2025年06月29日「最初の弟子たちの証し 최초의 제자들의 증언」

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最初の弟子たちの証し 최초의 제자들의 증언

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 1章35節~42節

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:35その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
1:36そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
1:37二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
1:38イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
1:39イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
1:40ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
1:41彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
1:42そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 1章35節~42節

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【序】

信仰によって教会が形成されていくとき、イエス様によって救われた人々により、様々な救いの証しが生まれて来ます。主イエスは救済の歴史の主管者であり、今日も生きて働いておられ、私たちの人生に豊かに介入してくださるお方です。この方の赦しと清めによって、私たちは罪の奴隷から解放され、救いの喜びと感謝があふれ出るようにされました。それまで自らの罪のために、負の連鎖の中で、呪われた運命に抗って生きてきた私たちを贖い出し、傷ついた心を癒し、命と生きる希望を与えてくだいました。主の民として新たにされた私たちは、神様に喜ばれる歩みをしていきたいという思いに掻き立てられ、教会が形成され、お一人お一人の口を通して自然に証しが出てくるのであります。

【1】. ヨハネの弟子たち

35節の冒頭に「その翌日」とあります。一週間のうちの第三日目ということです。第一日目に、洗礼者ヨハネの「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」という自己証言がありました。第二日目に、イエス様が来られるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」という洗礼者ヨハネの証言が出てきました。本日は第三日目であり、最初の弟子たちによるイエス様についての証言が出てきます。35~37節をご覧ください。

“その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。”

洗礼者ヨハネと一緒に、二人の弟子たちがいました。場所の設定の変化はなく、依然としてヨルダン川向こうのベタニヤだと考えられます。そこへ再びイエス様が歩いてこられたようです。洗礼者ヨハネはイエス様をじっと見つめて、思わず言いました。「見よ、神の子羊だ」。「小羊」という証言は、既にこれで二度目です。その言葉を聞いた二人の弟子たちはイエス様に従っていくことにしました。二人の弟子の一人は、40節にありますようにアンデレです。もう一人の弟子は誰なのか、はっきり書かれてはいませんが、おそらくこの福音書の著者であるヨハネであると考えられます。彼らは、自分たちが従っていくラビを、洗礼者ヨハネから、イエス様に変更することにしたのです。当時、御言葉を学ぶために、弟子たちはどのラビにつくのか自由に選択することが出来ました。しかし、ラビが、より偉大な先生を推薦するというようなことは滅多になかったようです。ですから洗礼者ヨハネは、それほど謙遜であり、自らを低めることが出来たということを示しています。この時の洗礼者ヨハネの思いを知る重要な手がかりとして、3:29~30の御言葉を調べてみましょう。

“花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。”

「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」という洗礼者ヨハネの言葉がすべてを物語っていると思います。自分より六か月年下で、いとこでもある人に対し「あの方が栄えるのは私の喜びである、来るべきメシアが燦然と光り輝くことが、私の喜びである」と告白しているのです。「私は全人生をかけて、その方を指し示すために、生まれてきたのだから。」そう言っているのです。もちろん洗礼者ヨハネが、この時イエス様に対し完璧な理解に達していたということではありません。しかし、聖霊によってはっきりと示され、ゆるぎない確信を持って、大切な自分の弟子たちが、イエス様の懐に飛び込んで行くことを許し、むしろそうなるように願ったのであります。

【2】. メシアとの出会い

二人の弟子がご自身に従ってくるのを見て、イエス様は振り返って尋ねました。「何を求めているのか」。この質問は、イエス様が彼らのことについてもっと知りたくて、聞いたわけではありません。神の御子であられるイエス様は、恐らく弟子たち自身よりも彼ら一人一人のことをよく知っておられたことでしょう。彼らが何を求めて従ってきたのか、百も承知であられる訳です。百も承知の上で「何を求めているのか」と聞いているのは、弟子たちに告白させたい、答えさせたいと願ったからでしょう。「私たちは、このような理由で、あなたに従ってきました。」そのような告白を引き出す意図で、イエス様はこういう質問をなさったのです。「何を求めているのか」この質問は、今日、私たちにも同じように神様から問いかけられているのだと思います。私たちは日々この質問に対し、祈りと告白を持って答えるべきです。

弟子たちはこの質問に対し、直接答えずに、「ラビ(先生)、どこに泊まっておられるのですか」と逆質問をしました。二人の弟子とイエス様とのやり取りを見ると、どうも対話が噛み合っていないようです。恐らくヨハネ福音書の著者ヨハネは、半世紀以上も遡る当時のことを思い出しながら、「あの時の俺たちと、イエス様の出会いはこうだったなぁ」と、思い起こしながら執筆しているのだと思います。あの時「何を求めているのか」というイエス様の問いに、自分たちはきちんと答えることはできなかったけれども、そして、ただただ、頓珍漢なことをイエス様に聞いてしまったけれども、イエス様はそんな自分たちのことを受け入れてくださり、「来なさい、そうすれば分かる」と温かく答えてくださったことを回想しているのです。未熟な自分たちの内に、燃えるような神の国に対する熱望が確かにありました。無骨な自分たちではありますが、真理に対する切実な飢え渇きがあり、メシアに遭いたいという渇望だけは、誰よりも強く持っていました。ヨハネ先生が「あの方がそれだ」とおっしゃった時、ためらうことなくこの方の下について来たのです。すると、イエス様は「来なさい、そうすれば分かる」と、温かく受け入れてくださったのです。これが、最初の弟子たちと、イエス様との決定的な出来事となりました。午後四時ごろであったと書かれています。日没の近い時間帯です。弟子たちはその日、イエス様のもとに宿泊しました。一晩どのような交わりがなされたのか、聖書には詳しく書かれていませんが、日が暮れて第四日目にアンデレの口から驚くべき言葉が出てきます。41~42節をご覧ください。

“彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。”

アンデレは、兄弟のシモンに会い、なんと「私たちはメシアに出会った」と証ししています。当初イエス様に会った時点では、「ラビ(先生)」という言葉を使っていました。ところが、イエス様と交わった翌日には、「メシア」という言葉を使っているのです。当時ユダヤ人であれば、誰でも、終末に神から油注がれた者、メシアが遣わされ、神の民イスラエルを救い出してくれるということを信じていました。洗礼者ヨハネこそ、来るべきメシアではないのかと巷で噂する人たちもいましたが、その洗礼者ヨハネが証しし、今、自分の目で見て確信したメシアがまさにここにいると、アンデレは証ししているのです。そしてシモンをイエス様のところに連れて行ったのであります。

ここから、私たちに適用できることは、伝道とは神様が働かれるということです。私たちの言葉が足りなかったので、伝道に失敗したとか、私たちの配慮が行き届いていなかったために伝道に失敗したなどと、伝道において私たちの側の要因を探しがちでありますが、聖書が実際、語っていることは、ただ、イエス様のもとに連れて来させるだけでよい。彷徨える魂を伝道するのは、実は主であられると語っているのです。ですから、私たちは積極的に自分の言葉でイエス様を証しし、積極的に御言葉を教え、イエス様のもとへ人々を連れてくるようにすればいいのです。伝道するのは私たちではないからです。魂を伝道するのはイエス様だからです。私たちのスキルや、私たちの信仰深さは関係ありません。私たちを通して聖霊が働いてくださり、聖霊が悔い改めに導いてくださるのです。

先日、午後の婦人会の中で、兄弟の証しを聞くことを出来ました。弱さを持つ兄弟ではありますけれど、家族がどん底の中で祈りつつ信仰教育をし、そして神様が顧みと祝福を与えてくださって、今では兄弟の持ち前の誠実さを生かしながら、会社に貢献し、家計を助けておられるということを分かち合ってくださいました。そのような証しを聞いて、私たちはどんなに励まされ、信仰を奮い立たされたことでしょうか。しかし、私たちが感動したのは、兄弟の雄弁によって感動したのではありません。兄弟を通して聖霊様が働いてくださり、兄弟を通して私たちがイエス様と出会うことができたこと、イエス様をさらに知ることができたこと、そのことに感動したのであります。私たち教会は、積極的にイエス様について証しすべきであり、積極的に相互牧会をするべきであります。伝道は牧師の仕事という、間違った概念をどうぞ捨ててくださいますようにお願いいたします。アンデレのように私たちは、人々をただ、イエス様の下に連れてこればいいのです。私たちが持っているイエス様との交わりを、そのまま自分の口で伝えればいいのです。伝道してくださるのは神様だからです。

イエス様は初めて出会ったシモンを見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われました。アラム語ケファとは、ギリシア語に翻訳するとペトロ、つまり岩という意味です。ペトロは後に、初代教会のリーダーとして用いられるようになりますが、ここで重要なことは、イエス様が既にシモンのことを知っておられ、シモンとの出会いを待っておられたということだと思います。私たちの側では初対面だと思っているのに、イエス様は「私はあなたのことを生まれる前から知っており、あなたを待っていた」とおっしゃってくださるのです。実際、私たちは母の胎の中にある時から、既に神様に覚えられています。これはどれほど大きな慰めであり、どれほど大きな恵みでしょうか。このようにして洗礼者ヨハネから始まった、神の子羊・メシアに対する証しは、弟子たちの証しへと波及していきました。弟子たちの証しは、今日、私たち教会の証しへと拡大していくのです。

【3】. ヨハネの洗礼と主イエスの洗礼

ここで少し余談になりますが、洗礼者ヨハネの「悔い改めの洗礼」と「イエスの御名による洗礼」について、少し考えてみたいと思います。洗礼者ヨハネは、洗礼を授けながら次のように言いました。マタイ3:11をご覧ください。

“わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。”

イエス様は洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになり公生涯が始まると、弟子たちを通して、ご自身の名による洗礼を授けるようにいたしました。それでは、洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼と、イエスの御名による洗礼は異なるのでしょうか。結論から言いますと、五旬節の聖霊降臨、即ち聖霊の洗礼とは区別されますが、ヨハネの悔い改めの洗礼も、イエスの御名による洗礼も同一のものであり、両方とも神によって定められた礼典と考えられます。時々、ヨハネの洗礼よりイエスの御名による洗礼の方が優れているという説教を聞くことがありますが、決してそういうことではありません。その理由として、本来、洗礼者ヨハネの弟子であった二人の弟子が、ここでイエス様の弟子になりますが、再洗礼を受けることはなかったからです。イエス様は、洗礼者ヨハネの洗礼をもって、良しとされました。つまりイエス様の弟子たちが授けた洗礼とは、何か新しい洗礼が導入されたということではなく、単に、ヨハネの洗礼を全ての民族に拡大させたということに過ぎないのであります。しかし、使徒言行録19章を見ますと、エフェソにヨハネの洗礼しか知らない群れがあったということが記録されています。パウロはこの時、改めてイエスの御名による洗礼を授けました。これはどういうことかと言いますと、パウロは、彼らが受けた洗礼を真正な洗礼とは認定しなかったということです。この個所を根拠にして、やはりイエスの御名による水の洗礼と、ヨハネの洗礼とは異なるのではと、主張する人がいますが、実はエフェソには殉教した洗礼者ヨハネを信じる群れがあったということで知られています。この群れは、洗礼者ヨハネを光として信じている教団であり、初代教会と緊張関係にあったようです。つまり異端のような群れであったということです。そもそも、洗礼者ヨハネの洗礼を受けたなら、ヨハネがその人生の全てをかけて証しした、光であるイエス様の元へ来るべきであります。また、イエス様が公生涯を始める前のヨハネの働きについて次のような御言葉があります。ルカ3:18です。

“ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。”

「福音」という言葉が出てきます。ルカ福音書によりますと、イエス様が公生涯に入る前、洗礼者ヨハネは民衆に「福音」を告げ知らせていたと書かれています。もちろん、キリストの福音です。エフェソの群れはなぜこの福音を信じなかったのでしょうか。従いまして洗礼者ヨハネはイエス・キリストを指し示し、ヨハネの教えとイエス様の教えとは完全に一致していて、ヨハネの悔い改めの洗礼と、イエスの御名による洗礼は同一であり、両方とも神によって定められた礼典だということが分かるのです。

【結論】

少し話しが逸れましたが、本日の内容をまとめます。洗礼者ヨハネから始まった、神の子羊・メシアに対する証しは、弟子たちの証しへと波及していきました。弟子たちの証しとは、洗礼者ヨハネから聞いていた証しよりもはるかに鮮明で、力があったのかもしれません。イエス様と個人的に交わり、メシアをより間近で知ることが出来たからです。私たちも、メシアに会ったからこそ、今この場で礼拝を捧げています。私たちは、主が生きて働いておられること、私たちの人生に豊かに介入してくださったこと、私たちをどうしようもない負の連鎖から贖い出してくださり、主に感謝と喜びの賛美を捧げる者へと変えられたことを、それぞれの言葉で家族や友人や知人に証ししていく者たちとならせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

최초의 제자들의 증언

2025년6월 29일 주일설교 카와에 토모아키 목사

요한복음 1장 35~42절

서론

믿음으로 교회가 형성될 때, 예수님으로 인해 구원받은 사람들에 의해, 다양한 구원의 간증들이 생겨납니다. 주 예수님은 구원의 역사의 주관자이시며, 오늘도 살아서 역사하시며 우리의 삶에 풍성하게 개입하시는 분이십니다. 이 분의 용서와 정결케 하심으로, 우리는 죄의 노예에서 해방되어 구원의 기쁨과 감사가 넘치게 되었습니다. 그동안 자신의 죄로 인한 부정적인 생각의 사슬 속에서, 저주받은 운명에 맞서 살아온 우리를 구속하시고, 상처받은 마음을 치유하시고, 생명과 삶의 희망을 주셨습니다. 주님의 백성으로 거듭난 우리는, 하나님이 기뻐하시는 삶을 살고 싶다는 열망으로, 교회가 형성되고, 한 사람 한 사람의 입을 통해 자연스럽게 간증이 나오게 되는 것입니다.

(1) 요한의 제자들

35절 첫머리에「또 이튿날」이라고 되어 있습니다. 일주일 중 셋째 날이라는 뜻입니다. 첫째 날에는, 세례 요한의 「나는 선지자 이사야의 말과 같이 주의 길을 곧게 하라고 광야에서 외치는 자의 소리로라」라는 자기 증언이 있었습니다. 둘째 날에는, 예수님이 자기에게 나아오심을 보고 「보라 세상 죄를 지고 가는 하나님의 어린 양이로다」라는 세례 요한의 증언이 나왔습니다. 오늘은 셋째 날로, 최초의 제자들의 예수님에 대한 증언이 나오는데, 35~37절을 보겠습니다.

35 또 이튿날 요한이 자기 제자 중 두 사람과 함께 섰다가

36 예수께서 거니심을 보고 말하되 보라 하나님의 어린 양이로다

37 두 제자가 그의 말을 듣고 예수를 따르거늘

세례 요한과 함께, 두 제자가 있었습니다. 장소 설정의 변화는 없고, 여전히 요단강 건너편 베다니로 추정됩니다. 그곳에 다시 예수님이 걸어오신 것 같습니다. 세례 요한은 예수님께서 거니심을 보고「보라 하나님의 어린 양이로다」라고 말했습니다. 「어린 양」이라는 증언은, 벌써 두 번째입니다. 이 말을 들은 요한의 두 제자는 예수님을 따르기로 결심합니다. 두 제자 중 한 명은 40절에 나오는 안드레입니다. 다른 한 제자가 누구인지는 명확하게 기록되어 있지 않지만, 아마도 이 복음서의 저자인 요한일 것으로 추정됩니다. 그들은 자신들이 따르는 랍비를 세례 요한에서 예수님으로 바꾸기로 한 것입니다. 당시 제자들은 말씀을 배우기 위해 어떤 랍비를 따를지 자유롭게 선택할 수 있었습니다. 그러나 랍비가 더 훌륭한 선생님을 추천하는 일은 거의 없었던 것 같습니다. 그래서 세례 요한은 그만큼 겸손하고 자신을 낮출 수 있었다는 것을 알 수 있습니다. 이때 세례 요한의 마음을 알 수 있는 중요한 단서로 3:29~30의 말씀을 보고자 합니다.

요한복음 3장

29 신부를 취하는 자는 신랑이나 서서 신랑의 음성을 듣는 친구가 크게 기뻐하나니 나는 이러한 기쁨으로 충만하였노라

30 그는 흥하여야 하겠고 나는 쇠하여야 하리라 하니라

「그는 흥하여야 하겠고 나는 쇠하여야 하리라」라는 세례 요한의 말이 모든 것을 말해주고 있다고 생각합니다. 자신보다 여섯 달이나 어리고 사촌 동생이기도 한 사람에게 「그분이 흥하는 것이 나의 기쁨이요, 장차 오실 메시야가 찬란하게 빛나는 것이 나의 기쁨이다」라고 고백하고 있습니다. 「나는 내 평생을 걸고 그분을 가리키기 위해 태어났다」라고 말하고 있는 것입니다. 물론 세례 요한이, 이 때 예수님을 완벽하게 이해했다는 것은 아닙니다. 그러나 성령께서 분명하게 보여주셨고, 확고한 확신을 가지고 소중한 자신의 제자들이 예수님의 품으로 뛰어드는 것을 허락했고, 오히려 그렇게 되기를 바랐던 것입니다.

(2) 메시야와의 만남

요한의 두 제자가 자신을 따라오는 것을 보신, 예수님은 뒤돌아보시며「무엇을 구하느냐」라고 물으셨습니다. 이 질문은 예수님께서 그들에 대해 더 알고 싶으셔서, 물으신 것이 아닙니다. 하나님의 아들이신 예수님은, 아마도 제자들 자신보다 그들 한 사람 한 사람에 대해 충분히 잘 알고 계셨을 것입니다. 그들이 무엇을 구하고 따라오는지 충분히 잘 알고 계시면서 「무엇을 구하느냐」라고 물으신 것은 제자들에게 고백하게 하고 싶으셨고, 대답하게 하고 싶으셨기 때문이었을 것입니다. 「우리는 이런 이유로 당신을 따라왔습니다」이런 고백을 이끌어내려는 의도로 예수님은 이런 질문을 하신 것입니다. 「무엇을 구하느냐?」이 질문은 오늘날 우리에게도 동일하게 하나님께서 물으시는 질문이라고 생각합니다. 우리는 매일 이 질문에 기도와 고백으로 답해야 합니다.

제자들은 이 질문에 대해 직접 대답하지 않고「랍비(선생님)여 어디 계시오니이까」 라고 역질문을 했습니다. 두 제자와 예수님과의 대화를 보면 아무래도 대화가 어긋나보이는 것 같습니다. 아마도 요한복음의 저자 요한은, 반세기 이상 거슬러 올라가는 당시를 떠올리며 「그때 우리와 예수님의 만남이 이랬었구나」라고 회상하며 글을 쓰고 있는 것 같습니다. 그때 「무엇을 구하느냐」라는 예수님의 물음에, 자신들은 제대로 대답할 수 없었지만, 그리고 그저, 엉뚱한 것을 예수님께 물었지만, 예수님은 그런 자신들을 받아주시고 「와서 보라」라고 따뜻하게 대답해 주셨던 것을 회상하며 글을 쓰고 있습니다. 미숙한 자신들 안에 하나님 나라에 대한 불타는 열망이 분명히 있었습니다. 미숙한 자신들이었지만 진리에 대한 간절한 갈급함이 있었고, 메시야를 만나고 싶은 갈망만은 누구보다 강하게 가지고 있었습니다. 스승 요한이 「저분이 바로 그분이다」라고 말씀하셨을 때 주저없이 그분 밑으로 따라왔던 것입니다. 그러자 예수님은 「와서 보라」라며 따뜻하게 받아주셨습니다. 이것이 최초의 제자들과 예수님과의 결정적인 만남이 되었습니다. 오후 네 시쯤이었다고 기록되어 있습니다. 일몰에 가까운 시간대입니다. 제자들은 그날 예수님 곁에서 하룻밤을 묵었습니다. 하룻밤 동안 어떤 교제가 이루어졌는지는 성경에 자세히 기록되어 있지 않지만, 날이 저물어 넷째 날 안드레의 입에서 놀라운 증언이 나옵니다. 41~42절을 보시기 바랍니다.

41 그가 먼저 자기의 형제 시몬을 찾아 말하되 우리가 메시야를 만났다 하고 (메시야는 번역하면 그리스도라)

42 데리고 예수께로 오니 예수께서 보시고 이르시되 네가 요한의 아들 시몬이니 장차 게바라 하리라 하시니라 (게바는 번역하면 베드로라)

안드레는 형제 시몬을 만나, 무려「우리가 메시야를 만났다」고 증언합니다. 처음 예수님을 만났을 때는 「랍비(선생님)」라는 말을 사용했습니다. 그런데 예수님을 만난 다음날에는 「메시야」라는 말을 사용하고 있는 것입니다. 당시 유대인이라면 누구나 종말에, 하나님이 기름 부으신 자, 메시야가 오셔서 하나님의 백성 이스라엘을 구원해 줄 것이라고 믿었습니다. 세례 요한이, 바로 그 메시야가 아니냐는 소문이 돌기도 했지만, 안드레는 세례 요한이 증언하고 지금 자신의 눈으로 보고 확신한 메시야가 바로 여기에 있다고 증언하고 있는 것입니다. 그리고 시몬을 예수님께 데리고 간 것입니다.

여기서 우리에게 적용할 수 있는 것은 전도는 하나님이 일하신다는 것입니다. 우리의 말이 부족해서 전도에 실패했다, 우리의 배려가 부족해서 전도에 실패했다 등 전도에 있어서 우리 측의 요인을 찾기 쉽지만, 사실 성경이 말하는 것은 그저 예수님 앞으로 데려오면 된다는 것입니다. 방황하는 영혼을 전도하는 것은 사실 주님이 하신다고 말씀하고 있는 것입니다. 그러므로 우리는 적극적으로 자신의 말로 예수님을 증거하고, 적극적으로 말씀을 가르치고, 사람들을 예수님께로 인도하면 되는 것입니다. 전도하는 것은 우리가 아니기 때문입니다. 영혼을 전도하는 것은 예수님이시기 때문입니다. 우리의 전도하는 스킬이나 우리의 신앙의 깊이는 상관없습니다. 우리를 통해 성령께서 일하시고, 성령께서 회개하도록 인도하시는 것입니다.

얼마 전, 예배 후의 부인회 모임에서, 한 형제의 간증을 들을 수 있었습니다. 비록 연약한 형제(지적장애 형제)이지만, 최악의 상태에서 가족이 함께 기도하며 신앙교육을 하고, 하나님께서 돌보시고 복을 주셔서, 지금은 형제 특유의 성실함을 살려 회사에 기여하고 가계에 보탬이 되고 있다는 간증을 하였습니다. 그 간증을 들으며 우리는 얼마나 큰 격려와 믿음의 힘을 얻었는지 모릅니다. 그러나 우리가 감동한 것은 단순히 형제의 웅변에 감동한 것이 아닙니다. 형제를 통해 성령께서 역사하셨고, 형제를 통해 우리가 예수님을 만날 수 있었다는 것, 예수님을 더 알아갈 수 있었다는 것, 그 사실에 감동한 것입니다. 우리 교회는 적극적으로 예수님을 증거해야 하고, 적극적으로 상호목회를 해야 합니다. 전도는 목사가 하는 일이라는 잘못된 개념을 버려주시길 간곡히 부탁드립니다. 안드레처럼 우리는 그저 사람들을 예수님 앞으로 데려오면 되는 것입니다. 우리와 함께 계시는 예수님과의 교제를 그대로 내 입으로 전하면 되는 것입니다. 전도하시는 분은 하나님이시기 때문입니다.

예수님은 처음 만난 시몬을 바라보시며「네가 요한의 아들 시몬이니 장차 게바라 하리라」라고 말씀하셨습니다. 아람어 게바는 헬라어로 번역하면 베드로, 즉 바위라는 뜻입니다. 베드로는 훗날, 초대교회의 지도자로 쓰임을 받게 되는데, 여기서 중요한 것은 예수님께서 이미 시몬을 알고 계셨고, 시몬과의 만남을 기다리고 계셨다는 점이라고 생각합니다. 우리 편에서는 첫대면이라고 생각하는데, 예수님은 「나는 네가 태어나기 전부터 알고 있었고, 너를 기다리고 있었다」라고 말씀하시는 것입니다. 사실 우리는 어머니 뱃속에 있을 때부터, 이미 하나님께 기억되어진 존재입니다. 이것이 얼마나 큰 위로이며, 얼마나 큰 은혜입니까? 이렇게 세례 요한으로부터 시작된, 하나님의 어린 양・메시야에 대한 증언은, 제자들의 증언으로 파급되어 갔습니다. 제자들의 증언은, 오늘날 우리 교회의 증언으로 확장되어 가는 것입니다.

(3) 요한의 세례와 예수님의 세례

여기서 잠깐 여담이지만, 세례 요한의 「회개의 세례」와 「예수님의 이름으로 베푸는 세례」에 대해 조금 생각해 보고자 합니다. 세례 요한은, 세례를 베풀면서 다음과 같이 말을 했습니다. 마태복음 3:11절을 보시겠습니다.

마태복음 3장

11 나는 너희로 회개하기 하기 위하여 물로 세례를 베풀거니와 내 뒤에 오시는 이는 나보다 능력이 많으시니 나는 그의 신을 들기도 감당하지 못하겠노라 그는 성령과 불로 너희에게 세례를 베푸실 것이요

예수님은 세례 요한에게 세례를 받으시고 공생애를 시작하시면서, 제자들을 통해 자신의 이름으로 세례를 베풀게 하셨습니다. 그렇다면 세례 요한의 회개 세례와 예수님의 이름으로 받는 세례는 다를까요? 결론부터 말하자면, 사순절의 성령 강림, 즉 성령 세례와는 구별되지만, 요한의 회개 세례와 예수님의 이름으로 베푸는 세례는 동일한 것이며, 둘 다 하나님이 정하신 성례라고 할 수 있습니다. 간혹 요한의 세례보다 예수님의 이름으로 베푸는 세례가 더 낫다는 설교를 들을 때가 있는데, 결코 그렇지 않습니다. 그 이유로는, 원래 세례 요한의 제자였던 두 제자가, 여기서 예수님의 제자가 되었지만, 재세례를 받지 않았기 때문입니다. 예수님께서는 세례 요한의 세례를 받은 것으로 좋다고 하셨습니다. 즉, 예수님의 제자들이 베푸는 세례는, 새로운 세례가 도입된 것이 아니라, 단순히 요한의 세례를 모든 민족에게 확대시킨 것에 불과합니다. 그런데 사도행전 19장을 보면 에베소에 요한의 세례밖에 모르는 무리가 있었다는 기록이 나옵니다. 이때 바울은 다시 한 번 예수님의 이름으로 세례를 베풀었습니다. 이것은, 무슨 말인가 하면, 바울은 그들이 받은 세례를 진정한 세례로 인정하지 않았다는 것입니다. 이 부분을 근거로 역시 예수님의 이름으로 베푸는 물세례와 요한의 세례는 다른 것이 아니냐고 주장하는 사람들이 있는데, 사실 에베소에는 순교한 세례 요한을 믿는 무리들이 있었던 것으로 알려져 있습니다. 이 무리는 세례 요한을 빛으로 믿는 교단으로 초대교회와 긴장 관계 있었던 것으로 보입니다. 즉, 이단 같은 무리였다는 것입니다. 애초에 세례 요한의 세례를 받았다면, 요한이 평생을 바쳐 증거한 빛이신 예수님께로 와야 합니다. 또한 예수님께서 공생애를 시작하시기 전 요한의 사역애 대해, 다음과 같은 말씀이 있습니다. 누가복음 3:18절을 보세요.

누가복음 3장

18 또 그밖에 여러 가지로 권하여 백성에게 좋은 소식을 전하였으니

「좋은 소식 (복음)」이라는 단어가 나옵니다. 누가복음에 따르면, 예수님께서 공생애에 들어가시기 전 세례 요한은 백성들에게 「좋은 소식」을 전했다고 기록되어 있습니다. 물론 그리스도의 복음입니다. 에베소 교단은 왜 이 복음을 믿지 않았을까요? 따라서 세례 요한은 예수 그리스도를 가리키며, 요한의 가르침과 예수님의 가르침은 완전히 일치하며, 요한의 회개 세례와 예수님의 이름으로 베푸는 세례는 동일하며, 둘 다 하나님이 정하신 성례임을 알 수 있습니다.

결론

이야기가 조금 빗나갔지만, 오늘의 내용을 정리해 보겠습니다. 세례 요한으로부터 시작된, 하나님의 어린 양・메시야에 대한 증언은 제자들의 증언으로 파급되어 갔습니다. 제자들의 증언은, 세례 요한으로부터 들었던 증언보다 휠씬 더 선명하고 힘이 있었을지도 모릅니다. 예수님과 인격적으로 교제하며, 메시야를 더 가까이서 알 수 있었기 때문입니다. 우리들도 메시야를 만났기 때문에, 지금 이 자리에서 예배를 드리고 있습니다. 우리들은, 주님이 살아 역사하고 계심을, 우리의 삶에 풍성하게 개입하심을, 우리를 어쩔 수 없는 부정적인 생각의 사슬에서 구속하시고, 주님께 감사와 기쁨의 찬양을 드리는 자로 바꾸어 주셨음을, 자신의 말로 가족, 친구, 지인들에게 증언하는 자들이 되도록 합시다.

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