2020年09月14日「アメージング・グレイス」

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アメージング・グレイス

日付
説教
橋谷英徳 牧師
聖書
マタイによる福音書 21章33節~46節

音声ファイル

聖書の言葉

「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。 さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」  彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。 この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
 祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。 マタイによる福音書 21章33節~46節

メッセージ

日曜日ごとに、マタイによる福音書から御言葉に聞き続けて二一章の終わりに至りました。ぶどう園と農夫のたとえと呼ばれる聖書の箇所です。

 二一章の半ば特に二三節からの箇所で、その度ごとに繰り返して申し上げて来たことがあります。それは「主イエス・キリストからの問い」ということです。私たちが聖書を学び、信仰を求める時に最も大切なことは、自分の方から神様に問いを出し続け、答えを与えられるということではない。全く逆に、主イエスの方からの問いかけを聞き、その問いに答えていくことだということです。

 第一の問いは、二五節「ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」です。第二の問いは、三一節で「この二人のうち、どちらが父の望みどおりにしたか」。でした。そして、今朝、私たちに与えられています御言葉にも主イエスからの問いがございます。四〇節です。「このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。

 主イエスは、ここでたとえ話をお語りになられています。あるぶどう園で起こったことを物語にして話されました。そして最後に、問われた。主イエスはここでご自身の語られてきた物語に、ご自分で結論、答えは出されません。こういう話だ。しかし、この話の結末はどうなるか自分で考えてご覧なさい。自分で答えを出してみなさい。そのように問われたのです。

 そして、ここでは、この問いを投げかけられた人びとは、このたとえ話を聞いて、このたとえ話に登場する「農夫たち」がとんでもない悪人であると判断しました。そして、死に値する、死刑にならねばならないと言ったのです。四一節でそのように答えた「彼ら」というのは、四五節に祭司長たちやファリサイ派の人たちでした。しかし、この人たちは、最後の最後にこの農夫たちが自分たちのことだということがわかったのです。四一節では、そのことがわかっていなかった。自分のことだとわかっていたら、殺されるべきだとは言わなかったでしょう。

 二三節から、このように三度、主イエスの問いかけが繰り返されてきまして、これが最後になります。そして、これが一番、激しい問いであり答えになります。判決が問われ、答えられる。その答えは死刑になるのです。そしてあろうことか彼らは、自分に死刑の判決をくだしてしまうのです。「そんなことをした者は死刑だ」そのように言うのです。ある人が、このたとえ話のことを、「主イエスがお語りになった数多くのたとえ話の中での頂点に位置づけられる」と言っておりました。最初、そのように聞きました時、その意味がわかりませんでした。他にも素晴らしいたとえ話はいくらでもあるではないか、そう思ったのです。皆さんはどうでしょうか。けれども、だんだんわかってきました。このたとえ話ほど、私たちの姿を深くえぐるように的確に、鋭く語っているものはありません。

 主イエスがここでなさっているたとえ話には「ある家の主人」が最初に登場します。この家の主人が神様のことであることはすぐにわかります。この家の主人がぶどう園を作る。このぶどう園は、何かということについては二つの意見があります。一つの理解は、このぶどう園は神の民であるイスラエルを意味すると言います。この理解は、旧約聖書に基づいています。昔からぶどう園というのは、イスラエルのことでしたから。そうしますと、このぶどう園で働いている農夫たちは、ユダヤの人の指導者、主イエスがここで対話をなさっている祭司長やファリサイ派の人たちということになります。しかし、もう一つの読み方がございます。このぶどう園そのものを、この世界のこととする読み方です。神は天地の造り主で、その世界がぶどう園です。そのぶどう園で働くのが、ユダヤの人たちみんなだということになります。私は必ずしもどちらかに決める必要はないのではないかと思っています。

 いずれにしても、このぶどう園を主人が作りました。しかも、心込めて十分な配慮を持って作りました。外からの敵から守るために周りには垣根をめぐらせます。収穫をちゃんと得ることができるように、搾り場のための穴を掘ります。見張りのための櫓も建てます。このように十分に周到に準備をした上でですね、農夫たちにこのぶどう園を託して旅に出たのです。あとはちゃんと収穫を得て、利益をあげて分け前を主人に渡せば良いのです。ではそのあとはどうなったか?

 収穫の時がきますと、主人は、その分け前を回収するために僕をこのぶどう園の農夫たちのところに送ったのです。しかし、農夫たちは、分け前を主人に渡そうとしない訳です。最初に送られたひとりは袋ただきにされます。二人目は殺されてしまう。三人目は、石で打ち殺されてしまう。さらに主人は次々とこのぶどう園に僕を送ったのですが、みな殺されてしまった。この主人は、常識外れです。恐ろしく辛抱強い。お人好しでもあります。そして、最後に、自分の子であったら敬ってくれるだろう、そう思い、自分の息子を送る。すると、農夫たちは、「あれは跡取りだ。あれを殺してしまおう。そうすればぶどう園は自分たちのものになる」と考える。そして、その通り、この主人の子を殺してしまう。さて、このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするか。そのように主イエスは問われます。

 主イエスはここで何を語ろうとなさっているのでしょうか。まず言えることはここには、聖書の歴史、神様との関係の歴史が語られているということです。神様とどう関わってきたのか、それがここで、この短いいたとえ話を通して物語られてるのです。イスラエルの指導者、宗教の指導者である、あなたたちは、一体どのように神様と関わってきたか、それは結局のところこういうことだったのではないか、そう問われているのです。同時にこれはユダヤの民そのものへの問いでもありました。神の選びの民であるユダヤ人、神の愛を受け、その配慮を受けながらその歩みをしてきた。しかし、その歩みはつまるところ、こういう歩みではなかったか、そう問われるのです。

 神への反逆の歴史です。先ほどこの主人は常識外れで相当なお人好しだと言いました。しかし、一番、非常識なのはこの僕たちです。本来なら、あり得ないことをしている訳です。そして、その行き着いたのは、主人の息子までも殺すということです。なぜ、そんなことをしたのか。ぶどう園を「自分たちのもの」にする、私物化するためでありました。

 この主人が送った息子、この息子は殺されてしまうのです。それはこれから起こる主イエスの十字架の死を意味します。主イエスは、これまでの宗教の指導者たち、またユダヤ人の神との関わりの歴史を振り返りながら、それが行き着くところを見つめておられるのです。そして、問うてられるのです。

 ここで問われるのは、祭司長たちや、ユダヤ人だけではありません。私たちもまた問われていることに気づかねばなりません。信仰というのは、神さまからの問いかけを受け止めることです。一回、一回の礼拝でもそうではないでしょうか。私たちの人生がどんな人生だったか。それはどういう家庭であったとか、どういう学校を出たとか、どういう仕事をしてとか、そういうことではありません。あなたと神様との関係はどうか。神を敬って生きてきたか。それとも、あなたは自分の人生を自分のものにしてきたか。あなたは、神様を追い出して、生きてきたのではないか。神の子を殺してまでも、自分の人生を自分のものにして生きようとしてきたのではないか。このように問いにさらされるということでは、信仰生活というのは、非常に厳しい。楽じゃない。信仰を持たなければこういうことで心痛むことはないのです。甘ちょろいものではないということを思います。こういう問いに繰り返し、繰り返しさらされるのです。

 そして、私たち人間が一体、最後のところ、どういうところにまで至るのかということがこのたとえ話では問われているのです。それは十字架です。神の子を十字架につけて殺すということです。信仰者は、十字架に神の愛を見出します。しかし、十字架はただ神の愛のしるしではないのです。人の罪の行き着くところ。私たちと神の関わりの物語がどういうところに行き着くのかということです。私たちは人間が罪深い、私は罪深い人間とか言う訳ですが、それは一体、詰まるところどういうことなのかということがこのたとえ話で凝縮して語られるのです。それは、御子を十字架につけて殺すということです。神を殺す、神の恵みを殺すに至るということです。そこまでのことだというのです。私たち人間が普通にこれくらいだとと思っているよりも、遥かに深く、鋭く、その罪がえぐられて、問われています。

 昔からのこの聖書の箇所の読み方の一つは、ここにユダヤ人と異邦人の歴史を読む読み方です。祭司長たちは主人はこの農夫たちをどうするだろうかという主からの問いかけに答えて、「主人は農夫たちを殺して、ぶどう園は他の農夫たちに貸すであろう」と答えます。主イエス、その答えをお聞きになられて詩篇を引用されて、さらにこう言われます。「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」。四三節で、そう言われました。この主の言葉から、主イエスがここで言われているとおりになった。ユダヤ人は神様から捨てられ、救いは、異邦人に与えられるものとなった。新しい神の民、イスラエル、教会のことがここで語られている、そのように読まれてきました。なるほどと思いますし、確かに当たっているところはあると思います。しかし、忘れてはならないことがあります。このような読み方が、ユダヤ人の迫害の根拠になった。ユダヤ人たちは、このたとえのとおり預言者たちを殺し、み子を殺した。しかし、御子イエス・キリストを神様はよみがえらせられて、隅の親石となさった。だから、ユダヤ人は滅ぼされなければならない、そう読んだ人たちがいたのです。このような読み方が間違っていることは明らかです。主イエスはそのようなことをここでお語りになってはおられません。主イエスは、ここで祭司長たちに問われました。あなたたちはどう思うか、主人はどうすると思うか。そして彼らは答えました。農夫たちは死刑にされると。しかし、これは彼らが答えただけです。主イエスは何も言われていません。実際に起こったことはどういうことだったでしょうか。神の子である主イエス・キリストは十字架で殺されました。そして復活されました。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」。殺されたのはキリストです。キリストだけです。この主によって、私たちは不思議にも救われるのです。

 パウロは、ローマの信徒への手紙の一一章でイスラエルについて語っています。パウロは、イスラエルも神様から見捨てられてはいない、なお招かれていると語っています。確かにイスラエルは、罪を犯した。神の御子を受け入れず、拒んで殺した。そのようにして相続財産を自分のものにしようとした。しかし、神は、なおイスラエルを見捨てらない。同時にそこで異邦人に対して、「思い上がってはならない」と繰り返されています。後のものが先になり、先のものが後になるのです。私たちはみんな罪人なのです。私たちはみんな問われるのです。そしてその罪はここにまで至るのです。しかし、この私たちのために神様は、御子において、救いの道を開いてくださったのです。

 アメージング・グレイス、驚くべき恵みという賛美歌があります。この讃美歌は、イギリス人の牧師、ジョン・ニュートンが作った讃美歌です。世界中で広く知られる讃美歌です。ジョン・ニュートンは一九七五年にイギリスで生まれました。お母さんは幼い頃、聖書を読み聞かせ祈りながら彼を育てたそうですが彼が7歳のときに亡くなります。成人したニュートンは、商船の船乗りであった父のもとで船乗りとなるのですが、やがて黒人奴隷を輸送する、奴隷貿易を初め、多くの富を得るようになります。奴隷船はひどい状態で多くの者が船内で感染症などを患って死んだと言われます。そんなニュートンに転機が訪れたのは彼が二二歳、一七四八年五月一〇日のことでした。イギリスに蜜蝋を運ぶ途中、ニュートンの乗った船が嵐にあい、浸水し、難破仕掛けます。このとき、彼は必死に神に祈ったそうです。彼は心の底から、初めて神に祈ったというのです。ニュートンはこのとき今までの生き方を改めて、信仰に生きるようになったというのです。しかし、彼は、どうも、そのときに全く改心したというのではないのですね。その後、6年間も、依然として奴隷貿易をし続けます。そして、一七五五年、改心から七年後、神学校に入って、牧師になります。アメージン・グレイスの讃美歌は、それからさらに一八年の時が過ぎてから作られています。

「驚くべき恵み。私のような悲惨な者を救ってくださった。かつては道に迷ったが、今は見つけられ、かつては目が見えなかったが、今は見える。神の恵みが、私の心に恐れることを教え、そして、恵みが恐れから私を解き放った。」

 ニュートンは、この歌を嵐にあってすぐに作ったというのではない

のですね。むしろそこから始まった。長い時間かかって彼は改心に至っているのですね。彼はこの歌で、自分を「悲惨な者」(a wretch like me)といいます。これは彼が至ったところです。それは今日のみ言葉で言うと、御子を十字架につけて殺すと言うことです。それほどに罪深い。神さまから、主イエスご自身から、聖書を通して問われていったのです。あなたの人生はどうか。神様とあなたとの関わりはどんな物語なのか。それは、自分の富を築くために、搾取する者、奴隷たちを犠牲にして死に追いやりながら歩むようなものだった。彼は、そう問われるに至ったのです。しかし、そのようなものを神は、イエス・キリストに追いて救ってくださった。それは驚くべき恵み、アメージング・グレイスだと歌うのです。

 彼は生涯、御言葉を通して、問われ続けたのです。そう言う神様からの問いかけを聴き続け、答えていったのです。

 調べていくと、どうしてこの歌が世界中で歌われるようになったのか、特に黒人の間でも歌われるようになったのか。それは「悲惨な者」

(a wretch like me)。この悲惨な者に黒人たちが自分たちの差別される悲惨な境遇に自分を重ねたからだと多くの人たちが書かれていました。私はそれは違うと思います。ユダヤ人だろうと、異邦人だろうと、などんな人であろうと、みんな悲惨なものなのです。それはこの主イエスのたとえ話で語られている神様との関わりの歴史が私の歴史だからです。世界を、人生を自分のものにしようとして生きるのです。神様を敬わないでそれどこか、御子を殺してしまうのです。しかし、この悲惨なもの、惨めな私たちを神が御子イエスにおいて救ってくださった。私たちはここに立ち戻って、生きるのです。救いの恵みに感謝しつつ賛美を歌いながら生きることがここに生まれてきます。