2019年10月20日「サウル王の選出 사울왕의 선출」

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サウル王の選出 사울왕의 선출

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記上 10章2節~27節

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聖句のアイコン聖書の言葉

2今日、あなたがわたしのもとを去って行くと、ベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓の脇で二人の男に出会います。二人はあなたに言うでしょう。『あなたが見つけようと出かけて行ったろばは見つかりました。父上はろばのことは忘れ、専らあなたたちのことを気遣って、息子のためにどうしたらよいか、とおっしゃっています。』
3また、そこから更に進み、タボルの樫の木まで行くと、そこで、ベテルに神を拝みに上る三人の男に出会います。一人は子山羊三匹を連れ、一人はパン三個を持ち、一人はぶどう酒一袋を持っています。
4あなたに挨拶し、二個のパンをくれますから、彼らの手から受け取りなさい。
5それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに向かいなさい。町に入るとき、琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会います。彼らは預言する状態になっています。
6主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。
7これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです。
8わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう。」
9サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされた。以上のしるしはすべてその日に起こった。
10ギブアに入ると、預言者の一団が彼を迎え、神の霊が彼に激しく降り、サウルは彼らのただ中で預言する状態になった。
11以前からサウルを知っていた者はだれでも、彼が預言者と一緒になって預言するのを見て、互いに言った。「キシュの息子に何が起こったのだ。サウルもまた預言者の仲間か。」
12そこにいた一人がそれを受けて言った。「この人たちの父は一体誰だろう。」こうしてそれは、「サウルもまた預言者の仲間か」ということわざになった。
13サウルは預言する状態からさめると、聖なる高台へ行った。
14サウルのおじがサウルと従者に言った。「お前たちはどこへ行っていたのだ。」サウルは答えた。「ろばを捜しに行きましたが、見つからなかったので、サムエルのもとに行きました。」
15サウルのおじは言った。「サムエルがお前たちに何と言ったか、話しなさい。」
16サウルはおじに答えた。「ろばは見つかったと教えてくれました。」だがサウルは、サムエルの語った王位のことについては、おじに話さなかった。
17サムエルはミツパで主のもとに民を呼び集めた。
18彼はイスラエルの人々に告げた。「イスラエルの神、主は仰せになる。『イスラエルをエジプトから導き上ったのはわたしだ。わたしがあなたたちをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』と。
19しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたあなたたちの神を退け、『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに主の御前に出なさい。」
20サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せた。ベニヤミン族がくじで選び出された。
21そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せた。マトリの氏族がくじで選び出され、次にキシュの息子サウルがくじで選び出された。人々は彼を捜したが、見つからなかった。
22そこで、主に伺いを立てた。「その人はここに来ているのですか。」主は答えられた。「見よ、彼は荷物の間に隠れている。」
23人々は走って行き、そこから彼を連れて来た。サウルが民の真ん中に立つと、民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。
24サムエルは民全体に言った。「見るがいい、主が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない。」民は全員、喜び叫んで言った。「王様万歳。」
25サムエルは民に王の権能について話し、それを書に記して主の御前に納めた。それから、サムエルはすべての民をそれぞれの家に帰した。
26サウルもギブアの自分の家に向かった。神に心を動かされた勇士たちは、サウルに従った。
27しかしならず者は、「こんな男に我々が救えるか」と言い合って彼を侮り、贈り物を持って行かなかった。だがサウルは何も言わなかった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記上 10章2節~27節

原稿のアイコン日本語メッセージ

サウルが雌ろばを探しながら、導かれたのはラマタイムのツフの地であり、そこでサムエルとの出会いがありました。神がサウルとサムエル出会せた目的とは、容姿も美しく、背丈も肩から上が抜きんでているサウルに対し、イスラエルの王として油を注ぐためでした。サウルは油注がれた後に、サムエルから三つのしるしが与えられました。この三つのしるしが成就することによって、サウルは、自分がイスラエルに王として立てられたことが、何かの間違いではなく、神さまからの油注ぎとして確信することができたのでありました。

ここで、当時の油注ぎの意味合いについて、少し考えてみましょう。元来油注ぎとは、師匠とか先生とか王が、その弟子や僕や臣下たちに対して油を注ぎました。ですから例えばエジプトの場合、太陽神ラーの化身であるファラオは、自分自身は油注ぎを受けませんでしたが、臣下たちはファラオから油注ぎを受けました。従いまして本日のこの箇所において、イスラエルで初めて王に油が注がれるというケースが出てまいりますが(それまでは大祭司に対して、或いは幕屋の祭具に対して)、サウルがサムエルによって油注がれたということの意味は、「たとえ、お前は初代のイスラエルの王として君臨することになるけれど、イスラエルの民をお前が勝手気ままに、自分の考えに従って統治してはならず、必ず預言者サムエルの教えに従って、神の御心にかなうように、この国を統治するようにしなければならない」という意味が込められていたということです。そして、任職のための油注ぎを受ける以上、王も祭司と同じように、ヤハウェなる神から、聖なる職務に与るようにされたということです。これはつまり、たとえ、イスラエルに王政が導入されたとしても、イスラエルの民と神との契約の関係が土台にありますから、それは、「神政政治を敷衍したイスラエルの独特な王政政治である」ということです。この点こそイスラエルの王政が周辺の国々の王政とは異なる決定的な違いであって、決して失ってはならない、イスラエルのアイデンティティでもありました。そして預言者と王がセットになることによって、そのアイデンティティを維持し守っていくことができるのでありました。8節にもそのことが書かれています。8節を御覧ください。

“わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう。”

7日の後、なすべきことを教えましょうと書かれています。しかし、この独特なイスラエルのアイデンティティを、サウルは最後まで理解することができず、周辺諸国の王のように振る舞ってしまいます。13章を見ればわかりますが、サウルはギルガルにおいて、7日をぎりぎり待つことができず、サムエルが来る前に、自分で勝手に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を捧げてしまいました。その後も、サウルは神の御声に耳を貸そうとせず、そして預言者サムエルに従順することをせず、滅びの道をひたすら歩んでいくようになります。ですから、サウルの人生とは、スタートは大変恵まれていたにも拘わらず、結局、行けば行くほど、神さまから遠く離れていくような人生となっていきます。

サウルを通して与えられる教訓を、今日の私たちに適用するなら、人生とは洗礼を受けて天国が保障されて、終わりではないということです。つまり人生は一度だけ神さまに従順して、あとは自由ということではありません。私たちが洗礼を通してキリスト者になったなら、その後も継続して神さまに耳を傾け、従順しなければなりません。つまり、キリスト者は祈り続け、神さまの御言葉を常に聞き続けるのです。

サウルに与えられた三つのしるしには、実はそのような教訓も含められていたと言えるでしょう。第一のしるしであるサムエル記上10:2を御覧ください。

“今日、あなたがわたしのもとを去って行くと、ベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓の脇で二人の男に出会います。二人はあなたに言うでしょう。『あなたが見つけようと出かけて行ったろばは見つかりました。父上はろばのことは忘れ、専らあなたたちのことを気遣って、息子のためにどうしたらよいか、とおっしゃっています。』”

「ベニヤミンにあるラケルの墓で、二人の男に出会うであろう」とサムエルは言いました。その二人がサムエルの預言の通り「雌ろばがみつかったということ」をサウルに告げ、サウルを安堵させて、さらにユダヤ人において二人というのは証人を意味しますから、サムエルが語ったすべての言葉が事実であるということを、証人を通して確信させられたのです。ところで、ラケルとはだれかと言うと、ヤコブの4人の妻の内の一人でした。ヤコブはラケルを最も愛していましたが、ラケルからはなかなか子供が生まれません。しかし満を持して生まれたのが末っ子のヨセフであり、そのヨセフが兄弟対たちによってエジプトに売り飛ばされた後に、生まれてきたのがヨセフの弟ベニヤミンでした。この時、ラケルは難産のためベニヤミンを生んで死んでしまいます。創世記35:16~20を御覧ください。

“一同がベテルを出発し、エフラタまで行くにはまだかなりの道のりがあるときに、ラケルが産気づいたが、難産であった。ラケルが産みの苦しみをしているとき、助産婦は彼女に、「心配ありません。今度も男の子ですよ」と言った。ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。ヤコブは、彼女の葬られた所に記念碑を立てた。それは、ラケルの葬りの碑として今でも残っている。”

ですから、ベニヤミン部族であるサウルにとってラケルは遠い母に当たるわけです。自分の命と引き換えに死んでくださった先祖に感謝しなければなりません。しかし、このベニヤミン族というのは、血の気の多く、粗暴な部族であり、イスラエルの歴史の中で一度も正しいことをしたことがありませんでした。士師記の最後の所を見ると、レビ人の側目をベニヤミンの男が集団で犯し、殺してしまいます。その事件が原因になって、イスラエルの内戦にまで発展してしまいました。ギブアにおいてベニヤミン部族は徹底的に壊滅されて、気づいてみると生き残った男はほんのわずかになってしまいました。このままでは一部族が丸ごと失われると危惧し、「略奪婚」という変な法律を思いつきました。つまり毎年シロにおいてお祭りがありってそこにたくさんの処女の娘が踊りに来るのですが、その中からベニヤミンの男は処女をさらって妻にしてもよし、としたのです。このようにして、何とかベニヤミン部族が再興されるようになりました。たとえ、サウルの家がいくら名の通った裕福な家であったとしても、そもそもラケルの死を通して恵みに与りながらも、最も罪深い者として生まれたのが、自分であるというぐらいの自覚を持つべきでした。ベニヤミン出身もパウロは、自分は罪人の頭であると告白しています。サウルも、まず自分が一体どこから来たのか、恥ずかしいことばかりで、誇ることのできない自分自身の罪深い出発点を、常に見つめる必要がありました。そして今後の歩みも主により頼み、預言者サムエルを通して主の御言葉に従って歩むことができるように、というへりくだった祈りが出てもおかしくありませんし、必要でもありました。

次に第二のしるしである10:3を御覧ください。

“また、そこから更に進み、タボルの樫の木まで行くと、そこで、ベテルに神を拝みに上る三人の男に出会います。一人は子山羊三匹を連れ、一人はパン三個を持ち、一人はぶどう酒一袋を持っています。”

ベテルという土地は、アブラハムがカナンの地に入り、最初に祭壇を築いた場所であり、その後もヤコブが夢の中で御使いが天と地をつなぐ階段を上り下りする啓示が与えられたのもベテルでした。ベテルという地名はヘブル語でベイト・エルで「神の家」です。ちなみにベツレヘムはヘブル語でベイト・レヘムで「パンの家」です。こういう訳でここには昔から祭壇がありましたから、三人の男が持っていた子山羊三匹と、パン三個と、ぶどう酒一袋はすべて、神にささげる犠牲の供え物であると考えられます。神に供えられるパンは、油によって聖別された者、祭司か王しか食べることができません。その内から二個のパンが与えられるというのは、王として認められたという意味です。

最も王にふさわしくない者が、何の功のないものが恵みによってイスラエルの初代の王とされたということです。このことを決してサウルは忘れてはなりませんでした。間違っても王になったことを自分の功績かのように錯覚し当然のこととして考えてはならないのです。後にサウルは、ダビデが祭司によって供えられたパンを食べたことに対し、「なぜ、お前みたいな奴が、聖別されたパンを食べることができるのか」と怒り心頭となり、ダビデにパンを与えたノブの祭司80人を斬殺することになります。自分は全く神の恵みによってパンが与えられたはずなのに、そのことをすっかり忘れてしまい、他人に対しては、神の恵みを認めることができないのです。

続いて第三のしるしです。5~6節を御覧ください。

“それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに向かいなさい。町に入るとき、琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会います。彼らは預言する状態になっています。主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。”

ギブア・エロヒムで、預言者の一団に出会った時、主の霊が激しく下り、サウルも預言者の一団と共に預言するであろうということです。古代における王たちは、預言の賜物を持っていると見做されていました。特にエジプトでは、ファラオは神々の代理人として、神々の言葉を代弁しました。同じように、イスラエルにおいても例えば、モーセやデボラやサムエルのような指導者の場合、指導者としての立場と、預言者の立場を両方兼任していました。ですから、もしサウルが預言したということが認められるならば、イスラエルの王としての選びが、より確実に根拠づけられるのです。実際、サウルはこの後、預言者的な働きはしておりませんが、「サウルもまた預言者の仲間なのか」という言葉が人々の間でことわざとなって広まり、いよいよサウルの王位に箔が付きました。このようなたくさんの神の恵みとその保証としてしるしを頂いたのであります。いよいよサウルが王として選出される時がやってきました。サムエルは「物見やぐら」であるミツパにおいて、再び民を主の下に招集しました。ここは、前回7章で、「聖なる戦い」によって奇蹟的にペリシテ人に勝利した場所です。サムエルは民に告げました。18~21節を御覧ください。

“彼はイスラエルの人々に告げた。「イスラエルの神、主は仰せになる。『イスラエルをエジプトから導き上ったのはわたしだ。わたしがあなたたちをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』と。しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたあなたたちの神を退け、『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに主の御前に出なさい。」サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せた。ベニヤミン族がくじで選び出された。そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せた。マトリの氏族がくじで選び出され、次にキシュの息子サウルがくじで選び出された。人々は彼を捜したが、見つからなかった。”

開会の言葉の中でサムエルは、「民が神を退けて、王を願ったこと」の、その動機が間違っていたことを、もう一度確認しています。その後、くじによって神がサウルを王として選ばれた時に、当の本人は見当たりませんでした。「その人はここに来ているのでしょうか」というどよめきの中で、主は「見よ、彼は荷物の間に隠れている」答えられます。サウルは渋々と人々の前に姿を現しましたが、その姿かたちは、並外れた容姿でありました。それゆえ、指導者として迎え入れられ、民は「王様万歳!」と喜んで叫びました。裕福な財産家の勇士は、心動かされ、サウルに従い、忠誠のしるしとして、「贈り物」を持っていきましたが、ならず者は、「こんな男に我々が救えるのか」と言って、贈り物を持っていきませんでした。ここで、裕福な勇士とならず者の分裂は、後のダビデとサウルの争いを象徴的に表して垣間見せるようでした。というのは、ダビデとサウルの争いにおいてダビデを助けるために駆け付けたのは、まさに世間から「ならず者」みなした人々であったからです。

22:2を御覧ください。

“また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた。”

王の選出の場面で、なぜ、サウルは隠れたのでしょうか。彼が謙虚だったからでしょうか。しかし、サウルはこの時のために備える時を十分持っていました。王として選ばれるにあたり、これだけのしるしをもらった後だけに、心に感謝と神への賛美がないサウルのこの行動は、私たちには理解できないのです。言ってみれば、サムエルによる油注ぎと預言の成就が今、くじによって確かめられたのに、そこにサウルは神の摂理を認めることができず、神の御心に反して、自分が王の器であることを認めることができず、渋々姿を現したのです。目に見えない神の神妙な摂理に目を向けることができず、王に選ばれたことを自分の功であるかのように、それが当然のこととして勘違いしてしまったのです。新約聖書を見ますと、ファリサイ人、律法学者は、イエス様の奇蹟をまざまざと見せつけられましたが、彼らは見ても見ず、聞いても聞かず、決して神の啓示を理解することができませんでした。私たちは自分がどのような状態から救われたのか、今生かされているのは神の恵みであることを覚え、感謝を捧げてまいりましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

사울왕의 선출

2019년 10월 20일 센겐다이교회 주일설교

사무엘상 10장 2~27절

사울이 암나귀를 찾으면서 인도된 곳은 라마의 숩 땅이었으며 거기서 사무엘과의 만남이 있었습니다. 하나님이 사울과 사무엘을 만나게 하신 목적은 외모도 준수하고 키도 모든 백성보다 어깨 위만큼 더 컸던 사울에게 이스라엘 왕으로서 기름을 붓기 위해서였습니다. 사울은 기름부음을 받은 후에 사무엘로부터 세 가지 징조가 주어졌습니다. 이 세 가지 징조가 성취됨으로써 사울은 자신이 이스라엘왕으로서 세워졌음이 어떤 실수가 아니라 하나님께서 기름부으셨음을 확신할 수 있었습니다.

여기서 당시 기름부음의 의미에 대해 조금 생각해 보겠습니다. 원래 기름부음이란 스승이라든가 왕이 그 제자나 종이나 신하들에게 기름을 부었습니다. 그래서 예를 들어 애굽에서의 경우 태양신 라의 화신이라고 여겨졌던 바로는 자기 자신은 기름부음을 받지 않았지만 신하들은 바로로부터 기름부음을 받았습니다. 따라서 오늘날 이 곳에서 이스라엘에서 처음으로 왕에게 기름을 붓는 경우가 경우가 나오는데(그때까지는 대제사장에 대해서, 혹은 장막의 제구에 대해서) 사울이 사무엘에 의하여 기름부음을 받았다는 것의 의미는 「비록 너는 초대 이스라엘의 왕으로 군림하게 되겠지만 이스라엘 백성을 네 마음대로 네 뜻대로 통치해서는 안 되며 반드시 선지자 사무엘의 가르침에 따라 하나님의 마음에 합하도록 이 나라를 통치하도록 해야 한다」는 의미를 담고 있었다는 것입니다. 그리고 임직을 위한 기름을 붓는 이상 왕도 제사장과 마찬가지로 여호와이신 하나님으로부터 거룩한 직무를 맡게 되었다는 것입니다. 이것은 즉, 비록 이스라엘에 왕정이 도입되었다 하더라도 이스라엘 백성과 하나님과의 언약관계가 바탕에 있기 때문에, 그것은 「신정정치를 바탕으로 한 이스라엘의 독특한 왕정정치」라는 것입니다. 이 점이야말로 이스라엘의 왕정이 주변 국가들의 왕정과는 다른 결정적인 차이이며 결코 잃지 말아야 할 이스라엘의 정체성이기도 했습니다. 그리고 선지자와 왕이 한 세트를 이루어 그 정체성을 유지하고 지켜나갈 수 있었습니다. 8절에도 그 사실이 적혀 있습니다. 8절을 보세요.

너는 나보다 앞서 길갈로 내려가라 내가 네게로 내려가서 번제와 화목제를 드리리니 내가 네게 가서 네가 행할 것을 가르칠 때까지 칠 일 동안 기다리라

길갈에 가서 칠 일 뒤에 행할 일을 가르칠 것이라고 적혀 있어요. 그러나 이 독특한 이스라엘의 정체성을 사울은 끝내 이해하지 못하고 주변국의 왕처럼 행동하게 됩니다. 13장을 보면 알겠지만 사울은 나중에 길갈에서 사무엘이 정한 기한대로 이레 동안을 기다렸으나 불안감을 참지 못하고 칠 일이 되는 바로 직전에 제멋대로 번제와 화목제물을 가져오라 하여 번제를 드리고 말았습니다. 그 후에도 사울은 하나님의 말씀에 귀를 기울이려 하지 않고, 그리고 선지자 사무엘에게 순종하는 일을 하지 않고 멸망의 길을 걸어가게 됩니다. 그래서 사울의 삶이란 시작은 매우 축복받았음에도 불구하고 결국 갈수록 하나님으로부터 멀리 떨어져 나가는 삶이 됩니다.

사울을 통해 주어지는 교훈을 오늘날 우리에게 적용한다면 인생이란 세례를 받고 천국이 보장되고 끝이 아니라는 것입니다. 즉 인생은 한 번만 하나님께 순종하고 나머지는 자유라는 것이 아닙니다. 우리가 세례를 통해 그리스도인이 되었다면 이후에도 계속해서 하나님께 귀를 기울이고 순종해야 합니다. 즉 그리스도인은 계속 기도하고 하나님의 말씀을 항상 듣는 것입니다.

사울에게 주어진 세 가지 징조에는 사실 그런 교훈도 포함되어 있었다고 할 수 있습니다. 첫 번째 징조인 사무엘상 10장 2절을 참조하십시오.

네가 오늘 나를 떠나가다가 베냐민 경계 셀사에 있는 라헬의 묘실 곁에서 두 사람을 만나리니 그들이 네게 이르기를 네가 찾으러 갔던 암나귀들을 찾은지라 네 아버지가 암나귀들의 염려는 놓았으나 너희로 말미암아 걱정하여 이르되 내 아들을 위하여 어찌하리요 하더라 할 것이요

「베냐민 경계에 있는 라헬의 묘실 곁에서 두 사람을 만나리니」라고 사무엘은 말했습니다. 그 두 사람이 사무엘의 예언대로 「암나귀를 찾은지라」라고 사울에게 알리고 사울을 안도시켰으며 더욱이 유대인에서 두 사람이라는 것은 증인을 의미하기 때문에 사무엘이 한 모든 말이 사실이라는 것을 증인을 통해 확신할 수 있었던 것입니다. 그런데 라헬이 누구냐면 야곱의 네 아내 중 한 명이었어요. 야곱은 라헬을 가장 사랑했지만 라헬로부터는 좀처럼 자식이 태어나지 않았습니다. 그러다 기다린 끝에 태어난 것이 요셉이었고 그 요셉이 형들에 의해서 애굽으로 팔려나간 후에 태어난 것이 요셉의 동생 베냐민이었습니다. 이때 라헬은 난산 때문에 베냐민을 낳고 죽어버리고 말았습니다. 창세기 35장 16~20절을 보시기 바랍니다.

16 그들이 벧엘에서 길을 떠나 에브랏에 이르기까지 얼마간 거리를 둔 곳에서 라헬이 해산하게 되어 심히 고생하여

17 그가 난산할 즈음에 산파가 그에게 이르되 두려워하지 말라 지금 네가 또 득남하느니라 하매

18 그가 죽게 되어 그의 혼이 떠나려 할 때에 아들의 이름을 베노니라 불렀으나 그의 아버지는 그를 베냐민이라 불렀더라

19 라헬이 죽으매 에브랏 곧 베들레헴 길에 장시되었고

20 야곱이 라헬의 묘비에 비를 세웠더니 지금까지 라헬의 묘비라 일컫더라

그래서 베냐민 부족인 사울에게 라헬은 먼 어머니에 해당하는 것입니다. 자신의 목숨을 대가로 베냐민을 낳아주신 선조에게 감사해야 합니다. 그러나 이 베냐민 족속은 혈기 많고 거칠고 난폭한 부족으로 이스라엘 역사에서 한 번도 옳은 일을 한 적이 없었습니다. 사사기의 마지막 부분을 보면 레위인의 첩을 베냐민 남자들이 집단으로 윤간하고 죽여버립니다. 그 사건이 원인이 되어 이스라엘 내전으로까지 발전하고 말았습니다. 기브아에서 베냐민 부족은 철저하게 괴멸당했고 알고보니 살아남은 남자는 겨우 얼마 되지 않았습니다. 이러다가는 한 부족이 통째로 없어질 것을 우려해 「약탈혼」이라는 이상한 법을 생각해 냈습니다. 즉 매년 실로에서 축제가 있는데 그곳에 많은 처녀들이 춤추러 오는데, 그 중에서 베냐민 남자는 처녀를 낚아채 아내로 만들어도 좋다고 한 것입니다. 이렇게 해서 어떻게든 베냐민 부족이 재흥하게 되었습니다. 비록 사울의 집안이 아무리 이름난 부유한 집안이라 할지라도 애초에 라헬의 죽음을 통해 은혜를 입었으니 가장 죄 많은 자로 태어난 것이 나라는 정도의 자각을 가져야 했습니다. 베냐민 출신인 사도 바울도 자신이 죄인중의 괴수라고 고백했습니다. 사울도 먼저 내가 도대체 어디서 왔는지 부끄러움만 가득하고 자랑할 수 없는 자기 자신의 죄스러운 출발점을 늘 바라볼 필요가 있었습니다. 그리고 앞으로의 행보도 여호와를 더욱 의지하고 선지자 사무엘을 통해 여호와의 말씀에 따라 걸을 수 있도록 하는 겸손한 기도가 나와도 이상하지 않고 또 필요하기도 했습니다.

다음으로 두 번째 징조인 10장 3, 4절을 참조하시기 바랍니다.

3 네가 거기서 더 나아가서 다볼 상수리나무에 이르면 거기서 하나님을 뵈오려고 벧엘로 올라가는 세 사람을 만나리니 한 사람은 염소 새끼 셋을 이끌었고 한 사람은 떡 세 덩이를 가졌고 한 사람은 포도주 한 가죽부대를 가진 자라

4 그들이 네게 문안하고 떡 두 덩이를 주겠고 너는 그의 손에서 받으리라

벧엘이라는 땅은 아브라함이 가나안 땅에 들어가 가장 먼저 제단을 쌓았던 곳이고, 이후에도 야곱이 꿈속에서 천사가 하늘과 땅을 잇는 계단을 오르내리는 계시가 주어진 것도 벧엘이었습니다. 벧엘이라는 지명은 히브리어로 베이트(집) 엘(하나님)로 「하나님의 집」입니다. 참고로 베들레헴은 히브리어로 베이트 레헴의 「떡의 집」입니다. 그래서 이곳에는 옛날부터 제단이 있었기 때문에 세 남자가 가지고 있던 염소 새끼 세마리와 떡 세 덩이와 포도주 한 가죽부대는 모두 하나님께 바치는 희생의 제물이라고 생각됩니다. 하나님께 바치는 떡은 기름부음으로 성별된 자, 제사장이나 왕밖에 먹을 수 없습니다. 그 중에서 떡 두 덩이가 주어진다는 것은 왕으로 인정받았다는 뜻입니다.

가장 왕답지 않은 자가, 아무런 공이 없는 자가 은혜로 말미암아 이스라엘의 초대 왕으로 여겨진다는 것이었습니다. 이 사실을 결코 사울은 잊어서는 안 되었습니다. 절대로 왕이 된 것을 자신의 공적인 것처럼 착각해서는 안 됩니다. 후에 사울은 다윗이 제사장에 의해 바쳐진 떡을 먹은 것에 대해 “어떻게 너 같은 놈이 성별된 떡을 먹을 수 있느냐”며 분노하여 다윗에게 떡을 준 놉의 제사장 80명을 참살하게 됩니다. 자신은 완전히 하나님의 은혜로 말미암아 떡이 주어졌을 텐데 그것을 까맣게 잊어버리고 다른 사람에 대해서는 하나님의 은총을 인정할 수 없는 것입니다.

이어서 세 번째 징조입니다. 5,6절을 보시기 바랍니다.

5 그 후에 네가 하나님의 산에 이르리니 그 곳에는 블레셋 사람들의 영문이 있느니라 네가 그리로 가서 그 성읍으로 들어갈 때에 선지자의 무리가 산당에서부터 비파와 소고와 저와 수금을 앞세우고 예언하며 내려오는 것을 만날 것이요

6 네게는 여호와의 영이 크게 임하리니 너도 그들과 함께 예언을 하고 변하여 새 사람이 되리라

하나님의 산에서 선지자 무리를 만났을 때 여호와의 영이 크게 임하고 사울도 선지자 무리와 함게 예언할 것이라는 것입니다. 고대 왕들은 예언의 은사를 가지고 있는 것으로 간주되었습니다. 특히 애굽에서 바로는 신들의 대리인으로서 신들의 말을 대변했습니다. 마찬가지로 이스라엘에도 예를 들어 모세나 드보라나 사무엘 같은 지도자의 경우 지도자로서의 역할과 선지자의 역할을 모두 겸임하고 있었습니다. 그래서 만약 사울이 예언을 했다는 것이 인정된다면 이스라엘의 왕으로서의 선택이 더 확실하게 근거가 되는 것입니다. 실제로 사울은 이후 선지자적인 역할을 하지 않았지만 「사울도 선지자들 중에 있느냐」라는 말이 속담으로 퍼지면서 마침내 사울의 왕위에 관록이 붙었습니다. 이처럼 많은 하나님의 은총과 그 보장으로 징표를 받은 것입니다. 드디어 사울이 왕으로 선출될 때가 왔습니다. 사무엘은「망대」인 미스바에서 다시 백성을 여호와 앞으로 소집했습니다. 이곳은 지난 7장에서 「성스러운 싸움」으로 기적적으로 블레셋인에게 승리한 곳입니다. 사무엘은 백성들에게 고했습니다. 18~21절을 보시기 바랍니다.

18 이스라엘 자손에게 이르되 이스라엘 하나님 여호와께서 이같이 말씀하시기를 내가 이스라엘을 애굽에서 인도하여 내고 너희를 애굽인의 손과 너희를 압제하는 모든 나라의 손에서 건져내었느니라 하셨거늘

19 너희는 너희를 모든 재난과 고통 중에서 친히 구원하여 내신 너희의 하나님을 오늘 버리고 이르기를 우리 위에 왕을 세우라 하는도다 그런즉 이제 너희의 지파대로 천 명씩 여호와 앞에 나아오라 하고

20 사무엘이 이에 이스라엘 모든 지파를 가까이 오게 하였더니 베냐민 지파가 뽑혔고

21 베냐민 지파를 그들의 가족별로 가까이 오게 하였더니 마드리의 가족이 뽑혔고 그 중에서 기스의 아들 사울이 뽑혔으니 그를 찾아도 찾지 못한지라

서론에서 사무엘은 백성들이 하나님을 저버리고 왕을 원했던 것의 동기가 잘못되었음을 다시 한 번 확인하고 있습니다. 그 후 제비에 의해 하나님이 사울을 왕으로 뽑았을 때 정작 본인은 보이지 않았습니다. 「그 사람이 여기 왔나이까」라고 묻자 여호와는 「그가 짐보따리들 사이에 숨었느니라」라고 대답하셨습니다. 사울은 마지못해 사람들 앞에 모습을 드러냈지만 그 모습부터 그는 남다른 외모였습니다. 그래서 지도자로 세워졌고 모든 백성은 「왕의 만세」를 외쳐 불렀습니다. 마음이 하나님께 감동된 유력한 자들은 사울을 따르고 충성의 표시로 예물을 바쳤으나 어떤 불량배는 「이 사람이 어떻게 우리를 구원하겠느냐」하고 멸시하며 예물을 바치지 않았습니다. 여기서 유력한 자들과 불량배의 분열은 훗날 다윗과 사울의 싸움을 상징적으로 나태내어 엿보이는 듯합니다. 다윗과 사울의 싸움에서 다윗을 돕기 위해 달려온 것은 바로 세상에서 불량배로 간주한 사람들이었기 때문입니다.

22장 2절을 보십시오.

환난 당한 모든 자와 빚진 모든 자와 마음이 원통한 자가 다 그에게로 모였고 그는 그들의 우두머리가 되었는데 그와 함께 한 자가 사백 명 가량이었더라

왕의 선출 장면에서 사울은 왜 숨었을까요? 그가 겸손했기 때문일까요? 하지만 사울은 이때를 위해 대비할 때를 충분히 가지고 있었습니다. 왕으로 뽑힘에 있어 이정도의 징조를 받은 후에도 마음에 감사와 하나님께로의 찬양이 없는 사울의 이 행동은 우리들에게는 이해가 되지 않는 것입니다. 말하자면 사무엘의 기름부음과 예언의 성취가 지금 제비뽑기에 의해 확인되었는데 거기에 사울은 하나님의 섭리를 인정하지 못하고 하나님의 마음에 반하여 자신이 왕의 그릇임을 인정하지 못하고 마지못해 모습을 드러낸 것입니다. 눈에 보이지 않는 하나님의 신묘한 섭리에 눈을 돌리지 못하고 왕으로 뽑힌 것을 자신의 공인 것처럼 그것이 당연한 것으로 착각하고 만 것입니다. 신약성경을 보면 바리새인, 서기관들은 예수님의 기적을 생생하게 보게 되지만 그들은 보고도 보지 않고 들어도 듣지 않고 결코 하나님의 계시를 이해하지 못했습니다. 우리는 자신이 어떤 상태에서 구원받았는지 지금의 삶이 지켜지고 있는 것은 하나님의 은혜임을 기억하고 감사를 드립시다.

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