2025年07月23日「霊の火を消すな」

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聖書の言葉

16いつも喜んでいなさい。 17絶えず祈りなさい。 18どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 19“霊”の火を消してはいけません。 20預言を軽んじてはいけません。 21すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。 22あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。テサロニケ信徒への手紙Ⅰ 5章13〜15節  
テサロニケの信徒への手紙一 5章13節~15節

メッセージ

7月12日(土)に行われた日本キリスト改革派中部中会の西濃地区姉妹会の集いの録音です

テゼの讃美、主よ導いてくださいなど讃美もたくさん入っています

小説教もあります

「主よ、導いてください」は、当教会の二宮忍さんが、訳詞をしてくださいました

(日本語訳ははじめてです。コロナ禍の最中この歌に支えられてきました

 人の思いを超える神のいのちの救いが詩編23編から...)

テゼの讃美を用いた礼拝をときどき試みています

日本の教会でどのようにしたら根付いていくのか模索しています

今回は多くの方から反響がありました。

用いていただければ幸いです

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今朝は、19節の「“霊”の火を消してはいけません」という一句の聖書の言葉に特に集中して、共に御言葉に聞きたいと思います。「霊の火を消してはいけません」、どういうことが私たちに語られているのでしょうか。ここで霊とは聖霊、御霊のことです。原文には火という言葉はありません。ただ「霊を消すな」となっていて意訳がなされています。聖霊の働きが火にたとえられているのです。でもこれはどういうことでしょうか。

 神学生の時に、ある日、レポート提出の課題が与えられました。自分で言うのも何ですが、なかなかよくできたレポートで、自信をもって提出しました。ところが、すぐに特別に呼び出されました。先生の部屋に入るとすぐに「君は聖霊のことをわかっていない!」と言われました。あろうことかレポートに聖霊のことを書く時にHSと略字で書いていたのです。先生の目は憂いと怒りに満ちていました。その時、私は自分がとんでもないことがわかりました。お詫びをし許していただきました。聖霊は、聖霊を信ずと告白します。聖霊は神ご自身です。気づいていただきたいのは、人間が霊の火を消すというのは、たいへんなこと、そんなことあり得るのかというような事態だということです。明らかにこのように言われているのは、人間にこのようなことが可能だということで、それ自身、驚くべきことです。そのように神さまがなさっている、お許しになっているのです。それは、神さまが人間を大切にされること意味します。私たちがどうするか、私たちが意志をもってなすことをお許しになられるのです。神さまは、人間に消すことをお許しにならないこともできたでしょう。でもそうなさらなかったのです。それは私たち人間を人間として重んじられるからです。

 聖霊には、父なる神、み子イエスとは異なる特質があります。それは、私たちの内に住んでくださるということです。そして、私たちの内に暖かい火をともしてくれます。ペンテコステには聖霊が、火のようにくだり、ひとひとりにとどまったとあるのも、そのことを示しています。父なる神、子なるイエス、聖霊は、愛の交わりをもっておられ、その交わりの中に私たちを導き入れてくれます。私たちの内に働きかけ、この神の愛を確かにします。その聖霊を消してはならないのです。

 それはどういうことなのか、もう少し具体的に知るためには、もう少し御言葉に聞く必要があります。今日の御言葉では、この霊の火を消してはならないというそのすぐ後に、こう言われています。「預言を軽んじてはならない」。預言とは御言葉です。聖書は、聖霊は御言葉とつながっていることを繰り返し語っています。良い説教というのは、家に帰ってもう一度、その聖書の箇所を開いて自分で読むことをもたらす、それが良い説教というものだと言いました。使徒言行録にはベレアのキリスト者たちが、「非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」(使17)とあります。御霊の火を消すことなく、ともし続けるために私たちに必要なことはこのこと、御言葉に聞きつづけることです。

 さらに後ろと共に、前にも注目すべきことが語られています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」。喜び、祈り、感謝。これは聖霊と深い関わりにあることで、聖霊が、私たちがどのような中にあっても、これらのことに導きます。また多くの人が愛唱している御言葉でもあります。生涯の間、この御言葉が私たちの歩みについてきます。ある神学者は、これは私たちの内にある聖霊が、発している声だと言っています。

 明日は、主の日です。私が心から願うのは、今日ここでこの集まりに集ったことが、明日の礼拝への励ましとなることです。間違っても、今日、ここで礼拝をささげた、だから明日はもういいよというようにはならないことです。(中会は本来、個々の教会を強める働きをするものです)。そして、私たちの生涯の歩みが御霊の火を消すことのない歩みになることです。そのためにも御言葉に聞き続け、喜びつつ、祈りつつ、感謝しつつ、主を礼拝して歩む歩みとなりますように。

 「聖霊の火を消してはいけません!」。