2023年04月09日「夕暮れになお光あり」

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夕暮れになお光あり

日付
説教
橋谷英徳 牧師
聖書
ルカによる福音書 24章13節~34節

音声ファイル

聖書の言葉

13ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、 14この一切の出来事について話し合っていた。 15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。 17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。 21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。 22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、 23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。 24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
28一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、 34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。 35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。ルカによる福音書 24章13節~34節

メッセージ

だがおかしなことに わたしはそれでいいと思っている 

昨日いわれた名前を 思い出せないからといって 

それが どうってことはない なにもかものろくなり 

しんどくなって当然だ それでも わたしはよろこんで歳をとろう 

わたしはもう いわゆる引退生活だ。

ある中年の司教 大真面目で こんなことをいったものだ

『クリスチャンは 一生 奉仕をしなければ』などと

たわけたことだ とんでもない誤りが広まっている

『老人は 老人にふさわしい

社会にたいする役割が 生涯あるはずだ』などと言う

つい先ごろ山でカエデの老木に出会った

わたしもその木のように ただそこにいて

生きているだけでよいのだ

ようやくそのように わたしも成長し自由になった!

もう好きなときにだけ 机に向かえばよいし

おしゃべりいっぱいの会議に 出る必要もない

何になるとかしなくてはなど

ひとからよく見られるのも もう不要」

 

「いま わたしはもう一度若くなりたいとは思わない

わたしは 喜んで 歳をとってきた

そして、人生という時の境をこえ

神が共におられたことを こころから感謝している

わたしと 人生と 永遠と

その境は わたしには いよいよなくなってきている

わたしはいま あの夕日が沈む 山の向こうの

光のあるところに 立とうとしている」

 

イエル・ツィンク 「わたしはよろこんで 歳をとりたい」 

こぐま社 2018年