2020年08月23日「ダビデの哀歌 다윗의 애가」

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ダビデの哀歌 다윗의 애가

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記下 1章1節~27節

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:1サウルが死んだ後のことである。ダビデはアマレク人を討ってツィクラグに帰り、二日過ごした。
1:2三日目に、サウルの陣営から一人の男がたどりついた。衣服は裂け、頭に土をかぶっていた。男はダビデの前に出ると、地にひれ伏して礼をした。
1:3ダビデは尋ねた。「どこから来たのだ。」「イスラエルの陣営から逃れて参りました」と彼は答えた。
1:4「状況はどうか。話してくれ」とダビデは彼に言った。彼は言った。「兵士は戦場から逃げ去り、多くの兵士が倒れて死にました。サウル王と王子のヨナタンも亡くなられました。」
1:5ダビデは知らせをもたらしたこの若者に尋ねた。「二人の死をどうして知ったのか。」
1:6この若者は答えた。「わたしはたまたまギルボア山におりました。そのとき、サウル王は槍にもたれかかっておられましたが、戦車と騎兵が王に迫っていました。
1:7王は振り返ってわたしを御覧になり、お呼びになりました。『はい』とお答えすると、
1:8『お前は何者だ』とお尋ねになり、『アマレクの者です』とお答えすると、
1:9『そばに来て、とどめを刺してくれ。痙攣が起こったが死にきれない』と言われました。
1:10そこでおそばに行って、とどめを刺しました。倒れてしまわれ、もはや生き延びることはできまいと思ったからです。頭にかぶっておられた王冠と腕につけておられた腕輪を取って、御主人様に持って参りました。これでございます。」
1:11ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。共にいた者は皆それに倣った。
1:12彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した。
1:13ダビデは、知らせをもたらした若者に尋ねた。「お前はどこの出身か。」「わたしは寄留のアマレク人の子です」と彼は答えた。
1:14ダビデは彼に言った。「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か。」
1:15ダビデは従者の一人を呼び、「近寄って、この者を討て」と命じた。従者は彼を打ち殺した。
1:16ダビデは言った。「お前の流した血はお前の頭に返る。お前自身の口が、『わたしは主が油を注がれた方を殺した』と証言したのだから。」
1:17ダビデはサウルとその子ヨナタンを悼む歌を詠み、
1:18「弓」と題して、ユダの人々に教えるように命じた。この詩は『ヤシャルの書』に収められている。
1:19イスラエルよ、「麗しき者」は/お前の高い丘の上で刺し殺された。ああ、勇士らは倒れた。
1:20ガトに告げるな/アシュケロンの街々にこれを知らせるな/ペリシテの娘らが喜び祝い/割礼なき者の娘らが喜び勇むことのないように。
1:21ギルボアの山々よ、いけにえを求めた野よ/お前たちの上には露も結ぶな、雨も降るな。勇士らの盾がそこに見捨てられ/サウルの盾が油も塗られずに見捨てられている。
1:22刺し殺した者たちの血/勇士らの脂をなめずには/ヨナタンの弓は決して退かず/サウルの剣がむなしく納められることもなかった。
1:23サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人/鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。命ある時も死に臨んでも/二人が離れることはなかった。
1:24泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。紅の衣をお前たちに着せ/お前たちの衣の上に/金の飾りをおいたサウルのために。
1:25ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。
1:26あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。
1:27ああ、勇士らは倒れた。戦いの器は失われた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記下 1章1節~27節

原稿のアイコン日本語メッセージ

 昨日は、当教会で森平邦義さんの葬儀をあげることができました。悲しみの中にあるご遺族の方々には神さまの慰めと平安がありますようにお祈りいたします。また当日奉仕してくださった方々に心より感謝申し上げます。奇しくも本日の箇所においてもツィクラグにおいて、イスラエルの勇士たちを送り出す葬儀が行われています。私たちが人生においてこのような悲しみに遭遇する時に、私たちは何を思い浮かべることでしょうか。自分自身の小ささや自分自身の無力さを思わざるを得ません。しかしそれと同時に、私たちを創られた創造主を認め、神の主権に対し思いを向けられるのではないでしょうか。悲しみに遭遇した時、神さまはきっと私たちに慰めを与えてくださり、新しい出発を与えてくださることでしょう。

【1】. サウルの死の便り

 ダビデがアマレク人を討ってツィクラグに戻ってきて、おびただしい戦利品をユダの13の町々の長老に対して分かち合いながら二日間を過ごしました。そして三日目に衣服が裂け、頭には土をかぶった一人のアマレク人が、ツィクラグのダビデのもとにたどり着きました。その姿からどうやら、訃報の知らせを持って来たようであります。因みに、もしこのアマレク人の足の速度が、ギルボア山から三日目にツィクラグに到着したと仮定するなら、ちょうど、イスラエルがペリシテ軍と戦闘をして敗北した全く同じ時間に、ダビデは略奪したアマレク人を追撃し、勝利したということになります。ですから、この状況において大変皮肉なことですが、ダビデは今まさにイスラエルの長年の仇敵であったアマレク人との戦いから戻ってきてまだ三日しか経っていなかったのですが、そのような時に、このアマレク人は大胆にもダビデの前にひれ伏して「王を殺した」と打ち明けているのであります。1:6~10節を御覧ください。

“この若者は答えた。「わたしはたまたまギルボア山におりました。そのとき、サウル王は槍にもたれかかっておられましたが、戦車と騎兵が王に迫っていました。王は振り返ってわたしを御覧になり、お呼びになりました。『はい』とお答えすると、『お前は何者だ』とお尋ねになり、『アマレクの者です』とお答えすると、『そばに来て、とどめを刺してくれ。痙攣が起こったが死にきれない』と言われました。そこでおそばに行って、とどめを刺しました。倒れてしまわれ、もはや生き延びることはできまいと思ったからです。頭にかぶっておられた王冠と腕につけておられた腕輪を取って、御主人様に持って参りました。これでございます。」”

このアメレク人の報告は、前の章に書かれている内容と食い違っているために、私たちは少し戸惑いを感じてしまいます。一体どちらが事実なのでしょうか。この箇所の解釈として、有力な二つの解釈を紹介しますと、第一に、31章と1章の二つの記事は矛盾しているのではなく、互いに補い合って考えるべきだと言います。即ち31章に記されたようにサウルは自殺を試みたものの、実はうまくいかないで、翌日まで生き延びてしまった。そして翌日ペリシテ人たちが分捕り物を取りにやって来る前に、たまたま、まだ息のあるサウルに出会ったので、彼の助けを借りて最終的に死んだのではないかということです。もう一つの解釈は、サムエル記上の31章は事実の記録であって、本日の内容はアマレク人の偽りの証言であり、実はイスラエルに寄留している在留異邦人でもなく、単に廃墟の中から食べ物をあさる狐のように、ペリシテ人より一足先に略奪に訪れた者だろうという解釈です。というのは、このアマレク人の証言には不自然な所がたくさんあるからです。第一に、なぜ彼は、わざわざペリシテの領地であるツィクラグに亡命しているダビデに、この知らせを持って来たのでしょうか。むしろイスラエルの町々、或いはイスラエルの長老たちにこの知らせを持っていくべきではなかったでしょうか。亡命中のダビデの前にひれ伏し、ダビデを新しい王として認めて、最新情報を持って来たことに対する褒美を期待しているかのように、そこに明らかに下心を見て取ることができるのです。そして、ダビデがサウル王に続いて自分がイスラエルの王になりたくてたまらないのだろうと勝手に勘違いして、イスラエルに寄留している者と自身の口で言いながら、何のためらいもなく、10節において、王に「とどめを刺した」と言っているのです。二つの解釈は両方とも推測に過ぎません。果たして事実はどうであったのかは、聖書からは何の手がかりも得ることはできません。そしてサムエル記の著者も誰がサウル王を殺したのか、或いは自殺したかについて、あまり関心を持っていないように見受けられます。むしろこのアマレク人の記事を通して、ダビデの、サウル王の死に対する、誠実でその威厳に満ちた反応に注目しているのです。

【2】. 葬儀に変わったツィクラグ

 よく、「敵の敵は、味方だ!」と言われますから、単純に利害関係だけを考えるなら、サウルからさんざん命を狙われ、辛い逃亡生活を強いられてきたダビデにとっては、このアマレク人の知らせは、「吉報」であり、「良き知らせ」であると考えられます。ところがダビデはこの知らせを聞いてから、自分の衣をつかんで引き裂き、主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食しました。そして13節で再度「お前はどこの出身か」と念を押しています。男はアマレク人には違いありませんが、イスラエルに寄留している在留異邦人であることを強調しました。ダビデはアマレク人の報告を全て額面通り事実であると受け入れて、まさに、このアマレク人は、自分の言葉の故にダビデから裁かれてしまったのです。ダビデは次のように言い渡しているからです。「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か。(14節)」「お前の流した血が、お前の死の原因である(16節)」。

大胆にもダビデに、「油を注がれた方にとどめを刺した(10節)」とした、この言葉の故にアマレク人は処刑されたのです。もし、この知らせを聞いた時、ダビデが喜んだなら、ツィクラグの臣下は皆、喜んだことでしょう。しかし、ダビデが悲しんだために、ツィクラグの臣下はそれに倣い、全員が、日が沈むまで悲しみ断食しました(11~12節)。この時、神に対しても王に対しても忠実なダビデだけが、つまり、自分のすべきことは王を敬い、従うことだとわきまえていたダビデだけが、サウル王の死を、正しく理解して受け止めたのではないか、と思わされます。ツィクラグの町は喜びの祝宴を挙げるのではなく、葬儀を挙げてサウルとその子ヨナタンの死を深く悲しみ、皆で哀歌を歌いました。新しく建てられる神の国は、悔い改めを通して始まらなければなりませんが、悔い改めに至るためには、深い悲しみと絶望がどうしても避けることができません。ペトロがイエス様を否認し、三度鶏の声を聴いた時のように、心が破られ、自分たちの無力さに、自分たちの置かれている悲惨な状況に第一に目を向けるべきであり、そして自分たちにはどうしても救いが必要であること、神の憐みが必要であることを悟らなければならないということです。

【3】. 民全員を悲しみに導いたダビデの哀歌

 ところでダビデは、詩篇に最も多く詞を残した芸術的な賜物を持った人物でした。この哀歌は、「ああ勇士たちは倒れた」という繰り返しのフレーズを三回繰り返すことによって、19節の序文と、20~24節の前半部分、25~27節の後半部分に段落分けされています。前半部分には何が書かれているのかと言いますと、サウルとヨナタンの行跡と、その悲しい運命について書かれています。後半部分にはヨナタンのための哀歌として、とりわけ送別の性格が色濃く出ています。具体的に詩の中身を見てまいりますと、まず、この悲しい知らせをペリシテ人の都市である「ガトに告げるな」、「アシュケロンの街々に知らせるな」とありますが、これはペリシテの娘たちが喜び祝い、割礼なき者の娘たちが喜び勇むことのないようにということです。さらに21節で、ギルボアの山々の上に露が結ぶことなく、雨も降るなと命じていますが、サウルとヨナタンが倒れたギルボアの山々から、これから後、収穫の喜びが起こらないよう、雨が干上がって、干ばつになれと呪っているのです。22~23節は、サウルとヨナタンは全ての人々から愛され、鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかったと、その姿を回想しながら、特に、ヨナタンが最後の戦いに至るまで父親に忠誠を尽くしたことを褒め称えています。24節はサウルが王として治めていた間、イスラエルには紅の衣を着ることができ、金の飾りを身に着けることができるほどの経済的な繁栄がもたらされたことを思い起こさせているのです。サウル王によって国が復興し、イスラエルの生活水準が向上したことは事実でありました。

25節からの後半部分は、いよいよダビデの感情が高まっていくのが分かります。それは26節において、「わたしは悲しむ」という一人称によって、ダビデ個人の感情を吐露しているからであります。思えば、ヨナタンは、ダビデに自分の上着を与えてくれて、自分の装束を剣、弓、帯に至るまで全て与えてくれて、自分自身のようにダビデを愛してくれました。衣は身分を表しますので、王位をダビデに譲る象徴的な行為でもありました。ダビデはヨナタンが自分を愛してくれたような、そのような大きな愛を経験したことはなく、それはまさに女の愛にまさる驚くべき愛でありました。ですからサウルのためには他の者たちに嘆くよう訴えましたが、「私の兄弟ヨナタン」の為には、悲しみで尽き果てんばかりであり、ヨナタンがあたかも、生きているかのように語り掛けているのです。

ところで、この哀歌の題名は「弓」でありますけれども、「弓」と言えばヨナタンが好んで使った武器でありました。そして、19節の序文に注目しますと「麗しき者、美しさ」が刺し殺されたとありますが、この「麗しき者、美しさ」という言葉は、「カモシカ」というふうにも訳すことが出来ます。実際に2:18では、カモシカと訳されています。カモシカと言えば、ペリシテとの戦いにおいてヨナタンが道具持ちと一緒に切り立った岩をグングンと登っていき、突如ペリシテ人たちの前に現れて、敵の陣営を恐怖に陥れた、あの戦いを私たちに思い起こさせるのです。ですから、この哀歌は、サウルとヨナタンを悼む詩でありますが、読み込んで行けば行くほど、ヨナタンの死が、哀歌の始めと終わりの主題であるということに気付かされ、詩の構造自体もそのことを如実に伝えているのであります。

結論

 第一に、サウル王とその子ヨナタンの死によって、イスラエルに一つの幕が閉じられました。そして、今まさに新しい時代が始まろうとしていますが、神の国はまず悔い改めをもって始められるということです。人は罪びとに過ぎず、罪びとである私たちの人生には、悲しみが決して尽きることがありません。しかし悲しみを通して、悔い改めに至り、創造主を覚え、救い主を信じ、神の主権に全てを委ねるように変えられるのであります。主と共にある新しい出発を神さまは悲しむ者に許してくださるということです。「悲しむ者は幸いである。慰められるから」という御言葉の通りでございます。

 第二に、ダビデはサウルの死の意味を正しく理解し、主の霊によって哀歌を歌い、ツィクラグの町はダビデの哀歌によって心揺さぶられ、町全体がイスラエルの勇士たちの死を、サウルとヨナタンの死を悲しみ、そして特に最後の最期まで自己犠牲的であったヨナタンの死を、悲しむことになりました。その深い悲しみは、悔い改めによって始められる神の御国をスタートさせる上で、御心にかなった悲しみであったということです。今ご一緒に、見てきましたように、詩というのは人々の心を激しく揺さぶり、人々を巻き込む力を持っています。このために、イスラエルにおいて神礼拝で用いられるよう、いち早くから詩の収集が熱心になされ、保存されてきました。神は芸術を愛されるお方でもあります。なぜなら神ご自身が、神のかたちに似せて私たちという最高傑作を作り出した陶器師であり、芸術家であられるからです。エフェソ2:10を新しく出た聖書協会共同訳でお読みさせていただきます。

“私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。”

このようにエフェソ書には私たちが、神の作品であると書かれています。神さまの著作であるそのサインが、その印が聖霊によってお一人お一人に捺印されているということです。ですから、神の似姿として、神のかたちとして造られた皆さまお一人お一人も芸術家であるということです。礼拝の中で私たちが讃美を歌う時、芸術を愛される神さまを意識しながら、奏楽者の音に合わせて、心から讃美を捧げていくようにしましょう。また、感謝の祈祷の際には、聖霊によって祈りを捧げながら、ダビデが自分の賜物を用いて豊かな詩を神に捧げたように、私たちも、聖霊による詩と讃美と祈りをもって、神様を豊かにほめたたえていきたいと思います。幸いにもせんげん台教会には芸術の賜物をもったアンサンブルのチームもございます。また、趣味で絵を描いたりされる方もおられます。どうか、これからも一層、神さまを喜ばせて行けるように私たち歩ませていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

다윗의 애가

2020년 8월 23일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘하 1장 1~27절

서론

어제는 저희 교회에서 모리히라 쿠니요시 씨의 장례식이 있었습니다. 슬픔 가운데 계신 유가족분들께는 하나님의 위로와 평안이 함께 하시기를 기원합니다. 또 당일 봉사해 주신 분들께 진심으로 감사드립니다. 마침, 오늘의 본문인 시글락에서도 이스라엘 용사들을 떠나보내는 장례식이 열리고 있습니다. 우리가 인생에서 이런 슬픔을 만났을 때 우리는 무엇을 떠올릴까요? 자기 자신의 보잘 것 없음이나, 자기 자신의 무력함을 생각하지 않을 수 없습니다. 그러나 그와 동시에 우리를 창조하신 창조주를 인정하고 하나님의 주권에 대해 마음을 돌릴 수 있지 않을까요. 슬픔을 만났을 때 하나님은 분명 우리에게 위로를 주시고 새로운 출발을 주실 것입니다.

사울의 죽음 소식

다윗이 아말렉인을 물리치고 시글락으로 돌아와 엄청난 전리품을 유다의 열세 개 지역 장로들에게 나누어 주며 이틀을 보냈습니다. 그리고 사흘째 옷이 찢어지고 머리에는 흙을 뒤집어쓴 아말렉 한 사람이 시글락의 다윗에게 당도했습니다. 그 모습을 보니, 아무래도 부고 소식을 가져온 것 같습니다. 덧붙여서, 만약 이 아말렉인이 달려서, 길보아 산에서 사흘째에 시글락에 도착했다고 가정한다면, 마침 이스라엘이 블레셋군과 전투를 벌이다 패배한 정확히 같은 시간에 다윗은, 약탈대 아말렉인들을 추격해 승리했다는 것이 됩니다. 그래서 이 상황에 대해 매우 아이러니한 일이지만, 다윗은 지금 바로 이스라엘의 오랜 원수였던 아말렉인과의 싸움에서 돌아온 지 사흘밖에 되지 않았는데, 그런 때에 이 아말렉인은 대담하게도 다윗 앞에 엎드려 “왕을 죽였다”라고 털어놓고 있는 것입니다. 1장 6~10절을 보시죠.

6 그에게 알리는 청년이 이르되 내가 우연히 길보아 산에 올라가 보니 사울이 자기 창에 기대고 병거와 기병은 그를 급히 따르는데

7 사울이 뒤로 돌아 나를 보고 부르시기로 내가 대답하되 내가 여기 있나이다 한즉

8 내게 이르되 너는 누구냐 하시기로 내가 그에게 대답하되 나는 아말렉 사라이니이다 한즉

9 또 내게 이르시되 내 목슴이 아직 내게 완전히 있으므로 내가 고통 중에 있나니 청하건대 너는 내 곁에 서서 나를 죽이라 하시기로

10 그가 엎드러진 후에는 살 수 없는 줄을 내가 알고 그의 곁에 서서 죽이고 그의 머리에 있는 왕관과 팔에 있는 고리를 벗겨서 내 주께로 가져왔나이다 하니라

이 아말렉인의 보고는 앞 장에 적혀 있는 내용과 엇갈리기 때문에 우리는 조금 당혹감을 느끼게 됩니다. 도대체 어느 쪽이 사실일까요? 이 부분의 해석으로 유력한 두 가지 해석을 소개하자면, 첫째 31장과 1장의 기사는 모순된 것이 아니라 서로 보완해서 생각해야 한다고 합니다. 즉 31장에 기록된 바와 같이 사울은 자살을 시도했으나 사실 잘 되지 않아 다음날까지 살아있었다, 그리고 다음날 블레셋 사람들이 노획물을 가지러 오기 전에 우연히 아직 숨이 붙어 있는 사울을 만났고 그의 도움을 받아 결국 죽지 않았느냐는 것입니다. 또 다른 해석은 사물엘상31장은 사실의 기록이며 오늘의 내용은 아말렉인의 거짓 증언이며, 사실 이스라엘에 기류하고 있는 재류 이방인도 아니고, 단순히 폐허 속에서 먹이를 찾아다니는 여우처럼 블레셋인보다 한 발 앞서 약탈하러 온 자일 것이라는 해석입니다. 그것은, 이 아말렉인의 증언에는 부자연스러운 점이 많이 있기 때문입니다. 첫째, 왜 그는 일부러 블렛셋의 영지인 시글락에 망명해 있는 다윗에게 이 소식을 가져 갔을까요? 오히려 이스라엘의 성읍들, 혹은 이스라엘의 장로들에게 이 소식을 가져 갔어야 하지 않았을까요? 망명 중인 다윗 앞에 엎드려 다윗을 새 왕으로 인정하고 최신 정보를 가져온 것에 대한 포상을 기대하는 것처럼, 거기에 분명한 속셈을 살펴볼 수 있는 것입니다. 그리고 다윗이 사울 왕에 이어 자신이 이스라엘의 왕이 되고 싶어 안달이 나있을 것이라고 멋대로 착각하여 이스라엘에 기류하고 있는 자라고 자신의 입으로 말하면서 아무런 망설임도 없이 10절에서 「그의 곁에 서서 죽이고」라고 말하고 있는 것입니다. 두 가지 해석은 둘 다 추측에 불과합니다. 과연 사실은 어떠했는지는 성경에서는 아무런 단서도 얻을 수 없습니다. 그리고 사무엘기의 저자도 누가 사울왕을 죽였는지, 아니면 자살했는지에 대해 별로 관심을 두고 있지 않는 것처럼 보입니다. 오히려 이 아말렉인의 기사를 통해 다윗의 사울 왕의 죽음에 대한 성실하고, 그 위엄 넘치는 반응에 주목하고 있는 것입니다.

장례식으로 바뀐 시글락

흔히 “적의 적은 아군이다!”라고 하기 때문에 단순히 이해관계만 따진다면 사울로부터 수없이 목숨이 노려져 힘든 도피생활을 해온 다윗에게는 이 아말렉인의 소식은 「길보」이자 「좋은 소식」이라고 생각됩니다. 그런데 다윗은 이 소식을 듣고 나서, 자신의 옷을 잡아 찢고 주님의 백성과 이스라엘의 집을 애도하며 울었고, 해질녘까지 금식 했습니다. 그리고 13절에서 다시 「너는 어디 사람이냐」고 묻고 있습니다. 남자는 아말렉인임에 틀림없지만, 이스라엘에 기류하고 있는 재류 이방인임을 강조했습니다. 다윗은 아말렉인의 보고를 모두 액면 그대로 사실이라고 받아들였고 바로 이 아말렉인은 자신의 말 때문에 다윗으로부터 심판을 받고 말았던 것입니다. 다윗은 다음과 같이 선고하고 있기 때문입니다. 「어찌하여 손을 들어 여호와의 기름 부음 받은 자 죽이기를 두려워하지 아니하였느냐 하고(14절)」,「네 피가 네 머리로 돌아갈지어다(16절)」라고 합니다.

대담하게도 다윗에게 「그의 곁에 서서 죽이고(10절)」라고 한 이 말 때문에 아말렉인은 처형된 것입니다. 만약 이 소식을 들었을 때 다윗이 기뻐했다면 시글락의 신하들은 모두 기뻐했을 것입니다. 그러나 다윗이 슬퍼했기 때문에 시글락의 그의 부하들은 이를 따랐고, 모두가 해가 질 때까지 슬픔으로 금식했습니다(11,12절). 이때 하나님에 대해서도 왕에 대해서도 충실한 다윗만이, 즉 자신의 할 일은 왕에게 경의를 표하고 따르는 것이라고 분별한 다윗만이, 사울 왕의 죽음을, 올바르게 이해하고 받아들였던 것이 아닌가 하는 생각이 듭니다. 시글락 성읍은 기쁨의 잔치를 한 것이 아니라 장례식을 하고 사울과 그의 아들 요나단의 죽음을 깊이 슬퍼하며 다같이 애가를 불렀습니다. 새로 세워지는 하나님의 나라는 회개를 통해 시작되어야 하지만 회개에 이르기 위해서는 깊은 슬픔과 절망을, 무슨 일이 있어도 피할 수 없습니다. 베드로가 예수님을 부인하며, 세 번 닭의 소리를 들었을 때처럼 마음이 찢어지고, 자신들의 무력함에, 자신들이 처한 비참한 상태에 먼저 눈을 돌려야 하며, 그래서 자신들에게는 반드시 구원이 필요하며, 하나님의 긍휼하심이 필요함을 깨닫지 않으면 않으면 안된다는 것입니다.

백성 모두를 슬픔으로 이끈 다윗의 애가

그런데 다윗은 시편에 가장 많은 시를 남긴 예술적인 은사를 가진 인물이었습니다. 이 애가는 「오호라 두 용사가 엎드러졌도다」라는 반복된 구절을 세 번 반복함으로써, 19절의 서문과 20~24절의 전반부, 25~27절의 후반부로 단락이 나누어져 있습니다. 앞부분에는 무엇이 적혀 있나면 사울과 요나단의 행적과 그 슬픈 운명에 대해 적혀 있습니다. 후반부에는 요나단을 위한 애가로 유난히 송별의 성격이 짙게 나타나고 있습니다. 구체적으로 시의 내용을 살펴보면, 먼저 이 슬픈 소식을 블레셋인의 도시인 「가드에도 알리지 말며 아스글론 거리에도 전파하지 말지어다」라고 되어 있는데 이는 「블레셋 사람들의 딸들이 즐거워할까, 할례 받지 못한 자의 딸들이 개가를 부를까 염려로다」라는 것입니다. 게다가 21절에서 「길보아 산들아 너희 위에 이슬과 비가 내리지 아니하며 제물 낼 밭도 없을지어다」라고 명령하고 있습니다만, 사울과 요나단이 쓰러진 길보아의 산에서 앞으로 수확의 기쁨이 일어나지 않도록 비가 말라 가뭄이 되라고 저주하고 있습니다. 22,23절은 사울과 요나단이 모든 사람들의 사랑을 받았고 독수리보다 빠르고 사자보다 더 씩씩했다고 그 모습을 회상하면서 특히 요나단이 최후의 싸움에 이르기까지 아버지에게 충성한 것을 칭찬하고 있습니다. 24절은 사울이 왕으로 다스리는 동안 이스라엘은 붉은 옷을 입을 수 있었고 금 노리개를 옷에 채울 수 있을 정도의 경제적 번영이 이루어졌음을 상기시키고 있습니다. 사울 왕에 의해 나라가 부흥하고 이스라엘의 생활수준이 향상된 것은 사실이었습니다.

25절부터의 후반 부분은 드디어 다윗의 감정이 고조되는 것을 알 수 있습니다. 그것은 26절에서 「내가 그대를 애통함」은 이라는 1인칭으로 다윗 개인의 감정을 토로하고 있기 때문입니다. 생각해보면 요나단은 다윗에게 자신의 겉옷을 주고, 자신의 칼과 활과 띠에 이르기까지 모두 주고, 자신처럼 다윗을 사랑했습니다. 옷은 신분을 나타내기 때문에 왕위를 다윗에게 물려주는 상징적인 행위이기도 했습니다. 다윗은 요나단이 자신을 사랑해 준 것과 같은 그런 큰 사랑을 경험한 적이 없었고 그것은 바로 여인의 사랑보다 더 기히한 사랑이었습니다. 그래서 사울을 위해서는 다른 사람들에게 한탄스러움을 호소했지만, 내 형제 요나단을 위해서는 슬픔이 끝이 없고, 요나단이 마치 살아있는 것처럼 말하고 있는 것입니다.

그런데 이 애가의 제목은 「활」인데 「활」하면 요나단이 즐겨 쓰던 무기였습니다. 그리고 19절의 서문에 주목하면 「영광이 산 위에서 죽임을 당하였도다」라고 하는데, 이 「영광」이라는 말은 「들노루」라는 식으로도 번역할 수 있습니다. 실제로 2장 18절에서는 들노루라고 번역되어 있습니다. 들노루하면 블레셋과의 싸움에서 요나단이 무기든 자와 함께 깍아지른 바위를 쭉쭉 올라가다 갑자기 블레셋 사람들 앞에 나타나 적의 진영을 공포에 빠뜨렸던 그 싸움을 우리에게 상기시키는 것입니다. 그래서 이 애가는 사울과 요나단을 애도하는 시인데, 읽어 내려갈수록 요나단의 죽음이 애가의 시작과 끝의 주제라는 것을 깨닫게 되고, 시의 구조 자체도 그 사실을 여실히 알려 주고 있는 것입니다.

결론

첫째, 사울 왕과 그의 아들 요나단의 죽음으로 이스라엘에 하나의 막이 내렸습니다. 그리고 이제 막 새로운 시대가 시작되려 하는데 하나님의 나라는 먼저 회개로 시작한다는 것입니다. 사람은 죄인에 지나지 않으며, 죄인인 우리들의 인생에는 슬픔이 결코 끝이지 않습니다. 그러나 슬픔을 통해 회개에 이르고, 창조주를 기억하며, 구원자를 믿고, 하나님의 주권에 모든 것을 맡기도록 바꿀 수 있습니다. 주님과 함께 하는 새 출발을 하나님은 슬퍼하는 자에게 허락해 주시는 것입니다. 「애통하는 자는 복이 있나니 그들이 위로를 받을 것임이요」라는 말씀 그대로입니다.

둘째, 다윗은 사울의 죽음의 의미를 바르게 이해하고, 주님의 영으로 애가를 불렀으며, 시글락의 성읍은 다윗의 애가로 인해 마음이 흔들렸고, 온 성읍이 이스라엘 용사들의 죽음을, 사울과 요나단의 죽음을 슬퍼하고, 특히 마지막 최후까지 자기 희생적이었던 요나단의 죽음을 슬퍼하게 되었습니다. 그 깊은 슬픔은 회개로부터 시작되는 하나님의 나라를 시작하는데 있어서, 하나님의 마음에 합한 슬픔이었다는 것입니다. 지금 같이 살펴 보았듯이 「시」라는 것은 사람들의 마음을 강하게 움직이고 사람들을 끌어들이는 힘을 가지고 있습니다. 이를 위해 이스라엘에서 하나님 예배에서 사용될 수 있도록 일찍부터 「시」의 수집이 열심히 이루어지고 보존되어 왔습니다. 하나님은 예술을 사랑하시는 분이기도 합니다. 왜냐하면 하나님 자신이 하나님의 형상을 닮은 우리라는 최고 걸작을 만들어 낸 토기장이이시자 예술가이시니까요. 에베소 2장 10절을 읽어드리겠습니다.

우리는 그가 만드신 바라 그리스도 예수 안에서 선한 일을 위하여 지으심을 받은 자니 이 일은 하나님이 전에 예비하사 우리로 그 가운데서 행하게 하려 하심이니라

이렇게 에베소서에는 우리가 하나님의 작품이라고 적혀 있습니다. 하나님의 저작인 그 사인이, 그 도장이 성령에 의해 한 분 한 분에게 날인되어 있다는 것입니다. 그래서 하나님을 닮은 모습으로 하나님의 형상으로 만들어진 여러분 한 분 한 분도 예술가인 것입니다. 예배 가운데 우리가 찬양을 부를 때 예술을 사랑받는 하나님을 의식하면서 반주에 맞추어 진심으로 찬양을 드리며 나가도록 합시다. 또 감사기도 때는 성령에 의해 기도를 드리면서 다윗이 자신의 은사를 이용해 풍성한 시를 하나님께 바쳤듯이, 우리도 성령에 의한 시와 찬양과 기도로 하나님을 풍성하게 찬양하고 싶습니다. 다행히도 센겐다이 교회에는 예술의 은사를 가진 앙상블 팀도 있습니다. 또 취미로 그림을 그리거나 하시는 분도 계십니다. 아무쪼록 우리는 앞으로도 더욱 하나님을 기쁘게 해 드리는 자로서 걸어가는 자가 됩시다.

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