信仰 3

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信仰 3

わたしは救われる必要がある

今週も信仰について考えます。

ウ小教理の問86はキリスト教信仰について「救いのために、福音において提供されているままに、キリストのみを受け入れ、彼にのみ寄り頼む」とあります。

キリストへの信頼が信仰の中心なのですが、キリストは誰で、何をなさったかについて知るなら信仰に至るのかというと、少し違います。「救いのために」と記すとおり、わたしは救われる必要があるとの自己認識もキリスト教信仰に不可欠です。ここにいわばキリスト教信仰の難しさがあります。

神社に行って手を合わすなどの信心においては、神仏の前に立つ自分は何者であるか、という自己への問いかけは必要ないといえます。
 
聖書は、「救ってもらいたい」という願いを持っていようと、持っていまいと、すべての人にとってキリストにある救いが必要であると教えます。別の言い方をすると、救われなければ真の希望を持つことができないみじめな状態にあるのが人の本当の姿であり、境遇であるということです。自分では救いなんか必要ないと思っていても、客観的には必要であると聖書は言います。客観的とは、第三者が見た公正・公平な判断という意味ですが、「神の見たところ・判断したところ」によると、人は救われる必要がある、これが聖書の教えるところです。

 全ての人に共通する人間のみじめな姿とは、罪と死のとりことされ、罪と死に支配されている状態です。自分自身の生活や社会の中にある不安や争い、愛の欠如、不正義や不真実、不条理など、その根本を問うなら人に起因することがいかに多いことでしょうか。聖書がわたしたちを罪人と語るのは、非難するためではなく、罪から救い出すためです。
 
イエス・キリストの十字架と復活は、罪と死の支配から神と共に生きる新しい生き方へとわたしたちを救い出すできごとです。キリストに信頼するとは、神と神の救いがあることを受入れ、信仰と希望と愛に満ちた生き方をはじめることに他なりません。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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