2020年01月19日「ダビデとヨナタンの誓い 다윗과 요나단의 맹세」

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ダビデとヨナタンの誓い 다윗과 요나단의 맹세

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記上 20章1節~42節

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聖句のアイコン聖書の言葉

20:1ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った。「わたしが、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか。」
20:2ヨナタンはダビデに答えた。「決してあなたを殺させはしない。父は、事の大小を問わず、何かするときには必ずわたしの耳に入れてくれる。そのような事を父がわたしに伏せておくはずはない。そのような事はない。」
20:3それでもダビデは誓って言った。「わたしがあなたの厚意を得ていることをよくご存じのお父上は、『ヨナタンに気づかれてはいけない。苦しませたくない』と考えておられるのです。主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。死とわたしとの間はただの一歩です。」
20:4ヨナタンはダビデに言った。「あなたの望むことは何でもしよう。」
20:5ダビデはヨナタンに言った。「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなければならない日です。あなたが逃がしてくだされば、三日目の夕方まで野原に隠れています。
20:6そのとき、お父上がわたしの不在に気づかれたなら、『ダビデは、自分の町ベツレヘムへ急いで帰ることを許してください、一族全体のために年ごとのいけにえをささげなければなりません、と頼み込んでいました』と答えてください。
20:7王が、『よろしい』と言われるなら、僕は無事ですが、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心をしておられると思ってください。
20:8あなたは主の御前で僕と契約を結んでくださったのですから、僕に慈しみを示してください。もし、わたしに罪があるなら、あなた御自身わたしを殺してください。お父上のもとに引いて行くには及びません。」
20:9ヨナタンは言った。「そのような事は決してない。父があなたに危害を加える決心をしていると知ったら、必ずあなたに教えよう。」
20:10ダビデはヨナタンに言った。「だが、父上が厳しい答えをなさったら、誰がわたしに伝えてくれるのでしょう。」
20:11「来なさい、野に出よう」とヨナタンは言った。二人は野に出た。
20:12ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、主にかけて誓って言う。明日または、明後日の今ごろ、父に探りを入れ、あなたに好意的なら人をやって必ず知らせよう。
20:13父が、あなたに危害を加えようと思っているのに、もしわたしがそれを知らせず、あなたを無事に送り出さないなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰してくださるように。主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。
20:14そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、
20:15また、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい。」
20:16ヨナタンはダビデの家と契約を結び、こう言った。「主がダビデの敵に報復してくださるように。」
20:17ヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛していたので、更にその愛のゆえに彼に誓わせて、
20:18こう言った。「明日は新月祭だ。あなたの席が空いていれば、あなたの不在が問いただされる。
20:19明後日に、あなたは先の事件の日に身を隠した場所に下り、エゼルの石の傍らにいなさい。
20:20わたしは、その辺りに向けて、的を射るように、矢を三本放とう。
20:21それから、『矢を見つけて来い』と言って従者をやるが、そのとき従者に、『矢はお前の手前にある、持って来い』と声をかけたら、出て来なさい。主は生きておられる。あなたは無事だ。何事もない。
20:22だがもし、その従者に、『矢はお前のもっと先だ』と言ったら、逃げなければならない。主があなたを去らせるのだ。
20:23わたしとあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえにわたしとあなたの間におられる。」
20:24ダビデは野に身を隠した。新月祭が来た。王は食卓に臨み、
20:25壁に沿ったいつもの自分の席に着いた。ヨナタンはサウル王の向かいにおり、アブネルは王の隣に席を取ったが、ダビデの場所は空席のままであった。
20:26その日サウルは、そのことに全く触れなかった。ダビデに何事かあって身が汚れているのだろう、きっと清めが済んでいないのだ、と考えたからである。
20:27だが翌日、新月の二日目にも、ダビデの場所が空席だったので、サウルは息子ヨナタンに言った。「なぜ、エッサイの息子は昨日も今日も食事に来ないのか。」
20:28ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムに帰らせてほしい、という頼みでした。
20:29彼はわたしに、『町でわたしたちの一族がいけにえをささげるので、兄に呼びつけられています。御厚意で、出て行かせてくだされば、兄に会えます』と言っていました。それでダビデは王の食事にあずかっておりません。」
20:30サウルはヨナタンに激怒して言った。「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。
20:31エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない。」
20:32ヨナタンは、父サウルに言い返した。「なぜ、彼は死なねばならないのですか。何をしたのですか。」
20:33サウルはヨナタンを討とうとして槍を投げつけた。父がダビデを殺そうと決心していることを知ったヨナタンは、
20:34怒って食事の席を立った。父がダビデをののしったので、ダビデのために心を痛め、新月の二日目は食事を取らなかった。
20:35翌朝、取り決めた時刻に、ヨナタンは年若い従者を連れて野に出た。
20:36「矢を射るから走って行って見つけ出して来い」と言いつけると、従者は駆け出した。ヨナタンは彼を越えるように矢を射た。
20:37ヨナタンの射た矢の辺りに少年が着くと、ヨナタンは後ろから呼ばわった。「矢はお前のもっと先ではないか。」
20:38ヨナタンは従者の後ろから、「早くしろ、急げ、立ち止まるな」と声をかけた。従者は矢を拾い上げ、主人のところに戻って来た。
20:39従者は何も知らなかったが、ダビデとヨナタンはその意味を知っていた。
20:40ヨナタンは武器を従者に渡すと、「町に持って帰ってくれ」と言った。
20:41従者が帰って行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。彼らは互いに口づけし、共に泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。
20:42ヨナタンは言った。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記上 20章1節~42節

原稿のアイコン日本語メッセージ

序論

本日の箇所はヨナタンとダビデの美しい友情物語が描かれていますが、その友情の内容とは、二人が以前18章で結んだ契約に対する信実さを通して描かれています。二人の魂は結び付き、ヨナタンは王服をダビデに与えた契約です。従ってヨナタンが二人の契約に対し、信実を尽くすということは何かといいますと、ダビデをイスラエルの真の王として信じ、それ故に神の摂理に逆らう父サウルから逃がしてやることでした。ここにおいてヨナタンの信仰を見て取ることが出来ます。一方、ダビデが二人の契約に対し、信実を尽くすということは何かといいますと、たとえサウルの家が滅ぼされる運命にあり、ヨナタン自身も滅んで当然の立場であるにもかかわらず、ヨナタンとヨナタンの家に慈しみを注ぐということでした。本日はヨナタンの信仰と、ダビデの慈しみを通して、神様が私たちと結んでくださっている契約の信実さを見ていきたいと思います。

主題1 ダビデの懇願

ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て訴えました。「わたしが、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか。」おそらく、この時点では、まだ父サウルがラマに逃避したダビデに、暗殺団の使者を三度も遣わして、しまいには自らも乗り込んで行ったということが、ヨナタンには知らされていなかったのでしょう。まして、サウルは「決してダビデを殺しはしない」とヨナタンに誓ったために、執念深く父サウルがダビデを殺そうとしているということを、にわかに信じることは出来ませんでした。しかし、ダビデは必死の思いで、自分が死の危機に瀕していることを訴えます。ダビデの懇願にヨナタンは耳を傾けてくれたので、ダビデはサウルの真意を探るため、一つの提案をいたしました。5~7節を御覧ください。

“ダビデはヨナタンに言った。「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなければならない日です。あなたが逃がしてくだされば、三日目の夕方まで野原に隠れています。そのとき、お父上がわたしの不在に気づかれたなら、『ダビデは、自分の町ベツレヘムへ急いで帰ることを許してください、一族全体のために年ごとのいけにえをささげなければなりません、と頼み込んでいました』と答えてください。王が、『よろしい』と言われるなら、僕は無事ですが、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心をしておられると思ってください。”

古代イスラエルにおいては、陰暦が使われていたために、月が完全に欠ける新月が、一か月の始まりの日として規定されていて、その日は各家庭の礼拝日に、定められていました。ですから当然新月祭のこの日、サウルと、サウルのいとこである将軍アブネルと、ヨナタンと、そしてサウルの娘婿のダビデは、王の食卓に着かなければなりませんでした。ダビデは、この提案をしたあとで、第一王子であるヨナタンに、どうか自分に慈しみを注いでほしいと懇願しています。ダビデが思い切ってそのようにお願いしたのは、以前、ダビデとヨナタンが契約を結んだからでした。ダビデは、ヨナタンと結んだ契約だけを頼りにして、サウルの気持ちを探ってほしい、そして、万一、ダビデ自身にサウルから命を狙われるに相当する罪があって、ダビデ自身に咎があるというなら、いっそヨナタンが私を殺してくださいと真剣に訴えているのです。8節を御覧ください。

“あなたは主の御前で僕と契約を結んでくださったのですから、僕に慈しみを示してください。もし、わたしに罪があるなら、あなた御自身わたしを殺してください。お父上のもとに引いて行くには及びません。”

ここで「慈しみ、へ:ヘセッド」という言葉は、よく神とセットで使われる言葉であり、例えば、「神の慈しみ」とか「神の恵み」とか「神の憐み」とか「神の信実さ」などと、いろいろ訳されますが、主に、高いところから低い所へと注がれる「愛」という意味です。身分の低いダビデが、王子に対して慈しみを求めるのは当然ですが、この後、ヨナタンは、ダビデを野に連れ出して奇妙な発言をします。それはヨナタンがダビデに慈しみを求め、そしてあたかも危機に瀕しているのが、ダビデではなく、ヨナタン自身であるかのように見えるのです。11節~16節を御覧下さい。

主題2 ヨナタンの信仰告白

“「来なさい、野に出よう」とヨナタンは言った。二人は野に出た。ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、主にかけて誓って言う。明日または、明後日の今ごろ、父に探りを入れ、あなたに好意的なら人をやって必ず知らせよう。父が、あなたに危害を加えようと思っているのに、もしわたしがそれを知らせず、あなたを無事に送り出さないなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰してくださるように。主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、また、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい。」ヨナタンはダビデの家と契約を結び、こう言った。「主がダビデの敵に報復してくださるように。」”

13節において、ダビデとサウルが同列に並べられていることからわかりますように、ヨナタンは既にイスラエルの王位継承者が、自分ではなく、ダビデであるということを知っていました。普通、新しく王となる者は、古い王家の一族に対し、その反逆の根を根絶やしにするため、残虐な仕打ちをすることが予想されるために、ヨナタンはダビデに対し慈しみを求めているのです。今は低められ、僕のように仕える姿のダビデではありますが、間もなく、主によってイスラエルの王として立てられて、反対にサウルの家は没落し、滅びていくことを知り、さらに、ダビデの敵が報復されるということを信仰によって知っていたヨナタンは、14節において、「私に慈しみを示してほしい」と求め、さらに15節においては「私の家に慈しみを断たないでほしい」と求めているのです。これは、まるでエリコの城が陥落し、間もなく滅ぼされるということを信仰によって知っていた遊女ラハブに似ています。彼女は、イスラエルの偵察隊を匿いながら、慈しみを求めて次のように言いました。(ヨシュア2:12~13)

“わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、わたしたちの命を死から救ってください。”

ヨナタンの心も、遊女ラハブの心と同じだったのです。自分は滅んで当然の立場であるが、契約に基づいて、私に慈しみを注いでください、と言っているのです。この告白はまさに、私たちがイエスキリストにあって抱いている信仰と同じなのです。終わりの日に、神は私たちの行いに応じて裁かれ、罪に対する刑罰が完全に下されますが、私はあなたとの契約の中に入れられていることによって、当然下されるはずの刑罰から、どうか免れされてくださいという信仰告白なのです。

主題3 契約に対する信実さ

実は、サウル自身も、ダビデには主が共におられるということ、そして、自分は神と預言者サムエルから王位から退けられているということを心の中ではわかっていました。それにも関わらずサウルは、神に何が何でも逆らうように、心が頑なにされているのです。それはあたかも、ファリサイ人や律法学者たちが、イエス様を何が何でも殺害しようとする姿とそっくりです。新月祭の食事において、サウルは、自分の息子ヨナタンが、ダビデを弁護する側に回って、自身の王位を放棄するかのようにしているのを見て、怒りを爆発させました。29~32節を御覧ください。

“彼はわたしに、『町でわたしたちの一族がいけにえをささげるので、兄に呼びつけられています。御厚意で、出て行かせてくだされば、兄に会えます』と言っていました。それでダビデは王の食事にあずかっておりません。」サウルはヨナタンに激怒して言った。「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない。」ヨナタンは、父サウルに言い返した。「なぜ、彼は死なねばならないのですか。何をしたのですか。」”

サウルは、ダビデの存在自体が、ヨナタンの王位継承を否定していること、ダビデが生きている限り、ヨナタンが王国を引き継ぐことは決してないということを、思い知らせようとして怒鳴ったのです。ところが、父のこの言葉を、全く意に介さないかのようにヨナタンは受け止めました。「なぜ、彼は死なねばならないのですか。何をしたのですか。」と反論します。つまり自分が王位継承者でないことの、何が問題ですかと言っているのです。ヨナタンは、両親の意向を尊重することより、ダビデこそイスラエルの王であるという信仰を優先させているのです。さらに言えば、肉親であるサウルを退けて、自分に約束されている王位や栄光を退けて、ダビデを選び、信仰に堅く立ったということが言えるでしょう。ルカによる福音書14:26には次のように書かれています。

“もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。”

食事の席を立ったヨナタンは、その日は一切食事をとらず、翌朝、ダビデに知らせるため、約束の時間に若い従者と共に野に出て来ました。そして、弓を強く引いて、従者の頭をはるかに超えたところに放ち、「矢はお前のもっと先ではないか。」「早くしろ、急げ、立ち止まるな」と秘密の言葉を叫びました。従者にはその言葉の隠された意味はわからなくても、ダビデにははっきりとわかっていました。ヨナタンが従者を先に町に帰らせると、ダビデは出てきて地にひれ伏し、三度礼をします。ヨナタンの契約に対する信実さに心から感謝したのです。もし、ヨナタンが自分の王位を確実にしたいと思うなら、つまりダビデを亡き者にすることは恐らく可能でした。ダビデを裏切り、父サウルの側に立って、ダビデを逮捕しサウルに明け渡すチャンスはいくらでもあったでしょう。しかし、ヨナタンはダビデこそイスラエルの真の王であるという信仰によって、ダビデに対し信実を示したのです。二人は口づけし、共に激しく泣きました。そしてヨナタンは、42節において、「未来のイスラエルの王」に、二人の間の契約を確認するのですが、実は、23節においても確認しているので、繰り返し反復されていることになります。23節と43節を御覧ください。

“わたしとあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえにわたしとあなたの間におられる。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」”

ヨナタンはこの後、ペリシテ人との戦いにおいて父サウルと共に戦死してしまいます。「信仰という名によって」自らの王位まで放棄したヨナタンを、私たちはどのように評価することが出来るでしょうか。もし体の復活がないのなら、神さまなんか存在しないのなら、ヨナタンの信実な行いとは、むしろ勝手に妄想にとりつかれてした、全く意味のない事と言えるでしょう。しかし、サムエル記下を見るなら、ダビデがヨナタンの家に慈しみを尽くしているのがわかります。第一に戦場から駆け付けてきて、サウルを殺したと証言したアマレク人を死刑にしました。そしてヨナタンの死後、当然滅ぼされるべきヨナタンの子供たちに慈しみが注がれます。サムエル記下9:1と9:7~8を御覧ください。

“ダビデは言った。「サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい。」「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」とダビデが言うと、メフィボシェトは礼をして言った。「僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは。」”

ここにおいて、ダビデが、友との契約を、信実をもって守っているのを見ることが出来るのです。ダビデとヨナタンの間に主がおられ、二人の契約をとこしえのものとしてくださったように、同じように王であられる神と、私たちとの契約の間にも、キリストが保証人として立ってくださり、たとえ私たちが弱いものであっても決して破られることのない永遠の契約としてくださっているのです。つまり、滅ぶべきヨナタンと、ヨナタンの家を覚え、ダビデは慈しみを尽くしてくれたように、同じように神は、滅ぶべき私たちに対し、罪の許しと、永遠の命と、神の子とされる特権と、御国における相続によって、神の信実を尽くしてくださるのです。

結論

私たちの側の信実とは、イエス様に対する信仰告白であります。ヨナタンがダビデを真のイスラエルの王と信じたように、私たちもイエス様を王の王、主の主として受け入れましょう。神は、契約の中に入れられているご自身の民に信実をもって契約を履行してくださいます。それは、当然、滅ぶべき立場であったヨナタンの家に対し、契約の故に慈しみが注がれたように、或いは、遊女ラハブの家に対し、契約の故に、エリコの町の滅びから救い出されたように、神さまと私たちの契約の間にイエス様が保証人として立ってくださり、決して破られることのない永遠の契約として、私たちを救ってくださるのです。神様が私たちにこのように信実を尽くしてくださっているので、私たちも兄弟姉妹に対して、真実をもって、誠意をもって歩んでまいりましょう。

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다윗과 요나단의 맹세

2020년 1월 19일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘상 20장 1~42절

서론

오늘의 구절은 요나단과 다윗의 아름다운 우정 이야기가 그려져 있는데, 그 우정의 내용이란 두 사람이 이전 18장에서 맺은 언약에 대한 신실함을 통해 그려져 있습니다. 두 사람의 마음은 하나가 되었고 요나단이 자신의 왕자의 옷을 다윗에게 준 언약입니다. 따라서 요나단이 두 사람이 맺은 언약에 대해서, 신실을 다한다는 것이 무엇이냐면, 다윗을 이스라엘의 진정한 왕으로 믿고, 따라서 하나님의 섭리를 거스르는 아버지 사울에게서 도망치게 도와 주는 것이었습니다. 여기에서 요나단의 믿음을 확인 할 수 있습니다. 한편 다윗이 두 사람의 언약에 대해 신실을 다한다는 것이 무엇이냐면, 비록 사울의 집이 망할 운명이고 요나단 자신도 망해야 마땅한 입장임에도 불구하고 다윗이 요나단과 요나단의 집에 인자함을 베풀겠다는 것이었습니다. 오늘은 요나단의 믿음과 다윗의 인자함을 통해 하나님께서 우리와 맺어주시는 언약의 신실함을 살펴보도록 하겠습니다.

주제 1 다윗의 간청

다윗은 라마 나욧에서 도망쳐 요나단 앞에 와서「내가 무엇을 하였으며 내 죄악이 무엇이며 네 아버지 앞에서 내 죄가 무엇이기에 그가 내 생명을 찾느냐」라고 호소했습니다. 아마도 이 시점에서는 아직 아버지 사울이 라마로 도피한 다윗에게 전령을 세 번이나 보내고 결국에는 스스로 잡으러까지 갔었다는 사실이 요나단에게는 알려지지 않았을 것입니다. 하물며 사울은 「그가 죽임을 당하지 아니하리라」고 요나단에게 맹세했기 때문에 아버지 사울이 다윗을 집요하게 죽이려 한다는 것을 갑자기 믿을 수는 없었습니다. 그러나 다윗은 필사적으로 자신이 죽음의 위기에 처해있음을 호소합니다. 다윗의 간청에 요나단은 귀를 기울여 주었으므로 다윗은 사울의 진의를 알아보기 위한 한 가지 제안을 했습니다. 5~7절을 보시기 바랍니다.

5 다윗이 요나단에게 이르되 내일은 초하루인즉 내가 마땅히 왕을 모시고 앉아 식사를 하여야 할 것이나 나를 보내어 셋째 날 저녁까지 들에 숨게 하고

6 네 아버지께서 만일 나에 대하여 자세히 묻거든 그 때에 너는 말하기를 다윗이 자기 성읍 베들레헴으로 급히 가기를 내게 허락하라 간청하였사오니 이는 온 가족을 위하여 거기서 매년제를 드릴 때가 됨이니이다 하라

7 그의 말이 좋다 하면 네 종이 평안하려니와 그가 만일 노하면 나를 해하려고 결심한 줄을 알지니

고대 이스라엘에서는 음력이 사용되었기 때문에 달이 완전히 보이지 않는 월삭이 한 달의 시작일로 규정되어 있었고 그날은 각 가정의 예배일로 정해져 있었습니다. 그래서 당연히 초하루인 이날 사울과 사울의 사촌인 장군 아브넬과 요나단과 그리고 사울의 사위 다윗은 왕의 식탁에 함께 해야 했습니다. 다윗은 이 제안을 한 뒤에 첫째 왕자인 요나단에게 「네 종에게 인자하게 행하라」라고 간청하고 있습니다. 다윗이 과감히 그렇게 부탁한 것은 이전에 다윗과 요나단이 언약을 맺었기 때문이었습니다. 다윗은 요나단과 맺은 언약만을 의지하여 사울의 마음을 헤아려 달라, 그리고 만일 다윗 자신이 사울로부터 목숨을 노려질 만한 죄가 있고, 「내게 죄악이 있으면 네가 친히 나를 죽이라」고 진지하게 호소하고 있는 것입니다. 8절을 보시죠.

그런즉 바라건대 네 종에게 인자하게 행하라 네가 네 종에게 여호와 앞에서 너와 맹약하게 하였음이니라 그러나 내게 죄악이 있으면 네가 친히 나를 죽이라 나를 네 아버지에게로 데려갈 이유가 무엇이냐 하니라

여기서 「인자(히브리어로 헤세드)」라는 말은 흔히 하나님과 셋트로 쓰이는 말이며, 예를 들어 「하나님의 인자하심」이라든가 「하나님의 은총」이라든가 「하나님의 긍휼하심」이라든가 「하나님의 신실하심」등으로 여러 가지로 번역되는데, 주로 높은 곳에서 낮은 곳으로 쏟아지는 「사랑」이라는 뜻입니다. 신분이 낮은 다윗이 왕자에게 인자함을 청하는 것은 당연하지만, 이후 요나단은 다윗을 들로 데리고 나가 기이한 발언을 합니다. 그것은 요나단이 다윗에게 인자함을 구하고, 그리고 마치 위기에 처한 것이 다윗이 아니라 요나단 자신인 것처럼 보이는 것입니다. 11~16절을 보시기 바랍니다.

주제 2 요나단의 믿음의 고백

11 요나단이 다윗에게 이르되 오라 우리가 들로 가자 하고 두 사람이 들로 가니라

12 요나단이 다윗에게 이르되 이스라엘의 하나님 여호와께서 증언하시거니와 내가 내일이나 모레 이맘때에 내 아버지를 살펴서 너 다윗에게 대한 의향이 선하면 내가 사람을 보내어 네게 알리지 않겠느냐

13 그러나 만일 내 아버지께서 너를 해치려 하는데도 내가 이 일을 네게 알려 주어 너를 보내어 평안히 가게 하지 아니하면 여호와께서 나 요나단에게 벌을 내리시고 또 내리시기를 원하노라 여호와께서 내 아버지와 함께 하신 것 같이 너와 함께 하시기를 원하노니

14 너는 내가 사는 날 동안에 여호와의 인자하심을 내게 베풀어서 나를 죽지 않게 할 뿐 아니라

15 여호와께서 너 다윗의 대적들을 지면에서 다 끊어 버리신 때에도 너는 네 인자함을 내 집에서 영원히 끊어 버리지 말라 하고

16 이에 요나단이 다윗의 집과 언약하기를 여호와께서는 다윗의 대적들을 치실지어다 하니라

13절에서 다윗과 사울이 같은 줄에 서 있는 것에서 알 수 있듯이 요나단은 이미 이스라엘의 왕위 계승자가 자신이 아니라 다윗이라는 것을 알고 있었습니다. 보통 새로 왕이 되는 자는 이전의 왕가의 일족에게 그 반역의 뿌리를 근절하기 위해 잔학한 처사를 할 것으로 예상되기 때문에 요나단은 다윗에게 인자함을 간청하고 있는 것입니다. 지금은 낮아져 종처럼 섬기는 모습의 다윗이기는 하지만 곧 주님에 의해 이스라엘의 왕으로 세워지고, 반대로 사울의 집안은 몰락하고 멸망해 간다는 것을 알고, 다윗의 대적이 보복당한다는 것을 믿음으로 알고 있던 요나단은 14절에서 「여호와의 인자하심을 내게 베풀어」달라고 간청하고 15절에서는 「너는 네 인자함을 내 집에서 영원히 끊어 버리지 말라」고 간청하고 있습니다. 이것은 마치 여리고 성이 함락되고 곧 멸망한다는 것을 믿음으로 알고 있던 기생 라합과 비슷합니다. 그녀는 이스라엘의 정찰대를 숨겨주면서 인자함을 구하며 다음과 같이 말했습니다. 여호수아서 2장 12,13절입니다.

12 그러므로 이제 청하노니 내가 너희를 선대하였은즉 너희도 내 아버지의 집을 선대하도록 여호와로 내게 맹세하고 내게 증표를 내라

13 그리고 나의 부모와 나의 남녀 형제와 그들에게 속한 모든 사람을 살려 주어 우리 목숨을 죽음에서 건져내라

요나단의 마음도 기생 라합의 마음과 같았습니다. “나는 망해야 마땅한 입장이지만, 언약에 따라 나에게 인자를 베풀어 주세요.”라고 말하고 있는 것입니다. 이 고백은 바로 우리가 예수 그리스도 안에서 가지고 있는 믿음과 같은 것입니다. “마지막 날에 하나님은 우리의 행실에 따라 심판을 내리시고 죄에 대한 형벌이 완전히 내려지지만 저는 하나님과의 언약 속에 들어가 있기 때문에 마땅히 내려져야 할 형벌에서 제발 면하게 해주십시오”하는 믿음의 고백입니다.

주제 3 언약에 대한 신실함

사실 사울 자신도 다윗에게는 여호와가 함께 계시다는 것, 그리고 자신은 하나님과 선지자 사무엘로부터 왕위에서 폐위 되었다는 것을 마음속으로는 알고 있었습니다. 그럼에도 사울은 하나님께 무슨 일이 있어도 거역하고야 말겠다는듯 마음이 완강한 것입니다. 그것은 마치 바리새인이나 서기관들이 예수님을 무조건 죽이려는 모습과 흡사합니다. 초하루의 식사에서 사울은 자신의 아들 요나단이 다윗을 변호하는 쪽으로 돌아서 자신의 왕위를 포기하는 것처럼 하는 것을 보고 분통을 터뜨렸습니다. 29~32절을 보세요.

29 이르되 원하건대 나에게 가게 하라 우리 가족이 그 성읍에서 제사할 일이 있으므로 나의 형이 내게 오기를 명령하였으니 내가 네게 사랑을 받거든 내가 가서 내 형들을 보게 하라 하였으므로 그가 왕의 식사 자리에 오지 아니하였나이다 하니

30 사울이 요나단에게 화를 내며 그에게 이르되 패역무도한 계집의 소생아 네가 이새의 아들을 택한 것이 네 수치와 네 어미의 벌거벗은 수치 됨을 내가 어찌 알지 못하랴

31 이새의 아들이 땅에 사는 동안은 너와 네 나라가 든든히 서지 못하리라 그런즉 이제 사람을 보내어 그를 내게로 끌어 오라 그는 죽어야 할 자이니라 한지라

32 요나단이 그의 아버지 사울에게 대답하여 이르되 그가 죽을 일이 무엇이니이까 무엇을 행하였나이까

사울은 다윗의 존재 자체가 요나단의 왕위 계승을 부정하고 있다는 것, 다윗이 살아 있는 한 요나단이 나라를 물려받는 일은 결코 없을 것이라는 것을 상기시키려고 호통을 쳤던 것입니다. 그런데 아버지의 이 말을 전혀 개의치 않는다는 듯이 요나단은 받아들였습니다. 「그가 죽을 일이 무엇이니이까 무엇을 행하였나이까」라고 반박합니다. 즉 자신이 왕위 계승자가 아닌 것이 무엇이 문제인가 하는 것입니다. 요나단은 부모의 뜻을 존중하는 것보다 다윗이야말로 이스라엘의 왕이라는 믿음을 우선시하고 있습니다. 더 말하면 육친인 사울을 물리치고 자신에게 약속된 왕위와 영광을 물리치고 다윗을 선택해 믿음에 굳게 섰다고 할 수 있을 것입니다. 누가복음 14장 26절에는 다음과 같이 적혀 있습니다.

26 무릇 내게 오는 자가 자기 부모와 처자와 형제와 자매와 더욱이 자기 목숨까지 미워하지 아니하면 능히 내 제자가 되지 못하고

요나단은 식탁에서 떠나고 그 달의 둘째 날에는 먹지 아니하였고 아침에 다윗에게 알리기 위해 약속 시간에 작은 아이를 데리고 들로 나왔습니다. 그리고 활을 세게 당겨 아이의 위로 지나치게 쏘고, 「화살이 네 앞쪽에 있지 아니하냐」「지체 말고 빨리 달음질하라」고 비밀스러운 말을 외쳤습니다. 그 아이는 그 말의 숨겨진 의미를 알지 못하고 다윗은 분명히 그 일을 알았습니다. 요나단이 아이를 먼저 돌려보내니 다윗은 나와 땅에 엎드려 세 번 절을 합니다. 요나단의 언약의 대한 신실함에 진심으로 감사했습니다. 만약 요나단이 자신의 왕위를 확실히 하고 싶다고 생각한다면, 즉 다윗을 죽은 자로 만드는 것은 아마도 가능했습니다. 다윗을 배신하고 아버지 사울의 편에 서서 다윗을 체포해 사울에게 내줄 기회는 얼마든지 있었을 것입니다. 그러나 요나단은 다윗이야말로 이스라엘의 진정한 왕이라는 믿음으로 다윗에게 신실함을 표시했습니다. 두 사람은 입을 맞추고 같이 울되 다윗이 더 심하게 울었습니다. 그리고 요나단은 42절에서 「미래의 이스라엘 왕」에게 둘 사이의 언약을 확인하는데, 사실 23절에서도 확인했기 때문에 반복되고 있는 것입니다. 23절과 42절을 보시죠.

23 너와 내가 말한 일에 대하여는 여호와께서 너와 나 사이에 영원토록 계시느니라 하니라

42 요나단이 다윗에게 이르되 평안히 가라 우리 두 사람이 여호와의 이름으로 맹세하여 이르기를 여호와께서 영원히 나와 너 사이에 계시고 내 자손과 네 자손 사이에 계시리라 하였느니라 하니 다윗은 일어나 떠나고 요나단은 성읍으로 들어가니라

요나단은 이후 블레셋인과의 싸움에서 아버지 사울과 함께 전사하고 맙니다. 「믿음이라는 이름으로」스스로의 왕위까지 포기한 요나단을 우리는 어떻게 평가할 수 있을까요? 만약 몸의 부활이 없다면, 하나님이 존재하시지 않는다면, 요나단의 신실한 행동이란 오히려 제멋대로의 망상에 사로잡혀서 한, 전혀 의미 없는 일이라고 할 수 있을 것입니다. 그러나 사무엘하를 보면 다윗이 요나단의 집에 인자함을 베풀었다는 것을 알 수 있습니다. 첫째, 전쟁터에서 달려와 사울을 죽였다고 증언한 아말렉 사람을 죽였습니다. 그리고 요나단이 죽은 후 당연히 죽었어야 할 요나단의 자녀들에게 은총을 베풉니다. 사무엘하 9장 1절과 9장 7,8절을 보십시오.

1 다윗이 이르되 사울의 집에 아직도 남은 사람이 있느냐 내가 요나단으로 말미암아 그 사람에게 은총을 베풀리라 하니라

7 다윗이 그에게 이르되 무서워하지 말라 내가 반드시 네 아버지 요나단으로 말미암아 네게 은총을 베풀리라 내가 네 할아버지 사울의 모든 밭은 다 네게 도로 주겠고 또 너는 항상 내 상에서 떡을 먹을지니라 하니

8 그가 절하여 이르되 이 종이 무엇이기에 왕께서 죽은 개 같은 나를 돌아보시나이까 하니라

여기서 다윗이 친구와의 맹세를 신실하게 지키고 있는 것을 볼 수 있습니다. 다윗과 요나단 사이에 주님이 계셔서 두사람의 언약을 영원한 것으로 성사시켜 주신 것처럼 똑같이 왕이신 하나님과 우리의 언약 사이에도 그리스도께서 보증인으로 서 주시고, 비록 우리가 약한 자일지라도 결코 깨지지 않는 영원한 언약으로 삼고 계십니다. 즉 망해야 할 요나단과 요나단의 집을 기억하고 다윗이 인자함을 베풀어 주었듯이, 마찬가지로 하나님은 망해야 할 우리들에게 죄의 용서와 영원한 생명과 하나님의 자녀로 여겨지는 특권과 하늘나라의 유업의 상속을 통해 하나님의 신실하심을 다해주시는 것입니다.

결론

우리 쪽의 신실이란 예수님께 대한 믿음 고백입니다. 요나단이 다윗을 진정한 이스라엘의 왕으로 믿었듯이 우리도 예수님을 왕의 왕, 주의 주로 받아들입시다. 하나님은 언약 가운데 에 속해 있는 자신의 백성에게 신실하게 언약을 이행해 주십니다. 그것은 당연히 망해야 할 처지였던 요나단의 집에, 언약 때문에 인자함이 부어진 것처럼, 혹은 기생 라합의 집이 언약 때문에 여리고 마을의 멸망으로부터 구원받은 것처럼, 하나님과 우리의 언약 사이에 예수님께서 보증인으로 서 주시고, 결코 깨지지 않는 영원한 언약으로 우리를 구원해 주시는 것입니다. 하나님께서 우리에게 이렇게 신실을 다 해 주시니 우리도 형제자매에 대해 진실함으로 성의를 다해 함께 걸어갑시다.

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