教会に初めて行った時のこと
「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 使徒4:20
はじめまして名古屋市西区にあります、日本キリスト改革派名古屋教会の牧師 山口です。
今は、インターネットやYouTubeなどで本当に短時間に、たくさんの情報を簡単に入手できる時代ですね。便利な反面、あまりの情報量の多さに、どの情報が本物なのか、見極めことが難しい時代に私たちは生きているのかもしれません。
私がはじめて教会に行ったのは、そんなインターネットもYouTubeもない40年以上前、高校1年生の時でした。何か悩みがあったわけではありません。幼馴染の友人に誘われ、お付き合いでいったのです。
新潟県の五泉というところにある小さな教会でした。礼拝に出席し説教を通して聖書のお話を聞きました。何を言っているのか全然わかりませんでした。もう教会とはこれっきり、二度と来ることはない。そう思っていました。
そんな私のところに礼拝後すぐ、佐藤さんという80代後半のおばあちゃんが近づいてきました。腰が曲がっていたばあちゃんは、うっ!と身体を起こし見上げるように私の顔をまっすぐ見てこう言ったのです。“やまぐちしゃん。いいがね。イエス様信じなせや、そうすればね。めさんはね。すぐわれるんすけ”。聞き取れましたか。強い新潟弁で、“山口さん、いいですか、イエス様を信じなさい。そうすればね。あなたは救われるんだから”とそう私に語りかけてきたのです。
イエスを信じると救われる。何をおっしゃっているのかわかりませんでした。でも高校1年生の私に80歳を過ぎたおばあちゃんが、一生懸命、大切なことを伝えようとしている。それはわかりました。
本日お読みいただきました「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」という聖書の言葉は、「イエスの名によって話したり、教えてはならない」と当時の権力者に命じられたクリスチャンが権力者に向けて語った言葉です。
私はくわしいことを知らないのですが、佐藤ばあちゃんは、おそらく戦前、戦中、戦後を新潟の田舎でクリスチャンとして生きぬいた人です。その歩みの中でばあちゃんもまた、様々な経験をされたに違いありません。そのばあちゃんが私に語った言葉、「いいがね。イエス様信じなせや、そうすればね。めさんはね。すぐわれるんすけ」その言葉もまた、クリスチャンとして新潟の田舎で生き抜いたばあちゃんが、実際にその目で見たこと、その耳で聞いたことを、話さないではいられない。その思いが凝縮した言葉だったと思うのです。
よく理解できませんでした。しかし、ばあちゃんの言葉は、ゆるがない本物の言葉のように私は感じました。もう教会には行かないはずでした。しかし私は本当に細い糸で教会とつながり続けました。そしてばあちゃんの言ったことが確かに、話さないではいられない本物だと気づきました。ですから、ばあちゃんが一生懸命私に語ってくれたように、今、私も「ここに本物がある」、「イエス様信じなせや、そうすればね。救われるすけ」そのことをお伝えしたくてマイクの前に座っています。
この放送を聞いてくださっている方の中に、世にあふれる多くの情報の中で何か本物が迷っている方がいるでしょうか。どうぞ教会にいらしてください。そこに本当に本物があるか、とことん疑い、ご自分で確かめていただきたいと思います。本物は、真実は逃げも隠れもしません。本物を求めるあなたにイエスは答えてくださいます。