昔の人々の言い伝え

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昔の人々の言い伝え

旧約聖書を、独善的な言い伝えで読む(理解する)か、キリストの福音をとおして読むのか、という違いが今日の聖書箇所の本当の問題であるといえます。

今日の箇所は、「ファリサイ派」、「律法学者」、「エルサレムから来た」が示唆するユダヤ教権威筋の根本的間違いをイエスが指摘するところです。彼らは「偽善者」ともいわれています。

直接の対立事項は、食事のときに手を洗う、身を清める、杯、鉢、器を清めるという、宗教的清めの順守いかんです。

イエスの判断は、「昔の人の言い伝え」、「人間の言い伝え」、「人間の戒め」を固く守っているだけで、「神のおきて」、「神の言葉」をないがしろ、また無にしているというものです。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている」とのイザヤの預言(イザヤ29:13)は彼らのことである、とも非難しています。

ただし、「昔の人の言い伝え」であっても、彼らなりに旧約聖書を根拠にしていたはずです。ユダヤ教はそもそも旧約聖書にもとづく宗教なのですから。

それゆえ、旧約聖書を、独善的な言い伝えで読む(理解する)か、キリストの福音をとおして読むのか、という違いが今日の聖書箇所の本当の問題であるといえます。

歴史的には、ユダヤ教とキリスト教は分離して別々の宗教となり、この聖書箇所のように直接対立することは、今は日常生活の中からはなくなりました。では、この個所はもう役割を終えたのでしょうか。

 昔の人の言い伝えで聖書を読むことは、キリスト教の中で広く行われています。それが教派と教派的伝統、教理、聖書解釈の成果などです。言い伝えが、キリストの福音にそうものかどうかが重要です。卑近な例では、女性を教師職から排除してきた言い伝えは訂正されました。宗教改革の遺産である「義認の教理」は、カトリックとプロテスタントが分裂したほどの対立点ですが、20年前に「聖書が教える義認」においてカトリックとルター派は合意しました。神のみことばに聞いて、言い伝えを吟味することが求められていることです。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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