2020年10月18日「ダビデ契約 다윗 언약」

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ダビデ契約 다윗 언약

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記下 7章1節~29節

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聖句のアイコン聖書の言葉

7:1王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。
7:2王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」
7:3ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」
7:4しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
7:5「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
7:6わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。
7:7わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
7:8わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。
7:9あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。
7:10わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。
7:11わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。
7:12あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
7:13この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
7:14わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。
7:15わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。
7:16あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
7:17ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。
7:18ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
7:19主なる神よ、御目には、それもまた小さな事にすぎません。また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。
7:20ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。
7:21御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました。
7:22主なる神よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられるものはなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。
7:23また、この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれを贖って御自分の民とし、名をお与えになりました。御自分のために大きな御業を成し遂げ、あなたの民のために御自分の地に恐るべき御業を果たし、御自分のために、エジプトおよび異邦の民とその神々から、この民を贖ってくださいました。
7:24主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、あなた御自身がその神となられました。
7:25主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。
7:26『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。
7:27万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。
7:28主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。
7:29どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記下 7章1節~29節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

本日は、ダビデ契約と言われる箇所ですが、なぜそのように言われるのかについて最初に説明いたします。それから、ダビデ契約を通してその後の人々がどのようにしてメシアを待望するように変えられたのかを見て行きたいと思います。

【1】. ダビデ契約と言われる理由

神さまと人との契約とは何かと言いますと、一言で、「神さまと人との愛の交わりの関係」と私なりに定義してみました。この契約は一番最初に人類の始祖アダムによって破られてしまいました。アダムの堕落によって、被造物全体は汚され、呪いを受けることになり、もはや人間はこの地において神様と自由に交わり、神様と共に住むことが出来なくなりました。しかし、この時、神様は、遠い天から、ただ人間を観察するだけではなくて、ご自身が進んでアダムとエバの所に来てくださり、ご自身の民の間に留まり、「アダムよ、どこにいるのか」と呼んで下さり、関わりを持ってくださいました。つまり、神様が自ら一方的に、堕落した罪人のところへ探しに来てくださったことによって、もう既に神の救いの計画と万物の回復は、始まっているといえるでしょう。いわゆる「原福音」と呼ばれる契約をこの時、彼らと結んでくださいました。創世記3:15を御覧ください。

“お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。”

この「原福音」は、人間がサタンと結んでしまった契約を破り、人間とサタンの間に敵対感を植えて、再び人間を神の側に引き寄せ、罪と死の力に打ち勝つ勝利を約束するものでありました。「女の子孫」とはキリストのことです。神はアダムとエバが罪を犯し堕落した直後に交わりを回復されようとして自ら罪びとの所に訪ねに来てくださいました。同じように、ノアに対して、アブラハムに対して、イサクに対して、ヤコブに対して、神さまは御自ら探しに来られ、そしてご自身を現してくださいました。そして、神様が顕現されたその場所が、まさに聖所となりました。従って、アブラハムでもヤコブでもイサクでも、神様に礼拝を捧げる場所は、どこだったかと言うなら、それは「神様がご自身を現してくださった場所」であり、まさにその場所に祭壇を築き、その場所を聖所として、神さまに礼拝を捧げたのです。特にアブラハムに与えられた偉大な契約というのは、あなたとあなたの子孫の神になると約束してくださった創世記17:7~8の御言葉ではないでしょうか。創世記17:7~8を御覧ください。

“わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。”

神がアブラハムの神となるとし、あなたは私の民となるとして、関わり合いを宣言してくださいました。その後、シナイ山においても、モーセが率いるイスラエル第一世代に対して、この契約と同じような契約を宣言してくださいました。レビ記26:11~12です。

“わたしはあなたたちのただ中にわたしの住まいを置き、あなたたちを退けることはない。わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。”

モーセに対して神さまはこのようにイスラエルとの関わりを宣言してくださいました。その後、モアブの地においてモーセの率いる第二世代に対しても同じような契約を宣言してくださいました。申命記26:17~18です。

“今日、あなたは誓約した。「主を自分の神とし、その道に従って歩み、掟と戒めと法を守り、御声に聞き従います」と。主もまた、今日、あなたに誓約された。「既に約束したとおり、あなたは宝の民となり、すべての戒めを守るであろう。”

ここにおいても、あなたは宝の民ですよとし、私はあなた方の神になりますと宣言してくださいました。このように神様は、ご自分の民と結んでくださった契約を、繰り返し宣言してくださるのです。罪によって愛の交わりが断絶されてしまいましたが、神さまは罪びとを救い、回復させることによって、再び愛の交わりを取り戻そうとする、ここに尋常でない熱意と神さまの誠実さを感じ取ることができます。神さまはその後、エレミヤを通しても(エレミヤ7:23、11:4、32:38)、エゼキエル(37:27)を通しても同じことを語ってくださいました。新約に至っては、ヨハネによる福音書1:14において語られ、究極的には黙示録21:3において、その完全な成就を見ることができます。黙示録21:3を御覧ください。

“そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、”

ここにおいても同じことが書かれています。神さまは罪びとである人間を決して諦めずに、ご自身から関りを持ってくださり、愛の交わりを回復してくださるお方です。それでは本日のサムエル記下7章がなぜ、ダビデ契約と言われるのかと言えば、ナタンの預言を通して語られた約束の御言葉を、ダビデ自身がアダムやアブラハムやモーセに語られた契約として受け止めているからです。サムエル記下7:24を御覧ください。

“主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、あなた御自身がその神となられました。”

ここにダビデの祈りが書かれています。約束を頂いたダビデは、祈りの中で「イスラエルを主の民としてくださり、主ご自身がイスラエルの神となられた」と言っています。ここに典型的な契約の公式を見て取ることが出来るのです。このダビデ契約以降、イスラエルの民の信仰において大変大きな変化が起こったことは否定できない事実でありましょう。その変化とは「ダビデの子」を待ち望むという信仰であります。メシアを待ち望む信仰です。

【2】. 家を建てる提案を拒絶され、むしろダビデの為に家を建てる約束

それでは、本文を見てまいります。契約の箱がエルサレムに帰って来たというのを前回6章で見てきました。ダビデ王がエルサレムに王宮を建てて住むようになり、周囲の敵が主によって退けられ、イスラエルに安息が与えられるようになった時、ダビデ王は、自分はレバノン杉で出来た立派な家に住めるようになったのに、神の箱は相変わらずみすぼらしい天幕の中に置かれたままであることに心を痛めました。ダビデは預言者ナタンにその心の内を明かします。するとナタンは3節で「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。」と賛成してくれました。ところが、その夜、主の言葉がナタンに次のように臨みます。5~7節を御覧ください。

“「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。”

つまり、そんなもの必要ないということです。しかし、ダビデのそのけなげな思いを御覧になられて、やんわりとお断りしているようです。そして、驚くべきことに、主に家を建てようと言ったダビデに対して、むしろ主の方からダビデの為に「家を建てる」つまり、家門を興してくださるという約束が与えられるのです。ここでは、「家、(ヘブル語:バイト)」という言葉がキーワードとなってきます。因みにイエス様とダビデが生まれたベツレヘムは、ヘブル語でベイトレヘムと書きまして、「パンの家」という意味です。イエス様はパンの家というかわいい地名にお生まれになったのです。それではダビデ契約の中心部部分である11節の途中から13節を御覧ください。

“主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。”

ここでは三つのことが約束されています。つまり、①あなたの身から出る子孫に跡を継がせること、②この者がわたしの名のために家を建てること、③彼の王国の王座をとこしえに堅く据えるということです。第一の約束の、「子孫」という言葉ですけれども、この子孫という言葉は「種」という言葉の単数形でありますが、聖書ではこの単数形の「種」、つまり「子孫」という言葉はキリストを指しています。原福音の中にも出て来ました。第二の約束のこの者が家を建てるということは後で説明させていただきます。第三の約束の彼の王国の王座をとこしえに堅く据えるという約束ですが、ここに、「王座」(ヘブル語:キッセ)という言葉が出て来ることに注目してください。この言葉はサウル王の統治の間には一度も出て来なかった言葉です。つまりダビデの子、キリストによって、罪と死の力に打ち勝つその王国は揺るぎないものとなり、その王座はとこしえに堅く据えられるという約束が与えられたのです。この時に語られた約束が、イスラエルの民の信仰の中に深く刻まれていきました。そして、たとえダビデの子ソロモンが神殿を建設した後であっても、ダビデの子、メシアを待望する信仰は消えることなく、むしろ、400年続いたダビデ王朝がついに、バビロン捕囚によって途絶えてしまいますが、メシアの待望は、むしろ強められていきました。そして自分たちの置かれている状況がどんなに苦しくても、必ずそこから救い出され平安と安息を与えてくださるメシアを待ち望むようになっていったのです。

【3】. 神殿建築に予表されたメシア預言

それでは、先ほどスキップしました第二の約束である、「この者が家を建てる」という約束ですが、これは、つまりダビデの主の家を建てたいという申し出を断っていることにもなりますが、なぜ、主はその申し出を断ったのでしょうか。当時の常識的な面から照らしてみても、王さまが神さまのために神殿を建てることは、当然のことであり、相応しいことでありました。注解書によりますと、自由を制限される神殿に住むことより、移動に便利な天幕に住むことの方が、自由である神さまの本来の御心に適っていたという意見があります。確かに、主は、これまで天幕を通して、ご自身の契約の民であるイスラエルの民の間に住まわってくださいました。そしてご自身の民と愛の交わりを持ってくださいました。しかし、神殿が建設されたソロモン以降においても、主は神殿を通してご臨在され、神殿を通して、イスラエルの民の中に住まわってくださいました。さらに一千年の時が流れ、新約の時代になり、イエス様が来られて、十字架と復活によって贖いの御業を成就された後には、教会が神の宮となり、教会を通して主はご自身の民の中に住まわってくださるようになりました。さらに、未来において、キリストの再臨の日には、新しいエルサレムに、勝利の教会の上に、つまり復活して霊の身体を与えられた聖徒たちの上に、住まわってくださることでしょう。このようにして考えるなら、神殿を建築することそれ自体が、神の御心に適わないということではないように思われます。ダビデの申し出を断った理由については、いろいろな意見が見られますが、歴代誌上22:8を見ると、ダビデが、わが子ソロモンに次のような理由によって神殿建築が許されなかったと語っています。御覧ください。

“ところが主の言葉がわたしに臨んで、こう告げた。『あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。”

従いまして、神の家は「平和の王」によって打ち立てられるべきであるということです。これは、即ちその名前に平和(シャローム)という意味を持っているソロモン王によって神の神殿が建てられるべきだと当時の人々は解釈したのでしょう。ダビデではなく、神によって立てられたソロモン王によって神殿は建設されました。しかし、もっと深い意味においては、主は、神殿を建設すること自体は反対ではなかったのですが、それを、人間であるダビデがするというのか?という疑問であったということではないかと思われます。ですから、神さまのおっしゃりたいことは、「神の家はこれまで、してきたように主ご自身が自らそれを指示し、主ご自身が自ら立てた人物を通して建設する」と言われているのだと思います。平和の王による神殿の建設とは、あの、三日後に神殿を建て直すと言われた、イエス・キリストを指しているのです。ヨハネによる福音書2:19を御覧ください。

“イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」”

イエス様は復活された後、ガリラヤで、弟子たちとお会いした時にシャロームと挨拶されました。「平安があるように」、「安息があるように」という挨拶です。イエス様の復活によって教会が誕生し、まさに、この教会こそが主の住まわれる家になった、三日後に建て直された神殿とは新約時代の教会であるということです。従いまして、ダビデ王がメシアを予表しているとこれまでさんざん説教の中で説明してきましたが、ソロモン王とは、まさに復活されたイエス様を予表しているということが言えるでしょう。そしてイエス・キリストとキリストの花嫁である教会こそ、神が永遠に結び合わされたものであり、教会こそ神の家であり、永遠の安息と平安の臨む場所となったのです。

【結論】

主はダビデ契約を与えられ、ダビデから出る子孫に、「ダビデの子」に跡を継がせて、このダビデの子が神の家、教会を建てることを約束されました。そして、神の国の王座をとこしえに堅く据えると約束してくださいました。この約束は、どのような困難な状況にあっても、メシアを待ち望むというイスラエルの信仰となりました。そしてそれから一千年後に、キリストの到来によってダビデ契約は成就され、信じる者に神の平安と神の安息が与えられました。このことから私たちが悟ることは、神さまは、ご自身の民に対して、たとえ、罪を犯し、その交わりを一方的に破棄した者であるにもかかわらず、最後まで神の側では、慈しみと神の熱意をもって、愛の交わりを回復してくださり、契約を忠実に成就してくださるお方であるということです。神さまはご自身の民に、神の安息の中に入るよう招いてくださるお方であり、主にある平安を与えようとされるお方です。この平安と安息が完全に成就されるのは、キリストの再臨の時でありますから、旧約の民がメシアを待望したように、新約時代に生きる私たちも、キリストの再臨を待ち望みつつ信仰の歩みをさせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

다윗 언약

2020년 10월18일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘하 7장 1~29절

서론

오늘 말씀은 「다윗 언약」이라고 불리우는 구절입니다만, 왜 그렇게 불리워지는지에 대해 먼저 설명드리겠습니다. 그리고 나서, 다윗 언약을 통해 그 이후의 사람들이 어떻게 메시아를 대망하도록 바뀌어졌는지를 살펴보고 싶다고 생각합니다.

(1) 다윗 언약이라고 불리는 이유

하나님과 사람과의 언약이란 무엇인가 하면, 한마디로 「하나님과 인간의 사랑의 교제」라고 제 나름대로 정의해 보았습니다. 이 언약은 가장 먼저 인류의 시조 아담에 의해 깨지고 말았습니다. 아담의 타락으로, 피조물 전체는 더렵혀지고 저주를 받게 되었고, 더 이상 인간은 이 땅에서 하나님과 자유롭게 교제하거나, 하나님과 함께 살 수 없게 되었습니다. 그러나, 이때, 하나님께서는 멀리 하늘에서, 그저 인간을 관찰하는 것만이 아니라 자신이 먼저, 아담과 하와에게 와 주셔서, 자신의 백성 가운데 머물며, 「네가 어디 있느냐」고 아담을 불러주시며 관계를 가져 주셨습니다. 즉, 하나님께서 먼저 일방적으로, 타락한 죄인을 찾아 오심으로써, 이미 하나님의 구원 계획과 만물의 회복은, 시작되었다고 할 수 있습니다. 이른바 「원복음」이라 불리는 언약을 이때, 그들과 맺어주셨습니다. 창세기 3장 15절을 보십시오.

내가 너로 여자와 원수가 되게 하고 네 후손도 여자의 후손과 원수가 되게 하리니 여자의 후손은 네 머리를 상하게 할 것이요 너는 그의 발꿈치를 상하게 할 것이니라 하시고

이 「원복음」은, 인간이 사탄과 맺어버린 언약을 깨고, 인간과 사탄 사이에 적대감을 심어, 다시 인간을 하나님께로 돌아오게 하여, 죄와 죽음의 힘을 이겨낼 승리를 약속하는 것이었습니다. 「여자의 후손」이란 그리스도를 말합니다. 하나님은 아담과 하와가 죄를 짓고 타락한 직후에, 교제를 회복하시고자 먼저 죄인에게 찾아오셨습니다. 마찬가지로, 노아에 대해, 아브라함에 대해, 이삭에 대해, 야곱에 대해, 하나님께서 먼저 찾아 오시고, 자신을 드러내 주셨습니다. 그리고 하나님이 모습을 나타내신 그 자리가, 바로 성소가 되었습니다. 따라서, 아브라함이나 야곱이나 이삭이나, 하나님께 예배를 드리는 곳이 어디였냐 하면, 바로 「하나님께서 자신을 드러내신 곳」이고, 바로 그 곳에 제단을 쌓고, 그 곳을 성소로 삼아, 하나님께 예배를 드린 것입니다. 특히 아브라함에게 주어진 위대한 언약이란, 아브라함과 아브라함의 후손의 하나님이 되겠다고 약속하신 창세기 17장 7,8절 말씀이 아닐까요? 창세기 17장 7,8절을 보세요.

7 내가 내 언약을 나와 너 및 네 대대 후손 사이에 세워서 영원한 언약을 삼고 너와 네 후손의 하나님이 되리라

8 내가 너와 네 후손에게 네가 거류하는 이 땅 곧 가나안 온 땅을 주어 영원한 기업이 되게 하고 나는 그들의 하나님이 되리라

하나님이 아브라함의 하나님이 되시며, 너와 네 후손은 나의 백성이 된다고 관계를 선언해 주셨습니다. 그 후 시내 산에서도 모세가 이끄는 이스라엘의 제 1세대에 대해서, 이 언약과 같은 언약을 선언해 주셨습니다. 레위기 26장 11,12절입니다.

11 내가 내 성막을 너희 중에 세우리니 내 마음이 너희를 싫어하지 아니할 것이며

12 나는 너희 중에 행하여 너희의 하나님이 되고 너희는 내 백성이 될 것이니라

모세에게 하나님께서는 이렇게 이스라엘과의 관계를 선언해 주셨습니다. 그 후, 모압 땅에서 모세가 이끄는 2세대에 대해서도 같은 언약을 선언해 주셨습니다. 신명기 26장 17,18절입니다.

17 네가 오늘 여호와를 네 하나님으로 인정하고 또 그 도를 행하고 그의 규례와 명령과 법도를 지키며 그의 소리를 들으라

18 여호와께서도 네게 말씀하신 대로 오늘 너를 그의 보배로운 백성이 되게 하시고 그의 모든 명령을 지키라 확언하셨느니라

여기서도, 너희를 보배로운 백성이 되게 하며, 나는 너희들의 하나님이 되겠다고 선언해 주셨습니다. 이처럼 하나님께서는, 자신의 백성과 맺으신 언약을, 거듭 선언해 주시는 것입니다. 죄로 인해 사랑의 교제가 단절되어 버렸지만, 하나님은 죄인을 구원하시고, 회복시킴으로써, 다시 사랑의 교제를 되찾으려는, 뜨거운 하나님의 열의와 신실함을 느낄 수 있습니다. 하나님은 그 후, 예레미야를 통해서도(예레미야 7장 23절, 11장 4절, 32장 38절), 에스겔(32장 27절)을 통해서도 같은 말씀을 해주셨습니다. 신약에 이르러서는, 요한복음 1장 14절에서 말씀하시며, 궁극적으로 묵시록 21장 3절에서 그 완전한 성취를 볼 수 있습니다. 묵시록 21장 3절을 봐 주세요.

내가 들으니 보좌에서 큰 음성이 나서 이르되 보라 하나님의 장막이 사람들과 함께 있으매 하나님이 그들과 함께 계시리니 그들은 하나님의 백성이 되고 하나님은 친히 그들과 함께 계셔서

여기에 있어서도 같은 것이 쓰여져 있습니다. 하나님은 죄인인 인간을 결코 포기하지 않으시고, 찾아와 주셔서 관계를 가져 주시고, 사랑의 교제를 회복해 주시는 분입니다. 그러면 오늘 사무엘하 7장이 왜, 다윗 언약이라고 불리우는지 말해 보자면, 나단의 예언을 통해 하신 약속의 말씀을, 다윗 자신이 아담이나 아브라함이나 모세에게 하신 언약으로 받아들이고 있기 때문입니다. 사무엘하 7장 24절을 보십시오.

주께서 주의 백성 이스라엘을 세우사 영원히 주의 백성으로 삼으셨사오니 여호와여 주께서 그들의 하나님이 되셨나이다

여기 다윗의 기도가 적혀 있습니다. 약속을 받은 다윗은, 기도 가운데「이스라엘을 세우사 영원히 주의 백성으로 삼으셨사오니 여호와여 주께서 그들의 하나님이 되셨나이다」라고 말합니다. 여기에 전형적인 언약의 공식을 살펴볼 수 있습니다. 이 다윗의 언약 이후, 이스라엘 백성들의 믿음에 있어 매우 큰 변화가 일어났다는 것은 부정할 수 없는 사실입니다. 그 변화란 「다윗의 자손」을 기다린다는 믿음입니다. 메시아를 고대하는 신앙입니다.

(2) 하나님의 집 건축의 제안을 거절 하시고, 오히려 다윗을 위해 집을 지으시겠다는 약속

그럼, 본문을 보겠습니다. 언약궤가 예루살렘으로 돌아왔다는 것을 지난 번 6장에서 살펴 보았습니다. 다윗 왕이 예루살렘에 왕궁을 짓고 살게 되면서, 주위의 적들이 주님에 의해 물리쳐지고, 이스라엘에 안식이 주어지게 되었을 때, 다윗 왕은 자신은 레바논 백향목 궁에 살 수 있게 되었는데도, 하나님의 궤는 여전히 초라한 휘장 가운데에 놓여 있는 것에 마음 아파했습니다. 다윗은 선지자 나단에게 그 속마음을 밝힙니다. 그러자 나단은 3절에서 「마음에 있는 모든 것을 행하소서」라고 찬성해 주었습니다. 그런데, 그날 밤, 주님의 말씀이 나단에게 다음과 같이 임합니다. 5~7절을 보시기 바랍니다.

5 가서 내 종 다윗에게 말하기를 여호와께서 이와 같이 말씀하시되 네가 나를 위하여 내가 살 집을 건축하겠느냐

6 내가 이스라엘 자손을 애굽에서 인도하여 내던 날부터 오늘까지 집에 살지 아니하고 장막과 성막 안에서 다녔나니

7 이스라엘 자손과 더불어 다니는 모든 곳에서 내가 내 백성 이스라엘을 먹이라고 명령한 이스라엘 어느 지파들 가운데 하나에게 내가 말하기를 너희가 어찌하여 나를 위하여 백향목 집을 건축하지 아니하였느냐고 말하였느냐

그러니까, 그런 거 필요 없다는 거죠. 그러나, 다윗의 그 갸륵한 생각을 보시고, 부드럽게 거절하시는 것 같습니다. 그리고, 놀랍게도, 주를 위하여 집을 건축하려고 하려고 한 다윗에게, 오히려 주님께서 「너를 위해 집을 짓고」 즉, 가문을 견고하게 하시겠다는 약속이 주어지는 것입니다. 여기서는 「집 (히브리어로 바이트)」라는 말이 키워드가 되고 있습니다. 참고로 예수님과 다윗이 태어난 베들레헴은, 히브리어로 베트레헴이라고 썼으며, 「떡집」이라는 뜻입니다. 예수님은 「떡집」이라는 귀여운 지명에서 태어나신 것입니다. 그러면 다윗 언약의 중심 부분인 11절 중간부터 13절을 보시기 바랍니다.

11 ... 너를 모든 원수에게서 벗어나 편히 쉬게 하리라 여호와가 또 네게 이르노니 여호와가 너를 위하여 집을 짓고

12 네 수한이 차서 네 조상들과 함께 누울 때에 내가 네 몸에서 날 네 씨를 네 뒤에 세워 그의 나라를 견고하게 하리라

13 그는 내 이름을 위하여 집을 건축할 것이요 나는 그의 나라 왕위를 영원히 견고하게 하리라

여기서는 세 가지가 약속되어 있습니다. 즉 ① 네 몸에서 날 네 씨에게 대를 이을 것, ② 그는 내 이름을 위하여 집을 건축할 것, ③ 그의 나라 왕위를 영원히 견고하게 하시겠다는 약속입니다. 첫 번째 약속인 「씨」라는 말인데요. 이「씨」이라는 말은 성경에서, 즉 「자손」이라는 말로 그리스도를 가리키고 있습니다. 「원복음」안에도 나왔습니다. 두 번째 약속의, 이 자손이 집을 건축한다는 것은 나중에 설명해 드리겠습니다. 세 번째 약속인 「그의 나라 왕위를 영원히 견고게 하리라」는 약속인데, 여기에 「왕좌(히브리어로 킷세)」라는 말이 나오는 것을 주목하십시오. 이 말은 사울 왕의 통치 동안에는 한 번도 나오지 않았던 말입니다. 즉 다윗의 자손, 그리스도로 말미암아, 죄와 죽음의 힘을 부수고 이겨내는 그 왕국은 흔들림이 없고, 그 왕좌는 영원히 견고하게 굳게 자리잡는다는 약속이 주어졌습니다. 이때 말씀하신 약속들이, 이스라엘 백성들의 믿음 속에 깊이 새겨졌습니다. 그리고, 비록 다윗의 아들 솔로몬이 성전을 건축한 뒤라 하더라도, 다윗의 자손, 메시야를 대망하는 믿음은 사라지지 않았고, 오히려 400년 동안 지속된 다윗 왕조가 마침내, 바빌론 침공에 의해 끊어지고 말지만, 메시아를 대망하는 마음은, 오히려 강해져 갔습니다. 그리고 자신들이 처한 상황이 아무리 고통스러워도, 반드시 그곳에서 구원받아 평안과 안식을 주시는 메시아를 기다리게 되었습니다.

(3) 성전건축에 예표된 메시아 예언

그러면, 방금 건너 뛴 두 번 째 약속인, 「그는 내 이름을 위하여 집을 건축할 이요」라는 약속인데, 이것은 곧 다윗의 주님의 집을 건축 하겠다는 요청을 거절하는 것이기도 한데, 왜 주님은 그 요청을 거절하셨을까요? 당시의 상식적인 면에서 볼 때도, 왕이 하나님을 위해 성전건축을 하는 것은 당연한 일이고 합당한 일이었습니다. 주해서에 따르면, 자유를 제한받는 성전에 거하시는 것보다, 이동이 편리한 장막에 거하시는 것이 자유로운 하나님의 본래 마음에 들어했다는 의견이 있습니다. 확실히, 주님께서는 지금까지 장막을 통해서, 자신의 언약 백성인 이스라엘 백성들 사이에 거주해 주셨습니다. 그리고 자신의 백성과 사랑의 교제를 가져주셨습니다. 하지만 성전이 건설된 솔로몬 이후에도, 주님은 성전을 통해 임재하셨고, 성전을 통해, 이스라엘 백성들 가운데 거주하셨습니다. 그 위에 천 년의 세월이 흘러, 신약시대가 되고, 예수님이 오시고, 십자가와 부활로 속죄하는 일을 성취하신 후에는, 교회가 하나님의 전이 되고, 교회를 통해 주님은 자신의 백성 가운데 거하시게 되었습니다. 나아가, 미래에, 그리스도의 재림의 날에는, 새 예루살렘으로, 승리의 교회 위에, 즉 부활하여 영의 몸을 받은 성도들 가운데, 임하시게 될 것입니다. 이렇게 생각한다면, 성전을 건축하는 것 자체가, 하나님의 마음에 맞지 않는 것은 아닌 것 같습니다. 다윗의 요청을 거절하신 이유에 대해서는, 여러가지 의견이 보이는데, 역대상 22장 8절을 보면, 다윗이 아들 솔로몬에게 다음과 같은 이유로 성전건축이 허락되지 않았다고 말하고 있습니다. 보시죠.

여호와의 말씀이 내게 임하여 이르시되 너는 피를 심히 많이 흘렸고 크게 전쟁하였느니라 네게 내 앞에서 땅에 피를 많이 흘렸은즉 내 이름을 위하여 성전을 건축하지 못하리라

따라서, 하나님의 집은 「평화의 왕」에 의해 세워져야 한다는 것입니다. 이는, 곧 그 이름에 평화(샬롬)라는 뜻을 가진 솔로몬 왕에 의해 하나님의 성전이 세워져야 한다고 당시 사람들은 해석했을 것입니다. 다윗이 아니라, 하나님에 의해 세워진 솔로몬 왕에 의해 성전건축은 이루어졌습니다. 그러나, 더 깊은 의미에서는, 주님은, 성전건축 하는 것 자체는 반대하시지 않았는데, 그것을, “인간인 다윗이 하겠다는 것인가?”라는 의문이었다는 것이 아닐까 생각됩니다. 그래서, 하나님이 말씀하시고자 하시는 것은, 「하나님의 집은 지금까지 해 왔던 것처럼, 주님 자신이 스스로 그것을 지시하시고, 주님 자신이 스스로 세운 인물을 통해 세우신다」고 말씀하시고 계신 것이라 생각합니다. 평화의 왕에 의한 성전건축이란, 그 사흘 동안에 다시 세운다는 예수 그리스도를 가리키는 것입니다. 요한복음 2장 19절을 보십시오.

예수께서 대답하여 이르시되 너희가 이 성전을 헐라 내가 사흘 동안에 일으키리라

예수님은 부활하신 후, 갈릴리에서 제자들과 만났을 때 「샬롬」이라고 인사해 주셨습니다. 「평안이 있기를」, 「안식이 있기를」이라는 인사말입니다. 예수님의 부활로 교회가 탄생했고, 바로 이 교회야말로 주님이 계시는 집이 된, 사흘 만에 재건된 성전이란, 신약 시대의 교회라는 것입니다. 따라서, 다윗 왕이 메시아를 예표하고 있다고 그동안 계속해서 설교 가운데 설명해 왔는데, 솔로몬 왕이란, 바로 부활하신 예수님을 예표하고 있다고 할 수 있을 것입니다. 그리고 예수 그리스도와 그리스도의 신부인 교회야말로, 하나님과 영원히 연합된 것이고, 교회야말로 하나님의 집이며, 영원한 안식과 평안이 임하는 곳이 된 것입니다.

결론

주님은 다윗 언약을 주셨고, 다윗에게서 나오는, 「다윗의 자손」을 뒤에 세워, 이 다윗의 자손이 하나님의 집, 교회를 세운다는 약속을 주셨습니다. 그리고, 하나님 나라의 왕위를 영원히 견고하게 세우겠다고 약속해 주셨습니다. 이 약속은, 어떤 어려운 상황에서도, 메시아를 기다린다는 이스라엘의 믿음이 되었습니다. 그리고 그로부터 일 천년 후에, 그리스도의 도래로 다윗의 언약은 성취되었고, 믿는 자에게 하나님의 평안과 하나님의 안식이 주어졌습니다. 이로부터 우리가 깨닫는 것은, 하나님은, 자신의 백성에 대해서, 예를 들어, 죄를 범하고, 그 교제를 일방적으로 파기했음에도 불구하고, 끝까지 하나님 편에서, 인자하심과 하나님의 열심으로, 사랑의 교제를 회복해 주시고 언약을 충실히 성취해 주시는 분이라는 것입니다. 하나님은 자신의 백성에게, 하나님의 안식 속으로 들어오도록 초대해 주시는 분이고, 주 안에 있는 평안을 주려고 하시는 분입니다. 이 평안과 안식이 완전히 성취되는 것은, 그리스도의 재림 때이기 때문에, 구약의 백성들이 메시아를 대망한 것처럼, 신약시대에 사는 우리도, 그리스도의 재림을 고대하며 믿음의 발걸음을 계속해서 걸어가도록 합시다.

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