2020年11月15日「アラム連合軍との戦い 아람 연합군과의 전투」

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アラム連合軍との戦い 아람 연합군과의 전투

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記下 10章1節~19節

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聖句のアイコン聖書の言葉

10:1その後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。
10:2ダビデは、「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言って、使節を遣わして哀悼の意を表そうとした。ところが、ダビデの家臣たちがアンモン人の領地に入ると、
10:3アンモン人の高官たちは主君ハヌンに言った。「ダビデがお父上に敬意を表して弔問の使節を送って来たとお考えになってはなりません。この町を探りうかがい、倒そうとして、家臣を送り込んだにちがいありません。」
10:4それでハヌンはダビデの家臣を捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落として追い返した。
10:5この人たちが甚だしい辱めを受けたという知らせがダビデに届くと、ダビデは人を遣わして彼らを迎えさせ、王の伝言として、「ひげが生えそろうまでエリコにとどまり、それから帰るように」と言わせた。
10:6アンモン人は、ダビデの憎しみをかったと悟ると、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に人を遣わして歩兵二万を傭兵として要請し、マアカの王には兵一千、トブには兵一万二千を要請した。
10:7これを聞いたダビデは、ヨアブをはじめ勇士たちの全軍を送り出した。
10:8アンモン人は城門の入り口まで出て戦いに備え、ツォバとレホブのアラム兵およびトブとマアカの兵は野にあって戦いに備えた。
10:9ヨアブは戦線が前方と後方にあるのを見て、イスラエルの全精鋭から兵をえりすぐり、アラム軍に向かって戦列を整え、
10:10残りの兵士を兄弟アビシャイの指揮にゆだねて、アンモン軍に向かって戦列を整えさせた。
10:11ヨアブは言った。「アラム人がわたしより強ければ、こちらを助けてくれ。アンモン人がお前より強ければ、そちらを助けに行く。
10:12我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように。」
10:13ヨアブと彼に従う兵士たちが戦おうと迫ると、アラム軍はヨアブの前から逃げ去った。
10:14アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出し、町の中に入った。ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰った。
10:15イスラエルに打ち負かされたと見ると、アラムは団結し、
10:16ハダドエゼルは人を遣わして、ユーフラテスの向こうにいたアラム軍を出動させた。彼らは、ハダドエゼルの軍の司令官ショバクに率いられてヘラムに着いた。
10:17報告を受けたダビデもイスラエルの全軍を集結させ、ヨルダン川を渡ってヘラムに向かった。アラム軍は戦列を整えてダビデを迎え撃ち、戦ったが、
10:18彼らはイスラエルの前から逃げ去った。ダビデはアラムの戦車兵七百、騎兵四万を殺し、軍の司令官ショバクもその場で打ち殺した。
10:19ハダドエゼルに隷属していた王たちは皆、イスラエルに敗北したことを認めて和を請い、イスラエルに隷属した。アラム人は恐れて、二度とアンモン人を支援しなかった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記下 10章1節~19節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

本日のサムエル記下10章の記事はなぜ、この位置に置かれているのか、そしてサムエル記の著者は、本日の10章を通して一体何を言わんとしているのか、中々理解するのに苦しみました。アラム連合軍との戦いは8章にも書かれています。8章の内容が年代順に書かれているというより、ダビデが東西南北、四方を征服したその生涯における「記念碑的な戦勝記事」であるとして考えるなら、本日の10章~12章の記事は、8章に書かれている記事の中身であると考えることが出来るかもしれません。いずれにしてもこの戦いは主が戦われて、主が約束に従ってダビデに勝利を与えてくださったということだと思います。しかし、もしそうであるなら、なぜ、9章のメフィボシェトの記事が、突然そこに挿入されているのか理解に苦しむわけであります。10章は、8章と同じように「その後」という言葉から始まっています。サムエル記において、「その後」という言葉が時間的な経緯というより、物語の転換を表すしるしとして考えられますので、「その後」という言葉をもって、厳格に年代を確定させることは難しいようです。それよりもメフィボシェトに慈しみが注がれた事件と、本日の事件が神学的において、大変大きな関連があるという事に目を留めていきたいと思います。つまり救いとは何かと言えば、神の招きの言葉にそのまま応答することであり、神の恵みをただ受け取ることですが、それでは反対に、裁きとは何かと言えば、神の招きの言葉に耳を貸すことをせず、むしろ神の恵みに、悪をもって返すことであるということが出来るでしょう。もしかしたら本日の箇所を通してそのことが語られているのではと思わされました。1~2節を御覧ください。

【1】. 恵みを悪によって返す人々

“その後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。ダビデは、「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言って、使節を遣わして哀悼の意を表そうとした。”

2節の言葉は、9:1の「サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい」という言葉と大変類似していることに気付かされます。つまり、9章の記事は、ヨナタンとの契約に対する忠実さが、即ちヘブライ語の「ヘセッド」が、その子メフィボシェトに注がれる物語として理解しましたが、本日の10章においても、やはりハヌンの父ナハシュの故に、その子ハヌンに忠実「ヘセッド」であるべきだ、というダビデの言葉によって始まっています。9章と10章には何らかの関連がありそうです。それでは、アンモン人とは、どのような民族だったのかといいますと、前回使用した地図と同じものですが、御覧ください。この地図を見ますと、アンモン人とはヨルダン川の東に定住していて、首都がラバであるということが分かります。アンモン人の祖先はアブラハムの甥であるロトにまで遡ります。イスラエルとは親戚のような民族です。神はロトの子孫さえ憐れんでくださり、彼らが住むための土地を与えられました。申命記2:18~19には次のような御言葉があります。そのままお聞きください。

“「あなたは、今日、モアブ領アルを通り、アンモンの人々のいる所に近づくが、彼らを敵とし、彼らに戦いを挑んではならない。わたしはアンモンの人々の土地を領地としてあなたには与えない。それは既にロトの子孫に領地として与えた。」――”

ロトがアブラハムの甥であるということから、ロトの子孫のアンモン人に対して彼らの土地をイスラエルの領土として与えませんよと、申命記に書かれている訳です。ところが、その後、カナン地域に入植していったイスラエルに対し、士師記に描かれているように、アンモン人は常にイスラエルに対して好戦的であったと書かれています。また、サウルの時代にもギルアドのヤベシュがアンモン人によって包囲されました。この時はサウルがアンモン人を討ち破りギルアドのヤベシュの人々を救い出しますが、イスラエルとアンモンとの関係は常に敵対関係にあったと言えるでしょう。ただ、ダビデがサウル王に追われて逃亡生活をしていた頃は、聖書には具体的に何も書かれていませんが、もしかしたらダビデはナハシュに助けてもらったのかもしれません。さて、アンモン人の新しい王ハヌンは、果たしてダビデの使節をそのまま受け入れたでしょうか。3~4節を御覧ください。

“アンモン人の高官たちは主君ハヌンに言った。「ダビデがお父上に敬意を表して弔問の使節を送って来たとお考えになってはなりません。この町を探りうかがい、倒そうとして、家臣を送り込んだにちがいありません。」それでハヌンはダビデの家臣を捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落として追い返した。”

ハヌンは自分の取り巻きの高官たちの意見に耳を傾けて、何と、ダビデの家臣を捕えて、とんでもない侮辱を加えてしまいました。当時のオリエント世界において、男性のひげとは自尊心であり、自由の象徴でありました。ひげを剃り落とされるというのは、去勢されたのと同じような屈辱を与えることを意味します。また当時のイスラエルの民が着ていた衣服というのは、今日のように上着とズボンという風には分かれておらず、帯で締めるという着こなしです。ですから衣服を半分切り落とすという事は、想像にお任せしますが、恥ずかしい所が見えるようにさせられたということです。ダビデは、すぐに人を遣わして侮辱された彼らを迎え入れ、ひげが生えそろうまでエリコに留まるようにと慰労を伝えました。ダビデの使節に対するこのような侮辱は、使節を派遣したダビデに対するものであったと言っても過言ではないでしょう。このように、もし、私たちの取り巻きが悪いならば、神さまの招きの言葉を誤って聞き違い、かえって神さまのご好意に暴虐を振舞うことがあるということです。この箇所は、福音書に出て来る、「種を蒔く農夫の譬え」を想起させます。御言葉である種を農夫が蒔きますが、ある種は、道端に落ち、ある種は岩地に落ち、ある種は茨の中に落ち、ある種は良い畑に落ちました。良い畑に落ちた種だけが実を結ぶことができたという譬えです。ダビデのヘセッドの言葉に対して、アンモン人は受け入れることができず、実を結ぶことが出来ませんでした。

【2】. アラム軍の敗北

これによって、イスラエルとアンモン人との間に緊張が走りましたが、よく見ると先に戦争を仕掛けているのは、アラム軍に助けを呼びかけながら、着々と戦いに備えているアンモン人であることに気付かされます。広大な領土を支配していたアラム連合の頭であるハダドエゼルと手を組むなら自分たちにも、イスラエルに対し十分に勝機があると踏んだのでしょう。続く6~7節を御覧ください。

アンモン人は、ダビデの憎しみをかったと悟ると、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に人を遣わして歩兵二万を傭兵として要請し、マアカの王には兵一千、トブには兵一万二千を要請した。

これを聞いたダビデは、ヨアブをはじめ勇士たちの全軍を送り出した。

つまり、アラム人から歩兵2万人と、マアカとトブから1万3千人、合計3万人以上の兵力を整えました。これに対してダビデは、ヨアブとイスラエルの全軍を送り出しますが、上と下からの挟み撃ちに遭ったので、軍隊を二つに分けて、アラムの軍隊にはヨアブが立ち向かい、アンモンの軍隊にはアビシャイが立ち向かうことにしました。実はこの時イスラエルは大変な危機を迎えていたと考えられます。しかしヨアブはアラム人を逃亡させることに成功し、その様子を見たアンモン人もアビシャイの前から逃げ出したために、危機から脱することが出来ました。しかし、戦いはまだ終わっていません。イスラエルに打ち負かされたアラム軍が、「今度こそは…」ということで、兵を再編成して、ハダドエゼルの軍司令官ショバクの軍隊が、再びイスラエルに攻め上って来ました。15~18節を御覧ください。

“イスラエルに打ち負かされたと見ると、アラムは団結し、ハダドエゼルは人を遣わして、ユーフラテスの向こうにいたアラム軍を出動させた。彼らは、ハダドエゼルの軍の司令官ショバクに率いられてヘラムに着いた。報告を受けたダビデもイスラエルの全軍を集結させ、ヨルダン川を渡ってヘラムに向かった。アラム軍は戦列を整えてダビデを迎え撃ち、戦ったが、彼らはイスラエルの前から逃げ去った。ダビデはアラムの戦車兵七百、騎兵四万を殺し、軍の司令官ショバクもその場で打ち殺した。”

今度は、ダビデが直接、迎え撃ち、アラム軍を壊滅させ、軍司令官であるショバクも打ち殺しました。イスラエルに徹底的に敗北させられたアラムは、これまで持っていたアラムの同盟国の権益をイスラエルにそのまま奪われてしまい、経済的な利権もイスラエルの支配下に移されてしまいました。このことから分かるのは、ダビデ王とはイスラエルの民だけではなく、周辺諸国(異邦人)にとっても救い主としての性格をもっていて、ダビデの招きの言葉に応じ、彼を受け入れるなら、平安が与えられ、ダビデに背き反逆するなら、裁きが与えられるのです。ヨハネの福音書3:17~19を御覧ください。

“神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。”

このようにイエス様が初臨された時、その時はまさに恵みの時でありましたが、同時にそれは裁きの時でもあるという事です。なぜなら招きの言葉を聞いてそのまま受け入れる人と、イエス・キリストを信じないで、光より闇の方を好んで行く人と別れるからだと書かれているからです。現代においても、神さまのヘセッドから来る招きの言葉は、全ての人に語られています。私たちはこの招きに素直に与り、良い畑として100倍、60倍、30倍の実を結ばせていただきたいと願います。

【3】. 盲目とされた原因

それでは、アンモン人の新しい王ハヌンは、なぜダビデの招きの言葉に応じることが出来なかったのでしょうか。その理由として、第一にハヌンの悪い取り巻きの故にハヌンの目が見ても見ず、聞いても聞くことができず盲目にされたということが挙げられるでしょう。本日の10章の記事には、「見る」という動詞が何度か出てまいりまして、キーワードのように使われています。6節の「アンモン人は、ダビデの憎しみをかったと悟ると」とありますが、この「悟る」という言葉が見るという動詞です。使節を虐待した後、アンモン人は不信仰の眼鏡で自分たちが「ダビデの憎しみを買った」と見ているわけです。第二の理由として、当時アッシリア帝国はまだその全盛期を迎えてはおりませんでしたが、そのアッシリア帝国と対等の力を持ちつつ、アラムの連合軍をまとめていたツォバの王ハダドエゼルであったと考えられています。ハヌンがハダドエゼルに依り頼んでいたために、ハヌンの目が盲目にされたという点があげられます。ハダドエゼルとはまさにこの世の富と力と権勢を象徴していると言えるでしょう。14節を見ると、「アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出しました。」と書かれています。頼みの綱であるアラム軍が逃げていくのを見ると、折角、イスラエルが二つに分断されていて一機に攻め込むチャンスであったのにも関わらず、アンモン軍も逃げ出してしまい、チャンスを逃してしまったのです。15節においても、19節においても「見る」という動詞が使用されています。神さまに逆らう者たちは闇を愛するが故に、神のヘセッド、つまり、ダビデによって注がれている誠実さに目を向けることができず、かえって疑心暗鬼となり、悪をもって応答してしまうのです。最後に19節を御覧ください。

ハダドエゼルに隷属していた王たちは皆、イスラエルに敗北したことを認めて(見て)和を請い、イスラエルに隷属した。アラム人は恐れて、二度とアンモン人を支援しなかった。

「認めて」という所に、やはり動詞の「見る」という言葉が使用されています。結局、アンモン王ハヌンを始め、ハダドエゼルとアラムの王たちは、神さまのヘセッドを受け入れなかったために、神の裁きを見ることになってしまいました。一方で、9章のメフィボシェトの場合はどうだったでしょうか。神のヘセッドが注がれ、ダビデが彼に忠実を示した時に、9:8を見ると新共同訳ではメフィボシェトが「礼をした」と書かれていますが、他の翻訳では、「うつ伏せになった」とあります。メフィボシェトはダビデの前にうつ伏せになって感謝したのでありましょう。足が不自由にも関わらず、そのように感謝して喜んだのです。メフィボシェトには彼が依り頼むものが何もなかったために、ダビデの誠実さを信じて、そのまま受け取ることが出来たのだと思います。アラムの王ハヌンは、全く同じようにダビデを通して忠実さが注がれましたが、彼の悪い取り巻きのために、そして、世の富と力と権勢を象徴するハダドエゼルに寄り頼んだために、目が盲目とされ、救いをそのまま受け取ることが出来なかったのです。

【結論】

私たちの日常の生活においても神さまのヘセッドは注がれています。私たちはこの大きな恵みの前に、自分自身の目が盲目とされるのではなく、信仰によって日々感謝しながら神さまのそのヘセッドを受け入れる者とさせていただきましょう。万一、私たちの回りに、神の恵みを遮る悪しき取り巻きがいるかもしれませんが、決してそのような誘惑の声に惑わされることがないようにしていきましょう。また、私たちの回りには神に依り頼むより、現実的なお金や、権力に寄り頼もうとする誘惑もあるかもしれませんが、やはり、これも断ち切らなければなりません。神さまこそ、私たちの逃れ場であり、盾であり、避け処であり、神さまだけが私たちに真の安息と平安を与えてくださいます。ですから、聖霊によって私たちの目が開かれるように、そして神さまの慈しみをはっきりと見て、そのまま受けとり、招きの言葉に応答した歩みをしていくことができるように祈り求めてまいりましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

아람 연합군과의 전투

2020년 11월15일 센겐다이교회 주일설교

사무엘하10장 1~19절

서론

오늘 사무엘하 10장의 기사는 왜, 이 위치에 놓여 있는지, 그리고 사무엘기의 저자는, 오늘 10장을 통해 도대체 무슨 말을 하려 하는 것인지 조금 이해하는 데 어려움을 겪었습니다. 아람 연합군과의 싸움은 8장에도 적혀 있습니다. 8장의 내용이 연대순으로 적혀 있다기보다는, 다윗이 동서남북, 사방을 정복한 그 생애의 「기념비적인 전승기사」라고 생각한다면, 오늘의 10~12장의 기사는, 8장에 적혀 있는 기사의 내용이라고 생각할 수 있을지도 모릅니다. 어쨌든 이 싸움은 주님께서 싸우시고, 주께서 약속에 따라 다윗에게 승리를 주셨다는 것이라고 생각합니다. 그러나, 만약 그렇다면 왜, 9장의 므비보셋의 기사가, 갑자기 거기에 삽입되어 있는지 이해하기 어렵습니다. 10장은, 8장과 마찬가지로 「그 후」라는 말로 시작하고 있습니다. 사무엘기에서 「그 후」라는 말이 시간적인 경위라기보다는, 이야기의 전환을 나타내는 표시로 여겨지기 때문에, 「그 후」라는 말로 엄격하게 연대를 확정짓기는 어려운 것 같습니다. 그보다 므비보셋에게 인자하심이 부어진 사건과, 오늘의 사건이 신학적으로, 매우 큰 관련이 있다는 것에 주목하고자 합니다. 즉 구원이 무엇인가 하면, 하나님의 부르심에 그대로 응답하는 것이고, 하나님의 은혜를 그냥 받는 것인데, 그러면 반대로 심판이란 무엇이냐 하면, 하나님의 부르심에 귀를 기울이지 않고, 오히려 하나님의 은혜에, 악으로 갚는 것이라고 할 수 있을 것입니다. 어쩌면 오늘의 부분을 통해 그 일이 이야기 되고 있는 것은 아닐까 하는 생각이 들었습니다. 1,2절을 봐 주세요.

(1) 은혜를 악으로 갚는 사람들

1 그 후에 암몬 자손의 왕이 죽고 그의 아들 하눈이 대신하여 왕이 되니

2 다윗이 이르되 내가 나하스의 아들 하눈에게 은총을 베풀되 그의 아버지가 내게 은총을 베푼 것 같이 하리라 하고 다윗이 그의 신하들을 보내 그의 아버지를 조상하라 하니라 다윗의 신하들이 암몬 자손의 땅에 이르매

2절의 말씀은 9장 1절의 「사울의 집에 아직도 남은 사람이 있느냐 내가 요나단으로 말미암아 그 사람에게 은총을 베풀리라」라는 말과 매우 유사함을 알 수 있습니다. 즉 9장의 기사는, 요나단과의 언약으로 인한 은총이, 곧 히브리어 「헤세드」가 그 아들 므비보셋에게 부어지는 이야기로 이해했는데, 오늘 10장에서도 역시 하눈의 아버지 나하스 로 인해 그 아들 하눈에게 은총「헤세드」를 「베풀되」라는 다윗의 말에 의해 시작되었습니다. 9장과 10장에는 어떤 관련이 있는것 같습니다. 그러면 암몬인이란 어떤 민족인가 하면, 지난번에 사용했던 같은 지도를 보시기 바랍니다. 이 지도를 보면, 암몬인들은 요단 강 동쪽에 정착해 수도가 「랍바」라는 것을 알 수 있습니다. 암몬 족속의 선조는 아브라함의 조카인 롯까지 거슬러 올라갑니다. 이스라엘과는 친척 같은 민족입니다. 하나님은 롯의 후손들조차 불쌍히 여겨주시고 그들이 살 땅을 주셨습니다. 신명기 2장 18,19절에는 다음과 같은 말씀이 있습니다. 그냥 들어주시기 바랍니다.

18 네가 오늘 모압 변경 아르를 지나리리

19 암몬 족속에게 가까이 이르거든 그들을 괴롭히지 말고 그들과 다투지도 말라 암몬 족속의 땅은 내가 네게 기업으로 주지 아니하리니 이는 내가 그것을 롯 자손에게 기업으로 주었음이라

롯이 아브라함의 조카라는 점에서, 롯의 후손인 암몬 족속에게 그들의 땅을 이스라엘 땅으로 주지 않으시겠다고, 신명기에 적혀 있는 것입니다. 그런데 이후, 가나안 지역에 정착해간 이스라엘에 대해 사사기에 묘사된 것처럼 암몬 족속들은 항상 이스라엘에 대해 호전적이었다고 합니다. 또 사울의 시대에도 길리얏의 야베스가 암몬 족속들에 의해 포위되었습니다. 이때는 사울이 암몬 족속을 무찌르고 길리얏 야베스 사람들을 구해냈지만, 이스라엘과 암몬 족속과의 관계는 항상 적대관계였다고 할 수 있을 것입니다. 다만 다윗이 사울왕에게 쫓겨 도망생활을 하던 시절에는, 성경에는 구체적으로 아무것도 적혀 있지 않지만, 어쩌면 다윗은 나하스에게 도움을 받았는지도 모릅니다. 과연, 암몬 자손의 새 왕 하눈은, 다윗의 신하를 그대로 받아들였을까요? 3,4절을 보시기 바랍니다.

3 암몬 자손의 관리들이 그들의 주 하눈에게 말하되 왕은 다윗이 조객을 당신에게 보낸 것이 왕의 아버지를 공경함인 줄로 여기시나이까 다윗이 그의 신하들을 당신에게 보내 이 성을 엿보고 탐지하여 함락시키고자 함이 아니니이까 하니

4 이에 하눈이 다윗의 신하들을 잡아 그들의 수염 절반을 깍고 그들의 의복의 중동볼기까지 자르고 돌려보내매

하눈은 자신의 곁에 있는 관리들의 의견에 귀를 기울여, 무려, 다윗의 신하를 체포하여, 터무니없는 모욕을 가하고 말았습니다. 당시 오리엔트 세계에서, 남자의 수염이란 자존심이자, 자유의 상징이었습니다. 수염이 깍인다는 것은, 거세당한 것과 같은 굴욕을 주는 것을 의미합니다. 또한 당시 이스라엘 백성이 입었던 의복이라는 것은, 오늘날처럼 상의와 바지라는 식으로 나뉘어 있지 않고, 허리띠로 매는 옷 매무새였습니다. 그래서 옷을 반쯤 잘라 낸다는 것은, 상상에 맡기지만, 부끄러운 곳이 보이게 되었다는 것입니다. 다윗은 곧 사람을 보내 모욕을 당한 이들을 맞아들여, 수염이 다 자랄 때까지 여리고에 머물라고 위로를 전했습니다. 다윗의 신하에 대한 이러한 모욕은, 사절을 파견한 다윗에 대한 모욕이었다고 해도 과언이 아닐 것입니다. 이처럼 만약, 우리의 곁에 미혹하는 자가 있다면, 하나님이 선하신 말씀을 잘못 알아듣고, 도리어 하나님의 호의에 포악을 저지를 수 있다는 것입니다. 이 부분은 복음서에 나오는, 「씨 뿌리는 농부의 비유」를 상기시킵니다. 말씀인 씨앗을 농부가 뿌리는데, 어떤 씨앗은, 길 가에 떨어지고, 어떤 씨앗은 돌밭에 떨어지고, 어떤 씨앗은 가시떨기 위에 떨어지고, 어떤 씨앗은 좋은 땅에 떨어졌습니다. 좋은 땅에 떨어진 씨앗만이 열매를 맺을 수 있었다는 비유입니다. 다윗의 헤세드의 말에 대해, 암몬 족속들은 받아들이지를 못하고, 결실을 맺지 못했습니다.

(2) 아람군의 패배

이로 인해, 이스라엘과 암몬인 사이에 긴장이 흘렀지만, 자세히 보면 먼저 전쟁을 걸어 오는 쪽은, 아람 군에게 도움을 요청하면서, 착착 싸움에 대비하고 있는 암몬 자손임을 깨닫게 됩니다. 광활한 영토를 지배하던 아람연합의 우두머리인 하닷에셀과 손을 잡는다면 자신들에게도, 이스라엘에 대해 충분히 승기가 있다고 계산 했을 것입니다. 이어지는 6,7절을 보세요.

6 암몬 자손들이 자기들이 다윗에게 미움이 된 줄 알고 암몬 자손들이 사람을 보내 벧르홉 아람 사람과 소바 아람 사람의 보병 이만 명과 마아가 왕과 그의 사람 천 명과 돕 사람 만 이천 명을 고용한지라

7 다윗이 듣고 요압과 용사의 온 무리를 보내매

이를 들은 다윗은, 요압을 비롯한 용사들의 전군을 내보냈습니다.

즉, 아람인으로부터 보병 이만 명과 마아가와 돕으로부터 만 삼천 명, 합계 삼만 명 이상의 병력을 갖추었습니다. 이에 다윗은, 요압과 이스라엘 전군을 내보내지만, 위와 아래에서 협공을 당했기에, 군대를 둘로 나누어, 아람의 군대에는 요압이 맞서고, 암몬의 군대에는 아비새가 맞서기로 했습니다. 사실 이때 이스라엘은 엄청난 위기를 맞았던 것으로 보입니다. 그러나 요압은 아람인을 도망시키는데 성공했고, 그 모습을 본 암몬인들도 아비새 앞에서 도망쳤기 때문에, 위기에서 벗어날 수 있었습니다. 하지만 싸움은 아직 끝나지 않았습니다. 이스라엘에 패한 아람군이 「이번에야말로..」이라며, 군사를 재편성했고, 하닷에셀의 군사령관 소박의 군대가, 다시 이스라엘로 쳐들어왔습니다. 15~18절을 보시죠.

15 아람 사람이 자기가 이스라엘 앞에서 패하였음을 보고 다 모이매

16 하닷에셀이 사람을 보내 강 건너쪽에 있는 아람 사람을 불러 내매 그들이 헬람에 이르니 하닷에셀의 군사령관 소박이 그들을 거느린지라

17 어떤 사람이 다윗에게 알리매 그가 온 이스라엘을 모으고 요단을 건너 헬람에 이르매 아람 사람들이 다윗을 향하여 진을 치고 더불어 싸우더니

18 아람 사람이 이스라엘 앞에서 도망한지라 다윗이 아람 병거 칠백 대와 마병 사만 명을 죽이고 또 그 군사령관 소박을 치매 거기서 죽으니라

이번에는, 다윗이 직접 맞받아 쳐, 아람군을 궤멸시키고, 군사령관인 소박도 쳐죽였습니다. 이스라엘에 철저히 패배당한 아람은, 그동안 갖고 있던 아람 동맹국들의 권익을 이스라엘에 고스란히 빼앗기고 말았고, 경제적인 이권도 이스라엘의 지배하에 넘어가고 말았습니다. 이를 통해 알 수 있는 것은, 다윗 왕이란 이스라엘 백성뿐 아니라, 주변 여러 나라(이방인)에게도 구원자의 성격을 지니고 있어, 다윗의 초대의 말에 응하고, 그를 받아들인다면, 평안이 주어지고, 다윗에게 등을 돌리고 반역한다면, 심판이 내려집니다. 요한복음 3장 17~19절을 보십시오.

17 하나님이 세상을 이처럼 사랑하사 독생자를 주셨으니 이는 그를 믿는 자마다 멸망하지 않고 영생을 얻게 하려 하심이라

18 그를 믿는 자는 심판을 받지 아니하는 것이요 믿지 아니하는 자는 하나님의 독생자의 이름을 믿지 아니하므로 벌써 심판을 받은 것이니라

19 그 정죄는 이것이니 곧 빛이 세상에 왔으되 사람들이 자기 행위가 악하므로 빛보다 어둠을 더 사랑한 것이니라

이렇게 예수님이 초림하셨을 때, 그때는 바로 은혜의 때였지만, 동시에 그것은 심판의 때이기도 한다는 것입니다. 왜냐하면 부르심을 듣고 그대로 받아들이는 사람과, 예수 그리스도를 믿지 않고, 빛보다 어둠을 더 사랑하는 사람으로 나뉘어질 것이기 때문이라고 적혀 있기 때문입니다. 오늘날에 있어서도, 하나님의 헤세드에서 오는 초청의 말씀은 모든 사람에게 선포되어 지고 있습니다. 우리는 이 초청에 순순히 응해, 좋은 땅이 되어서 백 배, 육십 배, 삼십 배의 열매를 맺고 싶다고 원합니다.

(3) 장님이 된 원인

그렇다면, 암몬인의 새 왕 하눈은, 왜 다윗의 초청의 말에 응하지 못했을가요? 그 이유로 첫째, 하눈의 나쁜 측근 때문에 하눈의 눈이 보고도 못 보고, 듣고도 듣지 못하고 장님이 되었다는 것을 들 수 있을 것입니다. 오늘 10장의 기사에는 「보다」라는 동사가 여러 번 나와서, 키워드처럼 쓰이고 있습니다. 6절의 「암몬 자손들이 자기들이 다윗에게 미움이 된 줄 알고」라고 쓰여 있는데, 이 「알고」라는 말이 「본다」는 동사입니다. 사절을 학대한 뒤, 암몬인들은 불신앙의 안경으로 자신들이 「다윗에게 미움이 되었다」라고 보는 이유입니다. 두 번째 이유로, 당시 앗수르 제국은 아직 그 전성기를 맞이하지는 않았지만, 그 앗수르 제국과 대등한 힘을 가지면서 아람 연합군을 아우르던 소바 왕 하닷에셀이 있었기 때문이었다고 생각됩니다. 하눈이 하닷에셀에게 의지하고 있었기 때문에 하눈의 눈이 장님이 되었다는 점을 들 수 있습니다. 하닷에셀이란 바로 이 세상의 부와 힘과 권세를 상징한다고 할 수 있습니다. 14절을 보면 「아람 사람이 도망함을 보고 그들도 아비새 앞에서 도망하여 성읍으로 들어간지라」라고 쓰여 있습니다. 의지의 밧줄인 아람군이 도망치는 것을 보고, 모처럼 이스라엘이 둘로 분단되어 있어 한 번에 공격해 들어 갈 절호의 기회였는데도 불구하고, 암몬군도 도망쳐버려 기회를 놓치고 말았습니다. 15절에서도 19절에서도, 「보다」라는 동사가 사용되고 있습니다. 하나님을 거역하는 자들은 어둠을 사랑하기 때문에, 하나님의 헤세드, 즉 다윗에 의해 쏠려 있는 성실함에 눈을 돌리지 못하고, 오히려 의심하고 악으로 응답하고 마는 것입니다. 마지막으로 19절을 보시기 바랍니다.

하닷에셀에게 속한 왕들이 자기가 이스라엘 앞에서 패함을 보고 이스라엘과 화친하고 섬기니 그러므로 아람 사람들이 두려워하여 다시는 암몬 자손을 돕지 아니하니라

여기서도「보다」라는 말이 사용되고 있습니다. 결국 암몬 왕 하눈을 비롯해, 하닷에셀과 아람 왕들은, 하나님의 헤세드를 받아들이지 않아 하나님의 심판을 받고 말았습니다. 한편, 9장의 므비보셋의 경우는 어땠을까요. 하나님의 헤세드가 부어지고 다윗이 그에게 은총을 베풀 때 9장 8절을 보면 신공동역(일본성경)에서는 「므비보셋이 예를 드렸다」라고 쓰여 있지만 다른 번역에서는 「엎드렸다」라고 되어 있습니다(한국 개정개역에는 「절하고」). 므비보셋은 다윗 앞에 엎드려 감사했을 것입니다. 다리가 불편함에도 불구하고 절하며, 엎드려, 그렇게 감사하고 기뻐했습니다. 므비보셋에게는 그가 의지할 것이 아무것도 없었기 때문에 다윗의 성실함을 믿고 그대로 받을 수 있었던 것 같습니다. 아람의 왕 하눈은, 똑같이 다윗을 통해 은총이 부어졌지만, 그의 나쁜 신하들로 인해, 그리고 세상의 부와 힘과 권세를 상징하는 하닷에셀에게 의지하는 바람에, 앞이 가리워져 구원을 그대로 받아 들이지 못했던 것입니다.

결론

우리의 믿음의 일상생활 가운데서도 하나님의 헤세드는 쏟아지고 있습니다. 우리는 이 큰 은혜 앞에, 자기 자신의 눈이 장님처럼 되지말고, 믿음으로 날마다 감사하며 하나님의 그 헤세드를 받아들이는 자가 됩시다. 만일, 우리 주위에, 하나님의 은총을 가로막는 악한 주변 인물이 있을지도 모르지만 결코 그런 미혹의 목소리에 현혹되는 일이 없도록 합시다. 또 우리 주변에는 하나님을 의지하기 보다는, 현실적인 돈이나 권력에 기대려는 유혹도 있을 수 있지만, 역시 이것도 끊어야 합니다. 하나님이야말로, 우리의 피난처요, 방패시요, 도피처요, 하나님만이 우리에게 진정한 안식과 평안을 주실 것입니다. 그러므로, 성령으로 우리의 눈이 열리도록, 그리고 하나님의 인자하심을 똑똑히 보고, 그대로 받아들여, 부르심의 말씀에 응답하는 삶을 살아갈 수 있도록 간구하며 나아갑시다.

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