牧師になろうと思ったこと
40年ほど前、青年会の時だったと思います。「一度は献身を考えてほしい」と牧師に声をかけていただきました。その呼びかけに私は適当に答えながら、「私は決して牧師になってはいけない者です」と心の中で呟いていました。
「イエスの十字架が私のためだった」、そのリアリティがなかったからです。イエスが私のために十字架で死んでくださった。理屈では理解していました。しかしストンと心に落ちてこない。得体の知れないもやもやが、私の心を覆っていたのです。
そんな私は、教会学校でイエスの十字架を話す時も、心から話すことができませんでした。信じているようなふりをして、信仰深いクリスチャンを演じている自分が嫌でした。 こんな奴が毎週講壇に立って、イエスの十字架と復活を語り続けていいわけがない。それは自分自身にとっても、そして私の説教を聞いてくださる方々にとっても、不幸以外の何物でもないと思っていました。
そんな私を、主は40歳も半ばを過ぎたころ台湾に駐在させます。なんとそこには、歩いて行けるところにイムマヌエル綜合伝道団が開拓した日本語教会がありました。海外で生の日本語の説教が毎週聞ける。それは奇跡です。私は躊躇なく、その教会に通い始めました。
私と同じような思いを持つ人たちが台湾中にいて、中には新幹線を使って遠くから礼拝に来る人もいました。そんな日本語教会には、実に幅広い教派の方が集っていました。親しくなるにつれ、深く信仰の話をするようになりました。その中で改革派はどのように信じているの、と何度か問われました。しかし信仰問答を棒読みするだけで、生きた自分の言葉で自分自身の信仰を語れない私が、そこにいました。
一体、私は何を信じてきたのか。それから聖書に、特に信仰問答とその引証聖句、その解説に聞きながら、一問、一問、自問自答する日々が始まりました。
どのくらいたってからでしょうか。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」、何度も読んだはずのエフェソ1:4の御言葉が私に迫ってきました。
私が神を愛したからではない。私が、何ができるとかできないとか関係ない。私が神を知るはるか前から、神は私を知っていてくださっていた。この私をキリストにおいて救おうと、すでに愛してくれていた。そのことがストンと、まるで音を立てるように心の中に入ってきたのです。
私を押さえていた重い蓋が外れました。感謝と喜びが、体から湧き上がってきました。濃い霧が晴れ、目の前に十字架がはっきり立っていました。
こんなに嬉しい。この喜びを、喜びを与えてくださった方を伝えたい。そのために改革派の牧師になりたいと願うようになりました。もう50歳が目の前に迫っていました。 しかし主は、神学校の門をすぐには開かれませんでした。入学したのは54歳の時です。
しかし、そこにも主の御業がありました。主の御業が様々な問題を超えていきました。そして、今も主の御業の驚きと喜び、感謝は絶えることがありません。