2026年02月22日「敵対者たちの父 적대자들의 아비」

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敵対者たちの父 적대자들의 아비

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 8章37節~47節

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聖句のアイコン聖書の言葉

8:37あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。
8:38わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
8:39彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。
8:40ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。
8:41あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、
8:42イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。
8:43わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。
8:44あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
8:45しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。
8:46あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。
8:47神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 8章37節~47節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

「わたしたちは、アブラハムの子孫です。」33節のこの言葉は、ユダヤ人たちにとって、大変重要な自己アイデンティティでありました。アブラハムとは、イエス様の時代からさらに二千年ほどさかのぼる人物であり、創世記に詳しく書かれています。アブラハムは主の召しに従って、偶像の地、南メソポタミアのウルを旅立ち、カナンの地に入り、そこで信仰共同体を形成していきました。ユダヤ人のルーツはこのアブラハムにあるわけです。主はアブラハムに対し、あなたの子孫を大いなる民とすると約束されました。アブラハムは主を信じ、そして独り子イサクを生贄として捧げるほどまでに主の御言葉に従おうとしました。実際には主が直前に介入され、イサクが生贄に捧げられることはなかったものの、主はそのようなアブラハムの信仰をご覧になられ、アブラハムとその子孫に祝福を約束されました。これらの聖書の約束を根拠として、ユダヤ人たちは、アブラハムが主の御前で行った功績が、アブラハム本人だけでなく、そのすべての子孫にも有効であり、十分なものであると、誤って考えてしまいました。本日の箇所では、ユダヤ人たちの持っていた、その「アブラハムの血統信仰」をイエス様が見事に粉砕していかれます。本日もヨハネの福音書の御言葉に耳を傾けつつ、共に御言葉の恵みに与りたいと願います。

【1】. アブラハムの子

8:37~38節をご覧ください。

“あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」”

イエス様はユダヤ人たちがアブラハムの血を引く、アブラハムの子孫であることを認めていました。ところが、彼らがイエス様を殺そうとしているため、イエス様は御自身の父と、ユダヤ人たちの父を区別しているようです。イエス様は御父のもとで見たことをそのまま話しているけれども、あなた方ユダヤ人もあなた方の父から聞いたことをそのまま行おうとしていると指摘しつつ、御自身の父とは神様であり、あなた方ユダヤ人たちの父とは悪魔、サタンであるということをほのめかしてしているのです。そのことに気づいていないユダヤ人たちは、イエス様に答えました。39~40節をご覧ください。

“彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。”

少し細かくなりますが、39節でイエス様は、ユダヤ人たちに「アブラハムの子孫なら」とは言わずに「アブラハムの子たちなら」と言われました。「子孫」という言葉を「子」という言葉に置き換えているのです。「子孫」とは、ギリシア語でスペルマσπέρμαが使われていて、血統的にアブラハムの血を引くことが強調されています。一方、「子」とはギリシア語でテクナ(複数形) τέκναが使われていて、血筋というより親子の関係に(たとえ養子であっても)強調点が置かれています。つまり、イエス様はユダヤ人たちがアブラハムの血統を引く者であることは認めていますが、アブラハムとの親子関係は否定しているということです。なぜならアブラハムは神様から遣わされた者を殺すようなことはしなかったからです。むしろ、アブラハムは神様から遣わされた三人の使いをもてなしました。創世記18:1~4には次のように書かれています。

“主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。”

この後アブラハムは急いでサラにパン菓子を作らせて神様から遣わされた使いをもてなしました。ユダヤ人たちはそれとは正反対に、今、イエス様を殺そうとしているのです。しかし、ユダヤ人たちは依然として、イエス様の言われることを理解することが出来ません。彼らは「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。私たちはただひとりの父がいます。それは神です。」とイエス様に返答しました。これはどういうことかと言いますと、旧約聖書では、唯一の神、主ではない、他の異教の神々に仕えることを、霊的な姦淫として描写されています。ですから「姦淫によって生まれたのではない」というのは、「我々は偶像崇拝者ではない」という意味になります。「主なる神のみに我々は仕えています」「我々は神の子です」と、そう言っているのです。少し余談になりますが、「姦淫によって生まれたのではありません」という個所の解釈として、イエス様に当てこすりをしているという解釈があります。つまり「お前の母マリアは、夫ヨセフではなく、誰か他の男を通してお前を生んだではないか」とイエス様の出生の秘密をディスっているという解釈です。古くはオリゲネスによって主張され、最近でも一部の注解者たち(ホスキンス、サンダース)が主張していますが、当時のユダヤ人たちはイエス様のことを大工であるヨセフの子と考えていましたので、ここにはそのような意味は含まれていないと思われます。

【2】. 悪魔の子から神の子へ

さて、ユダヤ人の返答に対して、イエス様は大変厳しいことを言われました。42~43節をご覧ください。

“イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。”

ここでイエス様は、まず御自身の身分を明らかにされました。「わたしは神のもとから来て、ここにいる」。イエス様は真理を語っているだけではなく、御自身が真理そのものであられるということは、先週の説教でも明らかにした通りです。その真理であられるイエス様の語る御言葉を、理解することも信じることもできないのは、彼らが「御言葉を聞くことができないからだ」と、43節の最後に書かれています。「御言葉を聞くことができない」、これは一体どういう意味でしょうか。要するに、神の啓示を受け取ることができないという意味だと思われます。神の啓示とは、実は私たち人間が自らの力で受け取れるものではありません。なぜなら、アダムの罪によって私たちは堕落し、神との関係が断絶されたからです。したがって、そのままの状態では私たちは神の啓示を受け取る事は出来ませんし、御言葉を理解することも出来ないのです。上からの恵みがなければ、神の啓示に反応することは出来ないのです。使徒パウロは次のように言っています。1コリント2:12節、14節をご覧ください。

“わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。”

“自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。”

アダムの罪によって人類は神との親子関係が断絶されてしまいました。悪魔、サタンとの親子関係の中に入れられてしまったのです。それによって、生まれながらの自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れることが出来なくなったのです。ヨハネの福音書に戻りまして、8:44節をご覧ください。

“あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。”

イエス様は、ユダヤ人たちがアブラハムの血統を引くことを認められながらも、彼らがアブラハムと親子関係を結んでいるのではなく、むしろ悪魔と親子関係を結んでいることを、ここではっきりと指摘されました。悪魔、サタンとは、聖書の中で「蛇」とか「蝮」とか「竜」として描写されています。この悪魔の起源は、堕落した天使であると聖書にかれています。自らが神のようになろうとした高慢が、悪魔の堕落の起源であったと考えられています(1テモテ3:6、イザヤ書14:12~14)。天使たちがいつ堕落したのかについては、聖書にははっきりと書かれていませんが、天使の堕落は、天使の創造の直後に起こったと考えられています。確かなことは、罪が最初に地においてではなく天において、しかも神の御座の足元において既に始まっていて、天使たちの堕落が、人間の堕落以前に発生したということであります。

悪魔には道徳意識や良心というものは持ち合わせていません。ただ憎しみによって、人殺しとして生きて行きます。また「悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている」とありますが、これは悪魔が真理に立つことが出来ないということです。ですから悪魔が偽りを言うたびに、それは自分に相応しく語っているのです。そして、私たち人間は、生まれた時点から、原罪を持って生まれて来ますが、これは私たちが悪魔を父として生まれてくることを意味しているのです。大変厳しい言葉でありますが、それが事実なのです。洗礼者ヨハネはヨルダン川で洗礼を授ける際に、次のように言いました。マタイ3:7~9をご覧ください。

“ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。”

洗礼者ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、彼らに対し「蝮の子らよ」と語っています。あなた方はそのままの状態ではアブラハムの子ではない、悪魔の子らであると言っているのです。このことは、そのまま私たちにも当てはまります。そして、洗礼者ヨハネの言う「アブラハムの子」とは、アブラハムの血統を引くアブラハムの子孫を指しているのではなく、彼の指し示すメシアを信じ、自らの罪を悔い改めて新しく生まれ変わるなら、誰であれ、たとえ異邦人であっても、アブラハムの子らを造り出すことができるということを言っているのです。たとえ、「蝮の子」「悪魔の子」であっても、信仰によって新しく生まれ変わる希望は、残されているのです。

イエス様は、46節で次のように言われました。「わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか」。少なくともこの時点において、イエス様の語る御言葉を理解できなかったユダヤ人たちの中に、上からの恵みである信仰は注がれていなかったということが分かります。そしてもう一つ、重要な事実として分かることは、「なぜ信じないのか」という御言葉から、イエス様御自身でさえ、誰が救われるのか、誰が御父によって永遠において予定された神の子らなのか、そのことを把握してはいないということです。これは十二弟子の中の裏切り者であるイスカリオテのユダについても言えることであります。イエス様は信仰によって弟子たちの中から裏切り者が出るということを知っていました。しかし十二人の中で誰がその裏切り者なのかは把握してはおられませんでした。十二人に等しく最後まで愛を注がれました。従いまして、ユダヤ人たちが悪魔の子からアブラハムの子へ、すなわち神の子に生まれ変わる希望は、まだ残されているのであります。まだ、この時点では、ユダヤ人に恵みは注がれてはいませんでしたが、神の時が満ちて、恵みが注がれて悔い改める希望は、まだ残されているのです。ステファノの殉教に関与し、初代教会を徹底的に迫害したパウロは、神の教会を憎む典型的なユダヤ人でありました。ところが、ある日ダマスコの途上で、突然光に照らされて主と出会い、目からうろこが落ちるような体験をしたのであります。その時に初めて真理を理解し、自分がそれまで、いかに悪魔の手先であったのかということを悟り、パウロは悔い改めに導かれました。初代教会にあれほど恐れられていたパウロが悔い改め、教会の兄弟姉妹となったのであります。

【結論】

本日の内容をまとめます。メシアがついにこの世に遣わされた時、そのメシアを受け入れるのに、最もハードルが高い人々はユダヤ人たちでありました。なぜなら、ユダヤ人たちは自分たちがアブラハムの子孫であることを自負していたからです。セルフイメージが高かったからです。自分たちが神様から選ばれた民であり、他の民族とは異なり「持っている」民であると考え、大変高慢であったからです。この人間の高慢に、悪魔・サタンは巧妙に働きかけてまいります。真理に対し盲目にし、真理に敵対するように働きかけるのです。私たちは、以前は蝮の子、悪魔の子らであったこと、神の御前に滅びて当然の民であったことをわきまえながら、今、聖霊を通してイエス・キリストを主と告白し、聖書を読んで、神の御言葉を信じ受け入れることができることを感謝し、もう一度、私たちのために命を捧げてくださったイエス・キリストを心から礼拝する者たちとならせていただきましょう。イエス・キリストが私たちを友として教会に呼び寄せてくださっていることに、喜びと賛美を心から捧げる者たちとならせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

적대자들의 아비

2026년 2월 23일 설교 카와에 토모아키 목사

요한복음 8장 37~47절

「우리가 아브라함의 자손이라」 33절의 이 말은 유대인들에게 매우 중요한 자기 정체성이었습니다. 아브라함은, 예수님 시대보다 약 2천 년 더 거슬러 올라가는 인물로, 창세기에 자세히 기록되어 있습니다. 아브라함은 주님의 부르심에 따라 우상의 땅, 남메소포타미아의 우르를 떠나 가나안 땅에 들어가 거기서 신앙 공동체를 형성해 나갔습니다. 유대인의 뿌리는, 바로 이 아브라함에게 있는 것입니다. 주님은 아브라함에게 그의 자손을 큰 민족으로 삼으시겠다고 약속하셨습니다. 아브라함은 주님을 믿었고, 심지어 독자 이삭을 제물로 바칠 정도로 주님의 말씀에 순종하려 했습니다. 실제로 주님께서 직전에 개입하셔서 이삭이 제물로 바쳐지는 일은 없었지만, 주님께서는 그러한 아브라함의 믿음을 보시고 아브라함과 그의 자손에게 복을 약속하셨습니다. 이러한 성경의 약속을 근거로 유대인들은 아브라함이 주님 앞에서 행한 공적이, 아브라함 본인뿐만 아니라 그의 모든 자손에게도 유효하고 충분하다고 잘못 생각하게 되었습니다. 오늘 본문에서는 유대인들이 가지고 있던 그「아브라함의 혈통 신앙」을 예수님께서 훌륭하게 분쇄해 가십니다. 오늘도 요한복음의 말씀에 귀 기울이며 함께 말씀의 은혜에 참여하고자 바랍니다.

(1) 아브라함의 자녀

8:37~38절을 보시기 바랍니다.

37 나도 너희가 아브라함의 자손인 줄 아노라 그러나 내 말이 너희 안에 있을 곳이 없으므로 나를 죽이려 하는도다

38 나는 내 아버지에게서 본 것을 말하고 너희는 너희 아비에게서 들은 것을 행하느니라

예수님은 유대인들이 아브라함의 피를 이어받은 아브라함의 자손임을 인정하셨습니다. 그러나 그들이 예수님을 죽이려 하기에, 예수님은 자신의 아버지와 유대인들의 아비를 구분하시는 것 같습니다. 예수님은 아버지께 계신 곳에서 본 것을 그대로 말씀하시지만, 너희 유대인들도 너희 아비에게서 들은 것을 그대로 행하려 한다고 지적하시면서, 자신의 아버지는 하나님이시고 너희 유대인들의 아비는 마귀, 사탄임을 암시하고 계신 것입니다. 그 사실을 깨닫지 못한 유대인들은 예수님께 대답했습니다. 39~40절을 보십시오.

39 대답하여 이르되 우리 아버지는 아브라함이라 하니 예수께서 이르시되 너희가 아브라함의 자손이면 아브라함이 행한 일들을 할 것이거늘

40 지금 하나님께 들은 진리를 너희에게 말한 사람인 나를 죽이려 하는도다 아브라함은 이렇게 하지 아니하였느니라

내용이 조금 세세해지지만, 39절에서 예수님께서는 유대인들에게「아브라함의 자손이라면」이라고 말씀하시지 않고 「아브라함의 자녀라면(한국어 성경은 양쪽 다 아브라함의 자손이라고 번역되어 있지만 일본어공동번역 성경은 39절은 자손, 40절은 자녀라고 번역되어 있다)」이라고 말씀하셨습니다.「자손」이라는 말을, 40절에서는, 「자녀」라는 말로 바꾸신 것입니다. 「자손」은 헬라어로 스페르마(σπέρμα)가 사용되어 혈통적으로 아브라함의 피를 잇는 것이 강조됩니다. 반면 「자녀」는 헬라어로 테크나(복수형) τέκνα가 사용되어 혈통보다는 부모와 자식의 관계에 강조점이 두어집니다. 즉, 예수님께서는 유대인들이 아브라함의 혈통을 잇는 자들임을 인정하시지만, 아브라함과의 부모 자식 관계는 부정하신다는 것입니다. 왜냐하면 아브라함은 하나님께서 보내신 자를 죽이는 일은 하지 않았기 때문입니다. 오히려 아브라함은 하나님께서 보내신 세 천사를 대접했습니다. 창세기 18:1~4에는 다음과 같이 기록되어 있습니다.

창세기 18장

1여호와께서 마므레의 상수리나무들이 있는 곳에서 아브라함에게 나타나시니라 날이 뜨거울 때에 그가 장막 문에 앉아 있다가

2 눈을 들어 본즉 사람 셋이 맞은편에 서 있는지라 그가 그들을 보자 곧 장막 문에서 달려나가 영접하며 몸을 땅에 굽혀

3 이르되 내 주여 내가 주께 은혜를 입었사오면 원하건대 종을 떠나 지나가지 마시옵고

4 물을 조금 가져오게 하사 당신들의 발을 씻으시고 나무 아래에서 쉬소서

이후, 아브라함은 급히 사라에게 떡을 만들게 하고 하인에게 요리를 만들게 하여, 하나님께서 보내신 천사를 대접했습니다. 유대인들은 그와 정반대로 지금 예수님을 죽이려 하고 있습니다. 그러나 유대인들은, 여전히 예수님의 말씀을 이해하지 못합니다. 그들은「우리가 음란한 데서 나지 아니하였고 아버지는 한 분뿐이시니 곧 하나님이시로다」라고 예수님께 대답했습니다. 이는 무슨 뜻이냐 하면, 구약성경에서는 유일하신 하나님, 주님이 아닌 다른 이방 신들을 섬기는 것을 영적인 음행으로 묘사하고 있습니다. 따라서 「음란한 데서 나지 아니하였고」라는 말은 「우리는 우상 숭배자가 아니다」라는 의미가 됩니다. 「주 하나님만을 우리가 섬깁니다」, 「우리는 하나님의 자녀입니다」라고 말하는 것입니다. 잠시 샛길로 빠지자면, 「음란한 데서 나지 아니하였고」라는 구절에 대한 해석으로, 예수님을 비꼬는 말이라는 해석이 있습니다. 즉 「네 어머니 마리아는 남편 요셉이 아니라 다른 남자를 통해 너를 낳지 않았느냐」며 예수님의 출생 비밀을 비하한다는 해석입니다. 오래전 오리겐에 의해 주장되었고, 최근에도 일부 주석가들(호스킨스, 샌더스)이 주장하고 있지만, 당시 유대인들은 예수님을 목수 요셉의 아들로 생각했기 때문에, 여기에는 그런 의미가 포함되어 있지 않다고 생각됩니다.

(2) 마귀의 자식에서 하나님의 자녀로

자, 유대인들의 대답에 대해 예수님께서는 매우 엄한 말씀을 하셨습니다. 42~43절을 보십시오.

42 예수께서 이르시되 하나님이 너희 아버지였으면 너희가 나를 사랑하였으리니 이는 내가 하나님께로부터 나와서 왔음이라 나는 스스로 온 것이 아니요 아버지께서 나를 보내신 것이니라

43 어찌하여 내 말을 깨닫지 못하느냐 이는 내 말을 들을 줄 알지 못함이로다

여기서 예수님은 먼저 자신의 신분을 밝히셨습니다.「내가 하나님께로부터 나와서 왔음이라」라고 예수님께서 진리를 말씀하실 뿐만 아니라, 그분 자신이 진리 그 자체이심을 지난 주 설교에서도 분명히 밝혔습니다. 그 진리이신 예수님의 말씀을, 이해하지도 믿지도 못하는 것은 그들이 「내 말을 들을 줄 알지 못함이로다」라고 43절 마지막에 기록되어 있습니다. 「내 말을 들을 줄 알지 못함이로다」라는 것은 대체 무슨 뜻일까요? 요컨대, 하나님의 계시를 받아들일 수 없다는 의미로 보입니다. 하나님의 계시는 사실, 우리 인간이 스스로의 힘으로 받을 수 있는 것이 아닙니다. 아담의 죄로 인해 우리는 타락하여 하나님과의 관계가 단절되었기 때문입니다. 따라서 그대로의 상태로는 우리는 하나님의 계시를 받을 수 없으며, 말씀을 이해할 수도 없습니다. 위로부터 오는 은혜가 없다면, 하나님의 계시에 반응할 수 없는 것입니다. 사도 바울은 이렇게 말하고 있습니다. 고린도전서 2장 12절과 14절을 보십시오.

고린도전서 2장

12 우리가 세상의 영을 받지 아니하고 오직 하나님으로부터 온 영을 받았으니 이는 우리로 하여금 하나님께서 우리에게 은혜로 주신 것들을 알게 하려 하심이라

14 육에 속한 사람은 하나님의 성령의 일들을 받지 아니하나니 이는 그것들이 그에게는 어리석게 보임이요, 또 그는 그것들을 알 수도 없나니 그러한 일은 영적으로 본별되기 때문이라

아담의 죄로 인해 인류는 하나님과의 부자 관계가 단절되었습니다. 마귀, 사탄과의 부자 관계 속에 놓이게 된 것입니다. 그로 인해 태어날 때부터 자연인인 사람은 하나님의 영에 속한 것을 받아들일 수 없게 되었습니다. 요한복음으로 돌아가서 8:44절을 보십시오.

44 너희는 너희 아비 마귀에게서 났으니 너희 아비의 욕심대로 너희도 행하고자 하느니라 그는 처음부터 살인한 자요 진리가 그 속에 없으므로 진리에 서지 못하고 거짓을 말할 때마다 제 것으로 말하나니 이는 그가 거짓말쟁이요 거짓의 아비가 되었음이라

예수님께서는 유대인들이 아브라함의 혈통을 이어받았음을 인정하시면서도, 그들이 아브라함과 부모 자식 관계를 맺고 있는 것이 아니라 오히려 마귀와 부모 자식 관계를 맺고 있음을 여기서 분명히 지적하셨습니다. 마귀, 사탄은 성경 속에서「뱀」이나 「독사」 혹은 「용」으로 묘사됩니다. 이 마귀의 기원은 타락한 천사라고 성경에 기록되어 있습니다. 자신이 하나님처럼 되려 했던 교만이 악마 타락의 기원이었다고 여겨집니다(디모데전서 3:6, 이사야14:12~14). 천사들이 언제 타락했는지에 대해서는 성경에 명확히 기록되어 있지 않지만, 천사의 타락은 천사 창조 직후에 일어났다고 생각됩니다. 확실한 것은, 죄가 처음에 땅에서가 아니라 하늘에서, 그것도 하나님의 보좌 발치에서 이미 시작되었으며, 천사들의 타락이 인간의 타락 이전에 발생했다는 점입니다.

마귀는, 도덕 의식이나 양심 같은 것을 지니고 있지 않습니다. 오직 증오로 인해 살인자로 살아갑니다. 또한 「거짓을 말할 때마다 제 것으로 말하나니 이는 그가 거짓말쟁이요 거짓의 아비가 되었음이라」라고 했는데, 이는 마귀가 진리에 설 수 없다는 뜻입니다. 그러므로 마귀가 거짓말을 할 때마다, 그것은 자신에게 합당하게 말하는 것입니다. 그리고 우리 인간은 태어나는 순간부터 원죄를 지니고 태어나는데, 이는 우리가 마귀를 아비로 삼고 태어난다는 것을 의미합니다. 매우 엄한 말씀이지만, 그것이 사실입니다. 세례 요한은 요단 강에서 세례를 베풀 때 이렇게 말했습니다. 마태복음 3:7~9을 보십시오.

마태복음 3장

7 요한이 많은 바리새인들과 사두개인들이 세례 베푸는 데로 오는 것을 보고 이르되 독사의 자식들아 누가 너희를 가르쳐 임박한 진노를 피하라 하더냐

8 그러므로 회개에 합당한 열매를 맺고

9 속으로 아브라함이 우리 조상이라고 생각하지 말라 내가 너희에게 이르노니 하나님이 능히 이 돌들로도 아브라함의 자손이 되게 하시리라

세례 요한은 바리새인들과 사두개인들이 많이 세례를 받으러 오는 것을 보고 그들에게「독사의 자식들아」라고 말했습니다. 너희는 지금 그대로의 상태로는 아브라함의 자녀가 아니라 마귀의 자식들이라고 말한 것입니다. 이 말은 그대로 우리에게도 적용됩니다. 그리고 세례 요한이 말하는「아브라함의 자손」이란 아브라함의 혈통을 잇는 아브라함의 후손을 가리키는 것이 아니라, 그가 가리키는 메시아를 믿고, 자신의 죄를 회개하여 새롭게 태어나면 누구든지, 비록 이방인이라 할지라도 아브라함의 자녀가 될 수 있다는 것을 말하고 있는 것입니다. 비록 「독사의 자식」, 「마귀의 자식」이라 할지라도, 믿음으로 새롭게 태어날 희망은 남아 있습니다.

예수님께서는 46절에서 이렇게 말씀하셨습니다.「내가 진리를 말하는데도 어찌하여 나를 믿지 아니하느냐」 적어도 이 시점에서 예수님께서 하신 말씀을, 이해하지 못했던 유대인들에게는 위로부터 오는 은혜인 믿음이 부어지지 않았음을 알 수 있습니다. 그리고 또 하나 중요한 사실은, 「어찌하여 나를 믿지 아니하느냐」는 말씀에서 예수님 자신조차도 누가 구원받을지, 누가 아버지께서 영원히 예정하신 하나님의 자녀들인지, 그 사실을 파악하지 못하셨다는 점입니다. 이는 열두 제자 중 배신자인, 가룟 유다에게도 해당되는 말씀입니다. 예수님은, 믿음으로 제자들 가운데 배신자가 나올 것을 알고 계셨습니다. 그러나 열두 사람 가운데 누가 그 배신자인지는 파악하지 못하셨습니다. 열두 사람 모두에게 똑같이 끝까지 사랑을 부어 주셨습니다. 따라서 유대인들이, 마귀의 자식에서 아브라함의 자녀, 즉 하나님의 자녀로 거듭날 희망은 아직 남아 있는 것입니다. 아직 이 시점에서는 유대인에게 은혜가 부어지지는 않았지만, 하나님의 때가 차서 은혜가 부어지고 회개할 희망은, 여전히 남아 있습니다. 스데반의 순교에 가담하고 초대 교회를 철저히 박해한 바울은 하나님의 교회를 미워하는 전형적인 유대인이었습니다. 그런데 어느 날, 다메섹 길에서 갑자기 빛에 비추어 주님을 만나고, 눈에서 비늘이 떨어지는 듯한 체험을 하였습니다. 그때 비로소 진리를 깨닫고, 자신이 그때까지 얼마나 마귀의 앞잡이였는지를 깨달아 바울은 회개로 인도되었습니다. 초대 교회에서, 그토록 두려워하던 바울이 회개하여 교회의 형제자매가 된 것입니다.

결론

오늘의 내용을 정리합니다. 메시아가 마침내 이 세상에 보내졌을 때, 그 메시아를 받아들이는 데 가장 큰 장벽이 된 사람들은, 유대인들이었습니다. 왜냐하면 유대인들은 자신들이 아브라함의 자손임을 자부했기 때문입니다. 자기 인식이 높았기 때문입니다. 자신들이 하나님께서 선택하신 백성이며, 다른 민족과 달리 「가진」 백성이라고 생각하며 매우 교만했기 때문입니다. 이 인간의 교만에 사탄은, 교묘하게 작용합니다. 진리에 대해 눈멀게 하고, 진리에 대적하도록 움직이게 하는 것입니다. 우리는 이전에는 독사의 자식, 마귀의 자식들이었으며, 하나님 앞에 멸망당하는 것이 마땅한 백성이었음을 인식하면서, 지금 성령을 통해 예수 그리스도를 주님으로 고백하고, 성경을 읽으며, 하나님의 말씀을 믿고 받아들일 수 있게 된 것을 감사하며, 다시 한번 우리를 위해 목숨을 바치신 예수 그리스도를 진심으로 예배하는 자들이 되게 하소서. 예수 그리스도께서, 우리를 친구로 삼아 교회로 부르시고 계심에 기쁨과 찬양을 진심으로 드리는 자들이 되도록 합시다.

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