2020年10月25日「神の国の拡大 하나님 나라의 확대」

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神の国の拡大 하나님 나라의 확대

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記下 8章1節~18節

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聖句のアイコン聖書の言葉

8:1その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からメテグ・アンマを奪った。
8:2また、モアブを討ち、彼らを地面に伏させて測り縄ではかり、縄二本分の者たちを殺し、一本分の者は生かしておいた。モアブ人はダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。
8:3ダビデは次に、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルがユーフラテスに勢力を回復しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、
8:4騎兵千七百、歩兵二万を捕虜とし、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかはすべて腱を切ってしまった。
8:5ダマスコのアラム人がツォバの王ハダドエゼルの援軍として参戦したが、ダビデはこのアラム軍二万二千をも討ち、
8:6ダマスコのアラム人に対して守備隊を置いた。こうしてアラム人もダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた。
8:7ダビデは、ハダドエゼルの家臣がそれぞれ携えていた金の盾を没収してエルサレムに運んだ。
8:8また、ダビデ王はハダドエゼルの町ベタとベロタイから大量の青銅を奪い取った。
8:9ハマトの王トイは、ダビデがハダドエゼルの軍勢を討ち滅ぼしたと聞き、
8:10王子ヨラムをダビデ王のもとに遣わして安否を問わせた。トイ自身、ハダドエゼルと交戦中だったので、ハダドエゼルに対するダビデの戦勝を祝って、銀、金、青銅の品々を贈った。
8:11ダビデ王はこれらの品々を、征服したすべての異邦の民から得た銀や金と共に主のために聖別した。
8:12それは、アラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから得たもの、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの戦利品などであった。
8:13ダビデはアラムを討って帰る途中、塩の谷でエドム人一万八千を討ち殺し、名声を得た。
8:14彼はエドムに守備隊を置くことにした。守備隊はエドム全土に置かれ、全エドムはダビデに隷属した。主はダビデに、行く先々で勝利を与えられた。
8:15ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。
8:16ツェルヤの子ヨアブは軍の司令官。アヒルドの子ヨシャファトは補佐官。
8:17アヒトブの子ツァドクとアビアタルの子アヒメレクは共に祭司。セラヤは書記官。
8:18ヨヤダの子ベナヤはクレタ人とペレティ人の監督官。ダビデの息子たちは祭司となった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記下 8章1節~18節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

サムエル記下8章は、神の国の拡大について書かれています。この箇所を理解する上でキーワードとなる言葉が6節と14節に繰り返し述べられている“主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた。”という言葉です。つまり、ダビデの成功とは、主の約束の成就であって、契約に対する神さまの忠実さ、誠実さの表れであるということを教えられます。ですから本日の箇所を私たちが読む時に、ダビデのその抜きん出た人柄とかその大胆さに目を留めるのではなく、契約に対する神のその信実さ、その忠実さに目を留めて行きたいと思います。神はこれほどまでにご自身の御言葉の成就にこだわっておられるということを、私たちは改めて発見させられるのです。

【1】. 西部と東部の平定

それでは本文を見てまいりましょう。1節を御覧ください。

“その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からメテグ・アンマを奪った。”

「その後」という言葉で始まっています。この言葉は、サムエル記下において物語の転換を現わすしるしとして、しばしば使われている言葉でありまして、段落の最初の部分によく出て来ます。例えば、2:1、10:1、13:1、15:1、21:18(cf.7:1、11:1、21:1)などです。従いまして本日の8章で書かれている内容が厳密な年代的な言及というよりは、前回の7章で神さまから契約を頂いた後、歴史がどのように推移していったのかを示している、人生の戦いのハイライトが書かれているということです。ですから実際に個々の戦闘を見るなら、敵の脅威の中にあって、様々な紆余曲折があり、主への祈りと、そしてダビデの労苦があったと思われますが、そういったものが省略されているのではないかということです。ですから神学者たちにおいて、8章は一言で言えば、「記念碑的な戦勝記事」と考えられています。本日の週報に地図が挟まれていますので、地理的な背景を理解しながら、本日の箇所を理解していきたいと思います。最初に、「ペリシテ人を屈服させて、メテグ・アンマを奪った」とあります。メテグ・アンマとは「支配、覇権」とか「母の手綱」という意味になりまして、ある注解書によると恐らくこれは地名ではなくて、ペリシテ人の首都である「ガトと諸々の衛星都市」ではないかと考えられています。母なる町がガトであり、手綱というのがその衛星として理解します。お手もとの地図を見ますと、エルサレムから南西に位置する「ガテ」という町を確認できますでしょうか。新改訳聖書に準拠している地図なので、少し地名が異なりますが、ご了承ください。ダビデは士師の時代からさんざん苦しめられてきた、鉄の武器を有する海の民、ペリシテ人をまず屈服させたと書かれています。この後、ペリシテ人はガザにおいて細々と生きていくようになります。次に2節を御覧ください。

“また、モアブを討ち、彼らを地面に伏させて測り縄ではかり、縄二本分の者たちを殺し、一本分の者は生かしておいた。モアブ人はダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。”

南東に位置するカナンの原住民であるモアブを討ち、彼らを地面に伏させてはかり縄で測り、縄二本分の者たちを殺し、一本分の者は生かしておいて、モアブをダビデに隷属させて、貢を納めるようにさせたと書かれています。これは表現が難しいですが、注解書によりますと、モアブの兵士の内、2/3が死刑されたという意味だということです。モアブと言えば、ダビデの父方の祖母であるルツの出身地でありますから、このようなダビデの仕打ちは、余りにも残酷ではないかと思われるかもしれません。しかし、私たちは、第一に当時の置かれている文脈の中で「残酷さ」というのが、一体どのようなものだったのかをまず念頭に置かなければなりません。そして第二に、何よりも「カナン原住民の滅亡」については、世代と民族に関連した神の審判の光から、解釈しなければならないということです。つまり主がカナンの原住民に対して裁きを宣告された時から、既にカナン種族の滅亡は始まっていたということです。これは聖書に何度も繰り返されていますが(創18:20、レビ18:24~25、申命記9:4~5、申命記12:29~32など)、レビ18:24~25を御覧ください。

レビ記18:24~25

“あなたたちは以上のいかなる性行為によっても、身を汚してはならない。これらはすべて、あなたたちの前からわたしが追放しようとしている国々が行って、身を汚していることである。これらの行為によってこの土地は汚され、わたしはこの地をその罪のゆえに罰し、この地はそこに住む者を吐き出したのである。”

カナン人に対するダビデの征服を通して、昔、主によって宣告された神の裁きが成就されたということなのです。

【2】. 北部の平定

次に、3~6節を御覧ください。

“ダビデは次に、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルがユーフラテスに勢力を回復しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、騎兵千七百、歩兵二万を捕虜とし、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかはすべて腱を切ってしまった。ダマスコのアラム人がツォバの王ハダドエゼルの援軍として参戦したが、ダビデはこのアラム軍二万二千をも討ち、ダマスコのアラム人に対して守備隊を置いた。こうしてアラム人もダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた。”

地図の北側に目を向けていただきますと、ツォバの王レホブの子ハダドエゼルが、ユーフラテスに勢力を回復しようと北東に軍隊を移動した時、ダビデがツォバの後ろを突いて彼を討ったということです。またダマスコがすかさず援軍に来ましたが、ダビデはダマスコ軍も打ち破りました。この時、兵士を捕虜として、戦車の馬は100頭を残し、残りは足の腱を切って安楽死させました。馬を生け捕らずに殺した理由は、第一に律法に(申命記17:16)王は多くの馬を所有してはならないと書かれているからでしょう。第二に、実はダビデの時代、イスラエルにはまだ、騎兵隊はなく、全て歩兵であったために、それほど多くの馬が必要なかったからとも考えられています。ソロモンの時代になってようやく、二頭の馬に台車を引かせるいわゆる戦車が備えられていきました。

ところでツォバの王ハダドエゼルは、アラム同盟軍の長でありました。ダマスコもやはりアラム人の町でした。「アラム」というのは現代の「シリア」を指しています。アラム人というのは元来、キャラバンに乗って内陸貿易をしながら栄えた人々です。特にダマスコという町はちょうど、「海の道」と「王の道」が交差する交通の要所でありました。地図に青い線で書かれているのが「海の道」で、黄色い線で書かれているのが「王の道」です。従って当時、経済活動をする上でアラム語が必須の言語であり、アラム語は徐々に国際的な公用語として発展していきました。この後に登場するアッシリア帝国も、その後のバビロン帝国も、そしてその後のペルシア帝国も全てアラム語を公用語としています。その後、AD.7世紀にムハンマドがイスラム教を創設すると、アラビア語が一気に広がり、現在でもシリアではアラビア語が使われています。現在アラム語を使用する民族はほんの一部となってしまい、近い将来消えてしまう可能性があると言われています。ヘブライ語とアラム語はよく似ていまして、新約時代のイエス様も普段、アラム語を話していたと言われています。とにかく、ダビデはアラム同盟の長ハダドエゼルに勝利することによってアラム同盟の全ての権益を引き継いだと思われます。これによってダビデの経済的な地盤が堅固にされたのです。

ハダドエゼルが破れたという知らせを聞いて、王子を遣わしてダビデ王に貢物を持ってきたのが、ツォバのさらに北に位置するハマトの王トイでした。ダビデの破竹の勢いに恐れをなしたのでしょう。因みにトイの息子の名前ですが、歴代誌上18:10を見るとヨラムではなく、ハドラムと書かれています。

“自分の息子ハドラムをダビデ王のもとに遣わして安否を問わせ、また、ダビデがハダドエゼルと戦って、これを討ったことを祝った。ハダドエゼルはトウ(トイ)と戦争を繰り返していたからである。そして金、銀、青銅のすべての品々をダビデに贈った。”

ハドラムという名前の意味は、「ハダドが高められる」という意味ですから、ダビデと同盟を結ぶために息子の名前をアラム式からイスラエル式に改名したと思われます。ヨラムとは「ヤハウェが高められる」という意味です。このように時の支配者に応じて属国の王の名前を変えることはよくあったようです。ダビデはハマトを始めとし、征服した全ての国々からもたらされた銀、金、青銅の品々を、主のために聖別し、後にソロモンが神殿を建てる時に用いられるように準備しました。

【3】. 南部の平定と内政の充実

最期に、南側のカナンの原住民であるエドムを討って、名声を得たということで締めくくられています。このようにしてエルサレムを中心にして東西南北の四方に渡る平定が終わりました。この時、イスラエルは、これまでにも、また、これからも手に入れる事のないほどの大きな領土を手に入れたのであります。しかし、実はこの広大な領土は、神さまが族長時代からモーセの時代にかけて何度も繰り返し約束してくださっていた領土でありました (創15:18; 出23:31; 申1:7; 11:24)。約束の御言葉を二つだけ確認しましょう。創15:18、申1:7を御覧ください。

“その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、”

“向きを変えて出発し、アモリ人の山地に行き、更にその近隣地方、すなわちアラバ、山地、シェフェラ、ネゲブ、沿岸地方に行きなさい。更にカナン人の土地、レバノン山、大河ユーフラテスにまで行きなさい。”

つまり、神さまは以前、イスラエルがカナンに入植する際に、ヨシュアの指揮の下で、これほど大きな祝福を約束されたのですが、イスラエルの民は狭い土地だけを手に入れては、「この位で十分だろう」と考えて、約束の御言葉に堅く立たないで、進んで狭い土地に安住してしまったということが言えるのかもしれません。ダビデは、まさに神が遠い昔に与えてくださった約束に基づいてカナンの地を征服したということです。ここにおいて私たちは、ダビデの個人的な卓越さというより、契約に対する神さまの信実さ、その誠実さを見せつけられるのです。ダビデが成功したというより、ダビデを用いられた神さまが有言実行されて、成功されたということです。神さまは何と素晴らしいお方でしょうか。ダビデは、主によって与えられた全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行いました。15~18節を御覧ください。

“ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。ツェルヤの子ヨアブは軍の司令官。アヒルドの子ヨシャファトは補佐官。アヒトブの子ツァドクとアビアタルの子アヒメレクは共に祭司。セラヤは書記官。ヨヤダの子ベナヤはクレタ人とペレティ人の監督官。ダビデの息子たちは祭司となった。”

ここにも、大切な真理が隠されています。一般に「裁きと恵み」という言葉は、預言者によって語られた、やがて来られるメシアによってなされる典型的な支配の形態であります。やがて来られるメシアによる支配とは、「裁き」を通して、神の公正と正義が称えられ、「恵み」を通して神の憐みと慈しみが称えられる支配であるということです。この裁きと恵みの支配を確立するために、様々な制度が整えられました。①「軍の司令官」、②「補佐官」、③「祭司」、④「書記官」、⑤「監督官」などです。これは、今日の実際の政治の世界に見られる官僚制度を思い起こしていただければ理解することができるのではないかと思います。何か世俗的な話だな~と思われるかもしれませんが、一つ大変興味深いことは、神さまも人間の王と同じように「補佐官」を持っていると聖書に描かれていることです。イザヤ62:6の御言葉ですが、御覧ください。

“エルサレムよ、あなたの城壁の上に/わたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ/決して沈黙してはならない。”

ここで「主に思い起こしていただく役目」という言葉が、「補佐官」という言葉と同じ言葉が使われています。エステル記を思い出していただければと思いますが、昔モルデカイという人がペルシャの王の命の危険を未然に防いだという功績に対して、王がその報いを与える事を忘れないようにした書記官のような役割の者です。神さまも同じようにご自身の民に対して、万が一その報いを与えることをうっかり忘れてしまうことがないようにと「補佐官」を配置しておられて、その者に対し沈黙してはならないとおっしゃっているのです。この「補佐官」の役割とは、私たちの教会の中において、とりなしの祈りをする人であると考えられるでしょう。つまり何を言っているのかと申しますと、神の国の予表である教会において、様々な奉仕があるように、永遠の天国においても、やはり神に仕える様々な仕事があるということです。私たちの教会を見てください。兄弟姉妹の為にとりなしの祈りを捧げる働きがあります。また、長老、執事がいて、奏楽や礼拝奉仕者、書道の奉仕、会計の奉仕があり、あたかも官僚制度のように、奉仕が分担されています。ですから、私たちが永遠に生きることになる天国においても、きっとこのような仕事が備えられているということを簡単に予期することが出来るのです。

【結論】

第一に、私たちは8章を通して、約束の御言葉に対する神さまの信実さ、誠実さを見てまいりました。ですから、ダビデの成功とは、ダビデの個人的な成功ではなく、神の成功であったということです。神にあって失敗はありません。私たちも神さまと共に歩ませていただきながら、全てをお委ねして感謝と喜びをもって歩ませていただきましょう。たとえ私たちの人生が自分の目には納得がいかなくとも、神さまは全ての事を働かせて益としてくださるということを信じて行きましょう。神さまの約束を信じながら、神の約束の成就を待ち望んで歩ませていただきましょう。第二に、教会において神の支配が行き届くように、聖徒一人立てて奉仕するものとされています。同じように永遠に住まう天国においても神に仕える働きが準備されているということです。このことを信じつつ、現在、生かされている私たちは小さなことに忠実に仕えていくものとして歩ませていただきましょう。

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하나님 나라의 확대

2020년 10월25일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘하 8장 1~18절

서론

사무엘하8장은, 하나님 나라의 확대에 대해 쓰여져 있습니다. 이 부분을 이해하는데 키워드가 되는 말이 6절과 14절에 반복적으로 적혀 있는 「다윗이 어디로 가든지 여호와께서 이기게 하시니라」라는 말입니다. 즉, 다윗의 성공이란, 주님의 약속의 성취이며, 언약에 대한 하나님의 성실하심, 신실함의 표시라는 것을 배울 수 있습니다. 그래서 오늘의 부분을 우리가 읽을 때에, 다윗의 그 특출한 인품이라든가 그 대담함을 눈여겨 보는 것이 아니라, 언약에 대한 하나님의 그 신실함, 그 성실하심을 눈여겨 보도록 하겠습니다. 하나님은 이렇게까지 자신의 약속을 온전히 성취하시는 신실하신 분이시라는 것을, 우리는 새삼 발견하게 됩니다.

(1) 서부와 동부의 평정

그럼 본문을 살펴 볼까요? 1절을 보시기 바랍니다.

그 후에 다윗이 블레셋 사람들을 쳐서 항복을 받고 블레셋 사람들의 손에서 메덱암마를 빼앗으니라

「그 후에」라는 말로 시작하고 있습니다. 이 말은 사무엘하에서 이야기의 전환을 나타내는 표시로 자주 사용되는 말인데, 단락의 첫 부분에 자주 나옵니다. 예를 들면 2장1절, 13장 1절, 15장 1절, 21장 18절(히브리어 성경 원본 참고:사무엘하7장 1절, 11장 1절, 21장 1절)등 입니다. 따라서 오늘 8장에 적혀 있는 내용이 엄밀한 연대적 언급이라기보다는, 지난 7장에서 하나님으로부터 언약을 받은 후 역사가 어떻게 흘러갔는지를 보여주는, 다윗의 인생가운데 있었던 전투의 하이라이트가 적혀 있다는 것입니다. 그래서 실제로 개개의 전투를 본다면, 적의 위협 속에 여러 가지 우여곡절이 있었고 주님께 드리는 기도와 그리고 다윗의 노고가 있었을 것으로 생각되는데, 그런 것들이 생략되어 있습니다. 그래서 신학자들에게 8장은 한마디로 「기념비적인 전승기사」로 여겨지고 있습니다. 오늘 주보에 지도가 끼어 있기 때문에, 지리적인 배경을 이해하면서 오늘의 부분을 이해하면 좋겠습니다. 첫 번째로 「블레셋 사람들을 쳐서 항복을 받고 블레셋 사람들의 손에서 메덱암마를 빼앗으니」라고 되어 있습니다. 메덱암마란 「지배권, 패권」이나, 「어머니의 (말)고삐」라는 뜻으로, 어느 주해서에 의하면 아마 이것은 지명이 아니라, 블레셋의 수도인 「가드와 여러 위성도시」가 아닐까 생각되고 있습니다. 어머니 성읍이 가드이고, (말)고삐라는 것이 그 위성도시라고 이해합니다. 보고 계시는 지도를 보시면, 예루살렘에서 남서쪽에 위치한 「가드」라는 마을을 확인 할 수 있을까요? 신개역 성경에 준거하고 있는 지도이므로, 조금 지명이 다릅니다만, 양해 바랍니다. 다윗은 사사시대 때부터 몹시 시달려온, 철무기를 가진 해양 족속인, 블레셋 사람들을 먼저 쳐서 항복시켰다고 합니다. 이 후 블레셋인들은 가자에서 근근이 살아가게 됩니다. 다음으로 2절을 보시기 바랍니다.

다윗이 또 모압을 쳐서 그들로 땅에 엎드리게 하고 줄로 재어 그 두 줄 길이의 사람은 죽이고 한 줄 길이의 사람은 살리니 모압 사람들이 다윗의 종들이 되어 조공을 드리니라

남동쪽에 위치한 가나안의 원주민인 「모압을 쳐서 그들을 땅에 엎드리게 하여 줄로 재어 그 두 줄 길이의 사람은 죽이고 한 줄 길이의 사람은 살리니 모압 사람들이 다윗의 종들이 되어 조공을 드리니라」라고 되어 있습니다. 이것은 표현이 어렵지만, 주해서에 따르면, 모압의 군사 중, 3분의 2가 사형되었다는 뜻이라고 합니다. 모압이라고 하면, 다윗의 아버지쪽의 증조할머니인 룻의 출신지이기 때문에, 이런 다윗의 처사는 ‘너무 잔인하지 않나?’라고 생각될 수도 있습니다. 그러나 우리는 첫째, 그 당시 처한 주위의 상황 속에서 「잔혹함」이라는 것이, 도대체 어떤 것이었는지를 먼저 염두에 두어야 합니다. 그리고 둘째, 무엇보다도 「가나안 원주민의 멸망」에 대해서는, 세대와 민족에 관련된 하나님의 심판의 관점으로, 해석해야 한다는 것입니다. 즉 주님이 가나안 원주민에 대해 심판을 선고하셨을 때부터, 이미 가나안 종족의 멸망은 시작되고 있었다는 것입니다. 이것은 성경에 여러 번 반복되고 있습니다(창세기 18장 20절, 레위기 18장 24,25절, 신명기 9장 4,5절, 신명기 12장 29~32절등). 레위기 18장 24,25절을 보시기 바랍니다.

24 너희는 이 모든 일로 스스로 더럽히지 말라 내가 너희 앞에서 쫓아내는 족속들이 이 모든 일로 말미암아 더러워졌고

25 그 땅도 더러워졌으므로 내가 그 악으로 말미암아 벌하고 그 땅도 스스로 그 주민을 토하여 내느니라

가나안인에 대한 다윗의 정복을 통해서, 옛날, 주님에 의해 선고된 하나님의 심판이 성취되었다는 것입니다.

(2) 북부의 평정

다음으로 3~6절을 보시기 바랍니다.

3 르홉의 아들 소바 왕 하닷에셀이 자기 권세를 회복하려고 유브라데 강으로 갈 때에 다윗이 그를 쳐서

4 그에게서 마병 천칠백 명과 보명 이만 명을 사로잡고 병거 일백 대의 말만 남기고 다윗이 그 외의 병거의 말은 다 발의 힘줄을 끊었더니

5 다메섹의 아람 사람들이 소바 왕 하닷에셀을 도우러 온지라 다윗이 아람 사람 이만 이천 명을 죽이고

6 다윗이 다메섹 아람에 수비대를 두매 아람 사람이 다윗의 종이 되어 조공을 바치니라 다윗이 어디로 가든지 여호와께서 이기게 하시니라

지도 북쪽으로 눈을 돌려보니, 르홉의 아들 소바 왕 하닷에셀이 자기 권세를 회복하려고 유브라데 강으로 가려고 북동쪽으로 군대를 이동했을 때, 다윗이 소바 왕을 쳤다는 것입니다. 또 다메섹의 아람 사람들이 즉각 원군을 보내 왔지만, 다윗은 다메섹 군도 무찔렀습니다. 이때, 병사를 포로로 잡고, 전차의 말은 일백 마리를 남기고, 나머지는 발의 힘줄을 끊어 안락사시켰습니다. 말을 생포하지 않고 죽인 이유는 첫째, 율법에(신명기 17장 16절) 왕은 많은 말을 소유해서는 안 된다고 적혀 있기 때문일 것입니다. 둘째, 사실 다윗 시대의 이스라엘에는 아직 기병대는 없고, 모두 보병이었기 때문에, 그렇게 많은 말이 필요하지 않았기 때문이라고도 생각됩니다. 솔로몬 시대에 이르러서야, 두 마리의 말에 수레를 끌게 하는 이른바 전차가 구비되어 갔습니다.

그런데 소바의 왕 하닷에셀은, 아람동맹군의 우두머리였습니다. 다메섹 역시 아람사람의 성읍이었습니다. 「아람」이라고 하는 것은 현대의 「시리아」를 가리키고 있습니다. 아람인이란 원래, 카라반을 타고 내륙무역을 하면서 번성했던 사람들입니다. 특히 다메섹이라는 성읍은 마침, 「바닷길」과 「왕의 길」이 교차하는 교통의 요충지였습니다. 지도에 파란 선으로 쓰여 있는 것이 「바닷길」이고, 노란선으로 쓰여져 있는 것이 「왕의 길」입니다. 따라서 당시, 경제활동을 하는데 아람어가 필수적인 언어였고, 아람어는 점차 국제적인 공용어로 발전해 나갔습니다. 이 뒤에 등장하는 앗수르 제국도, 그 뒤의 바벨론 제국도, 그리고 그 뒤의 페르시아(바사) 제국도 모두 아람어를 공용어로 하고 있습니다. 그 후, AD. 7세기에 무함마드가 이슬람교를 창설하자, 아랍어가 단번에 퍼졌고, 아람어가 탄생한 시리아에서도 현재는 아랍어가 사용되고 있습니다. 현재 아람어를 사용하는 민족은 극히 일부이며 가까운 장래에 사라져 버릴 가능성이 있다고 알려져 있습니다. 히브리어와 아람어는 매우 비슷해서, 신약 시대의 예수님도 평소에, 아람어를 사용했다고 알려져 있습니다. 어쨋든 다윗은 아람동맹군의 우두머리 하닷에셀에게 승리함으로써 아람동맹의 모든 권익을 이어받은 것으로 생각됩니다. 이로 인해 다윗의 경제적인 지반이 튼튼하게 된 것입니다.

다윗이 하닷에셀의 온 군대를 쳐서 무찔렀다함을 듣고, 왕자를 보내 보내 다윗 왕에게 공물을 가져온 것이, 소바에서 더 북쪽에 위치한 하맛 왕 도이였습니다. 다윗의 파죽지세에 두려움을 느꼈을 것입니다. 참고로 도이의 아들 이름인데, 역대상 18장 10절에 보면 요람(사무엘하 8장 10절)이 아니라 하도람이라고 쓰여져 있습니다.

그의 아들 하도람을 보내서 다윗 왕에게 문안하고 축복하게 하니 이는 하닷에셀이 벌써 도우(도이)와 맞서 여러 번 전쟁이 있던 터에 다윗이 하닷에셀을 쳐서 무찔렀음이라 하도람이 금과 은과 놋의 여러 가지 그릇을 가져온지라

하도람이라는 이름의 뜻은, 「하닷은 존귀하다」라는 뜻이니, 다윗과 동맹을 맺기 위해 아들의 이름을 아람식 하도람에서 이스라엘식 요람으로 개명한 것으로 보입니다. 요람이란 「여호와는 존귀하시다」라는 뜻입니다. 이처럼 당시의 지배자에 따라 속국의 왕의 이름을 바꾸는 일은 자주 있었던 것 같습니다. 다윗은 하맛을 비롯해 정복한 모든 나라에서 가져온 은, 금, 청동의 물건들을 주님을 위해 성별하고 나중에 솔로몬이 성전을 지을 때 사용하도록 준비했습니다.

(3) 남부의 평정과 내정의 충실

마지막으로 남쪽 가나안의 원주민인 에돔을 쳐서, 명성을 얻은 것으로 마무리하고 있습니다. 이렇게 해서 예루살렘을 중심으로 동서남북 사방에 걸친 평정이 끝났습니다. 이때, 이스라엘은 지금까지도, 또 앞으로도 손에 넣을 수 없을 정도의 큰 영토를 손에 넣었습니다. 그러나, 실은 이 광대한 영토는 하나님이 족장 시대부터 모세의 시대에 걸쳐 몇 번이나 반복해서 약속해 주신 영토였습니다(창세기 15장 18절, 출애굽 23장 31절, 신명기 1장 7절, 11장 24절). 약속하신 말씀 두 가지만 확인하겠습니다. 창세기 15장 18절, 신명기 1장 7절을 보시기 바랍니다.

창세기 15장 18절

그 날에 여호와께서 아브람과 더불어 언약을 세워 이르시되 내가 이 땅을 애굽 강에서부터 그 큰 강 유브라데까지 네 자손에게 주노니

신명기 1장 7절

방향을 돌려 행진하여 아모리 족속의 산지로 가고 그 근방 곳곳으로 가고 아라바와 산지와 평지와 네겝과 해변과 가나안 족속의 땅과 레바논과 큰 강 유브라데까지 가라

즉, 하나님께서는 이전에, 이스라엘이 가나안에 입성할 때, 여호수아의 지휘 아래, 이토록 큰 복을 약속하셨는데, 이스라엘 백성들은 좁은 땅만 손에 넣고는 “이 정도면 충분하겠지”라고 생각하고, 약속하신 말씀에 굳게 서지 않고, 그대로 좁은 땅에 안주해 버렸다고 말할 수 있을지도 모릅니다. 다윗은 바로 하나님께서 먼 옛날에 주신 약속을 바탕으로 가나안 땅을 정복했다는 것입니다. 여기서 우리는, 다윗의 개인적인 탁월함이라기보다, 언약에 대한 하나님의 신실하심, 그 성실하심을 볼 수 있는 것입니다. 다윗이 성공했다기보다는, 다윗을 사용하신 하나님께서 약속하신 것을 실행하셨기에 성공했다는 것입니다. 하나님은 얼마나 놀라운 분이실까요? 다윗은, 주님께서 주신 온 이스라엘을 지배하고, 그 백성 모두를 위해 정의와 공의를 행했습니다. 15~18절을 보시기 바랍니다.

15 다윗이 온 이스라엘을 다스려 다윗이 모든 백성에게 정의와 공의를 행할새

16 스루야의 아들 요압은 군사령관이 되고 아힐룻의 아들 여호사밧은 사관이 되고

17 아히둡의 아들 사독과 아비아달의 아들 아히멜렉은 제사장이 되고 스라야는 서기관이 되고

18 여호야다의 아들 브나야는 그렛 사람과 블렛 사람을 관할하고 다윗의 아들들은 대신들이 되니라

여기에도 소중한 진리가 숨겨져 있습니다. 일반적으로 「정의와 공의」라는 말은, 선지자에 의해 이야기된, 이윽고 오시는 메시아에 의해 이루어지는 전형적인 통치의 형태입니다. 곧 오시는 메시아의 통치란, 「정의」를 통해 하나님의 공정과 정의가 칭송되고, 「공의」를 통해 하나님의 긍휼하심과 인자하심이 칭송되는 통치라는 것입니다. 이 정의와 공의의 통치를 확립하기 위해 다양한 제도가 마련되었습니다. ①「군사령관」, ②「사관」, ③「제사장」, ④「서기관」, ⑤「감역관」등입니다. 이것은 오늘날 실제 정치 세계에서 볼 수 있는 관료 제도를 상기해 주시면 이해할 수 있지 않을까 생각합니다. ‘뭔가 세속적인 이야기구나~’라고 생각하실지도 모르지만, 한 가지 매우 흥미로운 것은, 하나님도 인간의 왕과 마찬가지로 「사관」을 가지고 계시다고 성경에 그려져 있다는 것입니다. 이사야 62장 6절의 말씀입니다. 보시겠습니다.

예루살렘이여 내가 너의 성벽 위에 파수꾼을 세우고 그들로 하여금 주야로 계속 잠잠하지 않게 하였느니라 너희 여호와로 기억하시게 하는 자들아 너희는 쉬지 말며

여기서 「너희 여호와로 기억하시게 하는 자들아」라는 말이 「사관」이라는 말과 같은 말이 쓰이고 있습니다. 에스더기를 기억해 주셨으면 합니다만, 옛날에 모르드개라는 사람이 페르시아(바사) 왕의 생명의 위험을 미연에 막았다는 공적에 대해, 왕이 그 보답을 해주는 것을 잊지 않도록 한 「사관」과 같은 역할의 사람입니다. 하나님도 마찬가지로 자신의 백성에게, 혹시라도 그 보답을 주시는 것을 깜빡 잊어버리는 일이 없도록 「사관」을 배치하고 계시며, 그 자에게 침묵해서는 안 된다고 말씀하시는 것입니다. 이 「사관」의 역할이란, 우리 교회 안에서, 중보기도를 하는 사람이라고 생각할 수 있을 것입니다. 즉 무슨 말인가 하면, 하나님 나라의 예표인 교회에서, 여러 가지 봉사가 있듯이, 영원한 천국에서도, 역시 하나님을 섬기는 여러 가지 일이 있다는 것입니다. 우리 교회를 보세요. 형제자매를 위해 기도를 드리는 사역이 있습니다. 또 장로, 집사가 있고, 반주나 예배봉사자, 서예봉사자, 회계봉사자가 있고, 마치 관료제도처럼, 봉사가 분담되어 있습니다. 그래서 우리가 영원히 살게 될 천국에서도, 분명 이런 일들이 구비되어 있다는 것을 쉽게 생각해볼 수 있는 것입니다.

결론

첫째, 우리는 8장을 통해, 약속하신 말씀에 대한 하나님의 신실함, 성실하심을 보아왔습니다. 그래서 다윗의 성공이란, 다윗의 개인적인 성공이 아니라, 하나님의 성공이었다는 것입니다. 하나님에게 있어 실패는 없습니다. 우리도 하나님과 함께 걸으면서, 모든 것을 맡기고 감사와 기쁨으로 걷도록 합시다. 비록 우리의 삶이 자신의 눈에는 납득이 가지 않더라도, 하나님은 모든 것이 합력하여 선을 이루어 주신다는 것을 믿고 걸어갑시다. 하나님의 약속을 믿으며, 하나님의 약속의 성취를 고대하며 걸어갑시다. 둘째, 교회에서 하나님의 통치가 잘 이루어지도록, 성도 한 분 한 분이 직분을 잘 감당할 수 있도록, 하나님이 세워주십니다. 마찬가지로 영원히 사는 천국에서도 하나님을 섬기는 일이 준비되어 있다는 것입니다. 이것을 믿으면서, 오늘을 살아가는 우리는 작은 일에 충성하는 자로서 걸어갑시다.

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