信仰・希望・愛 (2)

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信仰・希望・愛 (2)

信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(Ⅰコリ13:13)から、信仰と希望と愛について考えます。この三つを定義することは困難ですが、主に信仰は過去、希望は将来、愛は現在として考えたいと思います。

 13章全体は愛の讃歌として知られているとおり、愛こそ最高の道(12:31)であることを歌いあげています。8節以下では、神を顔と顔とを合わせて見る時がおとずれたなら、預言も、異言も、知識もすたれよう。しかし、愛はすたれるどころか、愛こそ最も大いなるものであることがはっきりする。そのように論が進んでいきます。

 では、信仰や希望ではなく、なぜ愛が最高なのでしょうか。

 キリスト教は歴史的な宗教であるといわれます。歴史の中で展開された救いのみ業をとおして神を知り、信じるのがキリスト教信仰であるからです。他の人が否定しようと、聖書が報告するできごとを真実と認めて受け入れる、これが信仰であるという点で、信仰は主として過去に関わります。救いの御業を真実と受け入れる信仰から、希望と愛が生まれます。ですが、神と対面したなら、現に神を見てあがめることができるのですから、過去の報告を受け入れて神を信じるという意味での信仰はもはや必要なくなります。

 キリスト教における希望とは、神がキリストにおいて明らかにした将来の約束、すなわち神の国を待ち望むことです。神の国が到来し、神と対面した時には約束が実現します。すると、希望していたことは、将来のことではなく、現に手にする宝になります。将来の約束を疑わず信じることが希望であるとすると、その時、希望が成就するのですから、なお何かを待ち望むということは必要なくなります。

 愛はいつでも現在であり、今愛することが愛の本質です。去年まで愛していましたは、愛の破綻です。来年愛するからは、幻想です。愛とは、今、愛することです。その時がきたなら、わたしたちを愛する神の愛が満ちるとともに、わたしたしも神を愛することにおいて尽きることがありません。

 神と顔と顔とを合わせる時、見ないで信じる信仰は必要なくなり、希望は満願成就し、神は愛なりの愛が、神とわたしたちの内に永遠に満ち溢れます。

 信仰と希望が無価値になるというのでなく、信仰と希望が愛となって永遠に続くということです。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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