同じことを行って

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同じことを行って

イエスが神の民であるユダヤ人にとってのまことの牧者であるだけでなく、旧約において排除されていたように見える異邦人にとっても同じくまことの牧者であることを示しています。

今日の聖書箇所は、イエスが7つのパンで4千人を満腹させたという出来事を記しています。同じマルコ6:30以下には、5つのパンと2匹の魚で5千人を満腹させたことが書かれており、イエスが同じようなことを2度行ったことになります。

 1度の同じ出来事を、2度あったように書いているのではないかと考える人もいます。けれども、来週読む8:19以下、イエスが弟子たちの無理解を指摘する中で、「わたしが5千人に5つのパンを裂いたとき、・・・。7つのパンを4千人に裂いたとき、・・・」と区別して指摘していることから、別の二つの出来事と考えることができます。

 空腹の群衆を前にして彼らをあわれみ、わずかなパンで満腹させること、残ったパンをいくつものカゴに集めたこと、何よりイエスがパンをとって感謝の祈りを唱えて裂き、弟子たちに渡して配らせたことなど、確かに本質において同じことを行ったように思えます。

 重要なことは、①本質において同じことを、②最初はユダヤ人に、次に異邦人に行った、ということです。

 7:24以下から読んでいくと、ティルス、シドン、デカポリスという異邦人の地域をイエスは回っており、その終わりに今日の給食が起こったことになっています。

 このことは、イエスが神の民であるユダヤ人にとってのまことの牧者であるだけでなく、旧約において排除されていたように見える異邦人にとっても同じくまことの牧者であることを示しています。現代人であれば、イエス・キリストの救いは、時代と場所を超えて、すべての者を虜(とりこ)としている罪と死の支配からの解放なのであるから、キリストはユダヤ人と異邦人を区別せず、すべてに者にとっての牧者である、というように説明する方法を取るのではないかと思います。

 けれど、イエス・キリストは異邦人の地域を巡って神の国を宣教し、ユダヤ人に対してと同じく、実際にわずかのパンで空腹を満たすことで、この救いの真理を示したのです。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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