2020年08月16日「サウルの最後の戦い 사울의 마지막 전투」

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サウルの最後の戦い 사울의 마지막 전투

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記上 31章1節~13節

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聖句のアイコン聖書の言葉

31:1ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた。
31:2ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討った。
31:3サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは彼らによって深手を負った。
31:4サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた。「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない。」だが、従卒は非常
31:5従卒はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に倒れ伏してサウルと共に死んだ。
31:6この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ。
31:7谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった。
31:8翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけた。
31:9彼らはサウルの首を切り落とし、武具を奪った。ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。
31:10彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした。
31:11ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞いた。
31:12戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、
31:13彼らの骨を拾ってヤベシュのぎょりゅうの木の下に葬り、七日間、断食した。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記上 31章1節~13節

原稿のアイコン日本語メッセージ

 本日の31章をもってサムエル記上が終わりになり、次回から下に入る予定です。サムエル記は本来一つの書でしたが、ちょうど初代イスラエルの王であるサウルの死を持って上下に区切られています。イスラエルの王の使命とは、本来、預言者を通して語られる主の御言葉に聞き従いながら、神様を喜ばせ、神様に仕えることであり、そして神の民イスラエルを敵から、つまりここでは、ペリシテ軍から救い出すことでした。それなのに、今回の戦いにおいては、なぜイスラエルの王、サウルは敗北してしまったのでしょうか。イスラエルの神、ヤハウェには力がなかったために、鉄の武器を持ち、異教の神々に仕える、ペリシテ人に敗北したということなのでしょうか。

【1】. 神に捨てられたサウル王の最後

 折り込みの地図をご覧いただけますでしょうか。この図は当時の勢力図を表していますが、線で囲まれた地域がイスラエルの支配を表し、地中海沿岸はペリシテ人の支配を表しています。地中海寄りのアフェクという都市を確認できますでしょうか。アフェクにおいてダビデがペリシテの連合軍から排除されたため、ダビデ軍はネゲブ地方のツィクラグに帰還している頃、ペリシテ軍はさらに北上しイズレエル渓谷の背後にあるシュネムに陣取りました。エン・ドルのすぐ脇の都市です。そしてギルボア山に陣取っているイスラエルと対峙しています。ヨルダン川沿いにはベト・シャン(シェアン)という都市がありますが、城壁に囲まれたこの都市は、以前ヨシュアがマナセ部族に割り当てた都市ですが、結局イスラエルは一度もこの都市を征服することが出来ませんでした。この時、ベト・シャンはペリシテ軍と同盟を結んでいたと考えられます。ダビデはツィクラグに到着した後、さらにアマレク人を追撃するために南下していきますので、今回のサウル家の滅亡において、ダビデは一切、関与することができませんでしたし、ダビデは王位を簒奪しようと試みたことでもありませんでした。サウルはダビデの信仰の通り、主によってペリシテ人の手を通して殺されたのです。ペリシテの連合軍は、ギルボアに一気に総攻撃を仕掛けました。この攻撃によってイスラエル軍は北部のガリラヤと中部のエフライムの山岳地帯が完全に分断されることになります。サムエル記の著者は、この戦いの詳細な内容を省略し、ギルボア山における虐殺とイスラエルの退却を、31:1節で、たった一言によって書き記しています。1節を御覧ください。

“ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた。”

イスラエルの民はヨルダン川の向こう側に逃げて行ったのでしょう。さらに2節以降には、イスラエルの将軍や忠実な兵士たちの名前は挙げられず、ただサウルと、サウル家の三人の息子たちである、ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアの名前だけが挙げられています。このことは、戦いの敗北の原因がイスラエルの民にあるのではなく、民を導いている指導者、サウルにあるのであり、まさにサウルの故に、イスラエルが敗北したということを表しているのです。それは、以前、預言者サムエルがサウル王に対し預言したことの成就であると言うことです。サムエルは、サウルの不従順の故に、二度、あなたの王国は立ち行かないということを預言しました。一度目は、サウルがサムエルを待つことができず、王自ら、焼き尽くすいけにえを捧げた時です。この時サムエルは次のように宣告しています。

「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」(13:13-14)

そして、二度目は、アマレク人を聖絶しなさいという命令に従順しなかった時です。次のように宣告しています。

“主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に/高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる。”(15:22-23)

“あなたと一緒に帰ることはできない。あなたが主の言葉を退けたから、主はあなたをイスラエルの王位から退けられたのだ。”(15:26)

このように、ヤハウェなる神様が敗北したのではなく、サムエルの預言が成就し、サウル王の不従順の故にイスラエルは敗北したということです。

【2】. 選択の機会を与えられる神様

 ところで、神様はこのような絶望的な状況においても、なおサウルに対し、選択の機会を与えられています。31:3~5節を御覧ください。

“サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは彼らによって深手を負った。サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた。「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない。」だが、従卒は非常に恐れ、そうすることができなかったので、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した。従卒はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に倒れ伏してサウルと共に死んだ。”

ここを見て分かりますように、サウルは即死したのではなく、ペリシテ軍の射手たちの攻撃により深手を負いますが、最後に神に悔い改めるための猶予を与えられました。これを神の恵みと言わずして一体何でありましょうか。しかしサウルは神によって与えられた機会を用いて神に立ち帰るのではなく、自殺という道を選び取ります。サウルの選択は、王として潔く、もはや自己憐憫はなく、勇気ある行動に映るかもしれませんが、最後の最後まで神さまを求めることをせず、神さまに悔い改めることもしなかったと解釈することもできます。「神さま、私を主の民の王として立てられたのに、私は生涯、神さまの御心に従いゆくことが出来ませんでした。私一人の為にイスラエルの民に大きな困難を招いてしまい、私一人の為に約束の民が苦しみを受けています。神さまどうぞ、お赦し下さり、どうか助けてください」と祈ったなら、もしかしたら奇跡が起こり、この戦局は変わったかもしれません。しかし、サウルは武器を持つ従卒に「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ」と命じています。従卒は非常に恐れ、とてもそうすることは出来ませんでした。当然この従卒には、罪はありません。民にとって油注がれた王を剣で刺し殺すなど、決して考えられないことです。もしそのような事をしたなら、恐らく、どのような理由があったとしても、イスラエルの共同体の中では、これから後、生きて行くことは不可能だったのでしょう。すると、サウルは自ら剣を取り、その上に倒れ伏しました。自分自身で自分の命を終わらせるという選択をしたのです。聖書において自殺をする人々はそれほど多くはありませんが、旧約聖書では、サウルの他に、アビメレク、アヒトフェル、ジムリなどで、新約聖書ではイスカリオテのユダなどが挙げられます。彼らの特徴は、いずれの場合も、最後まで主に祈りを捧げることをせず、最後まで主に立ち帰ることをせず、自身の誇りや自尊心のことだけを考えて、また、一方においては、創造主にとことん不従順であったという姿を見せています。私たちはこのようなサウルの死を見た時、もしかしたら次のように言うかもしれません。「そもそもサウル王は神によって遺棄されるように聖定された王なので、サウルに責任はないではないか」ということです。しかし、神の「遺棄の聖定」と、「実際の遺棄、それ自体」は異なるということを私たちは今日はっきりと覚えなければなりません。つまり、「遺棄の聖定」というのは、決して何かその人の意志とは相反するように、あたかもレールに定められているように、運命的に、宿命的に遺棄されるのではないということです。サウルも、そしてイスカリオテのユダも自由意志の中で、自らの不信仰と不従順の罪によって遺棄されるのです。最終的・究極的原因は、確かに専ら神さまの聖定にございますが、遺棄そのものは、何度も何度も繰り返し機会が与えられ、その度に、悉く不従順と不信仰を選び取ったサウルの罪を通して実現されるということを、本日の箇所から私たちは見て取ることができるのです。実際の遺棄は、神に依り頼まない罪によって、不信仰と不従順の罪によって実現されるのです。

【3】. サウルに対する報い_ギレアドのヤベシュの住民によって埋葬される。

 戦いの翌日、ペリシテ軍がイスラエルの戦死者から分捕り物をはぎ取るためにやって来ました。恐らくこの時点ではまだサウル王が死んだということは知られていなかったのでしょう。剥ぎ取りの中で、サウル王とその息子たちの死を発見すると、その首を切り落とし、武具を奪い取り、そしてペリシテ全土に、勝利の良き知らせの使者を送りました。サウルの武具はアシュトレトの神殿に納められ、サウルの首は歴代誌上10:10によりますとダゴンの神殿に納められました。また、首のはねられた遺体は野の獣や空の鳥の餌となるようにベト・シャンの城壁にさらされました。当時の人々において、死者の魂は不滅であると考えられていたために、魂の亡骸であるご遺体は、必ず畏れ敬うべき対象であって、遺体が埋葬されないことは、その人の魂を辱めることであり、ですから遺体は必ず覆われて、人々の視界から消えなければならず、人々は喪服を着て、装飾物を取り外し、埃や灰をかぶって、悲しい歌を歌い、断食などをしながら丁重に葬ることが普通でありました。ペリシテ人のサウルに対する仕打ちを聞いた時、ギレアドのヤベシュの人々はすぐに立ち上がって、勇気ある行動を見せてくれます。ギレアドのヤベシュの人々とは、11章に出て来ますが、かつてアンモン人の王ナハシュによって東側から攻め上られた時、ヤハウェの契約の民でありながら「我々と契約を結んでください。我々はあなたに仕えます」と言った人々です。ナハシュは、その申し出に対し、「お前たちと契約を結ぼう。ただし、お前たち全員の右目をえぐり出すのが条件だ。それをもって全イスラエルを侮辱しよう」と言いました。そのような窮地に置かれているヤベシュの人々をサウルは救い出したのです。31:12に書かれていますように、ヤベシュからベト・シャンまでの約21キロほどの道のりを、彼らは夜通し歩いて行き、サウルの遺体とその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り外し、ヤベシュに持ち帰って火葬しました。しかしこの12節は、学者によって意見が分かれます。写本が毀損しているのでは、と言われています。なぜならイスラエルにおいて、火葬というのは、刑罰としては行われていましたが、普通、死者を葬る際には土葬されるからです。或いは、他の学者によれば、暑さの故に遺体の腐食が進んでおり、鳥などについばまれているなどの理由で、恐らく遺体の損傷が激しかったために火葬したと考えられています。火葬といえば、ギリシャ神話のイーリアスの中で、アキレウスが親友パトロクロスの遺体を火葬によって葬る場面が出て来ます。またヒッタイト人にも火葬という習慣がありました。いずれにしてもギレアドのヤベシュの人々は、サウルとその子どもたちの遺骨を、ぎょりゅうの木の下に葬り、七日間断食しました。「ぎょりゅうの木」というのは、以前、サウルが手に槍を持ちながらダビデを追跡し、御前会議をしている時に、陽を遮る木陰として登場しました。サムエル記上22:6の途中から御覧ください。

“サウルは、手に槍を持って、ギブアにある丘のぎょりゅうの木陰に座っていた。彼の家臣は皆、傍らに立っていた。サウルは傍らに立っている家臣に言った。「ベニヤミンの子らよ、聞くがよい。エッサイの子が、お前たち皆に畑やぶどう畑を与え、皆を千人隊の長や、百人隊の長にするであろうか。お前たちは皆、一団となってわたしに背き、わたしの息子とエッサイの子が契約を結んでもわたしの耳に入れない。息子がわたしの僕をわたしに刃向かわせ、今日のようにわたしをねらわせても、憂慮もしないし、わたしの耳に入れもしない。」”

このように槍を手にもって、ぎょりゅうの木の下で御前会議をしている姿が描写されています。この「ぎょりゅうの木」とは、英語の聖書(RSV)で「タマリスクの木」と書かれています。タマリスクとは、その材木によって偶像などが作られた木であり、メソポタミアの人々にとっては聖なる木とされていました。つまり、聖書の中でサウルの王国とは、一貫してこの世の富と権勢を象徴していましたが、サウルの葬りの際も、やはり、この世的な方法によって、自分たちの目に正しいと見える勝手な方法によって、サウルは葬られたということを見て取ることが出来るのです。サウルの人生とは主を畏れ、主に仕える人生ではなく、霊媒に伺いを立て、或いは、人々を畏れ、人々の顔色を伺う人生でありました。サウルは神さまからの報いを受け取る代わりに、ヤベシュの人々を通して、この世的な報いが与えられたということです。このようにした初代イスラエルの王は「肉に属する人」としてその生涯を閉じたのであります。

【結論】

 私たちはサウルの悲惨な死を通して、私たち自身が持っている肉の悲惨さを黙想することが出来ます。罪の刑罰は死であり、全ての人がサウルと同じように裁かれて当然でありますが、しかしイエス・キリストが十字架によって私たちの人生を贖って下さり、私たちを霊によって新しく生まれさせてくださいました。そして私たちの人生には主からの恵みとしてたくさんの機会が与えられているということを覚えていきたいと思います。そのような機会を大切に用いて、主の民、神の家族として、神さまに仕え、兄弟姉妹に仕えていきながら、たゆまず善き業を行い、天に報いが積まれるようにしていきましょう。というのは、もし、私たちが個人的な終末を迎えてしまった後ならば、もう、再び神さまに悔い改める機会もなければ、善き業を行って天に報いを積む機会も与えられないからです。神さまは最後には必ずそれぞれの行いに従って豊かに報いを与えて下さり、ご自身の義を明らかにされるからです。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

사울의 마지막 전투

2020년 8월 16일 센겐다이 교회 주일설교

사무엘상 31장 1~13절

서론

오늘 31장으로 사무엘상이 끝나고 다음부터는 사무엘하로 들어갈 예정입니다. 사무엘기는 원래 하나의 책이었는데 마침 초대 이스라엘 왕인 사울의 죽음을 가지고 상하로 구분되어 있습니다. 이스라엘 왕의 사명은 본래 선지자를 통해 말씀하시는 주님의 말씀을 따르면서 하나님을 기쁘시게 하고 하나님을 섬기는 것이었고, 그리고 하나님의 백성 이스라엘을 적으로부터, 즉 여기서는 블레셋 군으로부터 구해내는 것이었습니다. 그런데도 이번 전투에서는 왜 이스라엘의 왕 사울이 패배하고 말았을까요? 이스라엘의 하나님 여호와에게는 능력이 없었기 때문에 철무기를 들고 이교의 신들을 섬기는 블레셋인에게 패배했다는 말일까요?

(1) 하나님게 버림받은 사울 왕의 마지막

주보 사이에 끼워 넣은 지도를 봐주시겠습니까? 이 지도는 당시의 판도를 나타내고 있는데, 선으로 둘러싸인 지역이 이스라엘의 지배를 나타내고 지중해 연안은 블레셋인의 지배를 나타내고 있습니다. 지중해 쪽의 아벡이라는 도시를 확인할 수 있을까요? 아벡에서 다윗이 블레셋 연합군에서 배제 되었기 때문에 다윗의 군은 남방 땅의 시글락으로 귀환하고 있을 무렵, 블레셋 군은 더욱 북상하여 이스르엘 계곡의 배후에 있는 수넴에 진을 쳤습니다. 엔돌 바로 옆 도시입니다. 그리고 길보아 산에 진을 치고 있는 이스라엘과 대치하고 있습니다. 요단 강변에는 벧산이라는 도시가 있는데 성벽으로 둘러싸인 이 도시는 이전에 여호수아가 므낫세 부족에게 할당한 도시지만 결국 이스라엘은 한 번도 이 도시를 정복하지 못했습니다. 이때 벧산은 블레셋과 동맹을 맺고 있었던 것으로 보입니다. 다윗은 시글락에 도착 한 뒤 다시 아말렉인을 추격하기 위해 남하했기 때문에 이번 사울 가문의 멸망에 다윗은 일체 관여할 수 없었고, 다윗이 왕위를 찬탈하려고 시도한 일도 아니었습니다. 사울은 다윗의 믿음대로 주님에 의해 블렛셋인의 손을 통해 죽임을 당한 것입니다. 블레셋 연합군은 길보아에서 단번에 총공격을 가했습니다. 이 공격으로 이스라엘 군은 북부 갈릴리와 중부 에브라임의 산악 지대가 완전히 분단되게 됩니다. 사무엘기의 저자는 이 전투의 상세한 내용을 생략하고 길보아 산에서의 학살과 이스라엘의 퇴각을 31장 1절에서 단 한마디로 적고 있습니다. 1절을 보시겠습니다

블레셋 사람들이 이스라엘을 치매 이스라엘 사람들이 블레셋 사람들 앞에서 도망하여 길보아 산에서 엎드러져 죽으니라

이스라엘 백성들은 요단 강 건너편으로 도망갔겠죠. 게다가 2절 이후에는 이스라엘 장군이나 충성스러운 병사들의 이름은 거론되지 않고, 오직 사울과 사울 가문의 세 아들들인 요나단, 아비나답, 말기수아의 이름만 거론되고 있습니다. 이는 전투의 패배 원인이 이스라엘 백성에게 있는 것이 아니라 백성을 이끌고 있는 지도자 사울에게 있는 것이며, 바로 사울 때문에 이스라엘이 패배했다는 것을 나타내는 것입니다. 그것은 이전에 선지자 사무엘이 사울 왕에게 예언한 것의 성취라는 것입니다. 사무엘은 사울의 불순종 때문에 두 번, 왕의 나라가 길지 못할 것이라고 예언 했습니다. 첫 번째는 사울이 사무엘을 기다리지 못하고 왕이 스스로 번제를 드렸을 때입니다. 이때 사무엘은 13장 13,14절에서 다음과 같이 선고하고 있습니다.

13 사무엘이 사울에게 이르되 왕이 망령되이 행하였도다 왕이 왕의 하나님 여호와께서 왕에게 내리신 명령을 지키지 아니하였도다 그리하였더라면 여호와께서 이스라엘 위에 왕의 나라를 영원히 세우셨을 것이거늘

14 지금은 왕의 나라가 길지 못할 것이라 여호와께서 왕에게 명령하신 바를 왕이 지키지 아니하였으므로 여호와께서 그의 마음에 맞는 사람을 구하여 여호와께서 그를 그의 백성의 지도자로 삼으셨느니라 하고

그리고 두 번째는 아말렉을 진멸하라는 명령에 순종하지 않았을 때입니다. 15장 22,23절과 26절에서 다음과 같이 선고하고 있습니다.

22 사무엘이 이르되 여호와께서 번제와 다른 제사를 그의 목소리를 청종하는 것을 좋아하심 같이 좋아하시겠나이까 순종이 제사보다 낫고 듣는 것이 숫양의 기름보다 나으니

23 이는 거역하는 것은 점치는 죄와 같고 완고한 것은 사신 우상에게 절하는 죄와 같음이라 왕이 여호와의 말씀을 버렸으므로 여호와께서도 왕을 버려 왕이 되지 못하게 하셨나이다 하니

26 사무엘이 사울에게 이르되 나는 왕과 함께 돌아가지 아니하리니 이는 왕이 여호와의 말씀을 버렸으므로 여호와께서 왕을 버려 이스라엘 왕이 되지 못하게 하셨음이니이다 하고

이처럼 여호와 하나님이 패배하신 것이 아니라 사무엘의 예언이 성취되고 사울 왕의 불순종의 까닭에 이스라엘은 패배했다는 것입니다.

(2) 선택의 기회를 주시는 하나님

그런데 하나님께서는 이런 절망적인 상황에서도 여전히 사울에게 선택의 기회를 부여하고 계십니다. 31장 3~5절을 보시기 바랍니다.

3 사울이 패전하매 활 쏘는 자가 따라잡으니 사울이 그 활 쏘는 자에게 중상을 입은지라

4 그가 무기를 든 자에게 이르되 네 칼을 빼어 그것으로 나를 찌르라 할례 받지 않은 자들이 와서 나를 찌르고 모욕할까 두려워하노라 하나 무기를 든 자가 심히 두려워하여 감히 행하지 아니하는지라 이에 사울이 자기의 칼을 뽑아서 그 위에 엎드러지매

5 무기를 든 자가 사울이 죽음을 보고 자기도 자기 칼 위에 엎드러져 그와 함께 죽으니라

이곳을 보면 알 수 있듯이 사울은 즉사한 것이 아니라 블레셋 군의 궁수들의 공격에 중상을 입지만 마지막으로 하나님께 회개하기 위한 유예를 부여 받았습니다. 이것을 하나님의 은혜라고 하지 않고 도대체 무엇이라 말할 수 있겠습니까? 그러나 사울은 하나님이 주신 기회를 이용하여 하나님께 돌아가는 것이 아니라 자살이라는 길을 택합니다. 사울의 선택은 왕으로서 떳떳하고 더 이상 자기에 대한 연민은 없으며 용기 있는 행동으로 비춰질 수 있지만, 마지막 끝까지 하나님께 구하는 일을 하지 않았고 하나님께 회개하지도 않았다고 해석할 수도 있습니다. “하나님, 저를 주님의 백성의 왕으로 세우셨는데도 저는 평생 하나님의 마음을 따르지 못했습니다. 저 하나 때문에 이스라엘 백성들에게 큰 어려움을 초래하고 저 하나 때문에 언약의 백성들이 고통을 받고 있습니다. 하나님이시여 용서하여 주시고 제발 살려 주십시오”라고 빌었다면 어쩌면 기적이 일어나 이 전국은 달려졌을지도 모릅니다. 그러나 사울은 무기를 든 자에게 「네 칼을 빼어 그것으로 나를 찌르라」고 명하고 있습니다. 무기 든 자는 매우 두려워서 도저히 그럴 수가 없었습니다. 당연히 이 무기 든 자에게는 죄가 없습니다. 백성에게 있어, 기름 부음을 받은 왕을 칼로 찔러 죽이는 일은 결코 생각할 수 없는 일입니다. 만약 그런 일을 했다면 아마도 어떤 이유가 있었더라도 이스라엘 공동체 안에서는 앞으로 살아가기가 불가능했을 것입니다. 그러자 사울은 자신의 칼을 뽑아 그 위로 엎드러졌습니다. 자기 스스로가 자신의 생명을 끝내는 선택을 한 것입니다. 성경에서 자살을 하는 사람들은 그리 많지 않지만 구약성경에서는 사울 외에 아비멜렉, 아히도벨, 시므리 등으로 신약성경에서는 가룟 유다 등을 들 수 있습니다. 그들의 특징은 어느 경우든 끝까지 주님께 기도를 드리지 않고, 끝까지 주님께 돌아가지 않고, 자신의 긍지나 자존감만을 생각하고, 또 한편으로는 창조주 하나님께 끝까지 불순종적이었다는 모습을 보여주고 있습니다. 우리는 이러한 사울의 죽음을 보았을 때 어쩌면 다음과 같이 말할지도 모릅니다. “애초에 사울 왕은 하나님에 의해 유기되도록 聖定된 왕이므로 사울에게는 책임이 없지 않나요?”는 것입니다. 그러나 하나님의 「유기의 聖定」과 「실제 유기, 그 자체」는 다르다는 것을 우리는 오늘 분명히 기억해야 합니다. 즉, 「유기의 聖定」이라는 것은 결코 무엇인가 그 사람의 의지와는 상반되게 마치 레일에 정해져 있는 것처럼 운명적으로, 숙명적으로 유기되는 것이 아니라는 것입니다. 사울도 그리고 가룟 유다도 자유의지 가운데, 스스로의 불신앙과 불순종의 죄로 인해 유기되는 것입니다. 최종적 궁극적 원인은 확실히 하나님의 聖定에 있습니다만, 유기 그 자체는 몇번이나 몇번이나 반복해서 기회가 주어지고, 그 때마다, 모조리 불순종과 불신앙을 택한 사울의 죄를 통해서 실현되었다는 것을 오늘의 구절에서 우리는 볼 수가 있는 것입니다. 실제 유기는, 하나님을 의지하지 않는 죄에 의해서, 불신앙과 불순종의 죄에 의해서 실현되는 것입니다.

(3) 사울에 대한 보답으로 사울의 시신을 매장한 길르앗 야베스 주민

전투 다음날, 블레셋 군이 이스라엘 전사자로부터 옷을 벗기기 위해 찾아왔습니다. 아마 이 시점에서는 사울 왕이 죽었다는 사실은 알려지지 않았을 것입니다. 옷을 벗기는 가운데 사울 왕과 그의 아들들의 죽음을 발견하자 그 목을 베어내고 그의 갑옷을 벗기고 그리고 블레셋 전역에 승리의 좋은 소식을 알렸습니다. 사울의 갑옷은 아스다롯 신전에 들어갔고, 사울의 머리는 역대상 10장 10절에 따르면 다곤의 신전에 달렸습니다. 또 머리가 잘린 시신은 들짐승이나 하늘의 새들의 먹이가 되도록 벧산 성벽에 못 박혔습니다. 당시 사람들에게 죽은 사람의 영혼은 불멸이라고 여겨졌기 때문에 영혼의 유해인 시신은 반드시 공경해야 할 대상이었고, 시신이 매장되지 않는 것은 그 사람의 영혼을 욕되게 하는 것이었고, 그래서 시신은 반드시 가리워져 사람들의 시야에서 사라져야 하고, 사람들은 상복을 입고 장식물을 떼어내고, 먼지나 재를 뒤집어쓰고, 슬픈 노래를 부르고, 금식 등을 하면서 정중하게 매장하는 것이 보통이었습니다. 블레셋 사람들의 사울에 대한 처사를 들었을 때 길르앗 야베스 사람들은 바로 일어나 용기 있는 행동을 보여줍니다. 길르앗 야베스의 사람들은 11장에 나오는데, 일찍이 암몬 사람 나하스가 동쪽에서 쳐들어왔을 때 여호와의 언약 백성임에도 불구하고 「우리와 언약하자 그리하면 우리가 너를 섬기리라」라고 말한 사람들입니다. 나하스는 그 제의에 대해 「내가 너희 오른 눈을 다 빼야 너희와 언약하리라 내가 온 이스라엘을 이같이 모욕하리라」라고 말했습니다. 그런 궁지에 몰린 야베스 사람들을 사울이 구해낸 것입니다. 31장 12절에 적혀 있듯이 야베스에서 벧산까지 약 21km정도의 길을 그들은 밤새 걸어가 사울의 시신과 그 아들들의 시신을 벧산의 성벽에서 끌어내 야베스로 가져와 화장했습니다. 그런데 이 12절은 학자에 따라서 의견이 갈립니다. 사본이 훼손된 것은 아닐까, 라는 견해가 있습니다. 왜냐하면 이스라엘에서 화장이라고 하는 것은 형벌로는 행해지고 있었지만, 보통 사망자를 매장할 때에는 토장되기 때문입니다. 또는 다른 학자에 따르면 더위 때문에 시신의 부식이 진행되고 있었고, 새 등에게 먹혀버렸기 때문에 시신의 훼손이 심했다는 등의 이유로 아마도 화장한 것으로 생각되고 있습니다. 화장이라고 하면 그리스 신화의 일리아드 중에서 아킬레우스가 절친한 친구 파트로클로스의 시신을 화장으로 매장하는 장면이 나옵니다. 또 헷 족속에게도 화장이라는 습관이 있었습니다. 어쨌든 길르앗 야베스 사람들은 사울과 그 아들들의 뼈를 가져다가 야베스 에셀 나무 아래에 장사하고 칠일 간 금식했습니다. 「에셀 나무」라는 것은 예전에 사울이 손에 창을 들고 다윗을 추격하고 참모 회의를 할 때 햇빛을 가리는 나무 그늘로 등장했습니다. 사무엘상 22장 6절 중반부터 8절까지 보시기 바랍니다.

6 .. 그 때에 사울이 기브아 높은 곳에서 손에 단창을 들고 에셀 나무 아래에 앉았고 모든 신하들은 그의 곁에 섰더니

7 사울이 곁에 선 신하들에게 이르되 너희 베냐민 사람들아 들으라 이새의 아들이 너희에게 각기 밭과 포도원을 주며 너희를 천부장, 백부장을 삼겠느냐

8 너희가 다 공모하여 나를 대적하며 내 아들이 이새의 아들과 맹약하였으되 내게 고발하는 자가 하나도 없고 나를 위하여 슬퍼하거나 내 아들이 내 신하를 선동하여 오늘이라도 매복하였다가 나를 치려 하는 것을 내게 알리는 자가 하나도 없도다 하니

이렇게 손에 단창을 들고 기브아 높은 곳의 에셀 나무 그늘아래에서 참모 회의를 하고 있는 모습이 묘사되어 있습니다. 이 「에셀 나무」란 영어성경 (RSV)에서는 「타마리스크 나무」라고 쓰여져 있습니다. 타마리스크란 그 목재로 우상 등이 만들어지는 나무로 메소포타미아 사람들에게는 성스러운 나무로 여겨졌습니다(IVP성경배경주석 460 페이지).

즉 성경 속에서 사울의 왕국이란 일관되게 이 세상의 부와 권세를 상징하고 있었는데, 사울의 장례식 때 역시 이 세상적인 방법에 의해 자신들의 눈에 옳다고 보이는 제멋대로의 방법에 의해 사울은 매장되었다는 것을 알 수 있는 것입니다. 사울의 삶이란 주님을 경외하고 주님을 섬기는 삶이 아니라 신접한 여인을 찾고 또는 사람들을 두려워하고 사람들의 눈치를 보는 삶이었습니다. 사울은 하나님의 상급을 받는 대신 야베스 사람들을 통해 이 세상적인 상급이 주어졌다는 것입니다. 이렇게 초대 이스라엘 왕은 「육에 속한 사람」으로 그 생애를 마감한 것입니다.

결론

우리는 사울의 비참한 죽음을 통해 우리 자신이 가지고 있는 육의 비참함을 묵상할 수 있습니다. 죄의 형벌은 죽음이요, 모든 사람이 사울과 마찬가지로 심판받아 마땅하나, 그러나 예수 그리스도께서 십자가로 말미암아 우리의 삶을 속죄해 주시고, 우리를 영으로 새롭게 태어나게 해주셨습니다. 그리고 우리 삶에는 주님의 은혜로 많은 기회가 주어져 있다는 것을 기억하고 싶습니다. 그러한 기회를 소중히 이용하여 주님의 백성, 하나님의 가족으로 하나님을 섬기고 형제자매를 섬기면서 계속해서 옳은 행실을 하여 하늘에 상급을 쌓이도록 합시다. 그 말은 만약 우리가 개인적인 종말을 맞이하고 난 후라면 이제 다시 하나님께 회개할 기회도 없다면, 선한 일을 행하여 하늘에 상급을 쌓을 기회도 주어지지 않기 때문입니다. 하나님은 마지막날 반드시 각자의 행실에 따라 풍성하게 보답해 주시고 자신의 의로움을 밝히시기 때문입니다.

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