2020年02月02日「アドラムの集団 아둘람 굴의 사람들」

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アドラムの集団 아둘람 굴의 사람들

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記上 22章1節~23節

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聖句のアイコン聖書の言葉

22:1ダビデはそこを出て、アドラムの洞窟に難を避けた。それを聞いた彼の兄弟や父の家の者は皆、彼のもとに下って来た。
22:2また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた。
22:3ダビデはモアブのミツパに行き、モアブの王に頼んだ。「神がわたしをどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたたちのもとに行かせてください。」
22:4モアブ王に託されたダビデの両親は、ダビデが要害に立てこもっている間、モアブ王のもとにとどまった。
22:5預言者ガドが、「要害にとどまらず、ユダの地に出て行きなさい」と言ったので、ダビデはハレトの森に移って行った。
22:6サウルは、ダビデとその仲間の者たちが姿を見せたと聞かされた。サウルは、手に槍を持って、ギブアにある丘のぎょりゅうの木陰に座っていた。彼の家臣は皆、傍らに立っていた。
22:7サウルは傍らに立っている家臣に言った。「ベニヤミンの子らよ、聞くがよい。エッサイの子が、お前たち皆に畑やぶどう畑を与え、皆を千人隊の長や、百人隊の長にするであろうか。
22:8お前たちは皆、一団となってわたしに背き、わたしの息子とエッサイの子が契約を結んでもわたしの耳に入れない。息子がわたしの僕をわたしに刃向かわせ、今日のようにわたしをねらわせても、憂慮もしないし、わたしの耳に入れもしない。」
22:9サウルの家臣のそばに立っていたエドム人ドエグが答えた。「エッサイの子が、ノブにいるアヒトブの子アヒメレクのところに来たのを見ました。
22:10アヒメレクは彼のために主に託宣を求め、食糧を渡し、ペリシテ人ゴリアトの剣を与えました。」
22:11サウルは人をやって、祭司であるアヒトブの子アヒメレクと、ノブで祭司職にある彼の父の家の者をすべて呼び出した。彼らは皆、王のもとに来た。
22:12サウルは言った。「アヒトブの子よ、聞くがよい。」彼は「はい、御主人様」と答えた。
22:13サウルは言った。「何故、お前はエッサイの子と組んでわたしに背き、彼にパンや剣を与え、神に託宣を求めてやり、今日のようにわたしに刃向かわせ、わたしをねらわせるようなことをしたのか。」
22:14アヒメレクは王に答えた。「あなたの家臣の中に、ダビデほど忠実な者がいるでしょうか。ダビデは王様の婿、近衛の長、あなたの家で重んじられている者ではありませんか。
22:15彼のため神に託宣を求めたのはあの折が初めてでしょうか。決してそうではありません。王様、僕と父の家の者に罪をきせないでください。僕は事の大小を問わず、何も知らなかったのです。」
22:16王は、「アヒメレクよ、お前も父の家の者も皆、死罪だ」と言い、
2:17傍らに立っている近衛兵に命じた。「行って主の祭司たちを殺せ。彼らもダビデに味方し、彼が逃亡中なのを知りながら、わたしの耳に入れなかったのだ。」だが、王の家臣は、その手を下して主の祭司を討とうとはしなかった。
22:18王はドエグに、「お前が行って祭司らを討て」と命じたので、エドム人ドエグが行って祭司らを討った。こうして、サウルはその日、亜麻布のエフォドを身に着けた者八十五人を殺し、
22:19また祭司の町ノブを剣で撃ち、男も女も、子供も乳飲み子も、牛もろばも羊も剣にかけた。
22:20アヒトブの子アヒメレクの息子が一人、難を免れた。アビアタルという名で、彼はダビデのもとに逃れた。
22:21アビアタルは、サウルが主の祭司たちを殺した、とダビデに伝えた。
22:22ダビデはアビアタルに言った。「あの日、わたしはあの場に居合わせたエドム人ドエグが必ずサウルに報告するだろう、と気づいていた。わたしがあなたの父上の家の者すべての命を奪わせてしまったのだ。
22:23わたしのもとにとどまっていなさい。恐れることはない。わたしの命をねらう者はあなたの命をもねらう。わたしのもとにいれば、あなたは安全だ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記上 22章1節~23節

原稿のアイコン日本語メッセージ

サムエル記上を見ると、ダビデの王権と、サウルの王権が平行線をたどるように、同時進行によって描かれていることが特徴としてあげられます。サウルは確かに王位から廃位され、ダビデがイスラエル神政国家の王として油を注がれたはずですが、なかなか神の国が可視的に現れません。なぜでしょうか。それは、神の国がすでに到来し、始まっているように、この世において、サタンの支配も依然として存在し、最後の抵抗をしているからです。つまり、神の国とサタンの支配が平行線をなしているかのように同時進行しているからです。したがってこの世にあって、神の僕は常に、サタンの攻撃に合い、迫害を経験することになりますが、究極的にはイエスキリストにおいて死を完全に滅ぼされ、罪の支配は打ち破られたので、その攻撃は時限的であり、永遠に平行線が続くわけではなく、やがて終わりの日に、私たちが信仰によって受け入れたことが、全て成就されるのです。それならば、この世にあって、サタンのキリスト者への迫害とは何かといえば、それはまさに私たちが父なる神の子とされていることの「しるし」であると言えるのではないでしょうか。キリスト者がこの世から聖別されているからこそ、サタンの攻撃と迫害が絶えないのです。

主題1 アドラムの集団

サウルは、ダビデを殺害するために執拗な追跡を始めます。ダビデの逃避行は、ガトからアドラムの洞窟に向かいました。この場所は、ちょうど、ペリシテの領地とイスラエルの領地の間にあって、言ってみれば、「持ち主のいない土地」だったので、避け所としては最適でした。地図を御覧ください。死海の西側全般をユダの荒れ野と呼ばれています。まず首都ギブアがありまして、そのすぐ下にノブがあり、その下にエブス人が支配していたエルサレムがあり、その下にベツレヘムがあります。ベツレヘムから西に行きますとペリシテとの国境線上に洞窟の町アドラムがあります。ダビデがアドラムに避難すると、すぐにダビデの血縁関係にある者は、ダビデの下に逃げてきました。恐らくダビデの故郷であるベツレヘムは、サウルの故郷ギブアからはあまりにも近かったので、ダビデの故に、自分たちの身の危険を感じたのでしょう。そして、親族の他にも、400人ほどの人々がダビデの下に集まってきました。一体どのような人々が集まって来たのでしょうか。22:2を御覧ください。

“また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた。”

彼らは、サウルの王国において、徹底的に拒絶され、孤立した人々です。現代で言えば、いわゆる格差社会における「持たない者たち」であり、貧しく、傷だらけで、この世の基準では、取るに足らない者たちです。しかし、神は、世が見るように彼らを御覧になられません。神はダビデの群れに預言者ガドを与えられ、ダビデを頭領としたこの小さな群れは、この後荒れ野に導かれることになりますが、そこで、神によってダビデ王国の柱となるべく少しずつ訓練をされ、信仰的に整えられていくのです。私たちは、このアドラムの集団において、まさに神の国が胎動し、息づき始めているのを、見ることが出来るのです。従って、神の国の特徴とは、第一にキリストの故に迫害されるということです。神の国は、世が持っている富も、権勢もありませんが、神が避け所となり、平安を与えてくださるのです。ダビデは、両親を安全な所に避難させようと、モアブの王がいるミツパへ行き、願いは受け入れられました。しかし、なぜダビデはモアブ人に両親を託したのでしょうか。実はダビデは、モアブ人ルツのひ孫であり、ダビデの父エッサイはルツの孫にあたるからであります。ルツ記4:18~22を御覧ください。

“ペレツの系図は次のとおりである。ペレツにはヘツロンが生まれた。ヘツロンにはラムが生まれ、ラムにはアミナダブが生まれた。アミナダブにはナフションが生まれ、ナフションにはサルマが生まれた。サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた。”

従って、ダビデの祖父オベドの家系図には、母方に、異邦人であるモアブの血が流れているということになります。それでは、父方はどうでしょうか。18節の系図の一番初めに「ペレツ」という名前がありますね。ペレツはどんな人かと言えば、タマルの子であり、タマルが舅ユダを通して産んだ子供です。創世記38章を見るとわかりますが、嫁であるタマルは遊女に扮して、舅であるユダと寝て生まれてきた子がペレツなのです。律法には「その土地の住民と契約を結ばないようにしなさい」と書かれてあり、異教の人々との結婚が禁止されています。また「嫁を犯してはならない。…そのようなことは恥ずべき行為である。」と明確に書かれていますから、ダビデの家系図を見るなら、父方においても、母方においても、とても立派な家系とは言えるものではなく、できれば隠してしまいたいくらい罪にまみれた恥ずかしい系図でありました。つまり、ダビデは、八番目の息子として家族の中でも取るに足らない者であり、その系図を見ても隠してしまいたい系図であり、ダビデ自身、世的に見るなら、アドラムに集まった人々と何ら変わりありませんでした。しかし、神さまはこのような人々を神の国を建て上げるのに、お用いになられるのです。1コリント1:28~29を御覧ください。

“また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。”

主題2 御前会議から祭司虐殺まで

一方、サウルは首都ギブアの丘に家臣たちを集めて御前会議をしていました。サウルはいつものようにその手に槍を持っています。サウルの国は、この世の富と権勢を象徴しています。そして、サウルの口から出た発言は、彼がいかにも心穏やかでなく、不安の中にあるのかが示されています。7~8節を御覧ください。

“サウルは傍らに立っている家臣に言った。「ベニヤミンの子らよ、聞くがよい。エッサイの子が、お前たち皆に畑やぶどう畑を与え、皆を千人隊の長や、百人隊の長にするであろうか。お前たちは皆、一団となってわたしに背き、わたしの息子とエッサイの子が契約を結んでもわたしの耳に入れない。息子がわたしの僕をわたしに刃向かわせ、今日のようにわたしをねらわせても、憂慮もしないし、わたしの耳に入れもしない。」”

7節を見ますと、サウルは、自分が王国の土地を忠実な家臣に分配してやっているからこそ、お前たち家臣たちの繁栄が許されていると強調しています。つまりサウルの王国は、世の富と権勢を象徴し「持っている者たち」の群れであり、これは、明らかにアドラムの集団について描写されている2節の内容である、「持たない者たち」と対比されるのであります。それにしても、サウルの言葉を聞いた臣下たちは、恐らく当惑したことでしょう。彼らはサウル王に背き、王に刃向かわせるよう、陰謀を巡らせてきたこともなかったし、情報を流さないようにしたこともありませんでした。また、ダビデと共に富裕になろうとも考えてはいませんでした。明らかにサウルは自分ひとりで恐れと不安にかられ、被害妄想から噴出してきた幻想を訴えているのです。しばらく沈黙が続いた後、富と権勢に仕えるエドム人、ドエグが答えます。彼にとっては真実が何であろうと関係ありませんでした。“「エッサイの子が、ノブにいるアヒトブの子アヒメレクのところに来たのを見ました。アヒメレクは彼のために①主に託宣を求め、②食糧を渡し、③ペリシテ人ゴリアトの剣を与えました。」”サウルは人をやり、アヒメレクと、ノブで祭司職にある彼の父の家の者を全員ギブアに呼び出しました。12~13節を御覧ください。

“サウルは言った。「アヒトブの子よ、聞くがよい。」彼は「はい、御主人様」と答えた。サウルは言った。「何故、お前はエッサイの子と組んでわたしに背き、①彼にパンや剣を与え、②神に託宣を求めてやり、③今日のようにわたしに刃向かわせ、わたしをねらわせるようなことをしたのか。」”

アヒメレクは、サウルの言葉を表面的には認めました。確かに食糧を渡し、託宣を求め、武器を渡しました。しかしその動機については否定しています。なぜなら、ダビデはサウルの転覆をはかるような悪い僕ではないからです。従って、アヒメレクの弁明とは、「王の僕、ダビデは王様が思っているようなお方ではありません」というダビデに対する弁護という形になりました。14~15節を御覧ください。

“アヒメレクは王に答えた。「あなたの家臣の中に、ダビデほど忠実な者がいるでしょうか。ダビデは王様の婿、近衛の長、あなたの家で重んじられている者ではありませんか。彼のため神に託宣を求めたのはあの折が初めてでしょうか。決してそうではありません。王様、僕と父の家の者に罪をきせないでください。僕は事の大小を問わず、何も知らなかったのです。」”

アヒメレクはダビデを弁護することで、究極的にはキリストを弁護し、信仰の側に立ったのです。これを聞いたサウルは、すぐさま評決を下しました。「アヒメレクよ、お前も父の家の者も皆、死罪だ」。サウルは彼の近衛兵に行動するように命じますが、彼らは拒否します。なぜなら彼らはサウル王が下した評決が明らかに間違いであることを知っていて、いくら王の命令と言え、主に油注がれた祭司を殺すことは、はばかれるからです。こうして、サウルは、わが子に背かれ、出身部族からは支持を得られず、エサウの子孫であるエドム人しか追従者がいないという、孤独な王としてひたすら突き進み、自らに滅びを招いていきます。エドム人ドエグは、祭司全員を殺し、さらに、女や子供、乳飲み子と、家畜までも全て剣にかけました。この時、成人の男だけで85人が殺されています。結局、サウルは、主に油注がれた祭司たちをエドムを通して聖絶したのです。サウルは以前、アマレク人に対しては、神の聖絶の命令に従順しないで、良い家畜や王を惜しみましたが、一方、祭司たちに対しては、自ら進んで油注がれた祭司たちを聖絶するということを敢行しました。このことから分かるのは、この世を支配する悪の力は、常に神の国を迫害しながら、結果として自ら死と滅びを招くということです。一方、ダビデの側につく人は、サタンにから困難と迫害にさらされることになりますが、神が共にいてくださるので、そのような状況にあっても平安が与えられ、真実に歩むことが許されるのです。ダビデは、アヒメレクが殺害されたという消息を聞いて詩篇52編を歌いました。3~9をお開きください。

“力ある者よ、なぜ悪事を誇るのか。神の慈しみの絶えることはないがお前の考えることは破滅をもたらす。舌は刃物のように鋭く、人を欺く。お前は善よりも悪を 正しい言葉よりもうそを好み〔セラ 人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む。神はお前を打ち倒し、永久に滅ぼされる。お前を天幕から引き抜き 命ある者の地から根こそぎにされる。〔セラ これを見て、神に従う人は神を畏れる。彼らはこの男を笑って言う。「見よ、この男は神を力と頼まず 自分の莫大な富に依り頼み 自分を滅ぼすものを力と頼んでいた。」”

私たちには、この世の富と権勢に仕えるのか、それともキリストに仕えるのか、常に選択が迫られています。この世を選び、滅びを選ぶのか、信仰によってキリストを選び永遠の命を選ぶのかいずれかなのです。

主題3 エリの家の裁きと残された者を通して

ノブの祭司の虐殺は、エリの家に対する審判の預言の成就ではありますが、神はアヒメレクの殉教を通して、その死によって、ダビデこそ、まもなく訪れる王国の王位継承者であることを証言させました。神の国が堅く確立するために用いられたのです。20~23節には、エピローグのような記事が付け加えられています。神の摂理によって、アヒメレクの息子の一人アビアタルが虐殺から逃れ、エフォドを守り、ダビデの下に逃げてきました。エフォドという言葉は、二種類のものを意味しているようです。それは、第一は祭司や大祭司が「身にまとう上着としてのエフォド」であり、これとは別に、第二は、「金属製か木製の聖なる遺物としてのエフォド」であって、契約の箱がなかった当時、これは礼拝の対象になったりしました。また、神託をするのにこのエフォドが用いられました。一人残されたアビアタルは、この聖なる遺物のエフォドを持ってダビデの所に来たと思われます。また、21章で、エフォドの後ろにゴリアトの剣が献げられていますが、このエフォドも「聖なる遺物のエフォド」と考えられます。神の恵みにより祭司が与えられ、この後、ダビデは、いつでもエフォドによって神の御心を伺うことができるようになったのです。ダビデの集団に、預言者と祭司が与えられ、神の国を少しずつ前進させてくださったのです。

結論

私たちはダビデの王権と、サウルの王権を通して神の国とこの世の王国を対比しながら見てきました。神の国とは、この世において富や権勢を持つことなく成就していきます。それは、神の国とは、全き恵みによって成就される国であり、誰一人、神の御前で誇ることがないようにするためです。一方、この世は、既にイエス・キリストによって王権の廃位が決定され、滅びが決定づけられていますが、この世においては、神の国と平行線をなすかのように、最後の抵抗が許されているということです。従って、神の国の羊である私たちは、この世にあって常に迫害を受け、困難にあうことになりますが、神が避けどころとなって下さり、守りと平安を与えてくださるのです。そして神の国は確実に前進していくのです。そのことを覚えつつ、私たちも決してドエグのように富と権勢に跪くのではなく、どんな時にも主にあって真実に歩んで参りましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

아둘람 굴의 사람들

2020년 2월 2일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘상 22장 1~23절

서론

사무엘상을 보면 다윗의 왕권과 사울의 왕권이 평행선을 달리는 것처럼 동시진행에 의해 그려져 있는 것이 특징으로 꼽힙니다. 사울은 분명 왕위에서 폐위되고 다윗이 이스라엘의 신정국가의 왕으로 기름부음을 받았음에도 좀처럼 하나님의 나라가 가시적으로 나타나지 않습니다. 왜 그럴까요? 그것은 하나님 나라가 이미 도래하고 시작되었지만 이 세상에서 사탄의 지배도 여전히 존재하고 마지막 저항을 하고 있기 때문입니다. 즉 하나님의 나라와 사탄의 지배가 평행선을 이루고 있는 것처럼 동시 진행되고 있기 때문입니다. 따라서 이 세상에 있어서 하나님의 종은 항상 사탄의 공격을 받고 박해를 겪게 되지만, 궁극적으로 예수 그리스도께서 죽음을 완전히 멸하고 죄의 지배는 완전히 부서졌으므로 그 공격은 한시적이며 영원히 평행선이 이어지는 것은 아니며, 이윽고 마지막 그 날 우리가 믿음으로 받아들인 것이 전부 성취되는 것입니다. 그렇다면 이 세상에 있어서 사탄의 그리스도인에 대한 박해의 의미가 무엇인가 하면, 그것은 바로 우리가 아버지 하나님의 자녀로 여겨지고 있음의 「증표」라고 할 수 있지 않을까요? 그리스도인들이 이 세상에서 성별되어 있기 때문에 사탄의 공격과 박해가 끊이지 않는 것입니다.

주제 1 아둘람 굴의 사람들

사울은 다윗을 살해하기 위해 집요한 추격을 시작합니다. 다윗의 도피행은 가드에서 아둘람의 굴로 향했습니다. 이 장소는 마침 블레셋의 영지와 이스라엘의 영지 사이에 있어 말하자면 「임자 없는 땅」이었기 때문에 피할 곳으로는 최적의 장소였습니다. 지도를 보시죠. 사해의 서쪽 전반을 유다의 광야라고 부릅니다. 먼저 수도 기브아가 있고, 그 바로 아래에 놉이 있고, 그 아래에 여부스인이 지배하던 예루살렘이 있고, 그 아래에 베들레헴이 있습니다. 베들레헴에서 서쪽으로 가면 블레셋과의 국경선 위에 동굴 마을 아둘람이 있습니다. 다윗이 아들람으로 피신하자, 곧 다윗과 혈연관계에 있는 자는 다윗에게로 도망쳐 왔습니다. 아마도 다윗의 고향 베들레헴은 사울의 고향 기브아에서 너무 가까웠기 때문에 다윗으로 인해 자신들의 신변에 위험을 느꼈을 것입니다. 그리고 친족 외에도 사백 명 정도의 사람들이 다윗 밑에 모여 들었습니다. 도대체 어떤 사람들이 모여들었을까요? 22장 2절을 봐 주세요.

환난 당한 모든 자와 빚진 모든 자와 마음이 원통한 자가 다 그에게로 모였고 그는 그들의 우두머리가 되었는데 그와 함께 한 자가 사백 명 가량이었더라

그들은 사울의 왕국에서 철저하게 거절 당하고 고립된 사람들입니다. 오늘날로 치면 이른바 격차사회에 있어 「가진 것이 없는 자들」이며, 가난하며, 상처 투성이로 이 세상의 기준으로는 하찮은 자들입니다. 그러나 하나님은 세상이 보듯 그들을 보시지 않습니다. 하나님은 다윗 무리에게 선지자 갓을 주시고, 다윗을 우두머리로 한 이 작은 무리는 이후 광야로 인도하심을 받게 되는데, 거기서 하나님에 의해 다윗 왕국의 기둥이 되도록 조금씩 훈련을 받고 믿음이 다듬어져 가는 것입니다. 우리는 이 아둘람 사람들에게서 바로 하나님의 나라가 태동하고 숨쉬기 시작하는 것을 볼 수 있습니다. 따라서 하나님의 나라의 특징은 첫째, 그리스도 때문에 박해를 받는다는 것입니다. 하나님 나라는 세상이 가진 부도, 권세도 없지만 하나님께서 피난처가 되어 주시고 평강을 주시는 것입니다. 다윗은 부모님을 안전한 곳으로 피신시키려고 모압 왕이 있는 미스베로 갔고 그 청은 받아들여졌습니다. 하지만 왜 다윗은 모압인에게 부모를 의탁했을까요? 사실 다윗은 모압인 룻의 증손자이고 다윗의 아버지 이새는 룻의 손자에 해당하기 때문입니다. 룻기 4장 18~22절을 보시죠.

18 베레스의 계보는 이러하니라 베레스는 헤스론을 낳고

19 헤스론은 람을 낳았고 람은 암미나답을 낳았고

20 암미나답은 나손을 낳았고 나손은 살몬을 낳았고

21 살몬은 보아스를 낳았고 보아스는 오벳을 낳았고

22 오벳은 이새를 낳았고 이새는 다윗을 낳았더라

따라서 다윗의 조부인 오벳의 계보에는 어머니쪽으로 이방인인 모압의 피가 흐르고 있었다는 것이 됩니다. 그럼 오벳의 아버지쪽은 어떨까요? 18절 계보의 맨 처음에 「베레스」라는 이름이 있죠. 베레스가 어떤 사람이냐면 다말의 아들이고 다말이 시아버지 유다를 통해 낳은 아이입니다. 창세기 38장을 보면 알겠지만 며느리인 다말은 유녀로 변장하고 시아버지인 유다와 동침하고 태어난 아이가 베레스인 것입니다. 율법에는 「그 땅의 주민과 언약을 맺지 않도록 하라」고 적혀 있어 이교 사람들과의 결혼이 금지되어 있습니다. 또 「며느리를 범해서는 안된다.. 그런 것은 수치스러운 행위이다」라고 분명히 쓰여져 있기 때문에, 다윗의 계보를 본다면 아버지쪽의 친가쪽으로 봐도, 외가 쪽으로 봐도 아주 훌륭한 가계라고 말할 수 없을 뿐더러, 가능하면 감추고 싶을 정도로 죄로 얼룩진 부끄러운 계보였습니다. 즉 다윗은 여덟째 아들로서 가족 중에서도 하찮은 자이며, 그 계보를 보아도 감추고 싶은 계보였고, 다윗 자신도 세상적으로 본다면 아둘람에 모인 사람들과 별 차이가 없는 것입니다. 그러나 하나님은 이러한 사람들을 하나님 나라를 세우는데 사용하시는 것입니다. 고린도전서 1장 28,29절을 보시기 바랍니다.

28 하나님께서 세상의 천한 것들과 멸시 받는 것들과 없는 것들을 택하사 있는 것들을 폐하려 하시나니

29 이는 아무 육체도 하나님 앞에서 자랑하지 못하게 하려 하심이라

주제 2 참모회의부터 제자장 학살까지

한편 사울은 수도 기브아의 높은 곳에 신하들을 모아 놓고 참모회의를 하고 있었습니다. 사울은 언제나 처럼 그 손에 단창을 들고 있었습니다. 사울의 나라는 이 세상의 부와 권세를 상징하고 있습니다. 그리고 사울의 입에서 나온 발언은 그가 얼마나 마음이 편치 않고 불안함 속에 있는지를 보여줍니다. 7,8절을 보세요.

7 사울은 곁에 선 신하들에게 이르되 너희 베냐민 사람들아 들으라 이새의 아들이 너희에게 각기 밭과 포도원을 주며 너희를 천부장, 백부장을 삼겠느냐

8 너희가 다 공모하여 나를 대적하며 내 아들이 이새의 아들과 맹약하였으되 내게 고발하는 자가 하나도 없고 나를 위하여 슬퍼하거나 내 아들이 내 신하를 선동하여 오늘이라도 매복하였다가 나를 치려 하는 것을 내게 알리는 자가 하나도 없도다 하니

7절을 보면 사울은 자신이 왕국의 땅을 충실한 신하에게 분배하여 주고 있기 때문에 너희 신하들의 번영이 허락된다고 강조하고 있습니다. 즉, 사울의 왕국은 세상의 부와 권세를 상징하는 「가진 자들」의 무리이며, 이는 분명히 아둘람의 사람들에 대해 묘사된 2절의 내용인 「가진 것이 없는 자들」과 대비되는 것입니다. 그렇더라도 사울의 말을 들은 신하들은 아마 당혹스러웠을 것입니다. 그들은 사울 왕을 등지고 왕에게 칼을 겨누기 위해 음모를 꾸민 적도 없었고, 알고 있는 정보를 사울에게 흘리지 않으려고 한 적도 없었습니다. 또 다윗과 함께 부유해질 생각도 하지 않았어요. 분명히 사울은 자기 혼자서 두려움과 불안에 사로잡혀 피해망상에서 비롯된 망상을 쏟아내고 있는 것입니다. 잠시 침묵이 흐른 뒤 부와 권세를 섬기는 에돔 사람 도엑이 대답합니다. 그에게는 진실이 무엇이든 상관없습니다. 「이새의 아들이 놉에 와서 아히둡의 아들 아히멜렉에게 이른 것을 내가 보았는데 아히멜렉이 그를 위하여 ①여호와께 묻고 ②그에게 음식도 주고 ③블레셋 사람 골리앗의 칼도 주더이다」사울은 사람을 보내어 아히멜렉과 놉의 제사장직에 있는 그의 아버지 집안 사람들을 모두 기브아로 불러냈습니다. 12,13절을 보세요.

12 사울이 이르되 너 아히둡의 아들아 들으라 대답하되 내 주여 내가 여기 있나이다

13 사울이 그에게 이르되 네가 어찌하여 이새의 아들과 공모하여 나를 대적하여 ①그에게 떡과 칼을 주고 ②그를 위하여 하나님께 물어서 ③그에게 오늘이라도 매복하였다가 나를 치게 하려 하였느냐 하니

아히멜렉은 사울의 말을 표면적으로는 인정했습니다. 확실히 떡을 주고 하나님께 묻고 무기를 건넸습니다. 그러나 그 동기에 대해서는 부정하고 있습니다. 왜냐하면 다윗은 사울 왕국의 전복을 꾀할 나쁜 자가 아니기 때문입니다. 따라서 아히멜렉의 변명이란 「왕의 신하 중에 다윗 같이 충실한 자가 누구인지요」라는 다윗을 변호하는 형태가 되었습니다. 14,15절을 보시죠.

14 아히멜렉이 왕에게 대답하여 이르되 왕의 모든 신하 중에 다윗 같이 충실한 자가 누구인지요 그는 왕의 사위도 되고 왕의 호위대장도 되고 왕실에서 존귀한 자가 아니니이까

15 내가 그를 위하여 하나님께 물은 것이 오늘이 처음이니이까 결단코 아니니이다 원하건대 왕은 종과 종의 아비의 온 집에 아무것도 돌리지 마옵소서 왕의 종은 이 모든 크고 작은 일에 관하여 아는 것이 없나이다 하니라

아히멜렉은 다윗을 변호함으로써 궁극적으로 그리스도를 변호하고 믿음의 편에 섰습니다. 이 말은 들은 사울은 바로 평결을 내렸습니다. 「네가 반드시 죽을 것이요 너와 네 아비의 온 집도 그러하리라」하고 사울은 그의 호위병에게 죽이라고 명령하지만 그들은 거부합니다. 왜냐하면 그들은 사울 왕이 내린 평결이 명백한 잘못임을 알고 있고 아무리 왕의 명령이라고 하더라도 주께 기름 부음 받은 제사장을 죽이기가 꺼려지기 때문입니다. 이리하여 사울은 자식으로부터 등돌림을 당하고 출신 부족으로부터 지지를 받지 못하고 에서의 후손인 에돔 사람밖에 추종자가 없는 외로운 왕으로 오로지 돌진하여 스스로 멸망을 초래합니다. 에돔 사람 도엑은 제사장 전원을 죽이고 게다가 여자와 아이 젖먹이와 가축까지도 칼로 쳤습니다. 이때 성인 남자만 85명이 살해되었습니다. 결국 사울은 주께 기름 부음 받은 제사장들을 에돔을 통해 진멸한 것입니다. 사울은 이전에 아말렉 사람들을 진멸하라는 하나님의 명령에는 순종하지 않고, 좋은 가축과 왕을 살려 두었으나 제사장들에게는 자진해서 기름 부음 받은 제사장들을 진멸하는 일을 감행했습니다. 이를 통해 알 수 있는 것은 이 세상을 지배하는 악의 힘은 항상 하나님 나라를 박해하면서 결과적으로 스스로 죽음과 멸망을 초래한다는 것입니다. 반면 다윗의 편에 서는 사람은 사탄에게 곤란과 박해를 받게 되는데 하나님이 함께 해주시니 그런 상황에서도 평안이 주어지고 진실되게 걸어가는 것이 허락되는 것입니다. 다윗은 아히멜렉이 살해됐다는 소식을 듣고 시편 52편을 불렀습니다. 1~7절을 펼쳐 주세요.

1 포악한 자여 네가 어찌하여 악한 계획을 스스로 자랑하는가 하나님의 인자하심은 항상 있도다

2 네 혀가 심한 악을 꾀하여 날카로운 삭도 같이 간사를 행하는도다

3 네가 선보다 악을 사랑하며 의를 말함보다 거짓을 사랑하는도다 (셀라)

4 간사한 혀여 너는 남을 해치는 모든 말을 좋아하는도다

5 그런즉 하나님이 영원히 너를 멸하심이여 너를 붙잡아 네 장막에서 뽑아 내며 살아 있는 땅에서 네 뿌리를 빼시리로다 (셀라)

6 의인이 보고 두려워하며 또 그를 비웃어 말하기를

7 이 사람은 하나님을 자기 힘으로 삼지 아니하고 오직 자기 재물의 풍부함을 의지하며 자기의 악으로 스스로 든든하게 하던 자라 하리로다

우리에게는 이 세상의 부와 권세를 섬길 것인지, 아니면 그리스도를 섬길 것인지 늘 선택이 요구됩니다. 세상을 선택하고 멸망을 선택하느냐, 믿음으로 그리스도를 선택하고 영원한 생명을 선택하느냐 둘 중 하나입니다.

주제 3 엘리의 집의 심판과 남겨진 자를 통해

놉의 제사장의 학살은 엘리의 집에 대한 심판의 예언의 성취이기는 하지만 하나님은 아히멜렉의 순교를 통해 그 죽음으로 다윗이야말로 곧 다가올 왕국의 왕위 계승자임을 증언하게 하셨습니다. 하나님의 나라가 굳건히 확립되기 위해 사용되었던 것입니다. 20~23절에는 에필로그와 같은 기사가 덧붙여져 있습니다. 하나님의 섭리에 따라 아히멜렉의 아들 중 한 명인 아비아달이 학살에서 벗어나 에봇을 지키고 다윗 밑으로 도망쳐 왔습니다. 에봇이라는 단어는 두 종류의 것을 의미하는 것 같습니다. 그것은 첫 번째는 제사장이나 대제사장이 「입는 상의로서의 에봇」이었고 이와는 별도로 두번 째는 「금속제나 목제의 성스러운 유물로서의 에봇」이었고 언약궤가 없었을 당시 이것은 예배의 대상이 되기도 했습니다. 또한 신탁을 하는데 이 에봇이 사용되었습니다. 홀로 남겨진 아비아달은 이 성스러운 유물인 에봇을 가지고 다윗에게 온 것으로 생각됩니다. 또한 21장에서 에봇 뒤에 골리앗의 검이 세워져 있는데 이 에봇 역시 성스러운 유물의 에봇이라고 생각됩니다. 하나님의 은혜로 제사장이 주어졌고 이후 다윗은 언제든지 에봇에 의해 하나님의 뜻을 물을 수 있게 된 것입니다. 다윗의 무리에게 선지자와 제사장을 주시고 하나님의 나라를 조금씩 전진시켜 주신 것입니다.

결론

우리는 다윗의 왕권과 사울의 왕권을 통해 하나님의 나라와 이 세상의 왕국을 비교하여 보아왔습니다. 하나님 나라는 이 세상에서, 부와 권세를 갖지 않고 성취해 나갑니다. 그것은 하나님의 나라란 모두 은혜에 의해 성취되는 나라이며, 그 누구도 하나님 앞에서 자랑하는 일이 없도록 하기 위함입니다. 한편 이 세상은 이미 예수 그리스도에 의해 왕권의 폐위가 결정되어 멸망이 결정되었지만, 이 세상에서는 하나님의 나라와 평행선을 이루듯 마지막 저항이 허용되고 있다는 것입니다. 따라서 하나님 나라의 양인 우리는 이 세상에서 늘 박해받고 어려움을 당하게 되는데 하나님께서 피난처가 되어 주시고 지켜 주시고 평안을 주시는 것입니다. 그리고 하나님의 나라는 확실하게 전진해 나가는 것입니다. 그것을 기억하며 우리도 결코 도엑처럼 부와 권세에 무릎 꿇지 말고 어느 때나 주안에서 진실함으로 걸어가도록 합시다.

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