2020年10月04日「シオンの王の着座 시온 왕의 착석」

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シオンの王の着座 시온 왕의 착석

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記下 6章1節~23節

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聖句のアイコン聖書の言葉

6:1ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。
6:2ダビデは彼に従うすべての兵士と共にバアレ・ユダから出発した。それは、ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱をそこから運び上げるためであった。
6:3彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。
6:4彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。
6:5ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。
6:6一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。
6:7ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。
6:8ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。
6:9その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、
6:10ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。
6:11三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。
6:12神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。
6:13主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。
6:14主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。
6:15ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。
6:16主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。
6:17人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
6:18焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、
6:19兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った。
6:20ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」
6:21ダビデはミカルに言った。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。
6:22わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」
6:23サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記下 6章1節~23節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

本日の箇所では、契約の箱をダビデの町、エルサレムに運び入れる取り組みが二度言及されています。一度目はウザが神さまに打たれ失敗に終わりますが、二度目に成功したという内容です。そもそも、この契約の箱とは何かと言いますと、縦が約110㎝、横が約67㎝、高さが約67㎝(出25:10)のアカシア材でできた箱でありまして、上に蓋がかぶせてありますが、この蓋には二体の天使をかたどったケルビムが羽を伸ばして互いに向かい合っています。そして全体が純金で覆われていました。本日の6:2には、契約の箱について、次のように描写されています。「ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱」、つまりケルビムの上にヤハウェなる主が着座されるということです。この契約の箱は、会見の幕屋の中の至聖所に安置され、神の臨在される所として、恐れ敬われてきましたが、その箱がペリシテとの戦いによって奪われてしまいました。ところが、ある日のこと、レビ人の町であるベト・シェメシュに二頭の雌牛に引かれて神の箱が戻って来たのです。ベト・シェメシュの住民は大喜びしました。ところが、レビ人であるはずの彼らが、契約の箱の中を覗いてしまうという、信じられないことをしてしまいます。それによって主の怒りが下り、その場にいたベト・シェメシュ人70人が打たれて、死んでしまいました。この出来事を聞いた全イスラエルは、喜びが一気に悲しみへと変えられました。その後、契約の箱は、キルヤト・エアリムのアミナダブの家に落ち着くことになります。ギブオンの近くにあるキルヤト・エアリムという町は、原住民であるカナン人が住んでいる町であり、言ってみれば、当時ペリシテ領にもイスラエル領にも属さない町でありました。結局、契約の箱はカナン人のご利益宗教の家にそのまま放置されることとなったのです。

【1】. 力によって主の箱を取り戻そうとするダビデ

その後永い年月が過ぎて、ダビデは、精鋭部隊三万人の兵を集め、契約の箱をバアレ・ユダから運び出そうとしています。バアレ・ユダという場所ですが、これはキルヤト・エアリムのカナン人による呼称だと言われています(ヨシュ15:9、18:14)。ダビデは軍事力を誇示しながら、凱旋パレードのように、契約の箱を見事、エルサレムに奪還したといったところでしょうか。人々は皆、楽器を奏でながら喜び祝いながら契約の箱を運び込んでいます。6:3~7節を御覧ください。

彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。

ダビデの一行は、アビナダブの家から契約の箱を運び出していますが、神の箱を新しい車に載せています。そしてそれを牛に引かせて運んでいました。この後、一行がナコンの麦打ち場にさしかかった時に、突然悲劇が起こりました。牛がよろめいたために、ウザが手を伸ばして神の箱を押さえた瞬間に、主の怒りがウザに下り、その場でウザは打たれて死んでしまいました。現場は大変な衝撃を受けたことでしょう。この状況を皆さんはどのように受け止められるでしょうか。もし、自分がウザの立場であったら、手を伸ばして箱が落ちないように押さえないでしょうか。ウザの何が悪かったのでしょうか。彼の身に起こったことが、私たちには大変気の毒に映り、大変、当惑させるような記事でございます。しかし、本来、契約の箱というのは、祭司以外、誰も触れてはならず、また移動の際にはレビ人のケハテ族が直接担がなければならないものでありました。民数記の記事と出エジプト記には次のように書かれています。

民4:15

アロンとその子らが、宿営の移動に当たって、聖所とそのすべての聖なる祭具を覆い終わった後、ケハトの子らが来て運搬に取りかかる。彼らが聖なるものに触れて死を招くことがあってはならない。臨在の幕屋からケハトの子らが運ぶべきものはこれらのものである。

出25:13

箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通す。

律法にはこのように書かれているのになぜ、彼らは新しい車に載せて引こうとしたのでしょうか。恐らく6:3節に、この新しい車を御していて者が、「ウザとアフヨ」であったと書かれていますので、彼らが先導したと思われます。彼らは契約の箱に対し、普段から接してきた通りに、この時も扱ってしまったのでしょう。彼らはカナン人だったので、箱に対する、無神経で恐れのない態度が、律法がそのまま適用されず、罪に問われなかったと思われます。ところが、この時はカナン人ではなく、イスラエルの民として、神聖な神の箱をダビデの町に運び入れようとしている状況です。ウザは、ついつい、いつもそうしているように「おっとっと!」という感じで、神聖な箱を触ってしまいました。神はこの時、律法に従ってウザを打たれたのです。因みにウザという名前の意味は「力」という意味であります。ですから神さまはウザを打ちながらも、実はおごり高ぶっていたダビデを打たれたのです。

【2】. ダビデの告白と神の御座の制定

ダビデはこの時、怒ったとありますが、突然、降りかかった災難に怒ったのかもしれません。或いは、自らの軽率さを悔やむ、怒りであったのかもしれません。とにかく自身の計画が全て水の泡となってしまい悲嘆に暮れました。8~10節を御覧ください。

ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。

その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、

ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。

ダビデは、全く悲嘆にくれた状態で、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と告白しています。これは大切な告白でありまして、全人類が、即ちアダムの子孫である全ての罪人が告白しなければならない言葉と言えるでしょう。私たちと神さまとの間に、これほどの大きな断絶があるのに、どのようにしてケルビムの間にお座わりになられるその御座を、汚れている私たちの中にお迎えすることが出来るでしょうか。ダビデはひとまず、オベド・エドムの家に主の箱を置くことにしました。ガト人オベド・エドムという人物は、歴代誌によればレビ人と書かれていますから(歴代上15:18、24)、ガトという町がペリシテ人の町ではなく、レビ人の住んでいる町である「ガト・リモン」ではないかと推測されています。いずれにしても、オベド・エドムの家に主の箱が移されてから三か月の間、神さまは彼の家を大いに祝福されたので、ダビデはもう一度、主の箱をエルサレムに迎え入れることにします。しかし今度は、律法を遵守しながら、主の箱に対し恐れを持ち、そして神の栄光と神の聖さに対して恐れを持ちながらの取り組みです。神の恵みによらなければ決して成し遂げることは出来ない事業です。この時の状況が歴代上15:12に書かれています。歴代上15:12~15を御覧ください。

「レビ族の家系の長であるあなたたちは、兄弟たちと共に自らを聖別し、イスラエルの神、主の箱を、わたしが整えた場所に運び上げよ。

最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである。」

祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるため自らを聖別した。

主の言葉に従ってモーセが命じたように、レビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担いだ。

この時、ダビデは自らの王服を脱いで、自分も礼拝を司る祭司の一人として、エプロンのような麻のエフォドを身に付けていました。そして、主の箱を担ぐ者が六歩進んだ時に、肥えた雄牛を生贄として献げて、主の御前でダビデは力の限り踊りました。これはどのような状況かと言いますと、契約の箱というのがまさに主の御座でありますから、主の御座をエルサレムへと運び入れることによって、イスラエルの王ヤハウェの即位式を、ダビデがまさにコーディネートしながら喜び祝っている姿であります。当時、踊り手というのは、体操選手のようにぐるぐる回りながら舞いを披露するのですが、服をほとんど来ていませんでした。ダビデも踊り手のように主ヤハウェの即位を喜び、自ら進んで踊りを、買って出たということです。最初の三万の精鋭部隊を華々しく誇示していた凱旋パレードとは、えらい違いです。そして最後に、主なる神が王として即位された暁として、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、また民には、たくさんの食べ物や菓子をふんだんに分かち合いました。このようにして、イスラエルの真の王である主が即位されたのです。この時のダビデの心情が、詩編78編に綴られています。78:67~72を御覧ください。

主はヨセフの天幕を拒み/エフライム族を選ばず ユダ族と、愛するシオンの山を選び 御自分の聖所を高い天のように建て/とこしえの基を据えた地のように建てられた。 僕ダビデを選び、羊のおりから彼を取り 乳を飲ませている羊の後ろから取って/御自分の民ヤコブを/御自分の嗣業イスラエルを養う者とされた。 彼は無垢な心をもって彼らを養い/英知に満ちた手をもって導いた。

神さまはダビデの主に対する熱心さと主を慕い求める心を大変喜ばれ、それを尊いものと見做されました。

【3】. 契約の箱と王座

さて、エルサレムに契約の箱を運び入れるという事は、主の御座をシオンに据えて、イスラエルの王として即位していただく儀式を意味していました。それは、ヘブライ語の「כּסֵּאキッセ」つまり、英語の「throne(王座)」という単語を調べることによって理解することが出来ます。「キッセ」という単語が、サムエル記上において最後に登場したのは、祭司エリに契約の箱を奪われたという知らせが届き、エリが椅子からずり落ちる場面でした。サムエル記上4:18を御覧ください。

その男の報告が神の箱のことに及ぶと、エリは城門のそばの彼の席(キッセ)からあおむけに落ち、首を折って死んだ。年老い、太っていたからである。彼は四十年間、イスラエルのために裁きを行った。

ここでは、イスラエルから契約の箱が奪われたことと、イスラエルの士師であるエリが、王座、キッセから落ちることを重ね合わせて描写されています。そして、サウル王の治世の間は、不思議と「キッセ」という言葉は出て来ませんでした。これは、サウルがいくらでも契約の箱を自分の首都であるギブアに移す機会があったのに、その40年の治世の間(使徒13:21)、キルヤテ・エアリムに放置し続けたという事実を物語っていると思われます。サウルは口では「主よ、主よ」と言いながらも、契約の箱には関心がなかった人物でした。ダビデの時代になり、再び「キッセ」という言葉が登場します。最初にアブネルの口を通して、「わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの「王座」をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる。」という言葉の中に登場します。そして二回目は、次回見る事になりますが、サムエル記下7:13のダビデ契約の中に登場します。従いまして、ダビデが契約の箱をエルサレムに迎え入れて、主ヤハウェの即位式を挙行した後に、ダビデは神さまから「とこしえの王座」を贈り物としていただいていることになります。ここでも契約の箱がシオンに据えられることと、とこしえのダビデの王座が据えられることが、重ね合わせて描写されているのが分かります。私たちに適用するなら契約の箱を迎え入れるということは、私たちの心の王座に、主をお迎えするということです。そうするなら神さまは私たちにとこしえの御座を備えてくださるでしょう。

イスラエルの王の即位式を全ての民が、喜んでいる中で、ただ一人、それを喜ばず、裸で踊るダビデに皮肉の言葉を浴びせる人物がいました。サウルの娘ミカルです。6:20~22を御覧ください。

ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」

ダビデはミカルに言った。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。

わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」

ミカルの皮肉に対してダビデは、「人に見せるためではなく、主に、感謝を表したくて、恵みの応答を捧げたくて、主の御前で、恥を捨てて踊ったのです」と答えています。ミカルにはこの偉大なる日の、主の恵みと栄光が全く見えていなかったようです。また、ダビデの礼拝を冷ややかに傍観しながら、自分は、神さまに対して恵みの応答を捧げることは一切ありませんでした。ミカルとはサウルの家を代表しています。サウルと同じ価値観を持っていた人物として描かれています。しきりに「サウルの娘」という言葉で修飾されているからです。結局ミカルは子を持つことができず、サウルの家の子供をダビデの治世に送り出すことが出来ず、サウルの家は没落していったのです。

結論

私たちが主に会見し、主に礼拝を捧げる時に、ダビデがまさに主の御前で踊ったように、遜って礼拝を捧げるべきです。特に礼拝の奉仕者に当てはまりますが、主の御前ではなく、人々の手前で、主と会見しようとするなら、ダビデの最初の取り組みのように、私たちの力を打たれることでしょう。またミカルのように冷ややかに礼拝を傍観して、自分が主の御前に出ることをしないなら、自分の中により頼んでいたものが全て取り払われるでしょう。私たちが讃美をする時は、たとえ恥ずかしくても主の御前で大きな声で応答すべきですし、代表祈祷をする場合は、たとえ恥ずかしくても主に自分自身を注ぎだして祈りを捧げるべきです。そのような熱心で純粋な主への応答を、神さまは喜ばれ、尊く思われ、そして私たちの心の中に神さまは座してくださるからです。

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시온 왕의 착석

2020년 10월 4일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘하 6장 1~23절

서론

오늘의 구절에서는, 하나님의 궤를 다윗의 성읍, 예루살렘으로 운반하는 노력이 두 번 언급되어 있습니다. 첫 번째는 웃사를 하나님께서 치셔서 실패로 끝나지만, 두 번째는 성공했다는 내용입니다. 원래 이 언약궤가 무엇이냐면, 세로가 약 110cm, 가로가 약 67cm, 높이가 약 67 cm (출애굽 25장 10절)인 아카시아나무로 된 상자로, 위에 뚜껑이 씌워져 있는데, 이 뚜껑에는 천사를 본뜬, 두 개의 게르빔이 날개를 펴고 서로 마주보고 있습니다. 그리고 전체가 순금으로 덮여 있었습니다. 오늘 본문의 6장 2절에는, 언약궤에 대해 다음과 같이 묘사되어 있습니다. 「그 궤는 그룹들 사이에 좌정하신 만군의 여호와의 이름으로 불리는 것이라」즉, 게르빔 위에 여호와 주님이 착석하신다는 것입니다. 이 언약궤는, 회막 안의 지성소에 안치되어, 하나님이 임재하시는 곳으로, 경외함으로 숭상해 왔습니다만, 그 궤가 블레셋과의 전투에서 빼앗기고 말았습니다. 그런데 어느 날, 레위인의 성읍 벧세메스에 두 마리의 암소에 이끌러 언약궤가 돌아온 것입니다. 벧세메스의 주민은 크게 기뻐했습니다. 그런데, 레위인인, 그들이 여호와의 궤 안을 들여다보는 믿을 수 없는 일을 저지르고 맙니다. 그로 인해 주님의 노여움이 떨어졌고, 그 자리에 있던 벧세메스 사람 칠십 명이 치심을 받아 죽어버리고 말았습니다. 이 일을 들은 모든 이스라엘은, 기쁨이 단번에 슬픔으로 바뀌었습니다. 그 후, 여호와의 궤는 기럇여아림의 아미나답의 집에 정착하게 됩니다. 기브온 근처에 있는 기럇여아림이라는 성읍은, 원주민인 가나안인이 살고 있는 성읍이었고, 말하자면 당시 블레셋령에도 속하지 않는 마을이었습니다. 결국 여호와의 궤는 가나안인의 우상숭배를 하는 집에 그대로 방치되게 된 것입니다.

(1) 힘으로 언약궤를 되찾으려는 다윗

그 후 오랜 세월이 흘러, 다윗은 이스라엘에서 뽑은 무리 삼만 명의 군사를 다시 모아, 하나님의 궤를 바알레유다에서 메어 오려 합니다. 바알레유다라고 하는 곳인데, 이곳은 기럇여아림의 가나안 사람의 호칭이라고 합니다(여호수아 15장 9절, 18장 14절). 다윗은 군사력을 과시하면서, 개선 퍼레이드처럼 하나님의 궤를 멋지게 예루살렘으로 탈환했을까요? 사람들은 모두 악기를 연주하면서 기뻐하고 축하하면서 언약궤를 운반하고 있습니다. 6장 3~7절을 보세요.

3 그들이 하나님의 궤를 새 수레에 싣고 산에 있는 아비나답의 집에서 나오는데 아비나답의 아들 웃사와 아효가 그 새 수레를 모니라

4 그들이 산에 있는 아비나답의 집에서 하나님의 궤를 싣고 나올 때에 아효는 궤 앞에서 가고

5 다윗과 이스라엘 온 족속은 잣나무로 만든 여러 가지 악기와 수금과 비파와 소고와 양금과 제금으로 여호와 앞에서 연주하더라

6 그들이 나곤의 타작 마당에 이르러서는 소들이 뛰므로 웃사가 손을 들어 하나니의 궤를 붙들었더니

7 여호와 하나님이 웃사가 잘못함으로 말미암아 진노하사 그를 그 곳에서 치시니 그가 거기 하나님의 궤 곁에서 죽으니라

다윗 일행은 아비나답의 집에서 하나님의 궤를 운반하려고 새 수레에 싣고 있었습니다. 그리고 그것을 소에게 끌게하여 운반하고 있었습니다. 이 후, 일행이 나곤의 타작 마당에 이르렀을 때 갑자기 비극이 일어났습니다. 소들이 뛰는 바람에, 웃사가 손을 들어 하나님의 궤를 붙들었더니 그 순간, 여호와 하나님이 진노하사 웃사를 치셨고 그 자리에서 웃사가 죽고 말았습니다. 현장은 엄청난 충격을 받았을 것입니다. 이 상황을 여러분은 어떻게 받아들일 수 있을까요? 만약 자신이 웃사의 입장이라면, 손을 뻗어 궤가 떨어지지 않도록 붙들려고 하지 않을까요? 웃사의 무엇이 잘못되었을까요? 그의 몸에 일어난 일이 우리에게는 매우 딱하게 비쳐지고, 매우 당혹스럽게 만드는 기사입니다. 그러나 본래, 하나님의 궤라는 것은 제사장 이외에, 누구도 건드려서는 안 되고, 또 이동할 때는 레위인 고핫 자손이 직접 메야 하는 것이었습니다. 민수기의 기사와 출애굽기에는 다음과 같이 적혀 있습니다.

민수기 4장

15 진영을 떠날 때에 아론과 그의 아들들이 성소와 성소의 모든 기구 덮는 일을 마치거든 고핫 자손들이 와서 멜 것이니라 그러나 성물은 만지지 말라 그들이 죽으리라 회막 물건 중에서 이것들은 고핫 자손이 멜 것이라

출애굽 25장

13 조각목으로 채를 만들어 금으로 싸고

14 그 채를 궤 양쪽 고리에 꿰어서 궤를 메게 하며

율법에는 이렇게 적혀 있는데, 왜 그들은 새 수레에 실어 옮기려고 했을까요? 아마도 6장 3절에 이 새 수레를 모는 자가 「웃사와 아효가」라고 쓰여있기 때문에 그들이 선도했다고 생각됩니다. 그들은 언약궤에 대해, 평소에 접해 온 대로, 이때도 취급해버린 것입니다. 그들은 가나안 사람들이었기 때문에, 하나님의 궤에 대해 무신경하고 경외함이 없는 태도가 율법에 그대로 적용되지 않아 죄를 묻지 않았다고 생각됩니다. 그러나 이때는 가나안 사람이 아니라 이스라엘 백성이, 성스러운 하나님의 궤를 다윗의 성읍 예루살렘으로 모셔오려고 하는 상황입니다. 웃사는 그만, 언제나 그랬던 것처럼 “어이쿠!”하는 느낌으로 거룩한 궤를 만지고 말았습니다. 하나님은 이때 율법에 따라 웃사를 치신 것입니다. 참고로 웃사라는 이름의 뜻은 「힘」이라는 뜻입니다. 그래서 하나님은 웃사를 치시면서도, 사실은 교만해진 다윗을 치신 것입니다.

(2) 다윗의 고백과 하나님의 보좌의 제정

다윗은 이때, 분이 났다고 하는데, 갑자기 닥친 재앙에 분이 났는지도 모릅니다. 또는 스스로의 경솔함을 뉘우치는 분노였을지도 모릅니다. 어쨌든 자신의 계획이 모두 물거품이 되어버려 비탄에 잠겼습니다. 8~10절을 보세요.

8 여호와께서 웃사를 치시므로 다윗이 분하여 그 곳을 베레스웃사라 부르니 그 이름이 오늘까지 이르니라

9 다윗이 그 날에 여호와를 두려워하여 이르되 여호와의 궤가 어찌 내게로 오리요 하고

10 다윗이 여호와의 궤를 옮겨 다윗 성 자기에게로 메어 가기를 즐겨하지 아니하고 가드 사람 오벧에돔의 집으로 메어 간지라

다윗은 완전히 비탄에 빠진 상태에서, 「여호와의 궤가 어찌 내게로 오리요」라고 고백하고 있습니다. 이는 귀한 고백으로, 온 인류가 곧 아담의 후손인 모든 죄인이 고백해야 할 말이라고 할 수 있을 것입니다. 우리와 하나님 사이에 이토록 큰 단절이 있는데, 어떻게 게르빔 사이에 앉으시는 그 보좌를, 더러워진 우리 안으로 모실 수 있겠습니까? 다윗은 일단, 오벧에돔의 집에 여호와의 궤를 두기로 했습니다. 가드 사람 오벧에돔이라는 인물은, 역대기에 따르면 레위인이라고 적혀 있기 때문에(역대상 15장 18절, 24절), 가드라는 성읍이 블레셋 사람들의 성읍이 아니라, 레위인이 살고 있는 성읍인 「가드 림몬」이 아닐까 추측되고 있습니다. 어쨌든 오벧에돔의 집으로 여호와의 궤가 옮겨진 후 석 달 동안, 하나님께서는 그의 집을 크게 축복하셨으므로 다윗은 다시 한 번 여호와의 궤를 예루살렘으로 모셔오기로 합니다. 그러나 이번에는, 율법을 준수하면서 여호와의 궤에 대한 두려움을 갖고, 그리고 하나님의 영광과 하나님의 거룩함에 경외심을 가지면서 하는 노력입니다. 하나님의 은총에 의하지 않고서는 결코 이를 수 없는 사업입니다. 이때의 상황이 역대상 15장 12절에 적혀 있습니다. 역대상 15장 12~15절을 보시기 바랍니다.

12 그들에게 이르되 너희는 레위 사람의 지도자이니 너희와 너희 형제는 몸을 성결하게 하고 내가 마련한 곳으로 이스라엘의 하나님 여호와의 궤를 메어 올리라

13 전에는 너희가 메지 아니하였으므로 우리 하나님 여호와께서 우리를 찢으셨으니 이는 우리가 규례대로 그에게 구하지 아니하였음이라 하니

14 이에 제사장들과 레위 사람들이 이스라엘 하나님 여호와의 궤를 메고 올라가려 하여 몸을 성결하게 하고

15 모세가 여호와의 말씀을 따라 명령한 대로 레위 자손이 채에 하나님의 궤를 꿰어 어깨에 메니라

이때 다윗은 스스로의 왕복을 벗고, 자신도 예배를 주관하는 제사장의 한 사람으로, 베 에봇을 입고 있었습니다. 그리고 하나님의 궤를 맨 사람들이 여섯 걸음을 가매 다윗이 소와 살진 송아지로 제사를 드리고 다윗이 여호와 앞에서 힘을 다하여 춤을 추었습니다. 이게 어떤 상황이냐 하면, 언약궤라는 것이 바로 주의 보좌이니, 주의 보좌를 예루살렘으로 모셔 감으로써, 이스라엘 왕 여호와의 즉위식을, 다윗이 코디네이터하면서 그야말로 기뻐하고 축하하는 모습입니다. 당시, 춤꾼이라는 것은 체조 선수처럼 빙글빙글 돌면서 춤을 선보이는데 옷을 거의 입고 있지 않았습니다. 다윗도 춤꾼처럼 주 여호와의 즉위를 기뻐하며, 스스로 춤을 췄다고 합니다. 처음의 삼만 정예부대를 화려하게 과시했던 개선 퍼레이드와는 현격한 차이입니다. 그리고 마지막으로, 주 하나님이 왕으로 즉위하신 그때, 번제와 화목제를 여호와 앞에 드렸고, 또 온 이스라엘 무리에게 남녀를 막론하고 떡 한 개와 고기 한 조각과 건포도 떡 한덩이씩을 푸짐하게 나누었습니다. 이렇게 이스라엘의 진정한 왕이신 주님이 즉위하신 것입니다. 이때 다윗의 심정이, 시편 78편에 담겨 있습니다. 78편 67~72절을 보시기 바랍니다.

67 또 요셉의 장막을 버리시며 에브라임 지파를 택하지 아니하시고

68 오직 유다 지파와 그가 사랑하시는 시온 산을 택하시며

69 그의 성소를 산의 높음 같이, 영원히 두신 땅 같이 지으셨도다

70 또 그의 종 다윗을 택하시되 양의 우리에서 취하시며

71 젖 양을 지키는 중에서 그들을 이끌어 내사 그의 백성인 야곱, 그의 소유인 이스라엘을 기르게 하셨더니

72 이에 그가 그들을 자기 마음의 완전함으로 기르고 그의 손의 능숙함으로 그들을 지도하셨도다

하나님은 다윗의 주님에 대한 열심과 주님을 사모하는 마음을 매우 기뻐하셨고, 그것을 고귀한 것으로 여기셨습니다.

(3) 언약궤와 왕좌

그런데 예루살렘에 언약궤를 모셔 온다는 것은, 주님의 보좌를 시온에 모시고, 이스라엘의 왕으로 즉위하는 즉위식을 의미했습니다. 그것은 히브리어의「כּסֵּא킷세」즉, 영어의 「throne(왕좌)」이라는 단어를 조사함으로써 이해할 수 있습니다. 「킷세」라는 단어가, 사무엘상에서 마지막으로 등장한 것은, 제사장 엘리에게 하나님의 궤를 빼앗겼다는 소식이 전해지면서 엘리가 의자에서 뒤로 넘어지는 장면이었습니다. 사무엘상 4장 18절을 보시기 바랍니다.

하나님의 궤를 말할 때에 엘리가 자기 의자에서 뒤로 넘어져 문 곁에서 목이 부러져 죽었으니 나이가 많고 비대한 까닭이라 그가 이스라엘의 사사가 된 지 사십 년이었더라

여기서는 이스라엘로부터 하나님의 궤가 빼앗긴 것과, 이스라엘의 사사인 엘리가 왕좌, 「킷세」에서 떨어지는 것을 겹쳐서 묘사하고 있습니다. 이는, 사울 왕의 치세 기간동안에는 희안하게도 「킷세」라는 단어는 나오지 않았습니다. 이것은, 사울이 얼마든지 언약궤를 자신의 수도인 기브아로 옮길 기회가 있었는데도, 그 사십 년간의 치세 동안(사도행전 13장 21절) 기럇여아림에 계속 방치했다는 사실을 말해주는 것으로 보입니다. 사울은 입으로는 「주여, 주여」라면서도 언약궤에는 관심이 없었던 인물이었습니다. 다윗의 시대가 되면서 다시 「킷세」라는 말이 등장합니다. 처음에 아브넬의 입을 통해, 「이 나라를 사울의 집에서 다윗에게 옮겨서 그의 왕위를 단에서 브엘세바까지 이스라엘과 유다에 세우리라 하신 것이라」 라는 말 속에 등장합니다. 그리고 두 번째는 다음 번에 보게 되는데, 사무엘하 7장 13절에 다윗 언약 안에 등장합니다. 따라서, 다윗이 언약궤를 예루살렘으로 맞아들여, 주 여호와의 즉위식을 거행한 후에, 다윗은 하나님으로부터 「영원한 왕좌」를 선물로 받게 되는 것입니다. 여기서도 언약궤가 시온에 머무는 것과, 영원한 다윗의 왕좌가 머무는 것이 겹쳐서 묘사되어 있는 것을 알 수 있습니다. 우리에게 적용한다면 하나님의 궤를 모신다는 것은, 우리 마음의 왕좌에, 주님을 모시는 것입니다. 그렇게 한다면 하나님은 우리에게 영원한 보좌를 준비해 주실 것입니다.

이스라엘의 왕의 즉위식을 온 백성이 기뻐하는 가운데, 단 한 사람, 그것을 기뻐하지 않고 몸을 드러내고 춤을 추는 다윗을 업신여겨며 비아냥거리는 말을 퍼붓는 인물이 있었습니다. 사울의 딸 미갈입니다. 6장 20~22까지 보시기 바랍니다.

20 다윗이 자기의 가족에게 축복하러 돌아오매 사울의 딸 미갈이 나와서 다윗을 맞으며 이르되 이스라엘 왕이 오늘 어떻게 영화로우신지 방탕한 자가 염치 없이 자기의 몸을 드러내는 것처럼 오늘 그의 신복의 계집종의 눈 앞에서 몸을 드러내셨도다 하니

21 다윗이 미갈에게 이르되 이는 여호와 앞에서 한 것이니라 그가 네 아버지와 그의 온 집을 버리시고 나를 택하사 나를 여호와의 백성 이스라엘의 주권자로 삼으셨으니 내가 여호와 앞에서 뛰놀리라

22 내가 이보다 더 낮아져서 스스로 천하게 보일지라도 네가 말한 바 계집종에게는 내가 높임을 받으리라 한지라

미갈의 빈정거림에 다윗은 “남에게 보여주기 위해서가 아니라, 주님께 감사를 표하고 싶어서, 은혜의 응답을 드리고 싶어서, 주님 앞에서 부끄러움을 버리고 춤을 춘 것”이라고 답했습니다. 미갈에게는 이 위대한 날의, 주님의 은혜와 영광이 전혀 보이지 않았던 것 같습니다. 또, 다윗의 예배를 냉랭하게 방관하면서, 자신은 하나님께 은혜의 응답을 드리는 일이 일절 없었습니다. 미갈이란 사울의 집을 대표하고 있습니다. 사울과 같은 가치관을 가졌던 인물로 묘사되어 있습니다. 계속적으로 「사울의 딸」이라는 말로 수식되어지고 있기 때문입니다. 결국 미갈은 아이를 갖지 못하고, 사울의 집 자손을 다윗의 왕계에 남기지 못하고 사울의 집은 몰락해 갔던 것입니다.

결론

우리가 주님을 뵙고, 주님께 예배를 드릴 때, 다윗이 바로 주님 앞에서 춤을 춘 것처럼, 겸손하게 예배를 드려야 합니다. 특히 예배의 봉사자에게 더 해당되는 말이지만, 주님 앞에서가 아니라 사람들의 시선을 의식한 과시하는 식의 봉사를 한다면, 자신의 힘으로 하려고 한, 다윗의 첫 번째 대처처럼 우리의 교만한 마음이 하나님의 치심을 받을 것입니다. 또 미갈처럼 냉랭하게 예배를 방관하고, 자신이 주님 앞에 나가서 마음을 드리지 않는다면, 자신이 의지했던 모든 것이 전부 걷혀질 것입니다. 우리가 찬양을 할 때는, 비록 아름다운 음색이 아니라 부끄럽더라도 주님 앞에서 큰 소리로 응답해야 하고, 대표 기도를 할 때는, 비록 감동적인 기도를 못해 부끄럽더라도 주께 자신을 부어서 기도를 드려야 합니다. 그러한 열심으로 순수한 주께로의 응답을, 하나님은 기뻐하시고, 귀하게 여기시고, 그리고 우리 마음속에 주님은 착석하시기 때문입니다.

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