2022年01月23日「聖なる神様 거룩하신 하나님」

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聖なる神様 거룩하신 하나님

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
申命記 7章1節~26節

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聖句のアイコン聖書の言葉

7:1あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、
7:2あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。
7:3彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。
7:4あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。
7:5あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。
7:6あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
7:7主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。
7:8ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。
7:9あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが、
7:10御自分を否む者にはめいめいに報いて滅ぼされる。主は、御自分を否む者には、ためらうことなくめいめいに報いられる。
7:11あなたは、今日わたしが、「行え」と命じた戒めと掟と法を守らねばならない。
7:12あなたたちがこれらの法に聞き従い、それを忠実に守るならば、あなたの神、主は先祖に誓われた契約を守り、慈しみを注いで、
7:13あなたを愛し、祝福し、数を増やしてくださる。主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの身から生まれる子と、土地の実り、すなわち穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油など、それに牛の子や羊の子を祝福してくださる。
7:14あなたはすべての民の中で最も祝福される。あなたのうちには子のない男も女もなく、あなたの家畜にも子のないものはない。
7:15主はあらゆる病気からあなたを守り、あなたの知っているエジプトのあらゆる重い病気にかからせず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。
7:16あなたの神、主があなたに渡される諸国の民をことごとく滅ぼし、彼らに憐れみをかけてはならない。彼らの神に仕えてはならない。それはあなたを捕らえる罠となる。
7:17あなたが、「これらの国々の民はこちらよりも多い。どうして彼らを追い払うことができよう」と考えるときにも、
7:18彼らを恐れることなく、あなたの神、主がファラオおよびエジプトの全土になさったことを思い起こしなさい。
7:19すなわち、あなたが目撃したあの大いなる試み、あなたを導き出されたあなたの神、主のしるしと奇跡、力ある御手と伸ばされた御腕をもってなされたことを思い起こしなさい。あなたの神、主は、今あなたが恐れているすべての民にも同じことを行われる。
7:20あなたの神、主はまた、彼らに恐怖を送り、生き残って隠れている者も滅ぼし尽くされる。
7:21彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主はあなたのただ中におられ、大いなる畏るべき神だからである。
7:22あなたの神、主はこれらの国々を徐々に追い払われる。あなたは彼らを一気に滅ぼしてしまうことはできない。野の獣が増えて、あなたを害することがないためである。
7:23あなたの神、主は彼らをあなたに渡して、大混乱に陥れ、ついには滅亡に至らせる。
7:24彼らの王たちはあなたの手に渡され、あなたはその名を天の下から滅ぼし尽くす。だれ一人あなたに立ち向かいえず、ついには滅亡する。
7:25彼らの神々の像は火に投じて焼きなさい。それにかぶせてある銀や金に目を奪われて、それを取っておくことがあってはならない。あなたがその罠に陥ることがないためである。それは、あなたの神、主のいとわれることである。
7:26いとうべきものをあなたの家に持ち込んではならない。そうすれば、あなたも同じ様に滅ぼし尽くすべきものとなる。それを憎むべきものとして憎み、徹底していとい退けなさい。それは滅ぼし尽くすべきものである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
申命記 7章1節~26節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

申命記5章からモーセの第二の説教が始まりました。29章から30章までが第三の説教となり、最後の31章から34章までが結論部分になります。少しこれまでの復習をしますと、第一の説教では過去の回想がメインでありました。第二の説教では、最初に十戒が語られ、6章において十戒の第一戒について詳細に語られました。私たちの神である主は、唯一の主であり、この方の他に、神々があってはならないということです。この方を、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、愛して行かなければならないということです。そして、本日の7章からは、十戒の第二戒について、詳しく書かれています。「あなたはいかなる像も作ってはならない、それらに向かってひれ伏したり、仕えたりしてはならない」であります。イスラエルが聖なる民として歩むために、律法の中で、様々な規定が与えられました。ご存知のように、イスラエルに与えられたこの法律は、決してイスラエルが自分たちの議会で決議して作成したものではありませんでした。それは神様から一方的に与えられた法でありました。現代の日本国憲法も、日本人の議会で決議されたものではなく、アメリカから一方的に与えられたと言う事もできるかもしれませんが、さすがに、神様から直接与えられたものとは言えないでしょう。イスラエルにおいては、神様から直接授かったこの律法に権威があり、律法がイスラエルの民の歩みを規定し、支配して来たのです。ですから、律法を授かったイスラエルは、歴史の中で、ずっと主権国家ではなく、律法の作成者である主なる神様が君主として治める、神政国家であったということになります。イスラエルの民は君主を愛し、君主から授かったこの掟と法と戒めに聞き従って歩むべきでありました。

【1】. イスラエルの選び

さて、7:6節には神様の素晴らしい約束の御言葉がイスラエルに与えられています。

“あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。”

「ご自分の宝の民とされた」という表現は、実は、申命記にしばしば出て来る言葉です。出エジプト記にも出てきます。主はイスラエルの民を大切に、大切にされて、目に入れても痛くないような、宝の民のようにされたということです。そして、その言葉の前提として「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である」と書かれています。この「聖なる」という言葉は、神様によって「取り分けられた」という意味です。なぜ取り分けられたのかというと、神様がご自分の所有とするためです。私たちが小学生のころ、自分の持ち物には全て名前を書くようにと教えられましたね。なぜなら、周りの人もみんな、同じものを持っているので、自分のものが、どれだかわからなくなるからです。上履きにも、ランドセルにも、体操着にも、道具箱や、絵具や、クレヨンや、笛や、カスタネットに至るまで、必ず名前を書かなければなりません。或いは三文判のハンコを押した人もいることでしょう。そうすれば、自分の物と他人の物ときちんと区別できるからです。自分のものは、自分が責任を持って扱い、自分が責任を持って大事に、使用します。神様にとってもこれは同様です。ご自分の所有の民にはご自分の名前を記さなければなりません。神様が名前を付けるという行為、これが、即ち「取り分ける」とか、「捺印をする」という行為であり、イスラエルを聖なる民とするということだと思います。ですから神様を信じる皆様には、神様によって取り分けられ、神の民という捺印が既に押されているということです。神様は、私たちを取り分けてくださり、ご自身の所有としてくださったため、既に私たちは主にあって聖いという事が言えるでしょう。主にあって聖徒であるという事です。しかし、この神の聖さとは、私たちたちが想像するような道徳的な聖さではなりません。世の中には、道徳的に尊敬できる素晴らしい人々が何人もいますが、そのような道徳的な聖さではなく、神様ご自身が持っている聖さ、神の属性であります。この聖さとは、私たちが今まで見たこともないし、知ることもなかったものです。神の聖さは信仰によって少しずつ、私たちを通して浮き彫りにされていくものであります。逆に言えば、神様を信じる信仰によってでなければ、決して現れて来ることはないものであると言えるでしょう。神様は、ご自身の聖さが、イスラエルを通して少しずつ炙り出されていくことを願われておられるのです。カナンの地において、イスラエルを通して、神の聖さが現れることを願われているのです。それでは、イスラエルがそのような民として、選ばれた理由とは一体何だったのでしょうか。7~8節をご覧ください。

“主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。”

イスラエルの数が多くて優勢な民だったから選ばれたのではありません。彼らが勇猛で力が強かったから選ばれたのでもありません。事実、彼らはどの民よりも貧弱でありました。選ばれた理由が、イスラエルの内側にあったということが、ここで完全に否定されています。ところで君主が、ご自身の王国の為に戦士を選抜するために、貧弱な民を敢えて選抜する人がどこにいるでしょうか。そんなことをしていたら王国自体、立ち行かないに違いないでしょう。しかし、神様は全く不思議なお方で、逆に足手まといになりそうな、イスラエルを選び、ご自身の聖なる民とされ、ご自身の王国の戦士として選抜されたのです。それは、ただ、主がイスラエルを愛されたからであり、一方的な神の恵みによるものでありました。そして、もう一つ理由をあげるなら、イスラエルの先祖たちに誓われた誓いを、守られたからであったと言います。先祖たちに一貫して誓われた誓いとは何かと言えば、例えばアブラハムに約束された言葉を、代表に挙げることができるでしょう。創世記15:13~16をご覧ください。

“主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」”

アブラハムに語られた御言葉が、400年後にその通り成就されるということです。これらのことから推測できることは、神様とはご自分の立てた誓いに対して忠実な方、信頼できる方、偽りのないお方であるということが分かります。主なる神様はこのようにご自身の御言葉に対しては徹底的に信実なお方であり、従ってご自身が語られた御言葉は必ず成就されるのです。そして、イスラエルの先祖たちと交わされた約束については、幾世代もの時間を超えても、依然として有効であり、この変わらないお方に、岩のような堅固なお方に、イスラエルはいっそうの信頼を寄せることが出来るのです。確かに、主なる神は目には見えませんが、イスラエルは何と素晴らしい君主を自分たちに迎え入れることが出来たのでしょうか。このように自分たちを愛してくださる信実な主なる神様を仰ぎつつ、イスラエルの民は、全身全霊で主を愛し、主が行えと命じられた、戒めと掟と法を守って歩まなければならないのです。

【2】. 偶像に我慢ならない神様

イスラエルがカナンに攻め入った時にイスラエルがなすべきことは、5節に列挙されています。「あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。」女神であるアシェラの像は、木で造られた像であったり、祭壇の横に植えられた神木のようなものを指していました。聖書の他の箇所では、カナン人の礼拝場所(出34:13)や、バアルの祭壇の傍ら(士師6:25、28)に立てられていたと書かれています。そしてカナンの人々は、これらの神々の前で淫乱なことを行い、地に雨が降るように乞い願っていたようです。日本においても、遊郭は大抵、神社仏閣の前に栄えていますが、それと全く同じことだと思います。もともとカナンの地は肥沃な土地でありましたらから、一度雨が降ると、あらゆる農作物が芽を吹いたのでしょう。淫行な交わりを通して雨を乞い願い、そして雨がもたらされた時にカナンの地は緑に覆われたのです。このカナン人の偶像礼拝があまりも生々しいために、イスラエルに悪い影響を及ぼすことがないよう、カナン人と縁組を結んだり、娘をカナン人に嫁がせたり、カナン人の嫁を迎え入れたりしてはならない、と警告が与えられているのです。もし、そういった所で妥協するなら、必ずそのことを通して偶像礼拝がイスラエルにも入ってきて、次第に主なる神を忘れてしまい、目に見える偶像に仕えることになるだろうと警告しているのです。

従って「カナンの地の先住民を滅ぼし尽くしなさい」という命令は、現代に生きる私たちの目からは、いかにも奇妙な命令であり、乱暴に見えるかもしれませんが、当時の文脈に沿って考えなければなりません。「カナンの地の先住民を滅ぼし尽くす」という命令は、偶像に我慢ならない主なる神様が、偶像を仕えている民を裁くために与えられた命令として考えられるのです。そして、神様の従順な代理人であるイスラエルを通して、異教の民に裁きが下されたという事です。この戦いは、主の戦いであり、戦利品も全て主のものでありました。従って、勝利は約束されていたものの、イスラエルは、たとえ自分たちがカナンの先住民より数が少なく、貧弱であっても、主に信頼して、恐れず、大胆に戦いに出ていかなければなりませんでした。また、特に一番最初の戦利品については、あたかも主に献げる「焼き尽くす献げ物」のように、全て主に献げなければならないという意味です。それで、「滅ぼし尽くせ」と命じられたのです。万が一、この戦利品を人間的な思いから、もったいないと思ってしまい、自分の懐に、こっそり着服しようとするなら、神の裁きは、直ちにその人に対して下ることでしょう。サウル王が、アマレク人を滅ぼし尽くせと命じられたにも拘わらず、アマレクの王と、肥えた家畜を殺さないで残しておいたのは(1サム15:9)、まさにその例でした。サウルが信仰の人ではなく、神を利用しようとした人であったということです。いずれにせよ、神の所有とされたイスラエルの民は、信仰によって歩んで行く時に、勝利がもたらされ、そして、信仰によって歩んで行く時に、神様の聖さがあぶり出されていくということになっているのです。

【3】. 神の慈しみと祝福

続いて12~15をご覧ください。聖なる民が信仰によって歩んで行く時に与えられる、神の慈しみと祝福が書かれています。

“あなたたちがこれらの法に聞き従い、それを忠実に守るならば、あなたの神、主は先祖に誓われた契約を守り、慈しみを注いで、あなたを愛し、祝福し、数を増やしてくださる。主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの身から生まれる子と、土地の実り、すなわち穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油など、それに牛の子や羊の子を祝福してくださる。あなたはすべての民の中で最も祝福される。あなたのうちには子のない男も女もなく、あなたの家畜にも子のないものはない。主はあらゆる病気からあなたを守り、あなたの知っているエジプトのあらゆる重い病気にかからせず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。”

ここに書かれている祝福は、第一に、子宝に恵まれます。これはイスラエル民族が増し加えられ強大になるという意味です。第二に、穀物、ぶどう酒、家畜の子が増し加えられるという事です。穀物と、ぶどう酒と、家畜の子は、当時、彼らにとって財産そのものでありましたから、これらが増し加えられるというのは、経済的に裕福にされることを意味していました。ところで、ある注解書(WBC)によると、この「穀物」と、「ぶどう酒」と、「家畜の子」のヘブライ語は全て、偶像の神々の名前であったと指摘されています。つまり、カナンの地において、偶像の神々に仕えるということは、まさに経済的に裕福にされることを、富が増し加えられ、お金持ちになることを、祈願していたということが分かります。財産を築くことの切実なる願望をここから見て取ることが出来ます。結局、今の時代も昔の時代も金の力が全てであるということです。しかし、これらの物質的な豊かさというのは、実は、全て神様の御手の中にあるのです。もしイスラエルが、神様に信頼し、神様に依り頼み、偶像を除いて行って、神様が聖であられるように、聖なる民として歩んでいくのなら、健康に加えて、それら全てを祝福としてイスラエルに与えられるのだと約束されているのです。自分たちの当面のお金を心配して、目に見える偶像に仕えるのではなく、目に見えない神様に仕えて行く時に、結果として後付けで、健康の問題も経済の問題も全ての心配事も神様が解決してくださるのです。それが神様の約束なのです。

【結論】

現代に生きる私たちに神様は聖書の御言葉を通して、「異教の民を滅ぼし尽くしなさい」と語られることはありません。なぜなら、イエス様は「敵を愛しなさい」と言われているからです。しかし、私たちが信仰の歩みを通して神様の聖さを現わすように、このことを勧められているのは、旧約であれ、新約であれ、変わらないことであります。福音を照らす光りが、旧約の時代と新約の時代では、確かに異なりますが、主は一貫して、「神様が聖であられるように、神の所有とされたあなた方も聖でありなさい」とおっしゃっておられます(1ペテロ 1:15)。私たちは誰も自分の力で、自分を聖くすることはできませんね。地上のいかなる人も、自分の行いによって、自分の力によって、聖くなることはできません。しかし、信仰によって神様は私たちの人生に聖さを賜物として与えて下さるのです。掟と法と戒めに聞き従おうとし、神様を愛し、神様を畏れ、砕かれた霊によって、ただひたすら神様にだけ依り頼む時に、神様はイスラエルを通してご自身の聖さを現わしてくださるのです。それだけではなく、神の豊かな祝福が、健康と富が私たちの後を追いかけてくるのです。

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거룩하신 하나님

2022년 1월 23일 센겐다이 주일설교

신명기 7장 1~26절

서론

신명기 25장에서부터 모세의 두 번째 설교가 시작되었습니다. 29장에서부터 30장까지가 세 번째 설교이며 마지막 31장에서부터 34장까지가 결론부분이 되겠습니다. 간단하게 지금까지의 복습을 해 보자면, 첫 번째 설교에서는 과거의 회상이 메인을 차지했습니다. 두 번째 설교에서는 처음에 십계명을 말했고 6장에서 십계명의 첫 계명에 대해 자세히 설명했습니다. 우리의 하나님 되신 주님은 유일한 주님이시며 이 분외에는 신들이 없다는 것입니다. 이 분을 마음을 다해서, 영혼을 다해서 힘을 다해서 사랑해 가야 한다는 것입니다. 그리고 오늘 살펴 볼 7장 부터는 십계명의 제 2계명에 대해 자세히 쓰여져 있습니다. “너는 어떤 우상도 만들어서는 안되며 그것을 향해 절해서도 섬겨서도 안된다”라는 계명입니다. 이스라엘이 거룩한 백성으로 걸어가기 위해 율법 안에서 여러가지 규례가 주어졌습니다. 아시다시피, 이스라엘에게 주어진 이 율법은 결코 이스라엘이 자신의 의회에서 결의하여 작성한 것이 아닙니다. 그것은 하나님으로부터 일방적으로 주어진 법이었습니다. 현대의 일본 헌법도 일본인의 의회에서 결의된 것이 아니라 미국으로부터 일방적으로 주어졌습니다만 하나님으로부터 직접 받은 율법하고는 비교할 수가 없습니다. 이스라엘에 있어서는 하나님으로 부터 직접 받은 이 율법에 권위가 있고 하나님으로 부터 직접 받은 이 율법이 이스라엘 백성의 행보를 규정하고 다스리신다는 것입니다. 그러므로 율법을 받은 이스라엘은 역사 속에서 계속 「주권국가」가 아니라 율법의 창조자인 주 하나님이 군주로 다스리는 「신정국가」였다는 것입니다. 이스라엘 백성은 군주를 사랑하고 군주로부터 받은 이 규례와 율법과 계명을 듣고 따라서 걸어야 했습니다.

(1) 이스라엘의 선택

그럼 7장 6절에는 하나님의 위대한 약속의 말씀이 이스라엘에게 주어집니다.

6 너는 여호와 네 하나님의 성민이라 네 하나님 여호와께서 지상 만민 중에서 너를 자기 기업의 백성으로 택하셨나니

자신의 성민으로 삼으셨다는 표현은 실은 신명기에 자주 나오는 단어입니다. 출애굽기에도 나옵니다. 주는 이스라엘의 백성을 소중하게 귀하게 여기셔서 눈에 넣어도 아프지 않을 존재인 보화같이 여기신 백성이라는 뜻입니다. 그리고 그 단어의 전제로서 「너는 여호와 네 하나님의 성민이라」 라고 쓰여져 있습니다. 이 「거룩하다」라고 하는 단어는 「하나님에 의해서 구별되었다」는 뜻입니다. 왜 구별되었는가 하면 하나님이 자신의 소유로 삼으시기 때문입니다. 우리들이 초등학생 때 자신의 소지품에는 모두 이름을 쓰도록 지도를 받았지요. 왜냐하면 주위의 아이들도 모두 같은 것을 가지고 있었기 때문에 자신의 것이 어느 것인지 모르게 되기 때문입니다. 실내화에도, 가방에도, 체육복에도, 도구상자나 그림도구나 필통에도 피리나 캐스터넷에 이르기까지 반드시 자신의 물건에는 자신의 이름을 써야만 했습니다. 또는 자기거라는 표시로 스탬프를 찍은 사람도 있을 겁니다. 그렇게 하면 자신의 물건과 타인의 물건을 제대로 구별할 수 있기 때문입니다. 자신의 것은 자신이 책임을 지고 소중히 사용합니다. 하나님에게도 이것은 마찬가지입니다. 자신의 소유의 백성에게는 자신의 이름을 적어야만 하는 것입니다. 하나님이 이름을 적는다는 행위, 이것이 즉 “구별한다” “분리한다” “날인을 한다”라는 행위이며 이스라엘을 거룩한 백성으로 한다는 것이라고 생각합니다. 그러므로 하나님을 믿는 여러분에게는 하나님에 의해 구분되어 하나님의 백성이라는 날인이 이미 찍혀있다는 것입니다. 하나님은 우리를 구별하여 주시고 자신의 소유로 삼아 주셨기 때문에 이미 우리는 “주님 안에서 거룩하다”는 것을 말할 수 있을 겁니다. 주님안에서 거룩한 사람이라는 것입니다. 그러나 이 하나님의 거룩함은 우리가 상상하는 도덕적인 거룩함이 아닙니다. 세상에는 도덕적으로 존경할 수 있는 놀라운 사람들이 많지만, 그러한 도덕적인 거룩함이 아니라 하나님 자신이 가지고 있는 거룩함, 하나님의 속성입니다. 이 거룩함은 우리가 지금까지 본 적도 없고 알지 못했던 것입니다. 하나님의 거룩함은 믿음에 의해 조금씩 우리를 통해서 부각되어 가는 것입니다. 반대로 말하자면 하나님을 믿는 믿음이 아니면 결코 나타나지 않을 것이라고도 말할 수 있을 것입니다. 하나님은 자신의 거룩함이 이스라엘을 통해서 조금씩 나타나기를 바라십니다. 가나안 땅에서 이스라엘을 통해서 하나님의 거룩함이 나타내기를 원하고 계시는 것입니다. 그렇다면 이스라엘이 그러한 백성으로 선정된 이유는 무엇입니까? 7,8절을 참조하십시오.

7 여호와께서 너희를 기뻐하시고 너희를 택하심은 너희가 다른 민족보다 수효가 많기 때문이 아니니라 너희는 오히려 모든 민족 중에 가장 적으니라

8 여호와께서 다만 너희를 사랑하심으로 말미암아, 또는 너희의 조상들에게 하신 맹세를 지키려 하심으로 말미암아 자기의 권능의 손으로 너희를 인도하여 내시되 너희를 그 종 되었던 집에서 애굽 왕 바로의 손에서 속량하셨나니

이스라엘의 수가 많아서 우세한 백성이었기 때문에 선택받은 것이 아닙니다. 그들이 용맹하고 힘이 강했기 때문에 선택된 것도 아닙니다. 사실 그들은 어떤 사람들보다 빈약했습니다. 선택받은 이유가 이스라엘 안에 있었다는 것이 여기에서는 완전히 부정되었습니다. 그런데 군주가 자신의 왕국을 위해 전사를 선별할 때 빈약한 백성을 일부러 선택하는 사람이 어디에 있습니까? 그런 일을 하면 왕국 자체가 제대로 세워지지 않을 것이 틀림없습니다. 그러나 하나님은 정말 기묘하신 분으로 일반적인 생각과는 반대로 맨 밑바닥에 있을 것 같은 이스라엘을 선택하셔서 자신의 거룩한 백성으로 삼아서 자신의 왕국의 전사로 선발하신 것입니다. 그것은 단지 이스라엘을 사랑하신 일방적인 하나님의 은혜 때문이었습니다. 그리고 또 하나의 이유를 든다면 이스라엘의 조상들에게 하신 맹세를 지키셨기 때문입니다. 선조들에게 일관되게 하신 맹세라는 것이 무엇인가를 말하자면 예를들어 아브라함에게 약속하신 말씀을 대표로 들을 수가 있을 겁니다. 창세기 15장 13-16절을 참조하여 주십시오.

13 여호와께서 아브람에게 이르시되 너는 반드시 알라 네 자손이 이방에서 객이 되어 그들을 섬기겠고 그들은 사백 년 동안 네 자손을 괴롭히리니

14 그들이 섬기는 나라를 내가 징벌할지며 그 후에 네 자손이 큰 재물을 이끌고 나오리라

15 너는 장수하다가 평안히 조상에게로 돌아가 장사될 것이요

16 네 자손은 사대 만에 이 땅으로 돌아오리니 이는 아모리 족속의 죄악이 아직 가득 차지 아니함이니라 하시더니

아브라함에게 하신 말씀이 400년 후에 그대로 성취된다는 것입니다. 이러한 것으로부터 추측할 수 있는 것은 하나님이란 분은 자신이 세운 맹세애 충실한 분, 신뢰할 수 있는 분, 거짓이 없는 분이라는 것을 알 수 있습니다. 주님이신 하나님은 이렇게 자신의 말씀에 대해서는 철저하게 신실한 분이며 따라서 자신이 말씀하신 말씀은 반드시 성취되는 것입니다. 그리고 이스라엘의 조상들과 나눈 약속에 대해서는 수세대의 시간을 초월하여도 여전히 유효하며, 이 변함없는 분, 바위 같은 견고한 분에게 이스라엘은 한층 더 신뢰할 수가 있는 것입니다. 주님이신 하나님은 눈에는 보이지 않지만 이렇게 놀라운 분을 이스라엘은 어떻게 자신들의 군주로 맞이할 수 있었단 말입니까. 이와 같이 자신들을 사랑해주시는 신실한 주 하나님을 바라보면서 이스라엘 백성은 몸과 마음을 다해 주님을 사랑하고 주님이 행하라고 명하신 계명과 규례와 율법을 지키며 인생의 길을 걸어야 하는 것입니다.

(2) 우상을 용서 하시지 않는 하나님

이스라엘이 가나안을 공격할 때 이스라엘이 해야 할 일은 5절에 열거되어 있습니다. 「오직 너희가 그들에게 행할 것은 이러하니 그들의 제단을 헐며 주상을 깨뜨리며 아세라 목상을 찍으며 조각한 우상들을 불사를 것이니라」여신인 아세라의 동상은 나무로 만들어진 목상이기도 하며 혹은 우상숭배 제단 옆에 심어진 신성시 되는 나무 같은 것을 가리키고 있습니다. 성경의 다른 구절에서는 가나안 사람들의 예배 장소 (출애굽기 34장 13절)와 바알의 제단 옆(사사기 6장 25절, 28절)에 세워져 있다고 기록되어 있습니다. 그리고 가나안 사람들은 이 신들 앞에서 음란한 일을 하며 땅에 비가 내리길 바랐던 것 같습니다. 일본에 있어서도 대개 유곽들이 신사와 절 앞에 번창하고 있습니다만 그것과 완전히 같은 것이라고 생각합니다. 원래 가나안 땅은 비옥한 땅이었기 때문에 한번 비가 내리면 모든 농작물이 싹을 틔었습니다. 음란한 행위를 통해서 비가 내리기를 간구하고 비가 오면 가나안 땅은 녹색으로 뒤덮였습니다. 이 가나안인의 우상 숭배가 너무 생생하기 때문에 이스라엘에 나쁜 영향을 미치지 않도록 가나안인과 연합을 맺거나 딸을 가나안인에게 시집을 보내거나 가나안인 며느리를 맞이해서는 안된다는 경고가 주어집니다. 만약 그러한 부분에서 타협을 한다면 반드시 그 혼인을 통해서 우상숭배가 이스라엘에게 들어와서 점차 주 하나님을 잊어버려 눈에 보이는 우상을 섬기게 될 것이라고 경고하고 있습니다.

그러므로 “가나안 땅의 원주민을 진멸 시켜라”는 명령은 현대에 사는 우리의 눈으로 보기에는 아무리 보아도 이상한 명령이며 난폭하게 보일지도 모르지만, 당시의 맥락을 따라 생각해야 합니다. “가나안 땅의 원주민을 진멸하라”는 명령은 우상숭배를 간과하시지 않는 주 하나님이 우상을 섬기는 백성을 심판하기 위해 주신 명령으로 생각할 수 있겠습니다. 그리고 하나님께 순종하는 대리인인 이스라엘을 통해서 이교도의 백성들에게 심판이 내려졌다는 것입니다. 이 전투는 주님의 싸움이었고 전리품도 모두 주님의 것이었습니다. 따라서 승리는 약속되었지만 이스라엘은 가난안의 원주민보다도 수가 적고 빈약하더라도 주를 신뢰하고 두려워하지 말고 대담하게 전투에 임했어야 했습니다. 또 특히 제일 처음의 전리품에 대해서는 마치 주님에게 바치는 번제물처럼 모두 주님께 바치지 않으면 안되었습니다. 그래서 “다 진멸 시켜라”라고 명하신 것입니다. 만일 이 전리품을 인간적인 생각에서 아깝다고 생각해서 자신의 주머니에 몰래 착복하려고 한다면 하나님의 심판은 즉시 그 사람에 대하여 내려질 것입니다. 사울왕이 아말렉 사람들을 멸망시키라는 명령을 받았음에도 불구하고 아말렉의 왕과 살찐 가축을 죽이지 않고 남겨둔 것은 (사무엘상 15장 9절), 바로 그 예입니다. 사울이 믿음의 사람이 아니라 하나님을 이용하려고 한 사람이었다는 것입니다. 어쨌든 하나님의 소유로 여겨진 이스라엘 백성은 믿음으로 살려고 할 때 승리를 할 수 있으며 믿음으로 살려고 할 때 하나님의 거룩함을 나타낼 수 있는 것입니다.

(3) 하나님의 자비와 복

계속해서 12-15절을 보십시요. 거룩한 백성이 믿음으로 살 때 받는 하나님의 자비와 복이 쓰여 있습니다.

12 너희가 이 모든 법도를 듣고 지켜 행하면 네 하나님 여호와께서 네 조상들에게 맹세하신 언약을 지켜 네게 인애를 베푸실 것이라

13 곧 너를 사랑하시고 복을 주사 너를 번성하게 하시되 네게 주리라고 네 조상들에게 맹세하신 땅에서 네 소생에게 은혜를 베푸시며 네 토지 소산과 곡식과 포도주와 기름을 풍성하게 하시고 네 소와 양을 번식하게 하시리니

14 네가 복을 받음이 만민보다 훨씬 더하여 너희 중의 남녀와 너희의 짐승의 암수에 생육하지 못함이 없을 것이며

15 여호와께서 또 모든 질병을 네게서 멀리 하사 너희가 아는 애굽의 악질에 걸리지 않게 하시고 너를 미워하는 모든 자에게 걸리게 하실 것이라

여기에 쓰여져 있는 복은 첫째 자손이 번성한다는 은혜입니다. 이것은 이스라엘 민족이 번성하여 강대해진다는 의미입니다. 둘째 「곡식」과 「포도주」, 「소와 양」이 늘어난다는 것입니다. 「곡식」과 「포도주」와 「소와 양」은 그들에게는 재산 그 자체였으므로 이것들이 는다는 것은 경제적으로 윤택해진다는 복을 의미합니다. 그런데 어느 주석(WBC) 에 의하면 이 곡식과, 포도주, 짐승의 히브리어는 전부 우상의 신들의 이름이었다고 지적되고 있습니다. 즉, 가나안 땅에서 우상의 신들을 섬기는 것은 바로 경제적으로 부유하가게 되는 것을, 부가 늘어나 부자가 되기를 기원하고 있었다는 것을 알 수 있습니다. 재산을 쌓는 것의 절실한 욕망을 여기서 볼 수 있습니다. 결국 지금의 시대도 옛 시대도 돈의 힘이 전부라는 것입니다. 그러나 이러한 물질적인 풍요로움은 사실 모두 하나님의 손 안에 있는 것입니다. 만약에 이스라엘이 하나님을 신뢰하고 하나님을 의지하고 우상을 제거하고 하나님이 거룩하신 것처럼 거룩한 백성으로 걸어 간다면 건강뿐만 아니라 그것들을 다 복으로 이스라엘 백성에게 주신다고 약속하고 계십니다. 자신들에게 닥친 돈에 대한 문제를 걱정하여 눈에 보이는 우상에게 절하는 것이 아닌 눈에 보이지 않는 하나님을 섬길 때 결과적으로는 건강과 물질 부분도 모든 염려하는 일도 하나님이 해결 해 주신다는 것입니다. 그것이 하나님의 약속입니다.

결론

현대에 사는 우리들에게 하나님은 성경의 말씀을 통해서 「이교도를 진멸시켜라」라고 말하시는 것은 아닙니다. 왜냐하면 예수님은 「원수를 사랑하라」라고 말씀하시고 계시기 때문입니다. 그러나 우리들이 믿음의 행보를 통해서 하나님의 거룩함을 나태내라고 권고받고 있는 것은 구약이든 신약이든 변하지 않는 진리인 것입니다. 복음을 비추는 빛이 구약의 시대와 신약의 시대에서는 확실히 다릅니다만 주님은 일관되게 오직 너희를 부르신 거룩한 이처럼 너희도 모든 행실에 거룩한 자가 되라 (베드로전서 1장 15절)고 말씀 하십니다. 우리들은 누구도 자신을 거룩하게 만들 수 없습니다. 지상의 어떠한 사람도 자신의 행위로 자신의 힘으로 거룩하게 될 수 없습니다. 그러나 믿음으로 하나님은 우리의 삶에 거룩함을 선물로 주시는 것입니다. 하나님을 사랑하고 하나님을 두려워하고 오직 하나님께만 의지할 때 하나님은 이스라엘을 통해 자신의 거룩함을 나타내시는 것입니다. 뿐만 아니라 하나님이 주시는 풍요로운 복, 건강과 부가 뒤 따르는 것 입니다.

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