거늘

바울은 예수님이 지상에 있을 때 예수님과 교분을 맺지 않았고, 하나님의 교회를 박해하며 생전의 예수님에 의해 부르심을 받은 것이 아니라 부활하신 예수님에 의해 부르심을 받았습니다. 즉, 12사도들과는 다른방식으로 시기적으로도 늦게 사도로 세워진 것입니다. 그럼에도 바울이 말하는 복음은 12 사도의 사도직을 제한시키거나 손상시킬 만한 내용이 아니었습니다. 오히려 12 사도의 토대를 확정하고 확대시키고 있다는 것을 야곱과 베드로와 요한은 깨달았을 것입니다. 즉,「12사도의 믿음」이라는 토대 위에 성전을 건축하는 건축자로서의 부르심을 바울은 받고 있다는 것입니다. 고전 3:10절을 보시기 바랍니다.

고린도전서 3장

10 내게 주신 하나님의 은혜를 따라 내가 지혜로운 건축자와 같이 터를 닦아 두매 다른 이가 그 위에 세우나 그러나 각각 어떻게 그 위에 세울까를 조심할지니라

여기서 바울은 자신을 건축자에 비유하고 있지만 건축할 때 가장 중요한 것은 기초와 토대를 튼튼히 하는 것입니다. 바울은 바로 이방인을 「사도들의 믿음의 터」에 확고히 터를 닦는 건축자와 같은 역할을 하고 있는 것입니다. 야곱과 베드로와 요한이 바울과 바르나바에게 오른손을 내밀었을 때, 이때 바로 유대인 복음과 이방인 복음이 하나가 되는 순간이기도 했습니다. 이 선교 협력이 계기가 되어 이후 바울과 바르나바는 제1차 선교 여행에 파견되게 되어 남갈라디아의 여러 교회에 복음을 전하게 되는 것입니다.

결론

사도행전에는 이방인 전도로서 열두 사도들의 사역이 조금만 소개되어 있는데, 사도행전13장부터는 베드로의 자리에, 바울이 그대로 교체되어 있습니다. 아마도 12 사도들만으로는 이방인 전도에 힘차게 나가기가 불가능했을 것입니다. 그들은 아무래도 유대적인 것에 집착해 버리기 때문입니다. 그러나 그들과는 다른 루트에 의해 사도로 지목된 바울은 유대적인 색채를 모두 벗겨 버리고, 야생 올리브 나뭇가지인 이방인을 이스라엘의 좋은 올리브 나무에 접목할 수 있었던 것입니다. 이런 의미에서 바울의 사도직이란 12 사도의 사도직을 교회 전체의 토대로 삼기 위한 하나의 수단이었다는 것입니다. 바울과 12 사도와의 관계는 구약의 요셉과 12 족장들의 관계로 비유될 수 있습니다. 요셉은 이스라엘의 기근 때 식량이 풍부한 애굽 땅에 족장들의 거주를 허락했지만, 만약 요셉이 없었다면 족장들은 이스라엘 민족의 밑거름이 될 수 없었을 것입니다. 마찬가지로 만약 건축자 바울이 없었다면 12 사도의 신앙이 이방인의 토대로 자리잡을 수는 없었다는 것입니다. 그리고 우리 한 사람 한 사람도 사실은 이 토대 위에 하나님의 성전의 일부분으로 세워져 있는 것입니다. 우리는 이 토대에서 조금이라도 어긋나는 일이 없도록 공동체로 세워져야 합니다. 바벨탑에 세우는 것이 아니라 주의 깊게 하나님의 성전에 세우기 위해 복음의 진리인, 교리의 계승을 더욱 소중히 여기며 때로는 그것을 변증해 나가야 할 때도 있다는 것입니다.

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