2020年09月06日「逃れの町での契約 도피성에서의 언약」

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逃れの町での契約 도피성에서의 언약

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記下 3章6節~39節

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:6サウル王家とダビデ王家の戦いが続くうちに、サウル王家ではアブネルが実権を握るようになっていた。
3:7アヤの娘でリツパという名の女がいた。この女はサウルの側女であった。ある日イシュ・ボシェトはアブネルに、「なぜ父の側女と通じたのか」と言った。
3:8アブネルはイシュ・ボシェトの言葉に激しく怒って言った。「わたしをユダの犬どもの頭とでも言われるのですか。今日までわたしは、あなたの父上サウルの家とその兄弟、友人たちに忠実に仕えてきました。あなたをダビデの手に渡すこともしませんでした。それを今、あの女のことでわたしを罪に問おうとなさる。
3:9主がダビデに誓われたことを、わたしがダビデのために行わないなら、神がこのアブネルを幾重にも罰してくださるように。
3:10わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる。」
3:11イシュ・ボシェトはアブネルを恐れ、もはや言葉を返すこともできなかった。
3:12アブネルはダビデのもとに使者を送って言った。「この地を誰のものと思われますか。わたしと契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう。」
3:13ダビデは答えた。「よろしい、契約を結ぼう。ただし、一つのことをわたしは要求する。すなわち、会いに来るときは、サウルの娘ミカルを必ず連れて来るように。さもなければ会いに来るには及ばない。」
3:14ダビデは、サウルの子イシュ・ボシェトに使者を遣わし、ペリシテ人の陽皮百枚を納めてめとった妻ミカルをいただきたい、と申し入れた。
3:15イシュ・ボシェトは人をやって、ミカルをその夫、ライシュの子パルティエルから取り上げた。
3:16パルティエルは泣きながらミカルを追い、バフリムまで来たが、アブネルに「もう帰れ」と言われて帰って行った。
3:17アブネルの言葉がイスラエルの長老たちに届いた。「あなたがたは、これまでもダビデを王にいただきたいと願っていた。
3:18それを実現させるべき時だ。主はダビデに、『わたしは僕ダビデの手によって、わたしの民イスラエルをペリシテ人の手から、またすべての敵の手から救う』と仰せになったのだ。」
3:19またアブネルは、ベニヤミンの人々とも直接話した後、イスラエルとベニヤミンの家全体との目に良いと映ったことについて直接ダビデに話そうと、ヘブロンのダビデのもとに行った。
3:20アブネルは二十人の部下を連れてヘブロンのダビデのもとに着いた。ダビデは酒宴を催してアブネルとその部下をもてなした。
3:21アブネルはダビデに言った。「わたしは立って行き、全イスラエルを主君である王のもとに集めましょう。彼らがあなたと契約を結べば、あなたはお望みのままに治めることができます。」ダビデはアブネルを送り出し、アブネルは平和のうちに出発した。
3:22そこへダビデの家臣を率いたヨアブが多くの戦利品を携えて略奪から帰って来た。アブネルは平和のうちに送り出された後で、ヘブロンのダビデのもとにはいなかった。
3:23ヨアブと彼に同行していた全軍が到着すると、「ネルの子アブネルが王を訪ねて来ましたが、平和のうちに送り出されて去りました」とヨアブに告げる者があった。
3:24ヨアブは王のもとに行き、こう言った。「どうなさったのです。アブネルがあなたのもとにやって来たのに、なぜ送り出し、去らせてしまわれたのですか。
3:25ネルの子アブネルをよくご存じのはずではありませんか。あの男が来たのは、王を欺いて動静を探り、王のなさることをすべて調べるためなのです。」
3:26ヨアブはダビデのもとを引き下がると、アブネルを追って使いを出した。使いはボル・シラからアブネルを連れ戻した。ダビデはそのことを知らなかった。
3:27アブネルがヘブロンに戻ると、ヨアブは静かなところで話したいと言って城門の中に誘い込み、その場でアブネルの下腹を突いて殺し、弟アサエルの血に報いた。
3:28後にこれを聞いたダビデは言った。「ネルの子アブネルの血について、わたしとわたしの王国は主に対してとこしえに潔白だ。
3:29その血はヨアブの頭に、ヨアブの父の家全体にふりかかるように。ヨアブの家には漏出の者、重い皮膚病を病む者、糸紡ぎしかできない男、剣に倒れる者、パンに事欠く者が絶えることのないように。」
3:30ヨアブと弟のアビシャイがアブネルを殺したのは、ギブオンの戦いで彼らの弟アサエルをアブネルが殺したからであった。
3:31ダビデは、ヨアブとヨアブの率いる兵士全員に向かって、「衣服を裂き、粗布をまとい、悼み悲しんでアブネルの前を進め」と命じ、ダビデ王自身はアブネルのひつぎの後に従った。
3:32一同はアブネルをヘブロンに葬った。王はその墓に向かって声をあげて泣き、兵士も皆泣いた。
3:33王はアブネルを悼む歌を詠んだ。「愚か者が死ぬように/アブネルは死なねばならなかったのか。
3:34手を縛られたのでもなく/足に枷をはめられたのでもないお前が/不正を行う者の前に倒れるかのように/倒れねばならなかったのか。」兵士は皆、彼を悼んで更に泣いた。
3:35兵士は皆、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとやって来た。しかし、ダビデは誓って言った。「日の沈む前に、わたしがパンであれほかの何であれ、口にするようなことがあるなら、神が幾重にも罰してくださるように。」
3:36兵士は皆これを知って、良いことと見なした。王のすることは常に、兵士全員の目に良いと映った。
3:37すべての兵士、そして全イスラエルはこの日、ネルの子アブネルが殺されたのは王の意図によるものではなかったことを認めた。
3:38王は家臣に言った。「今日、イスラエルの偉大な将軍が倒れたということをお前たちは悟らねばならない。
3:39わたしは油を注がれた王であるとはいえ、今は無力である。あの者ども、ツェルヤの息子たちはわたしの手に余る。悪をなす者には主御自身がその悪に報いられるように。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記下 3章6節~39節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

 王国は、神の摂理に従って、一方的な神の贈り物として、ダビデに与えられました。ダビデがそのためにしたことは何もないと言えるでしょう。それは、将来イエス・キリストによってもたらされる神の国を象徴しているようでもあります。神の国は、罪が赦され、何の働きもない者に恵みと憐みが注がれる所であるように、王国も、ただ信仰によって入ることが出来る国であって、たとえ罪人であっても、過去のいかなる罪や過ちも、信仰によって赦される国であります。今、お読みしたサムエル記下3章は、政治的駆け引きや、人々の策略で満ちているように見えますが、全ての人間の思いを越えて、神の御心だけが成就していく姿を見ていくことになります。神が真の王として治める神政国家イスラエルは、もはや武力によって民を服従させるのではなく、平和がもたらされ、倫理的な法によって治められていきます。それは新約において、父なる神が、愛と慈しみによってご自身の民を治められ、内住の御霊によって、私たちを聖め導かれる姿であると言うことができるでしょう。

【1】. アブネルの忠実を失ったイシュ・ボシェト

 サウルの死後、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを北の王として擁立しましたが、ダビデはますます勢力を増していき、サウルの家は次第に衰えていきました。そのような中、アブネルはいよいよ人々から信任を得、勢力を増していきます。ある日、イシュ・ボシェトはアブネルに対し妬みを起こしたのか、アブネルがサウルの側女であるリツパと関係を持っていることを咎めました。7~8節を御覧ください。

“アヤの娘でリツパという名の女がいた。この女はサウルの側女であった。ある日イシュ・ボシェトはアブネルに、「なぜ父の側女と通じたのか」と言った。アブネルはイシュ・ボシェトの言葉に激しく怒って言った。「わたしをユダの犬どもの頭とでも言われるのですか。今日までわたしは、あなたの父上サウルの家とその兄弟、友人たちに忠実に仕えてきました。あなたをダビデの手に渡すこともしませんでした。それを今、あの女のことでわたしを罪に問おうとなさる。”

当時、前の王の妻や妾と結婚したり、関係を結ぶことによって、王位を継承するための合法性が与えられると考えられていましたので、アブネルがリツパと関係を持った動機が、北の王位をイシュ・ボシェトから奪おうとしていたという考え方がありますが、もしアブネルの最終的な目的が北の王位であったならば、それを強引に奪うこともできたでしょう。それに、サウルの従弟であるネルの子アブネルに、王位継承権がまったくなかったわけではないため、ここでのリツパとの一件は、自分が王位を継承しようとする政治的な画策によるものではないように思われます。むしろアブネルはもっと広い視野で、イスラエル全体の事を考えていたのではないでしょうか。イシュ・ボシェトがアブネルを非難するのは分からないでもないですが、それ以上に、アブネルがこれまでサウルの家に果たしてきた貢献度を考える時に、それは公正な非難ではなかったのでしょう。8節には、アブネルのサウル家に対する忠実さが滲み出ています。今日の今日まで、サウルに対しても、イシュ・ボシェトに対しても、サウルの兄弟、友人に対しても、変わらずに忠実さをもって仕えてきました。ところが、この些細なことがきっかけとなり、アブネルは大きな行動に出ることを決心しました。9~10節を御覧ください。

“主がダビデに誓われたことを、わたしがダビデのために行わないなら、神がこのアブネルを幾重にも罰してくださるように。わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる。」”

どうやら、サウル王が確かに知っていたように、アブネルもダビデの王権に対する神の摂理を知っていました。以前、預言者サムエルがサウルに対し叱責するのを通して悟ったのかもしれません。或いはダビデの油注がれたサウル王に対して、決して手に掛けることをしなかった、その忠実な態度を通して悟ったのかもしれません。アブネルの中でそのことが次第に確信に変わっていき、自分は神に仕えるのか、目の前に立てられている王に仕えるのか、悩んでいたのではないでしょうか。しかし、ついに、神の摂理を全面的に受け入れることに決意したのです。サウル王はそのことを知っていながら、最後まで頑なに拒みましたが、アブネルは違います。主なる神がダビデの上に、ダンからベエル・シェバに至る王権を打ち立てると誓われたことを信じ、受け入れて、それまでの自分の考えを翻したのです。早速アブネルは行動に移します。12節を御覧ください。

【2】. 平和の内の契約

 “アブネルはダビデのもとに使者を送って言った。「この地を誰のものと思われますか。わたしと契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう。」”

アブネルはダビデと契約を結ぼうとします。契約とは、皆さんもご存じのように、ギリシャ語でディアテーケー、ヘブル語でベリートゥという言葉ですが、この「ベリートゥבְּרִית」の語源は、ヘブライ語の動詞「バラ:ברה(切る)」であると言われています。つまり、契約が締結される際、屠殺された動物が真っ二つにされて、互いに向き合って置かれ、その間を契約の当事者たちが通り過ぎるのですが、これが意味していることは、もし契約を破棄した者は、この動物と同じような運命に処せられるということでした。そして契約が結ばれた暁には祝宴が持たれました。ですから、古代において「契約」とは、契約当事者が命を懸けて守る約束であり、契約を破った者に対しては神的な刑罰が下されるよう呪いを訴える、「宗教的な儀式」でもありました。神さまは、古くから人間の生活の中にあった「契約」という慣習を用いて、神ご自身の真実さと、イスラエルに対する愛について、聖書の中で「契約」という言葉を用いながら啓示してくださったのです。

ところで、12節の「この地を誰のものと思われますか」というアブネルの言葉ですが、注解書によって解釈が分かれるところです。これはアブネルが「この地は、オレ様のものだから、オレ様と契約を結ぼう」と言っているのではありません。主がダビデに誓われたことを、アブネルはダビデに想起させようとしていると思われます。ダビデはアブネルの平和的な統一の提案に大変喜びましたが、その前に、サウルの娘であり、最初の妻であったミカルを連れてくるようにと言い渡しました。15~16節を御覧ください。

“イシュ・ボシェトは人をやって、ミカルをその夫、ライシュの子パルティエルから取り上げた。パルティエルは泣きながらミカルを追い、バフリムまで来たが、アブネルに「もう帰れ」と言われて帰って行った。”

ダビデがミカルを要求した時、ミカルは既に他の男と結婚した後であって、ダビデもそのことを、知らなかった訳でもないのに、なぜ敢えてミカルを要求したのでしょうか。その理由としては、第一にダビデはミカルと正式に離婚をしていなかったために、ダビデの要求は正当な要求であり、また、ダビデとしては新婦に対する結納金として、ペリシテ人の陽の皮100枚を納めた、自分の持っている権利をそのように主張したと考えられます。第二に、ダビデの政治的な画策もあったのではと思われます。妻や妾をめぐり画策を持っていたのは、アブネルではなくむしろダビデということになるのです。サウル家の娘と結婚することによって、サウルの家系を継ぐ者として資格が与えられ、また王家とのきずなが強められると考えたのでしょう。それにしてもミカルがパルティエルから引き裂かれる情景は、後にバト・シェバがウリヤから引き裂かれる情景を暗示するような事件でもありました。

ダビデの要求は、イシュ・ボシェトに、そのまま受け入れられ、アブネルは、主の御心が成就されるように着々と進んで行きます。まずイスラエルの長老たちと話し合い、次のように力説しています。17~18節を御覧ください。

“アブネルの言葉がイスラエルの長老たちに届いた。「あなたがたは、これまでもダビデを王にいただきたいと願っていた。それを実現させるべき時だ。主はダビデに、『わたしは僕ダビデの手によって、わたしの民イスラエルをペリシテ人の手から、またすべての敵の手から救う』と仰せになったのだ。」”

18節は、特にアブネルの信仰告白であると取ることもできるでしょう。というのは、3章の全体の中で「主(ヤハウェ)」という言葉が全部で4回だけ出てきますが、その内、最初の2回は、9節と18節においてアブネルの口を通して、しかも宗教的な事柄として宣言されているからです。その後の2回は、28節と39節においてダビデの口を通して、主に申し開きをする弁解の中で出て来ます。9節と18節にはアブネルの信仰が現れているのです。アブネルは全ての条件を整えて、20人の部下を連れてダビデの下に相談しに行きました。彼の人柄とは、忠実に仕えることをよくわきまえている人物であり、一致団結する術も知っている人物でした。そして、ダビデと契約する準備もできていました。この時、祝宴がもたれていますから、恐らくダビデとアブネルの間に何らかの契約が交わされたことと推測されます。20~21節を御覧ください。

“アブネルは二十人の部下を連れてヘブロンのダビデのもとに着いた。ダビデは酒宴を催してアブネルとその部下をもてなした。アブネルはダビデに言った。「わたしは立って行き、全イスラエルを主君である王のもとに集めましょう。彼らがあなたと契約を結べば、あなたはお望みのままに治めることができます。」ダビデはアブネルを送り出し、アブネルは平和のうちに出発した。”

こうして、神から来る平和のうちに、アブネルはヘブロンを後にしました。

【3】. ヨアブの私恨によってもたらされた悲劇

 ところがこの後すぐに、平和的統一を破るような事件が起こりました。その場に居合わせなかった、ツェルヤの子ヨアブが略奪から帰って来たのです。そして「アブネルがダビデの所に来て、平和のうちに帰って行った」と告げる者の言葉を聞いた時、ヨアブはダビデの取った措置を叱責するように抗議します。24~25節を御覧ください。

“ヨアブは王のもとに行き、こう言った。「どうなさったのです。アブネルがあなたのもとにやって来たのに、なぜ送り出し、去らせてしまわれたのですか。ネルの子アブネルをよくご存じのはずではありませんか。あの男が来たのは、王を欺いて動静を探り、王のなさることをすべて調べるためなのです。」”

この時、ヨアブは弟アサエルがアブネルによって殺されたということは言及していません。それはあくまで戦いにおいての殺人であったからです。ヨアブはダビデのもとを引き下がると、アブネルを追い、ヘブロンの町に呼び戻して、冷酷にも彼を欺いて暗殺してしまいます。ヨアブは、個人的な恨みからアブネルを殺してしまったのです。もしかしたら、ヨアブをこのように駆り立てた、もう一つの理由は軍司令官アブネルに対する競争心であったのかもしれません。というのは、ヨアブも軍の司令官ですが、もしアブネルがダビデの下に加わるなら、自分にとって手強いライバルになるでしょう。このような推測をさせるのは、ヨアブはこの後、再び、全く同じような殺人を起こすからです。それは謀反を企てたアブサロムの軍司令官を務めたアマサを、ダビデと和解した後に殺害するという事件です(サム下20:10)。

この殺人事件が、読者の同情を禁じ得ないもう一つの理由は、ヘブロンの町が逃れの町であったということです。イスラエルには過ちによって、あるいは事故によって人を殺してしまった場合「逃れの町」に避ければ、暮らすことができるという制度がありました。民数記35:10~12を御覧ください。

“イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがヨルダン川を渡って、カナンの土地に入るとき、自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。町は、復讐する者からの逃れのために、あなたたちに用いられるであろう。人を殺した者が共同体の前に立って裁きを受ける前に、殺されることのないためである。”

アブネルがアサエルを殺したのは、正当防衛であり、言ってみれば事故でありました。それにもかかわらず、裁判もなく、それも「逃れの町」ヘブロンにおいて、アブネルはヨアブから復讐に遭い、殺されたというのは、深刻な律法違反であり、それだけアブネルの死が痛ましく感じられるのです。

あとで、この事件を聞いたダビデはショックを受けます。これは、アブネルと交わした契約違反にも取られかねない重大な事件でした。ダビデは自身の潔白について主の御前に、そしてイスラエルの民の前に、申し開きをしなければなりません。サウルとヨナタンが死んだときに哀歌を歌ったように、ここでもヨアブの為に哀歌を歌い、そして断食します。なぜダビデは哀歌を歌ったのでしょうか。それは、決して、民の疑いを払しょくするための政治的なパフォーマンスではありませんでした。それは愛と慈しみによって支配されなければならない神の国に、遅まきながらも入ってきた義人が無慈悲に殺されてしまった事件であったことを心から嘆いたからと言えるでしょう。新約時代を生きる私たちから見るなら、新しい時代が訪れる中にあって、時代の掛け橋となった偉大な指導者でありながら、罪人たちに勝手にあしらわれ、無意味な死を遂げた洗礼者ヨハネの死に似ていなくもない、そのことを嘆いているのです。ダビデは、アブネルに敬意を表し、ヨアブを呪い叱責しました。ヨアブとヨアブの率いる兵士全員に、衣服を裂き、荒布をまとい、痛み悲しんでアブネルの前を進めと命じ、ダビデ自身もアブネルの棺の後に従っていきました。ダビデは王として威厳に満ちています。北の人々はこのような王の姿を見た時に、ダビデがアブネルの死を意図したのではないことと、そのことの故に、交渉が前進するに至ったのでありました。

【結論】

 神の国を象徴するダビデの王国は、信仰によって入ることが出来る国であり、たとえ罪人であっても、そのいかなる罪や過ちも、信仰によって赦される国であります。それは真の意味で、イスラエルを治めているのはダビデ王ではなく、父なる神が、愛と慈しみによってご自身の子であるイスラエルを直接治めておられるからです。このことに私たちは目を留めて行きたいのです。私たちの父なる神さまが治める神の国、それは赦しの国であり、愛と慈しみの国であるということです。そのことが決してヨアブのような行いによって損なわれてはならないということです。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

도피성에서의 언약

2020년 9월 6일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘하 3장 6~39절

서론

왕국은 하나님의 섭리에 따라, 일방적인 하나님의 선물로 다윗에게 주어졌습니다. 다윗이 그것을 위해 한 일은 아무것도 없다고 할 수 있을 것입니다. 그것은, 장차 예수 그리스도에 의해 초래될 하나님의 나라를 상징하는 것 같기도 합니다. 하나님 나라는, 죄가 용서되고, 아무 공로도 없는 자에게 은혜와 긍휼하심이 쏟아지는 곳이듯, 왕국도 오직 믿음으로 들어갈 수 있는 나라이며, 비록 죄인일지라도, 과거의 어떤 죄와 잘못도 믿음으로 용서받는 나라입니다. 지금, 읽어드린 사무엘하 3장은 정치적 술수와 사람들의 책략으로 가득 차 있는 것처럼 보이지만, 모든 인간의 생각을 뛰어넘어 하나님의 계획만이 성취되어 가는 모습을 살펴보게 됩니다. 하나님이 진정한 왕으로 다스리시는 신정국가 이스라엘은, 더 이상 무력으로 백성을 복종시키는 것이 아니라 평화와 윤리적인 법으로 다스려집니다. 그것은 신약에서, 아버지 하나님이 사랑과 인자하심으로 자신의 백성을 다스리시고, 내주의 영으로, 우리를 거룩하게 하시고 인도하시는 모습이라고 말 할 수 있을 것입니다.

(1) 아브넬의 충실함을 잃은 이스보셋

사울의 죽음 이후, 넬의 아들 아브넬은, 사울의 아들 이스보셋을 북쪽의 왕으로 옹립했지만, 다윗은 점점 세력을 키워갔고 사울의 집안은 점차 쇠락해 갔습니다. 그런 가운데 아브넬은 드디어 사람들로부터 신임을 얻고, 세력을 키워갑니다. 어느 날, 이스보셋은 아브넬에게 질투를 일으켰는지, 아브넬이 사울의 첩인 리스바와 통간을 하였다고 나무랐습니다. 7,8절을 보시겠습니다.

7 사울에게 첩이 있었으니 이름은 리스바요 아야의 딸이었더라 이스보셋이 아브넬에게 이르되 네가 어찌하여 내 아버지의 첩과 통간하였느냐 하니

8 아브넬이 이스보셋의 말을 매우 분하게 여겨 이르되 내가 유댜의 개 머리냐 내가 오늘 당신의 아버지 사울의 집과 그의 형제와 그의 친구에게 은혜를 베풀어 당신을 다윗의 손에 내주지 아니하였거늘 당신이 오늘 이 여인에게 관한 허물을 내게 돌리는도다

당시 전 왕의 아내나 첩과 결혼하거나, 관계를 맺음으로써, 왕위를 계승하기 위한 합법성이 부여된다고 생각했기 때문에, 아브넬이 리스바와 통간을 하게 된 동기가 북의 왕위를 이스보셋으로부터 빼앗으려 했다는 생각이 있는데, 만약 아브넬의 최종 목적이 북의 왕위였다면 그것을 억지로 빼앗을 수도 있었을 것입니다. 게다가 사울의 사촌동생인 넬의 아들 아브넬에게 왕위 계승권이 전혀 없었던 것은 아니기 때문에 이곳에서의 리스바와의 일련의 사건은, 자신이 왕위를 계승하려는 정치적인 획책에 의한 것은 아닌 것으로 보입니다. 오히려 아브넬은 더 넓은 시야로, 이스라엘 전체를 생각하고 있었던 것은 아닐까요. 이스보셋이 아브넬을 비난하는 것은 모를 일도 아니지만, 그 이상으로 아브넬이 그동안 사울의 집에 해온 공헌도를 생각할 때, 그것은 공정한 비난이 아니었을 것입니다. 8절에는 아브넬의 사울 가문에 대한 충실함이 배어 있습니다. 오늘날까지 사울에 대해서도 이스보셋에 대해서도 사울의 형제, 친구에 대해서도 변함없이 충실함으로 섬겨 왔습니다. 그런데 이 사소한 일이 계기가 되어 아브넬은 큰 행동에 나서기로 결심했습니다. 9,10절을 보시기 바랍니다.

9 여호와께서 다윗에게 맹세하신 대로 내가 이루게 하지 아니하면 하나님이 아브넬에게 벌 위에 벌을 내리심이 마땅하니라

10 그 맹세는 곧 이 나라를 사울의 집에서 다윗에게 옮겨서 그의 왕위를 단에서 브엘세바까지 이스라엘과 유다에 세우리라 하신 것이니라 하매

아무래도 사울 왕이 분명히 알고 있었던 것처럼 아브넬도 다윗의 왕권에 대한 하나님의 섭리를 알고 있었습니다. 이전에, 선지자 사무엘이 사울에 대해 질책하는 것을 통해 깨달았을지도 모릅니다. 혹은 다윗의, 기름 부음 받은 사울 왕에게 결코 손을 대는 일을 하지 않았던 그 충실한 태도를 통해 깨달았을지도 모릅니다. 아브넬 안에서 그 일이 점차 확신으로 변해가면서, 자신은 하나님을 섬길지, 눈앞에 세워져 있는 왕을 섬길지 고민하지 않았을까요. 그러나, 마침내 하나님의 섭리를 전적으로 받아들이기로 결심한 것입니다. 사울 왕은 그 사실을 알고도, 끝까지 완강히 거부했지만 아브넬은 다릅니다. 주 하나님께서 다윗 위에 단에서 브엘세바에 이르는 왕권을 세우시겠다고 맹세하셨음을 믿고 받아들이고 그때까지의 자신의 생각을 번복한 것입니다. 바로 아브넬은 행동으로 옮깁니다. 12절을 보시겠습니다.

(2) 평화 가운데 맺어진 언약

아브넬이 자기를 대신하여 전령들을 다윗에게 보내어 이르되 이 땅이 누구의 것이니이까 또 이르되 당신은 나와 더불어 언약을 맺사이다 내 손이 당신을 도와 온 이스라엘이 당신에게 돌아가게 하리이다 하니

아브넬은 다윗과 언약을 맺으려고 합니다. 언약이란 여러분도 아시다시피 헬라어로 「디아데케」, 히브리어로 「베리트」라고 하는 말입니다만, 이 「베리트בְּרִית」의 어원은 히브리어의 동사 「바라ברה(자르다, 끊다)」라고 알려져 있습니다. 즉 언약이 체결될 때, 도살된 동물이 두 동강이 나, 서로 마주 보게 놓여지고, 그 사이를 언약의 당사자들이 지나가는데, 이것이 의미하는 바는 만약 언약을 파기한 자는, 이 동물과 같은 운명에 처해질 수 있다는 것이었습니다. 그리고 언약이 체결된 새벽에는 축하연이 열렸습니다. 그래서 고대에서 「언약」이란, 언약의 당사자가 목숨을 걸고 지키는 약속으로, 언약을 깨는 자에 대해서는 신적인 형벌이 내려지도록 저주를 호소하는 「종교적인 의식」이기도 했습니다. 하나님께서는, 오래전부터 인간의 생활 속에 있던 「언약」이라는 관습을 이용하여, 하나님 자신의 진실함과 이스라엘에 대한 사랑에 대해, 성경 가운에 「언약」이라는 말을 사용하시면서 계시해 주셨습니다.

그런데 12절의 「이 땅이 누구의 것이니이까」라는 아브넬의 말인데, 주해서에 따라 해석이 갈리는 대목입니다. 이것은 아브넬이 “이 땅은 내 것이니까 나와 언약을 맺읍시다”라고 말하는 것이 아닙니다. 주님이 다윗에게 맹세하신 것을, 아브넬은 다윗에게 상기시키려 하는 것으로 보입니다. 다윗은 아브넬의 평화적인 통일 제안에 매우 기뻐했지만, 그 전에 사울의 딸이자 첫 번째 아내인 미갈을 데려오라고 선고했습니다. 15,16절을 보시죠.

15 이스보셋이 사람을 보내 그의 남편 라이스의 아들 발디엘에게서 그를 빼앗아 오매

16 그의 남편이 그와 함께 오되 울며 바후림까지 따라왔더니 아브넬이 그에게 돌아가라 하매 돌아가니라

다윗이 미갈을 요구했을 때, 미갈은 이미 다른 남자와 결혼한 뒤였고, 다윗도 그 일을 몰랐던 것도 아닌데 왜 굳이 미갈을 요구했을까요. 그 이유로는, 첫째로, 다윗은 미갈과 정식으로 이혼을 하지 않았기 때문에, 다윗의 요구는 정당한 요구였고, 또 다윗으로서는 신부에 대한 예물금으로, 블레셋 사람들의 표피 백 장을 지불한, 자신이 가진 권리를 그렇게 주장했다고 볼 수 있습니다. 둘째, 다윗의 정치적인 획책도 있지 않았나 생각됩니다. 아내나 첩을 둘러싸고 획책을 가지고 있던 것은, 아브넬이 아니라 오히려 다윗이라는 것이 되는 것입니다. 사울 집안의 딸과 결혼함으로써, 사울의 가계를 이을 사람으로서 자격이 주어지고, 또 왕가와의 유대가 강화될 수 있다고 생각했을 것입니다. 그렇다 치더라도 미갈이 발디엘로부터 떼어지는 정경은, 나중에 밧세바가 우리야로부터 떼어지는 정경을 암시하는 듯한 사건이기도 했습니다.

다윗의 요구는 이스보셋에게 그대로 받아들여지고, 아브넬은 주님의 마음이 성취되도록 차근차근 진행시켜 갑니다. 먼저 이스라엘 장로들에게 이야기를 하며 다음과 같이 역설하고 있습니다. 17,18절을 보시겠습니다.

17 아브넬이 이스라엘 장로들에게 말하여 이르되 너희가 여러 번 다윗을 너희의 임금으로 세우기를 구하였으니

18 이제 그대로 하라 여호와께서 이미 다윗에 대하여 말씀하시기를 내가 내 종 다윗의 손으로 내 백성 이스라엘을 구원하여 블레셋 사람의 손과 모든 대적의 손에서 벗어나게 하리라 하셨음이니라 하고

18절은, 특히 아브넬의 신앙고백이라고 볼 수도 있을 것입니다. 그 말은 3장 전체 중에서 「주(여호와)」라는 말이 모두 네 번 나오는데, 그 중, 처음 두 번은 9절과 18절에서 아브넬의 입을 통해, 게다가 종교적인 사항으로 선언되어 있기 때문입니다. 그 뒤의 두 번은 28절과 39절에서 다윗의 입을 통해서, 주님께 변명하는 가운데 나오는 것을 볼 수 있습니다. 9절과 18절에는 아브넬의 믿음이 나타나 있는 것입니다. 아브넬은 모든 조건을 갖추고, 이십 명의 부하를 데리고 다윗 밑으로 상담하러 갔습니다. 그의 인품이란, 충직하게 섬길 줄 아는 사람이었고 일치단결할 줄도 아는 사람이었습니다. 그리고 다윗과 언약할 준비도 되어 있었습니다. 이때, 잔치가 벌어졌으니 아마도 다윗과 아브넬 사이에 어떤 언약이 오갔을 것으로 추측됩니다. 20,21절을 보시죠.

20 아브넬이 부하 이십 명과 더불어 헤브론에 이르러 다윗에게 나아가니 다윗이 아브넬과 그와 함께 한 사람을 위하여 잔치를 배설하였더라

21 아브넬이 다윗에게 말하되 내가 일어나 가서 온 이스라엘 무리를 내 주 왕의 앞에 모아 더불어 언약을 맺게 하고 마음에 원하시는대로 모든 것을 다스리시게 하리이다 하니 이에 다윗이 아브넬을 보내매 그가 평안히 가니라

이렇게 해서 하나님으로부터 오는 평화 가운데, 아브넬은 헤브론을 뒤로 했습니다.

(3) 요압의 원한으로 인해 빚어진 비극

그런데 얼마 지나지 않아, 평화적 통일을 깨뜨리는 사건이 일어났습니다. 그 자리에 함께 하지 않았던, 스루야의 아들 요압이 약탈에서 돌아온 것입니다. 그리고 「다윗이 아브넬을 보내매 그가 평안히 가니라」고 말하는 자의 말을 들었을 때, 요압은 다윗이 취한 조치를 질책하듯 항의합니다. 24,25절을 보세요.

24 요압이 왕에게 나아가 이르되 어찌 하심이니이까 아브넬이 왕에게 나아왔거늘 어찌하여 그를 보내 잘 가게 하셨나이까

25 왕도 아시려니와 넬의 아들 아브넬이 온 것은 왕을 속임이라 그가 왕이 출입하는 것을 알고 왕이 하시는 모든 것을 알려 함이니이다 하고

이때 요압은 동생 아사헬이 아브넬에 의해 죽었다는 것은 언급하지 않고 있습니다. 그것은 어디까지나 전투에 있어서의 살인이었기 때문입니다. 요압은 다윗의 곁을 물러나자, 아브넬을 쫓아, 헤브론 성읍으로 되돌아오게 하여, 냉혹하게도 그를 속여 암살하고 맙니다. 요압은 개인적인 원한으로 아브넬을 죽여 버린 것입니다. 어쩌면, 요압을 이렇게 몰아붙인 또 다른 이유는 군 사령관 아브넬에 대한 경쟁심이었을지도 모릅니다. 왜냐하면 요압도 군 사령관이지만, 만약 아브넬이 다윗 밑에 가담한다면, 자신에게 만만치 않은 라이벌이 될 것입니다. 이런 추측을 하게 하는 것은, 요압은 이후, 다시 똑같은 살인을 일으키기 때문입니다. 그것은 모반을 기도한 압살롬의 군사령관을 지낸 아마사를, 다윗과 화해한 후에 살해하는 사건입니다(사무엘하20장 10절).

이 살인 사건에, 독자가 동정을 금치 못하는 또 다른 이유는, 헤브론 성읍이 「도피성」이었다는 것입니다. 이스라엘에는 잘못으로 인해, 혹은 사고로 사람을 죽여 버렸을 경우 도피성으로 피하면 살 수 있다는 제도가 있었습니다. 민수기 35장 10~12절을 보시기 바랍니다.

10 이스라엘 자손에게 말하여 그들에게 이르라 너희가 요단 강을 건너 가나안 땅에 들어가거든

11 너희를 위하여 성읍을 도피성으로 정하여 부지중에 살인한 자가 그리로 피하게 하라

12 이는 너희가 복수할 자에게서 도피하는 성을 삼아 살인자가 회중 앞에 서서 판결을 받기까지 죽지 않게 하기 위함이니라

아브넬이 아사헬을 죽인 것은 정당방위였고, 말하자면 사고였습니다. 그럼에도 불구하고 재판도 없고, 그것도 「도피성」 헤브론에서 아브넬은 요압으로부터 복수를 당해, 죽임을 당했다는 것은 심각한 율법 위반이며, 그만큼 아브넬의 죽음이 애처롭게 느껴지는 것입니다.

나중에, 이 사건을 들은 다윗은 충격을 받습니다. 이것은 아브넬과 맺은 언약위반에도 걸릴 수 있는 중대한 사건이었습니다. 다윗은 자신의 결백에 대해 주님 앞에, 그리고 이스라엘 백성 앞에 해명해야 합니다. 사울과 요나단이 죽었을 때 애가를 불렀듯이, 이곳에서도 아브넬을 위해 애가를 부르고 단식합니다. 왜 다윗은 애가를 불렀을까요? 그것은, 결코 백성들의 의심을 불식시키기 위한 정치적인 퍼포먼스가 아니었습니다. 그것은 사랑과 인자함에 의해 통치 되어야 할 하나님의 나라에, 뒤늦게나마 들어온 의인이 무자비하게 죽임을 당하고만 사건이었음을 진심으로 한탄했기 때문일 것입니다. 신약시대를 사는 우리가 볼 때는, 새로운 시대가 오는 가운데, 시대의 징검다리가 된 위대한 지도자이면서, 죄인들에 의해 그들 마음대로 취급되어, 무의미한 죽음을 당한 세례자 요한의 죽음과 비슷한 그 일을 한탄하고 있는 것입니다. 다윗은, 아브넬에게 경의를 표하고 요압을 저주하고 질책했습니다. 요압과 요압이 이끄는 병사 모두에게 「옷을 찢고 굵은 베를 띠고 아브넬 앞에서 애도하라」명하고, 다윗 왕도 상여를 따라갔습니다. 다윗은 왕으로서 위엄이 넘칩니다. 북쪽 사람들은 이러한 왕의 모습을 보았을 때, 다윗이 아브넬의 죽음을 의도한 것이 아니라는 것을 알게 되었고, 그 일로 인해서, 협상이 진전하기에 이르렀습니다.

결론

하나님 나라를 상징하는 다윗의 왕국은, 믿음으로 들어갈 수 있는 나라이며, 비록 죄인일지라도, 그 어떤 죄나 잘못도, 믿음으로 용서받는 나라입니다. 그것은 진정한 의미로, 이스라엘을 다스리고 있는 것은 다윗 왕이 아니라, 아버지 하나님께서, 사랑과 인자하심으로 자신의 자녀인 이스라엘을 직접 다스리고 계시기 때문입니다. 이 일에 우리는 눈을 돌리고 싶습니다. 우리들의 아버지 되신 하나님이 통치하는 하나님의 나라, 그것은 용서의 나라이며, 사랑과 인자하심의 나라라는 것입니다. 그 일이 결코 요압과 같은 행위에 의해 손상되어서는 안 된다는 것입니다.

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