2020年02月09日「ケイラの裏切り 그일라의 배신」

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ケイラの裏切り 그일라의 배신

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記上 23章1節~28節

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聖句のアイコン聖書の言葉

23:1ペリシテ人がケイラを襲い、麦打ち場を略奪している、という知らせがあったので、
23:2ダビデは主に託宣を求めた。「行って、このペリシテ人を討つべきでしょうか。」主はダビデに言われた。「行け、ペリシテ人を討って、ケイラを救え。」
23:3だが、ダビデの兵は言った。「我々はここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラまで行ってペリシテ人の戦列と相対したらどうなるでしょうか。」
23:4ダビデは再び主に託宣を求めた。主は答えられた。「立て、ケイラに下って行け。ペリシテ人をあなたの手に渡す。」
23:5ダビデとその兵はケイラに行ってペリシテ軍と戦い、その家畜を奪い、彼らに大打撃を与え、ケイラの住民を救った。
23:6アヒメレクの子アビアタルが、ケイラのダビデのもとに逃げて来たとき、彼はエフォドを携えていた。
23:7ダビデがケイラに来たと知らされたサウルは、「神がダビデをわたしの手に渡されたのだ。彼は、扉とかんぬきのある町に入って、自分を閉じ込めてしまったのだ」と言った。
23:8彼は兵士全員を戦いに向けて召集し、ケイラに下ってダビデとその兵を包囲しようとした。
23:9ダビデはサウルが自分に危害を加えようと計画しているのを知って、祭司アビアタルに、エフォドを持って来るように頼んだ。
23:10ダビデは主に尋ねた。「イスラエルの神、主よ、サウルがケイラに進んで来て、わたしゆえにこの町を滅ぼそうとしていることを僕は確かに知りました。
23:11ケイラの有力者らは、サウルの手にわたしを引き渡すでしょうか。僕が聞いているように、サウルはケイラに下って来るでしょうか。イスラエルの神、主よ、どうか僕にお示しください。」主は「彼は下って来る」と言われた。
23:12ダビデが、「ケイラの有力者らは、わたしと兵をサウルの手に引き渡すでしょうか」と尋ねると、主は「引き渡す」と言われた。
23:13ダビデとその兵およそ六百人は立ち上がって、ケイラを去り、あちこちをさまよった。サウルはダビデがケイラから避難したと知らされて、出陣するのをやめた。
23:14ダビデは荒れ野のあちこちの要害にとどまり、またジフの荒れ野の山地にとどまった。サウルは絶え間なくダビデをねらったが、神は彼をサウルの手に渡されなかった。
23:15ジフの荒れ野のホレシャにとどまっていたダビデは、サウルが自分の命をねらって出陣したことを知った。
23:16そのとき、サウルの子ヨナタンがホレシャにいるダビデのもとに来て、神に頼るようにとダビデを励まして、
23:17言った。「恐れることはない。父サウルの手があなたに及ぶことはない。イスラエルの王となるのはあなただ。わたしはあなたの次に立つ者となるだろう。父サウルも、そうなることを知っている。」
23:18二人は主の御前で契約を結んだ。ダビデはホレシャに残り、ヨナタンは自分の館に帰って行った。
23:19ジフの人々は、ギブアに上ってサウルに報告した。「ダビデは我々のもとに隠れており、砂漠の南方、ハキラの丘にあるホレシャの要害にいます。
23:20王が下って行くことをお望みなら、今おいでください。王の手に彼を引き渡すのは我々の仕事です。」
23:21サウルは答えた。「主の祝福があるように。あなたたちはわたしを思ってくれた。
23:22戻って、更に確かめてくれ。ダビデが足をとどめている場所と誰がそこで彼を見たかをはっきり調べてくれ。彼は非常に賢い。
23:23彼が隠れた場所をことごとく調べ上げて、確かな情報を持って来てくれれば、あなたたちと共に出て行こう。この地にいるのであれば、ユダの全氏族の中から彼を捜し出す。」
23:24人々はサウルに先立ってジフに戻って行った。ダビデとその兵は砂漠の南方、アラバのマオンの荒れ野にいた。
23:25サウルとその兵はダビデをねらって出て来たが、ダビデはその知らせを受けると、マオンの荒れ野の岩場に行き、そこにとどまった。サウルはそのことを聞き込み、マオンの荒れ野にダビデを追跡した。
23:26サウルは山の片側を行き、ダビデとその兵は山の反対側に行った。ダビデはサウルを引き離そうと急いだが、サウルとその兵は、ダビデとその兵を捕らえようと、周囲から迫って来た。
23:27そのとき、使者がサウルのもとに来て、「急いでお帰りください。ペリシテ人が国に侵入しました」と言った。
23:28サウルはダビデを追うことをやめて、ペリシテ人の方に向かった。そのため、この場所は「分かれの岩」と呼ばれている。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記上 23章1節~28節

原稿のアイコン日本語メッセージ

ダビデは引き続きサウルによって追われる立場に置かれています。洞窟から灌木の茂みに逃げて、さらに荒れ野から荒れ野、岩山から岩山へと逃げていきます。恐らくこの時のダビデは、私たちの想像を絶するほどの大きなストレスを感じたのではないでしょうか。というのは、ダビデの目的はサウル王を討伐することではありませんし、さらに言えば、ダビデ自身、イスラエルの王になろうという野望も持っていませんでした。できればサウル王と、王子ヨナタンの忠実な部下という立場で仕えながら、自分の賜物が神と神の民イスラエルに用いられることを望んでいただけだったのに、今、生きるためには、とにかく逃げなければならないという、脱出口が見えない迷路の中をさまよっているからです。サウルの宮から飛び出したダビデは、22:3に書かれているように、まさに「神が自分をどのようになされるのか」、そのことを、ひたすら待ち続けていました。本日の箇所は、イエス・キリストが自分の故郷では敬われなかったように、ダビデも自分の故郷のユダにおいて敬われることはなかったことが書かれています。しかし、神様は最後まで主により頼むダビデと共におられ、絶対絶命のタイミングでダビデを守ってくださるのです。

主題1 ケイラの裏切り

ダビデがハレトの森に留まっている時に、ペリシテ人がケイラを襲いました。いよいよ収穫の喜びを皆で分かち合う直前の段階で、それまでケイラの人々が汗水流して収穫した小麦を、打ち場で脱穀していた時のことでした。この略奪の「知らせ」がダビデの下に届いてきました。しかしよく考えるなら、本来、イスラエルの王サウルの下に届くべき「知らせ」ですが、なぜかダビデの下にこの知らせが届きました。ダビデは主に伺いを立てて、祈りました。“行って、このペリシテ人を討つべきでしょうか。(2節)”主はダビデに言われました。“行け、ペリシテ人を討って、ケイラを救え。(2節)”しかし、ダビデの部下たちはおびえて、反対しました。そこで、ダビデは彼らのために、もう一度主に伺いを立てました。すると、さらに明白な答えと勝利の保証を受け取ることになります。“立て、ケイラに下って行け。ペリシテ人をあなたの手に渡す。(4節)”ダビデは、自分自身が追われる身であり、切迫した状況の中にありながらも、主の民の敵、ペリシテ人と戦うために出て行き、大勝利を収めました。ケイラの町を救うことによって、ダビデはイスラエルの民の安全に配慮する王としての姿を見せてくれました。まさに、ダビデは油注がれた者として、イスラエルの救い主として描かれています。しかし喜びも束の間でした。サウルがケイラの救いの消息を聞くと、ダビデを捕えるために出て来ました。ダビデは祭司アビアタルにエフォドを持ってくるようにと言いました。ところで、ノブの祭司がサウルによって虐殺される時に、辛うじて一人だけダビデの下に逃げてきたのが、アヒメレクの子アビアタルです。この時、彼は、エフォドを守り携えてきました。このエフォドという言葉には、二種類の意味があるようです。それは、第一の意味として、祭司や大祭司が「身にまとう上着としてのエフォド」であり、2:18で少年サムエルが着ていたのも亜麻布のエフォドです。また大祭司が着るエフォドには、12の宝石が埋め込まれていました。これとは別に、エフォドの第二の意味として、「金属製か木製の聖なる遺物としてのエフォド」があります。当時、契約の箱がまだイスラエルに戻されていなかったという状況にあって、この聖なる遺物としてのエフォドは礼拝の対象にもなったようです。そして特に、神託をするのに用いられました。一人残されたアビアタルは、この聖なる遺物のエフォドを持ってダビデの所に来たのです。ダビデが主に託宣を求める時は、この聖なる遺物のエフォドを通して伺いを立てていました。21:10を見ると、エフォドの後ろにゴリアトの剣が献げられていますが、このエフォドも「聖なる遺物のエフォド」と考えられます。23:10~11を御覧ください。

“ダビデは主に尋ねた。「イスラエルの神、主よ、サウルがケイラに進んで来て、わたしゆえにこの町を滅ぼそうとしていることを僕は確かに知りました。ケイラの有力者らは、サウルの手にわたしを引き渡すでしょうか。僕が聞いているように、サウルはケイラに下って来るでしょうか。イスラエルの神、主よ、どうか僕にお示しください。」主は「彼は下って来る」と言われた。”

ダビデは、ことあるごとに主に信頼し祈りました。全ての問題を神さまの御前に差し出し、御心を求め、全てを委ねて祈りました。ケイラの町というのは城壁で囲まれていて、ダビデが自分の軍隊の拠点にするには、最適な城でしたが、神はダビデに対し「ケイラの有力者たちは、サウルに売り渡す」と言われたために、ケイラを諦めて直ちにそこを立ち去りました。ところで、ケイラの住民はダビデによって救いがもたらされたのに関わらず、なぜ、サウルの側につき、ダビデを引き渡そうとしたのでしょうか。この事件は、あたかも、イエス様がガダラ人の町に行き、その地の悪霊を豚の群れに追いやり、豚の群れごと駆逐して、土地の人々を悪霊から解放してあげたのにも関わらず、ガダラ人はイエス様に対し、この地方から出て行ってもらいたいと言った事件に似ています。つまり、ケイラの住民にとっては自分たちを救ってくれたダビデの側につくより、サウルの側についた方が明らかに利益が大きいと考えたからでしょう。サウルの王国は、この世の富と権勢を象徴しています。この世は、常にサウルの王国により頼むのです。一方、ダビデの共同体は、隠された神の国を象徴しています。それは、やがて到来する王国であり、貧しい者、失われた者、弱い者、みじめな者に対して、その門が開かれているのです。従って、神の国を象徴しているダビデの王国とは、実は、もう既に始まっていると言えるでしょう。確かにダビデの頭には王冠がありませんが、すでに王として即位されているのです。しかし、その国はおぼろげであり、明瞭な姿では現れていないので、この世の人々は、見えない神の国より、見える富や権勢に執着し、サウルの王国に信頼してしまうのです。ケイラだけではありません。この後、ジフの人々も、さらにエンゲディの人々もやはりサウルの側につきダビデの動向を報告します。ケイラを立ち去ったダビデの集団は、点々とさまよいました。この時、ダビデの集団は400人から600人に膨れ上がっていました。サウルはダビデの命を狙うために、絶え間なく追跡しますが、捕らえることができません。ベツレヘムの羊飼いであったダビデにとっては、ユダの荒れ野は、ある程度、熟知していたものと思われますが、聖書は、ダビデが荒れ野を熟知し、また俊敏のためにサウルの包囲網を巧妙にかいくぐることができたとは語りません。何と書かれているでしょうか。14節を見ますと、“神は彼をサウルの手にわたされなかった” からと書かれています。つまり主がダビデと共におられ、主がダビデを守ってくださっているのです。目には見えない神の御手を私たちは認めなければなりません。

主題2 ヨナタンの励まし

ダビデの追跡物語の途中に、突然挿入されているのが、ジフの荒れ野のホレシャにおける、ヨナタンとの出会いです。サウルはなかなかダビデを見つけることが出来ませんが、一方、神はヨナタンとの出会いはあっさりと許されます。16~18節を御覧ください。

“そのとき、サウルの子ヨナタンがホレシャにいるダビデのもとに来て、神に頼るようにとダビデを励まして、言った。「恐れることはない。父サウルの手があなたに及ぶことはない。イスラエルの王となるのはあなただ。わたしはあなたの次に立つ者となるだろう。父サウルも、そうなることを知っている。」二人は主の御前で契約を結んだ。ダビデはホレシャに残り、ヨナタンは自分の館に帰って行った。”

二人にとってはこの出会いが最後となりますが、ヨナタンは、「神に頼るようにとダビデを励まし」ます。それは決して人間的な励ましではなく、託宣のような言葉でした。ヨナタンは「恐れることはない」という言葉に続けて、驚くべき言葉を語ります。それは、第一に、「イスラエルの王となるのはあなただ」と言い切ったことです。ヨナタンは自分自身が持っている王位への権利に執着することもできたのに、ダビデの前で自分の権利を完全に放棄しています。彼は完全にダビデを補佐するつもりであり、ダビデの次の位に甘んじる準備ができていました。第二に、「父サウルも、そうなることを知っている。」と続けます。確かにサウルがそのことを心の中で薄々感じていて、内々に知っていたとしても、まさかサウルがそれを公に認める事はないではないか、従ってそのようなことをヨナタンが正確に知るよしもないはずだ、と私たち読者は思ってしまいます。ところが、実際、次の章の24:21を見ると、まさにサウルの口から、ヨナタンの言う通りの言葉が出てくるのです。即ち、イスラエルの王になるのはダビデあり、“イスラエルの王国はお前の手によって確立される”とサウルが自ら、告白しているのです。ヨナタンはあたかも神の託宣を語るかのように、ダビデに保証を与えたのです。そして二人は契約を結びました。二人の間には過去にも契約が結ばれていますが、過去の漠然とした契約が具体性を持って更新されたということでしょう。おぼろげであった神の国は少しずつ明瞭になっていき、前進していくのです。私たちも現在、信仰によって神の国に入れられました。しかし依然として、その国は私たちにとっておぼろげであるかもしれません。しかし神は、私たちの救いと永遠の命の保証として、私たちの信仰の担保として、聖霊を送ってくださっています。聖霊は常に私たちの傍にいてくださり、あたかもヨナタンがダビデを助け、弁護してくれたように、私たちを弁護し、導いて下さるのです。聖霊の保証によって私たちは自らの救いを確信するのです。ですからキリスト者はまだこの目で見ていないものに対して、信仰によって喜びに満たされるのです。

主題3 ジフの荒れ野とマオンの荒れ野にて

ダビデの逃亡は、まだ終わることはありません。今度は、ジフ人がダビデを見つけ、サウルに密告します。ジフは、ケイラよりさらに南東にあるユダの町であり、ユダ族出身のダビデにとって、ジフ人と言えば、同胞の中の同胞でありました。しかし、ケイラと同じように、ジフ人もサウルの側につきます。19~24節を御覧ください。

“ジフの人々は、ギブアに上ってサウルに報告した。「ダビデは我々のもとに隠れており、砂漠の南方、ハキラの丘にあるホレシャの要害にいます。王が下って行くことをお望みなら、今おいでください。王の手に彼を引き渡すのは我々の仕事です。」サウルは答えた。「主の祝福があるように。あなたたちはわたしを思ってくれた。戻って、更に確かめてくれ。ダビデが足をとどめている場所と誰がそこで彼を見たかをはっきり調べてくれ。彼は非常に賢い。彼が隠れた場所をことごとく調べ上げて、確かな情報を持って来てくれれば、あなたたちと共に出て行こう。この地にいるのであれば、ユダの全氏族の中から彼を捜し出す。」人々はサウルに先立ってジフに戻って行った。”

ダビデはさらに南下してマオンの荒れ野に避難すると、サウルもダビデ追跡が始まります。丘から丘、岩山から岩山、狩猟家サウルによって獲物のように追われるダビデは徐々に追い詰められていきます。もしサウルの追跡がもう一節続くなら、ダビデはサウルに捕らえられたことでしょう。一つの岩を挟んで、いつ両者が出くわすかもわからないハラハラした状況の中で、ある知らせがサウルの陣営に届きました。「急いでお帰りください。ペリシテ人が国に侵入しました」。サウルは直ちに引き上げざるを得ない状況になりました。この土壇場においてまさかの展開です。しかし、これはもちろん偶然ではなく、神の守りの御手によるものなのです。信じられますか。絶対絶命のタイミングで、神は敵であるペリシテ軍をも用いられ、サウルの手からダビデを救い出してくれたのです。

結論

富と権勢を握りしめ、目に見える形で権力を振るうサウル王国の中で、目には見えない神の国が確かに息づき、そして少しずつ拡大している姿を、私たちは見てまいりました。結論として第一に、ダビデの子イエス・キリストは、旧約聖書が証ししているように救い主メシアであるということです。第二に、イスラエルの民が目に見えるサウルの王国により頼んでも、彼らの魂の救済をもたらすことはできませんし、彼らに平安と、幸いをもたらすことができないように、この世の見える王国は、永遠の価値の前には全く無力であるということです。ところが、隠されたダビデの国は、神の国の象徴であり、やがて到来する王国であり、今この時、金銀や、権力、名声などを提供することは出来ませんが、魂の救い、罪の赦し、平安、永遠の命と幸いを与えてくれるのです。そしてダビデの国は、サウルの王国から迫害を受けることになりますが、神様が究極の所で保護し、守ってくださいます。さらにダビデの国には、未来に確かに到来する王国の保証が与えられるので、困難の中にあっても、神が自分をどのようになされるのか、ひたすら待つことができるのです。詩篇54編を最後にお読みしましょう。

“【指揮者によって。伴奏付き。マスキール。ダビデの詩。ジフ人が来て、サウルに「ダビデがわたしたちのもとに隠れている」と話したとき。】神よ、御名によってわたしを救い/力強い御業によって、わたしを裁いてください。神よ、わたしの祈りを聞き/この口にのぼる願いに耳を傾けてください。異邦の者がわたしに逆らって立ち/暴虐な者がわたしの命をねらっています。彼らは自分の前に神を置こうとしないのです。〔セラ 見よ、神はわたしを助けてくださる。主はわたしの魂を支えてくださる。わたしを陥れようとする者に災いを報い/あなたのまことに従って/彼らを絶やしてください。主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ/恵み深いあなたの御名に感謝します。主は苦難から常に救い出してくださいます。わたしの目が敵を支配しますように。”

原稿のアイコンハングル語メッセージ

그일라의 배신

2020년 2월 9일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘상 23장 1~28절

서론

다윗은 계속해서 사울에 의해 쫓기는 처지에 놓여 있습니다. 동굴에서 관목이 우거진 숲으로 도망치고 그 위에 거친 들에서 광야로, 바위산에서 바위산으로 도망갑니다. 아마 이때의 다윗은 우리의 상상을 초월할 정도의 큰 스트레스를 느끼지 않았을까요. 그렇다는 것은 다윗의 목적은 사울 왕을 토벌하는 것이 아니었고 심지어 다윗 자신도 이스라엘의 왕이 되려는 야망을 가지고 있지 않았습니다. 가능하면 사울 왕과 왕자 요나단의 충실한 부하라는 입장에서 섬기면서 자신의 은사로 하나님과 하나님의 백성 이스라엘을 섬기기를 바랐을 뿐인데, 지금 살기 위해서는 어쨌든 도망다녀야 한다는 출구가 보이지 않는 미로 속을 헤매고 있기 때문입니다. 사울의 궁에서 뛰쳐나온 다윗은 22장 3절에 적혀 있듯이 바로 「하나님이 나를 위하여 어떻게 하실지를」, 그 일을 그저 기다리고 있었습니다. 오늘의 부분은 예수 그리스도가 자기 고향에서 존경받지 못하셨듯이 다윗도 자기 고향 유다에서 존경받지 못했음이 적혀 있습니다. 그러나 하나님께서는 끝까지 주님께 의지하는 다윗과 함께 계시고 절대절명의 타이밍에 다윗을 지켜 주시는 것입니다.

주제 1 그일라의 배신

다윗이 헤렛 수풀에 머물고 있을 때 블레셋 사람들이 그일라를 쳤습니다. 드디어 수확의 기쁨을 다 함께 나누기 직전의 단계로, 그때까지 그일라 사람들이 땀 흘려 수확한 밀을 탈곡장에서 탈곡하고 있을 때의 일이었습니다. 이 약탈의 「소식」이 다윗에게 전해졌습니다. 그러나 곰곰이 생각해본다면 본래 이스라엘 왕 사울에게 전해져야 할 「소식」인데 웬일인지 다윗에게 이 소식이 닿았습니다. 다윗은 주께 여쭈었습니다. 「내가 가서 이 블레셋 사람들을 치리이까(2절)」주님은 다윗에게「가서 블레셋 사람들을 치고 그일라를 구원하라 (2절)」라고 이르셨습니다. 그러나 다윗의 부하들은 겁에 질려 반대했습니다. 그래서 다윗은 그들을 위해 다시 한번 주님께 여쭈어 보았습니다. 그러자 더 명백한 답과 승리의 보장을 받게 됩니다. 「일어나 그일라로 내려가라 내가 블레셋 사람들을 네 손에 넘기리라(4절)」다윗은 자기 자신이 쫓기는 몸이자 절박한 상황 속에 있으면서도 주님의 백성의 적 블레셋 사람들과 싸우기 위해 나가 대승리를 거두었습니다. 그일라를 구함으로써 다윗은 이스라엘 백성의 안전을 배려하는 왕의 모습을 보여주었습니다. 바로 다윗은 기름 부음 받은 자로 이스라엘의 구원자로 묘사되고 있습니다. 하지만 기쁨도 잠시였습니다. 사울이 그일라의 구원 소식을 듣자 다시 다윗을 잡기 위해 나왔습니다. 다윗은 제사장 아비아달에게 에봇을 가져오라고 했습니다. 그런데 아비아달은, 놉의 제사장들이 사울에 의해 학살 당할 때 간신히 혼자만 다윗 밑으로 도망쳐 온 사람이 아히멜렉의 아들 아비아달입니다. 이때 그는 에봇을 가지고 왔습니다. 이 에봇이라는 말에는 두가지 의미가 있는 것 같아요. 그것은 첫 번째 의미로서 제사장이나 대제사장이 「몸에 걸치는 상의로서의 에봇」이며, 사무엘상 2장 18절에 소년 사무엘이 입었던 것도 세마포의 에봇입니다. 또 대제사장이 입는 에봇에는 12개의 보석이 박혀 있었습니다. 이와는 별도로 에봇의 두 번째 의미로는 「금속 또는 목제 성스러운 유물로서의 에봇」이 있습니다. 당시 언약궤가 아직 이스라엘로 돌아오지 않은 상황에서 이 성스러운 유물로서의 에봇은 예배의 대상이 되기도 했던 것 같습니다. 그리고 특히 신탁을 하는데 사용되었습니다. 홀로 남겨진 아비아달은 이 성스러운 유물의 에봇을 가지고 다윗에게 온 것입니다. 다윗이 주로 신탁을 구할 때는 이 성스러운 유물의 에봇을 통해 여쭙고 있었습니다. 21장 9절을 보면 에봇 뒤에 골리앗의 검이 세워져 있었는데 이 에봇 역시 「성스러운 유물의 에봇」이라고 생각됩니다. 23장 10,11절을 보시기 바랍니다.

10 다윗이 이르되 이스라엘 하나님 여호와여 사울이 나 때문에 이 성읍을 멸하려고 그일라로 내려오기를 꾀한다 함을 주의 종이 분명히 들었나이다

11 그일라 사람들이 나를 그의 손에 넘기겠나이까 주의 종이 들은 대로 사울이 내려 오겠나이까 이스라엘 하나님 여호와여 원하건대 주의 종에서 일러 주옵소서 하니 여호와께서 이르시되 그가 내려오리라 하신지라

다윗은 무슨 일이건 주께 믿음을 가지고 기도했습니다. 모든 문제를 하나님 앞에 내어 놓고, 뜻을 구하고 모든 것을 맡기고 기도했습니다. 그일라의 마을이라는 것은 성벽으로 둘러 싸여 있어 다윗이 자신의 군대의 거점으로 삼기에는 최적의 성이었지만 다윗은 하나님으로부터 「그들이 너를 넘기리라」는 말씀을 들었기 때문에 그일라를 포기하고 즉시 그곳을 떠났습니다. 그런데 그일라 주민은 다윗에 의해 구원을 얻었는데 왜 사울 편에 서서 다윗을 넘길려고 했을까요? 이 사건은 마치 예수님이 거라사인의 마을에 가서 그 땅의 더러운 귀신을 돼지떼로 들어가게 하시고 돼지떼를 몽땅 구축하셔서 그 땅의 사람들을 더러운 귀신으로부터 해방시켜 주셨는데도 거라사인들은 예수님께 이 지방에서 나가달라고 한 사건과 비슷합니다. 즉 그일라 주민들에게는 자신들을 구해준 다윗의 편에 서는 것보다 사울의 편에 서는 것이 분명히 이익이 크다고 생각했기 때문일 것입니다. 사울의 왕국은 이 세상의 부와 권세를 상징하고 있습니다. 이 세상은 항상 사울의 왕국을 의지하는 것입니다. 한편 다윗의 공동체는 숨겨진 하나님의 나라를 상징하고 있습니다. 그것은 곧 도래할 왕국이며 가난한 자, 빚진 자, 약한 자, 비참한 자에게 그 문이 열려 있는 것입니다. 따라서 하나님의 나라를 상징하고 있는 다윗의 왕국은 사실 이미 시작되었다고 할 수 있습니다. 분명 다윗의 머리에는 왕관은 없지만 이미 왕으로 즉위 한 것입니다. 그러나 그 나라는 어슴프레하고 명료한 형태로 나타나지 않았기 때문에 이 세상 사람들은 보이지 않는 하나님의 나라보다 눈에 보이는 부와 권세에 집착하고 사울의 왕국을 신뢰하게 되는 것입니다. 그일라 뿐만이 아닙니다. 이후 십 사람들도 심지어 엔게디 사람들도 역시 사울의 편에 서서 다윗의 동향을 보고합니다. 그일라를 떠난 다윗과 그의 사람들은 더욱 방랑하게 됩니다. 이때 다윗의 무리는 사백 명에서 육백 명으로 늘어나 있었습니다. 사울은 다윗의 목숨을 노리기 위해 끊임없이 추격하지만 사로잡을 수 없었습니다. 베들레헴의 목자였던 다윗에게 유다광야는 어느 정도 잘 알고 있었을 것으로 생각되지만 성경은 다윗이 광야를 잘 알고 또 심히 지혜롭게 행동하여 사울의 포위망을 교묘히 빠져나갈 수 있었다고 말하지 않습니다. 뭐라고 적혀 있을까요? 14절을 보면 「하나님이 그를 그의 손에 넘기지 아니하시니라」라고 쓰여져 있습니다. 즉 주님이 다윗과 함께 하시고, 주님이 다윗을 지켜주시는 것입니다. 눈에는 보이지 않는 하나님의 손을 우리는 인정해야만 합니다.

주제 2 요나단의 격려

다윗이 추격당하는 이야기 도중에 갑자기 삽입되어 있는 것이 십 광야의 수풀에서 요나단과의 만남입니다. 사울은 좀처럼 다윗을 찾지 못하였지만, 하나님과 요나단의 만남은 간단하게 허락하십니다. 16~18절을 보시죠.

16 사울의 아들 요나단이 일어나 수풀에 들어가서 다윗에게 이르러 그에게 하나님을 힘 있게 의지하게 하였는데

17 곧 요나단이 그에게 이르기를 두려워하지 말라 내 아버지 사울의 손이 네게 미치지 못할 것이요 너는 이스라엘 왕이 되고 나는 네 다음이 될 것을 내 아버지 사울도 안다 하니라

18 두 사람이 여호와 앞에서 언약하고 다윗은 수풀에 머물고 요나단은 자기 집으로 돌아가니라

두 사람에게는 이 만남이 마지막이지만, 요나단은 「하나님을 힘있게 의지하라」고 다윗을 격려합니다. 그것은 결코 인간적인 격려가 아니라 신탁과 같은 말이었습니다. 요나단은 「두려워하지 말라」는 말에 이어 놀라운 말을 합니다. 그것은 첫째 「너는 이스라엘 왕이 되고」라고 단언한 것입니다. 요나단은 자신이 가지고 있는 왕위에 대한 권리에 집착할 수도 있었는데, 다윗 앞에서 자신의 권리를 완전히 포기하고 있습니다. 그는 완전히 다윗을 보좌할 생각이었고, 다윗의 다음 자리에 만족할 준비가 되어 있었습니다. 둘째, 「나는 네 다음이 될 것을 내 아버지 사울도 안다」라고 계속 이야기를 합니다. ‘확실히 사울이 그것을 마음속으로 희미하게 느끼고 있고, 속으로 알고 있었다고 해도, 설마 사울이 그것을 공개적을 인정하는 일은 없지 않을까? 따라서 그런 것을 요나단이 정확하게 알 리는 없을 것’이라고 우리 독자들은 생각하게 됩니다. 그런데 실제로 다음 장 24장 20절을 보면 바로 사울의 입에서 요나단이 말한 대로의 말이 나옵니다. 즉 이스라엘의 왕이 되는 것은 다윗이며, 「이스라엘 나라가 네 손에 견고히 설 것을 아노니」라고 사울이 스스로 고백하고 있는 것입니다. 요나단은 마치 하나님의 신탁을 말하는 것 처럼 다윗에게 보증을 해 주었습니다. 그리고 두 사람은 언약을 맺습니다. 두 사람 사이에는 과거에도 언약을 맺었지만 과거의 막연한 언약이 구체성을 가지고 갱신되었다는 것이겠지요. 어슴프레 한 하나님의 나라는 조금씩 명료해지고 전진해 가는 것입니다. 우리도 현재 믿음에 의해 하나님의 나라에 들어갔습니다. 하지만 여전히 그 나라는 우리에게 어슴프레 할지도 모릅니다. 그러나 하나님께서는 우리의 구원과 영원한 생명의 보증으로, 우리 믿음의 담보로 성령님을 보내주셨습니다. 성령님께서는 항상 우리 곁에 있어 주시고 마치 요나단이 다윗을 도와주고 변호해 준 것처럼 우리를 변호하시고 인도해주시는 것입니다. 성령님의 보증에 의해 우리는 자신의 구원을 확신하는 것입니다. 그래서 그리스도인은 아직 이 눈으로 보지 못한 것에 대해 믿음 가운데 기뻐할 수 있는 것입니다.

주제 3 십 광야와 마온 광야에서

다윗의 도망은 아직 끝나지 않았습니다. 이번에는 십 사람이 다윗을 발견하고 사울에게 밀고합니다. 십은 그일라보다 더 남동쪽에 있는 유다 성읍이었고, 유다족 출신인 다윗에게 십 사람이라면 동포 중의 동포였습니다. 하지만 그일라와 마찬가지로 십 사람들도 사울의 편에 붙습니다. 19~24절을 보시죠.

19 그 때에 십 사람들이 기브아에 이르러 사울에게 나아와 이르되 다윗이 우리와 함께 광야 남쪽 하길라 산 수풀 요새에 숨지 아니하였나이까

20 그러하온즉 왕은 내려오시기를 원하시는 대로 내려오소서 그를 왕의 손에 넘길 것이 우리의 의무니이다 하니

21 사울이 이르되 너희가 나를 긍휼히 여겼으니 여호와께 복 받기를 원하노라

22 어떤 사람이 내게 말하기를 그는 심히 지혜롭게 행동한다 하나니 너희는 가서 더 자세히 살펴서 그가 어디에 숨었으며 누가 거기서 그를 보았는지 알아보고

23 그가 숨어 있는 모든 곳을 정탐하고 실상을 내게 보고하라 내가 너희와 함께 가리니 그가 이 땅에 있으면 유다 몇 천 명 중에서라도 그를 찾아내리라 하더라

24 그들이 일어나 사울보다 먼저 십으로 가니라 다윗과 그의 사람들이 광야 남쪽 마온 광야 아라바에 있더니

다윗은 더 남하해서 마온 광야로 피신하자 사울의 다윗 추격이 시작됩니다. 언덕에서 언덕, 바위산에서 바위산, 수렵가 사울에 의해 사냥감처럼 쫓기는 다윗은 서서히 궁지에 몰립니다. 만약 블레셋 사람들의 침노가 조금 더 늦었다면 다윗은 사울에게 사로잡혔을 것입니다. 한 바위를 사이에 두고 언제 양측이 마주칠지 모르는 아슬아슬한 상황 속에서 한 소식이 사울의 진영에 닿았습니다. 「급히 오소서 블레셋 사람들이 땅을 침노하나이다」사울은 당장 돌아갈 수밖에 없는 상황이 되었습니다. 이 막판에 뜻밖의 전개입니다. 그러나 이것은 물론 우연이 아니라 하나님의 보호의 손에 의한 것입니다. 믿을 수 있으십니까? 절대절명의 타이밍에 하나님은 적군인 블레셋군도 이용하셔서 사울의 손에서 다윗을 구해주신 것입니다.

결론

부와 권세를 움켜쥐고 눈에 보이는 형태로 권력을 휘두르는 사울 왕국 안에서 눈에 보이지 않는 하나님의 나라가 확실히 살아 숨쉬고 조금씩 확대되고 있는 모습을 우리는 보아왔습니다. 결론적으로 첫째, 다윗의 자손 예수 그리스도는 구약성경이 증명하듯 구원자 메시아라는 것입니다. 둘째, 이스라엘 백성이 눈에 보이는 사울의 왕국을 의지해도 그들의 영혼의 구원을 가져올 수 없으며 그들에게 평안과 복을 가져다 주지 못하는 것처럼 이 세상의 보이는 왕국은 영원한 가치 앞에 전혀 무력하다는 것입니다. 그런데 숨겨진 다윗의 나라는 하나님 나라의 상징이자 곧 도래할 왕국으로 지금은 금과 은과 권력, 명성 등을 제공할 수 없지만 영혼의 구원, 죄의 용서, 평안, 영원한 생명과 복을 주는 것입니다. 그리고 다윗의 나라는 사울의 왕국으로부터 박해를 받게 되지만 하나님께서 궁극적으로 보호하고 지켜주십니다. 더욱이 다윗의 나라에는 미래에 분명히 도래할 왕국의 보증이 주어지기 때문에 어려움 속에서도 다윗처럼 「하나님이 나를 위하여 어떻게 하실지를」그저 기다릴 수 있는 것입니다. 시편 54편을 마지막으로 읽어봅시다.

1 하나님이여 주의 이름으로 나를 구원하시고 주의 힘으로 나를 변호하소서

2 하나님이여 내 기도를 들으시고 내 입의 말에 귀를 기울이소서

3 낯선 자들이 일어나 나를 치고 포악한 자들이 나의 생명을 수색하며 하나님을 자기 앞에 두지 아니하였음이니이다 (셀라)

4 하나님은 나를 돕는 이시며 주게서는 내 생명을 붙들어 주시는 이시니이다

5 주께서는 내 원수에게 악으로 갚으시리니 주의 성실하심으로 그들을 멸하소서

6 내가 낙헌제로 주께 제사하리이다 여호와여 주의 이름에 감사하오리니 주의 이름이 선하심이니이다

7 참으로 주께서는 모든 환난에서 나를 건지시고 내 원수가 보응 받는 것을 내 눈이 똑똑히 보게 하셨나이다

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