2023年10月01日「神に敵対する者の結末 하나님을 대적하는 자의 결국」

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神に敵対する者の結末 하나님을 대적하는 자의 결국

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ナホム書 2章2節~14節

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聖句のアイコン聖書の言葉

2:2襲いかかる敵がお前に向かって上ってくる。砦を守り、道を見張れ。腰の帯を締め、力を尽くせ。
2:3主はヤコブの誇りを回復される/イスラエルの誇りも同じように。略奪する者が彼らを略奪し/その枝を荒らしはしたが。
2:4勇士の盾は赤く/戦士は緋色の服をまとう。戦の備えをする日に/戦車の鋼鉄は火のように輝き/槍は揺れる。
2:5戦車は通りを狂い走り、広場を突き進む。その様は松明のように輝き/稲妻のように走る。
2:6将軍たちは召集されるが、途上でつまずく。人々は城壁へと急ぎ、防御車を据える。
2:7流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く。
2:8王妃は引き出され、衣をはがれて連れ去られた。侍女たちは鳩のような声で嘆き、胸を打つ。
2:9ニネベは、建てられたときから/水を集める池のようであった。しかし、水は流れ出して/「止まれ、止まれ」と言っても/だれも振り返らない。
2:10「銀を奪え、金を奪え。」その財宝は限りなく/あらゆる宝物が溢れている。
2:11破壊と荒廃と滅亡が臨み/心は挫け、膝は震え/すべての人の腰はわななき/すべての人の顔はおののきを示した。
2:12獅子の住みかはどこにいったのか。それは若獅子の牧場だった。獅子がそこを去り/雌獅子と子獅子が残っていても/脅かすものは何もなかった。
2:13獅子は子獅子のために獲物を引き裂き/雌獅子のために絞め殺し/洞穴を獲物で/住みかを引き裂いた肉で満たした。
2:14見よ、わたしはお前に立ち向かうと/万軍の主は言われる。わたしはお前の戦車を焼いて煙とし/剣はお前の若獅子を餌食とする。わたしはお前の獲物をこの地から断つ。お前の使者たちの声はもう聞かれない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ナホム書 2章2節~14節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

考古学などの発掘調査によると、レリーフと呼ばれる石板の浮き彫りや、帯状の装飾などにおいて、古代アッシリアの偉大な姿が、誇り高い獅子として描かれているのが分かります。その姿は、まさに人類初の世界帝国の王としての姿です。そのアッシリア帝国の首都であるニネベの審判に関する預言が、ナホム書であります。大英博物館に保管されている、バビロニア年代記21,901番の粘土板には、紀元前612年の「ニネベの戦い」について記録されていますが、ナホム書の預言ほどには、生き生きと描写されてはいません。このナホム書を読む時、アッシリアの首都ニネベがどのように陥落するのか、その状況が生々しく、臨場感あふれて、私たちの前に迫って来るのであります。この、ニネベの陥落は、歴史の中の偶然の出来事ではなく、神に逆らって敵対する者たちの結末であり、歴史を主管される神の必然であるということを預言者ナホムは語っています。従いまして、現代に生きる私たちがナホム書を読む時、次のことを念頭に置きながら読むべきだと思います。それは、「最後の審判」の日が必ず来るということ、その日は、神に逆らう悪の勢力に対し、神が最後の審判を下される日でありますが、キリスト者にとっては究極の希望の日なのであります。

【1】. 破壊と荒廃と滅亡

本日の聖書箇所の2:2~3節をご覧ください。

“襲いかかる敵がお前に向かって上ってくる。砦を守り、道を見張れ。腰の帯を締め、力を尽くせ。主はヤコブの誇りを回復される/イスラエルの誇りも同じように。略奪する者が彼らを略奪し/その枝を荒らしはしたが。”

ニネベに対し、襲いかかる敵、つまり、バビロンとメディアの連合軍が上ってきます。このニネベの陥落は、アッシリアに対する審判であると同時に、主なる神様が、イスラエルの誇りを回復される出来事でもありました。これまでアッシリアは、イスラエルの土地を略奪し、荒らし放題、荒らしてきましたが、今度は逆に、主なる神が、バビロンとメディアの連合軍を用いて、アッシリアを滅ぼそうとされるのです。預言者ナホムは、アッシリア軍を鼓舞しています。「砦を守り、道を見張れ、腰の帯を締め、力を尽くせ!」と。しかし、アッシリアがいくらあがいてみても、無駄な努力に終わるでしょう。後で分かりますが、この戦いは主なる神がアッシリアと戦っておられるからです。続いて4~5節をご覧ください。

“勇士の盾は赤く/戦士は緋色の服をまとう。戦の備えをする日に/戦車の鋼鉄は火のように輝き/槍は揺れる。戦車は通りを狂い走り、広場を突き進む。その様は松明のように輝き/稲妻のように走る。”

ここの赤い盾を持ち、緋色の服をまとった勇士とは、バビロン軍です。鋼鉄によって強化された戦車、いわゆるチャリオットと呼ばれる馬車が、輝きながら通りを狂い走っています。その勢いは松明のようであり、稲妻のようであると書かれています。慌てたアッシリア軍は、直ちに精鋭部隊を、戦いの最前線である城の城壁へ招集しますが、ついに城壁は破られてしまい、バビロン軍がニネベに侵入します。続いて6~8節をご覧ください。

“将軍たちは召集されるが、途上でつまずく。人々は城壁へと急ぎ、防御車を据える。流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く。王妃は引き出され、衣をはがれて連れ去られた。侍女たちは鳩のような声で嘆き、胸を打つ。”

7節に、「流れに面した水の門が開いた」とあります。ちょうどニネベの町は、チグリス川の東岸に位置していました。そのため、ニネベの町はバビロン軍の水攻めに遭って、滅んだのではないかという説があります。ところが、ニネベの発掘調査によると、洪水被害の証拠は、まだ出てきていません。もっと言えば、バビロニア年代記のニネベの戦いにも、洪水を利用した都市の征服については言及されていません。従って、水攻めによるニネベの陥落を否定する説もあります。私たちはニネベの町がバビロンによって、どのように滅ぼされたのか、詳細には知ることはできませんが、いずれにしても、ついに、ニネベの町の城壁は破られ、襲いかかる敵、バビロン軍がニネベの町に侵入して来るのであります。

8節の前半に「王妃は引き出され」と翻訳された箇所があります。実はヘブライ語の聖書には、「王妃」という言葉は出て来ません。その代わりに「フツァブ」という、意味不明の言葉が出て来ます。おそらく、その言葉を「ニネベの女神」を指す固有名詞だろうと勝手に推測して、ここでは「王妃」と翻訳されているのです。しかし一方で、いくつかの英語の聖書では、「フツァブ」という言葉が、「ナツァブ(定める)」という言葉の受動態の語尾変化として理解し(hophal形)、「定められている」と訳しているもの(NAS, NKJ, NIVなど)もあります。つまり、一部の聖書では8節が、「衣をはがされ、連れ去られることが、定められている。侍女たちは鳩のような声で嘆き、胸を打つ」と翻訳されています。私も、こちらの翻訳の方が正しいと思っています。そのように翻訳された英語の聖書を抜粋のプリントに印刷しておきましたので、ご関心のある方は、ご確認ください。因みに英語で、彼女という代名詞はニネベの町を指しています。もしそのような翻訳であるなら、ニネベの都の陥落は、歴史の中の偶然の出来事ではなく、主なる神によって定めらたということが、さらに強調されることになります。続いて9~10節をご覧ください。

“ニネベは、建てられたときから/水を集める池のようであった。しかし、水は流れ出して/「止まれ、止まれ」と言っても/だれも振り返らない。「銀を奪え、金を奪え。」その財宝は限りなく/あらゆる宝物が溢れている。”

ニネベの都は、川で囲まれており、それが都を守る堀のように機能し、難攻不落な都市でありました。9、10節では、ニネベの民と軍勢が「豊かな池の水」にたとえられています。その都には、池に集まる水のように、多くの民と軍勢が集まって来ました。しかし、バビロンが襲ってきた日、城壁は破られ、水が流れ出すように、人々は逃げて行ってしまいます。「止まれ、止まれ」と命じても、バビロン軍に対抗するために振り返る人は誰一人いません。侵入したバビロン軍は言います。「銀を奪え、金を奪え!」。ニネベには、北イスラエルをはじめ、あらゆる国々から略奪した財宝が限りなくございました。それら、貴重な品々が、今度はバビロンによって略奪されて行くのです。この時、アッシリアの人々が感じたおののきと恐怖と絶望感が、11節に記されています。

“破壊と荒廃と滅亡が臨み/心は挫け、膝は震え/すべての人の腰はわななき/すべての人の顔はおののきを示した。”

「破壊と荒廃と滅亡」という言葉は、ヘブライ語で発音すると、ブーカー、メブーカー、メブラーカーとなります。大変恐ろしい響きであったことでしょう。発音が似たような語呂合わせをすることにより、滅亡が強調されているのです。預言者ナホムを除いて、一体誰が、世界帝国アッシリアが滅亡する日を予想することができたでしょうか。このように神に敵対する者に対する審判は、ある日、盗人のように、突然やって来るのです。怒るのに遅い神様でありますが、妬む神、報復をされる神様が、ある日、必ず敵に報復し、激しく怒り、罪と悪を見過ごされることはないのです。ですから、現代に生きる私たちは、今、救いに招かれているのですから、神の招きに応答し、救い主イエス様を心に受け入れ、信じるべきであります。

【2】. 神に敵対する者の結末

最後に12~14節は、ナホムによってニネベの町が嘲られています。ナホム自身、自らの命の危険に晒すような、大変大胆な預言だったに違いありません。自らの命を懸けた働きであったということです。12~14節をご覧ください。

“獅子の住みかはどこにいったのか。それは若獅子の牧場だった。獅子がそこを去り/雌獅子と子獅子が残っていても/脅かすものは何もなかった。獅子は子獅子のために獲物を引き裂き/雌獅子のために絞め殺し/洞穴を獲物で/住みかを引き裂いた肉で満たした。見よ、わたしはお前に立ち向かうと/万軍の主は言われる。わたしはお前の戦車を焼いて煙とし/剣はお前の若獅子を餌食とする。わたしはお前の獲物をこの地から断つ。お前の使者たちの声はもう聞かれない。”

獅子であるアッシリアは、周辺諸国を力によって略奪し、その洞穴を獲物で満たし、雌獅子と子獅子のために引き裂いた肉で満たしました。力を持ち、ゆとりを持って、妻子を養っているアッシリア市民の姿であります。しかし、主がアッシリアに立ち向かわれるなら、アッシリアはたちまち滅ぼされてしまい、近隣諸国に朝貢を強要するアッシリアの使者も、もはやいなくなるのです。14節冒頭に「見よ、わたしはお前に立ち向かう」と書かれています。この言葉によって、バビロンとメディアの連合軍がアッシリアに立ち向かっているのではなく、実は、神様ご自身がアッシリアに立ち向かわれるということが分かります。バビロンとメディアは、その為に用いられる道具に過ぎないのです。従いまして、ニネベの陥落、それは、神に敵対する者の結末を予表し、最後の審判を予表していると言えるのではないでしょうか。その日は、天地が滅びる日であり、キリストに敵対する人々が恐れ、嘆き悲しむ日でありますが、キリストに依り頼む者たちにとっては、慰めの日、贖いの完成の日となるのです。ルカによる福音書21:25~28をご覧ください。再臨の日の状況について、イエス様が直接語られた御言葉です。

“それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。”

やがて、イエス様が再臨される日が来ます。その日は、まさに最後の審判の日です。今、この世においてイエス様を信じるが故に、苦難や理不尽な取扱いを受けることがあるかもしれません。日本では考えられませんが、イエス様を信じるが故に辱めに遭い、迫害されている方がおられるかもしれません。しかし神様は、その日、必ずヤコブの誇りを回復してくださると約束してくださるのです。同時に、この世でいかに、名声や豊かさや権力を手に入れたとしても、主なる神に敵対しているのなら、それが、どれほど危険なことであるのかを、ナホム書を通して警告しているのです。神の側につくこと、それに優る安全はありません。ローマ書8:31の御言葉をご覧ください。

“では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。”

神様はご自身の民である私たちの砦となられ、私たちの味方になり、私たちを守ってくださるのです。最後に2:14節の「使者」という言葉に着目してみましょう。2:1では、良い知らせを伝える平和の使者が言及されていて、14節のアッシリアの使者とは対称的です。その日が来ると、アッシリアの使者は消えてなくなり、一方で良い知らせを伝える平和の使者が遣わされます。なぜなら、世界を支配する真の王はアッシリア帝国の王ではなく、主ヤハウェであるからです。私たちの救い主である主イエス・キリストこそ、この世を治める真の王様だからです。私たち教会は、イエス・キリストの使者として、真の王が天の右の座に着座され、神のご支配が始まり、神の国が到来したことを宣べ伝えているのです。それこそまさに、十字架と復活によって、私たちに提示された「よき知らせ」福音なのです。

【結論】

本日の説教をまとめさせていただきます。神の救いの招きを拒絶し、神を信じない人々は、神を抜きにして、自分たちの大きな都を作り、自分たちの世界帝国を作ろうとします。その都は、近隣諸国を略奪し、朝貢を受けて、大いに繁栄します。彼らは、自分の力や自分の知恵を誇り、おごり高ぶることでしょう。彼らは権力を握り、全世界をも手に入れたと錯覚することでしょう。しかし、そのような神に敵対する者たちの結末とは、滅亡なのです。ブーカー、メブーカー、メブラーカーであります。この事実に誰も目を背けることは出来ません。

神を信じる私たちの日々の営みの上に、私たちを抑圧し、苦しめるアッシリアが現れるかもしれません。私たちキリスト者を迫害する組織としてのアッシリアが、私たちを仲間はずれにする伝統や地域の習わしとしてのアッシリアが現れるかもしれません。しかし、そのアッシリアでさえ、神様の許しの中で踊らされた神の道具に過ぎず、偉大なアッシリア帝国は一瞬にして滅ぼされてしまうのです。主なる神こそ、歴史を支配し、歴史を導いておられます。私たちはこの世において、荒れ野を旅する寄留者のような生活をしていますが、アッシリアの迫害の中でイスラエルの民が、神様によって養われ、守られたように、主なる神様は、今日の私たちの営みをも守ってくださることでしょう。そして必ず私たちの誇りを回復してくださるのです。私たちは、その神様の御名を、世の人々に告げ知らせ、讃美していく者として、歩ませていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

하나님을 대적하는 자의 결국

2023년 10월 1일 센겐다이교회 주일설교

나훔 2장 1~13절

서론

고고학 등의 발굴조사에 따르면 릴리프라고 불리는 석판의 부각과 대상 장식 등에서 고대 아시리아의 위대한 모습이 자랑스러운 사자로 묘사되어 있음을 알 수 있습니다. 그 모습은 바로 인류 최초의 세계제국 왕으로서의 모습입니다. 그 아시리아 제국의 수도인 니느웨의 심판에 관한 예언이 나홈서입니다. 대영박물관에 보관된 바벨론 연대기 21,901번 점토판에는 기원전 612년의 「니느웨 전투」가 기록되어 있지만 나홈서의 예언만큼 생생하게 묘사되어 있지는 않습니다. 이 나홈서를 읽을 때 아시리아의 수도 니느웨가 어떻게 함락되는지 그 상황이 생생하게 현장감 넘치게 우리 앞에 다가오는 것입니다. 이 니느웨의 함락은 역사 속 우연한 사건이 아니라 하나님을 거스르고 적대하는 자들의 결말이며 역사를 주관하시는 하나님의 심판임을 선지자 나홈은 말하고 있습니다. 따라서 현대에 사는 우리가 나홈서를 읽을 때 다음을 염두에 두면서 읽어야 한다고 생각합니다. 바로 마지막 심판의 날이 반드시 온다는 것입니다. 그날은 그리스도인에게는 궁극적인 희망의 날이지만 하나님을 거스르는 악의 세력에 대해서는 하나님이 최후의 심판을 내리시는 날입니다.

(1) 파괴와 황폐와 멸망

2장 1~2절을 참조하십시오.

1 파괴하는 자가 너를 치러 올라왔나니 너는 산성을 지키며 길을 파수하며 네 허리를 견고히 묶고 네 힘을 크게 굳게 할지어다

2 여호와께서 야곱의 영광을 회복하시되 이스라엘의 영광 같게 하시나니 이는 약탈자들이 약탈하였고 또 그들의 포도나무 가지를 없이 하였음이라

니느웨에게 덤벼드는 적, 즉 바벨론과 메대 연합군이 올라옵니다. 이 니느웨의 함락은 아시리아에 대한 심판이자 주님께서 이스라엘의 영광을 회복하시는 사건이기도 했습니다. 그동안 아시리아는 이스라엘 땅을 약탈하고 마구잡이로 휩쓸고 다녔지만 이번에는 주 하나님께서 바벨론과 메대 연합군을 이용하여 거꾸로 아시리아를 멸망시키려 하시는 것입니다. 예언자 나홈은 아시리아군을 고무시키고 있습니다. 「산성을 지키며 길을 파수하며 네 허리를 견고히 묶고 네 힘을 크게 굳게 할지어다」라고요. 하지만 아무리 아시리아가 열심히 발버둥쳐봐도 소용없는 노력에 그칠 것입니다.

나중에 알겠지만 이 싸움은 주 하나님께서 아시리아와 싸우고 계시기 때문입니다. 이어서 3,4절을 만나보시죠.

3 그의 용사들의 방패는 붉고 그의 무사들의 옷도 붉으며 그 항오를 벌이는 날에 병거의 쇠가 번쩍이고 노송나무창이 요동하는도다

4 그 병거는 미친 듯이 거리를 달리며 대로에서 이리저리 빨리 달리니 그 모양이 횃불 같고 빠르기가 번개 같도다

이 구절의 붉은 방패를 들고 붉은 옷을 입은 용사는 바벨론군입니다. 강철에 의해 강화된 전차, 이른바 채리어트라고 불리는 마차가 빛나면서 요동치며 거리를 달리고 있습니다. 그 기세는 횃불 같고 빠르기는 번개 같다고 적혀 있습니다. 당황한 아시리아군은 즉시 정예부대를 전투의 최전선인 성의 성벽으로 소집하지만 마침내 성벽은 무너지고 맙니다. 이어서 5~7절을 만나보시죠.

5 그가 그의 존귀한 자들을 생각해 내니 그들이 엎드러질 듯이 달려서 급히 성에 이르러 막을 것을 준비하도다

6 강들의 수문이 열리고 왕궁이 소멸되며

7 정한 대로 왕후가 벌거벗은 몸으로 끌려가니 그 모든 시녀들이 가슴을 치며 비둘이 같이 슬피 우는도다

6절에 「강들의 수문이 열리고」라고 되어 있습니다. 마침 니느웨 성읍은 티그리스 강 동쪽 해안에 위치해 있었습니다. 그래서 니느웨 성읍은 바벨론군에게 수공(물을 이용한 공격)을 당해 멸망한 것이 아니냐는 설이 있습니다. 그런데 니느웨의 발굴 조사에 따르면 홍수 피해의 증거는 아직 나오지 않았습니다. 더 말하면 바벨론 연대기의 니느웨의 전투에도 홍수를 이용한 도시 정복에 대해서는 언급되어 있지 않습니다. 따라서 수공에 의한 니느웨의 함락을 부정하는 설도 있습니다. 우리는 니느웨 성읍이 바벨론에 의해 어떻게 멸망당했는지 자세히 알 수는 없지만, 어쨌든 마침내 니느웨 성읍의 성벽은 무너지고 덤벼드는 적 바벨론군이 니느웨 성읍에 침입해 오는 것입니다.

7절 전반에 「왕후가 벌거벗은 몸으로 끌려가니」라고 번역된 부분이 있습니다. 사실 히브리어 성경에는 왕후라는 단어는 없습니다. 그 대신 「후차브」라는 의미불명의 말이 나옵니다. 아마 후차브를 「니느웨 여신」을 가리키는 고유명사일 거라고 마음대로 추측해서 여기서는 「왕후」라고 번역하고 있는 것입니다. 그러나 한편, 몇몇 영어 성경에서는 「후차브」라는 말을 「나차브(정하다)」라는 말의 수동태 어미 변화로 이해해서 「정해져 있다」라고 번역하고 있는 것도 있습니다. 즉 일부 성경(NAS, NKJ, NIV 등)에서는 7절이 「옷이 벗겨지고 끌려가도록 정해져 있다. 시녀들은 비둘기 같은 목소리로 탄식하며 가슴을 친다」라고 번역되어 있습니다. 저도 이 번역이 더 맞다고 생각합니다. 그렇게 번역된 영어 성경을 발췌 인쇄해 놓았으니 관심 있으신 분들은 확인 부탁드립니다. 덧붙여 말한다면 영어로 「그녀」라고 하는 대명사는 니느웨의 성읍을 가르키고 있습니다. 만약 그러한 번역이라면 니느웨의 함락은 역사 속 우연한 사건이 아니라 주 하나님에 의해 정해져 있었다는 것이 더욱 강조되게 됩니다. 이어서 이어서 8,9절을 보시겠습니다.

8니느웨는 예로부터 물이 모인 못 같더니 이제 모두 도망하니 서라 서라 하나 돌아보는 자가 없도다

9 은을 노략하라 금을 노략하라 그 저축한 것이 무한하고 아름다운 기구가 풍부함이니라

니느웨 성읍은 강으로 둘러싸여 있고, 그것이 도읍지를 지키는 해자(동물이나 외부인, 특히 외적으로부터의 침입을 방어하기 위해 고대부터 근세에 이르기까지 성의 주위를 파 경계로 삼은 구덩이)처럼 기능하고 있어 난공불락한 도시였습니다. 8,9절에서는 니느웨의 백성과 군세가 풍요로운 연못의 물에 비유되고 있습니다 그 마을에는 연못에 모이는 물처럼 많은 백성과 군세가 모여들었습니다. 하지만 바벨론이 엄습해 온 날 성벽은 무너지고 물이 흘러나오듯 사람들은 도망가 버립니다. 「서라 서라」고 명령해도 바벨론군에 맞서기 위해 돌아서는 사람은 아무도 없습니다. 침입한 바벨론군은 말합니다. 「은을 노략하라 금을 노략하라」 니느웨에는 북이스라엘을 비롯한 모든 나라에서 약탈한 보물이 무궁무진했습니다. 그것들, 「귀중한 물건들」이 이번에는 바벨론에 의해 약탈되어 가는 것입니다. 이때 아시리아 사람들이 느꼈던 전율과 공포와 절망감이 10절에 기록되어 있습니다.

니느웨가 공허하였고 황폐하였도다 주민이 낙담하여 그 무릎이 서로 부딪히며 모든 허리가 아프게 되며 모든 낯이 빛을 잃도다

「파괴와 황폐와 멸망」이라는 말은 히브리어로 발음하면 부카, 매부카, 매부라카가 됩니다. 굉장히 무서운 소리입니다. 발음이 비슷한 말투를 사용함으로써 멸망이 강조되고 있습니다. 선지자 나훔을 제외하고 도대체 누가 세계제국 아시리아가 멸망할 날을 예상할 수 있었을까요? 이렇게 하나님에게 대적하는 자에 대한 심판은 어느날 도둑처럼 갑자기 찾아옵니다. 노하시기를 더디 하시는 하나님이시지만 질투하는 하나님, 보복을 하시는 하나님이 어느날 반드시 적에게 보복하시고 격하게 진노하시고 죄와 악을 간과하시는 일은 없는 것입니다. 그러므로 오늘을 사는 우리는 지금 구원에 초대받고 있으니 그 초대에 응답하고 구원자 예수님을 마음속으로 받아들이고 믿어야 합니다.

(2) 하나님을 대적하는 자의 결국

마지막으로 11~13절은 나홈에 의해 니느웨 성읍이 조롱받고 있습니다. 나홈 자신, 스스로의 생명을 위험에 빠뜨리는 매우 대담한 예언이 아니었나 생각합니다. 선지자로서 자신의 목숨을 건 일이었음에 틀림없습니다. 11~13절을 보시기 바랍니다.

11 이제 사자의 굴이 어디냐 젊은 사자가 먹을 곳이 어디냐 전에는 수사자 암사자가 그 새끼 사자와 함께 거기서 다니되 그것들을 두렵게 할 자가 없었으며

12 수사자가 그 새끼를 위하여 먹이를 충분히 찢고 그의 암사자들을 위하여 움켜 사냥한 것으로 그 굴을 채웠고 찢은 것으로 그 구멍을 채웠었도다

13 만군의 여호와의 말씀에 내가 네 대적이 되어 네 병거들을 불살라 연기가 되게 하고 네 젊은 사자들을 칼로 멸할것이며 내가 또 네 노략한 것을 땅에서 끊으리니 네 파견자의 목소리가 다시는 들리지 아니하리라 하셨느니라

사자인 아시리아는 주변 국가들을 힘으로 약탈하고 사자 동굴을 사냥감으로 채우고 암사자와 새끼사자를 위해 찢은 것으로 채웠습니다. 힘을 가지고 여유롭게 처자를 부양하고 있는 아시리아 시민의 모습입니다. 그러나 주께서 아시리아에 맞서신다면 아시리아는 금세 멸망하고, 인근 국가에 조공을 강요하는 아시리아의 사자도 이제 없어지게 되는 것입니다. 13절 첫머리에 「내가 네 대적이 되어」라고 쓰여져 있습니다. 이 말을 통해 바벨론과 메대 연합군이 아시리아에 맞서는 것이 아니라 사실 하나님 자신이 아시리아에 맞서는 것을 알 수 있습니다. 바벨론과 메대는 그것을 위해 사용되는 도구에 지나지 않습니다. 그러므로 아시리아의 멸망이란 하나님에게 적대하는 자의 결말을 예견하고 최후의 심판을 예견한다고 할 수 있지 않을까요? 그날은 천지가 망하는 날이며 그리스도를 대적하는 사람들은 두려워하고 한탄하는 날이지만 그리스도를 의지하는 사람들에게는 위로의 날, 속죄가 완성되는 날이 되는 것입니다. 누가복음 21장 25~28 절을 참조하세요. 재림의 날 상황에 대해 예수님은 다음과 같이 말씀하셨습니다.

25 일월 성신에는 징조가 있겠고 땅에서는 민족들이 바다와 파도의 성난 소리로 인하여 혼란한 중에 곤고하리라

26 사람들이 세상에 임할 일을 생각하고 무서워하므로 기절하리니 이는 하늘의 권능들이 흔들리겠음이라

27 그 때에 사람들이 인자가 구름을 타고 능력과 큰 영광으로 오는 것을 보리라

28 이런 일이 되기를 시작하거든 일어나 머리를 들라 너희 속량이 가까웠느니라 하시더라

곧 예수님이 재림하시는 날이 옵니다. 그날은 바로 마지막 심판의 날입니다. 지금 이 세상에서 예수님을 믿기 때문에 힘든 생활을 하고 있는 분이 계실지도 모릅니다. 일본에서는 생각할 수 없지만 예수님을 믿음으로 수모를 당하고 박해받는 분이 계실지도 모릅니다. 그러나 하나님은 그날 반드시 야곱의 영광을 회복시켜 주시겠다고 약속해 주고 계십니다. 동시에 이 세상에서 아무리 명성과 풍요와 권력을 손에 넣었다 하더라도 주 하나님께 적대적이라면 그것이 얼마나 위험한 일인지를 나훔서를 통해 경고하고 있는 것입니다. 하나님의 편에 서는 것, 그보다 나은 안전은 없습니다. 로마서 8장 31절 말씀을 참조하십시오.

그런즉 이 일에 대하여 우리가 무슨 말 하리요 만일 하나님이 우리를 위하시면 누가 우리를 대적하리요

하나님은 자신의 백성인 우리의 요새가 되어주시고, 우리의 편이 되어 주시고 우리를 지켜주십니다. 마지막으로 2장 13절의 「파견자」라는 말에 주목해 볼까요? 1장 15절에는 「아름다운 소식을 알리고 화평의 소식을 전하는 자」가 언급되어 있어 13절 아시리아의 「파견자」와는 대칭적으로 되어 있습니다. 그날이 오면 아시리아의 「파견자」는 사라지고 한쪽에서는 「화평의 소식을 전하는 자」가 보내지는 것입니다. 왜냐하면 세계를 지배하는 진정한 왕은 아시리아 제국의 왕이 아니라 주 야훼이기 때문입니다. 우리의 구원자이신 주 예수 그리스도야말로 이 세상을 다스리는 진정한 왕입니다. 우리 교회는 예수 그리스도의 「아름다운 소식을 알리고 화평의 소식을 전하는 자」로서 진정한 왕이 하늘 오른쪽 자리에 착석하시고 하나님의 지배가 시작되어 하나님의 나라가 도래했음을 선포하고 전하는 것입니다. 그것이 바로 십자가의 부활에 의해 우리들에게 제시된 복된 소식, 복음인 것입니다.

결론

오늘의 설교를 정리해 보겠습니다. 하나님의 구원의 초대를 거절하고 하나님을 믿지 않는 사람들은 하나님 없이 자신들의 큰 도읍지를 만들고 자신들의 세계 제국을 만들고자 합니다. 그 도읍은 인근 국가들을 약탈하고 조공을 받아 크게 번영합니다. 그들은 자신의 힘과 자신의 지혜를 자랑스러워 할 것입니다. 그들은 권력을 잡고 전 세계도 손에 넣었다고 착각할 것입니다. 그러나 하나님에게 적대하는 그런 자들의 결국은 멸망입니다. 부카, 메부카, 메부라카 입니다. 이 사실을 아무도 외면할 수 없습니다. 하나님을 믿는 우리의 매일을 살아가는 일상적인 삶 가운데 우리들을 억압하고 괴롭히는 아시리아 같은 존재가 나타날지도 모르겠습니다. 우리 그리스도인들을 박해하는 조직으로 아시리아 같은 상황이 나타날지도 모릅니다. 우리 그리스도인들을 소외시키는 일본사회의 전통이나 지역사회의 풍습이라는 상황의 아시리아가 나타날지도 모릅니다. 그러나 그 마구잡이로 휩쓸고 다닌 아시리아 조차도 하나님의 허락 가운데 쓰여졌던 도구 였을뿐 위대한 아시리아 제국은 순식간에 멸망했습니다. 아시리아를 멸망시킨 바벨론 또한 하나님의 손 안에 있으며 페르시아에 의해 멸망 당합니다. 이 세상에 영원한 것은 아무것도 없고 주 하나님이야말로 역사를 지배하고 역사를 이끌고 계신 것입니다. 이 세상에서 우리는 나그네 같은 삶을 살아가는데 아시리아의 박해를 받은 이스라엘 백성들을 하나님이 보살펴 주시고 지켜주셨듯이 오늘날 우리의 삶도 주님은 돌아보고 지켜주실 것입니다. 우리는 그런 하나님의 이름을 세상 사람들에게 전하고 찬양하며 살아가는 사람으모 걸어가도록 합시다.

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