宗教と政治2

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宗教と政治2

「自律した個人の自由な判断」にもとづく政治が原理的に確立したことで、宗教が支配する前近代の政治は排除されたはずです。

政治と宗教2

旧統一協会に関する報道がさかんにおこなわれる中で、旧統一協会の政治への関わりが論じられています。

宗教と政治の関係においては、宗教(教団)が政治に自覚的にかかわる場合の問題と、逆に政治が宗教に対してかかわる問題の二つがあります。今回は、宗教の側からの政治へのかかわりを考えます。

昨年8月に米軍が撤退したことでアフガニスタンではイスラムの教えにもとづく統治がはじまりました。このように、宗教が政治を支配する社会は今も見ることができます。西洋においても、宗教改革後に近代政治が始まるまで、キリスト教が政治を含む人間社会の一切を支配しようとしていた点では同じです。政治と宗教との関連で出てくる政教分離とは、そのはじまりにおいては、宗教を抑制して政治的領域から締め出し、政治を脱宗教化するためのものでした(1648年ウェストファリア条約)。

近代をとおして良心の自由、思想信条の自由、表現の自由、結社の自由が人権として確立し、国民主権が政治の根本原理になりました。また、国の主人・主権者は国民一人ひとりであって、自由で自律した個々人の判断にもとづいて政治が営まれるということが政治の原則になりました。その結果、各々の経験や政治的信条にもとづいて、各人が自分の考えを主張し、議論し、賛否を問うなどして社会の進むべき方向が決められていきます。それが今日の政治であり、公正な選挙はそのための手段です。

「自律した個人の自由な判断」にもとづく政治が原理的に確立したことで、宗教が支配する前近代の政治は排除されたはずです。

けれども、宗教教団が政治的判断をおこない、その判断を神の意志であると主張して信者の良心を支配するならどうでしょうか。教団の決定に従うのであれば「自律した自由な判断」が失われ、本当の意味での主権者はいなくなります。

宗教は良心を支配することができるという意味で、特殊です。それゆえ、各宗教教団は、神の絶対が及ぶ範囲がどこまでかを自覚的に、そして抑制的に考えるべきです。宗教教団は信者の政治的判断の自由を侵害すべきでない、と考えます。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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