「棕櫚(しゅろ)の主日(しゅじつ)」

棕櫚(しゅろ)の主日(しゅじつ)

日付
説教
エルシェー・エイヘラー
19:28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。
19:29 そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、
19:30 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。
19:31 もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
19:32 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。
19:33 ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。
19:34 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。
19:35 そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。
19:36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。
19:37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
19:38 「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」
19:39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。
19:40 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
19:43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
19:44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」ルカによる福音書 19章28~44節

子ども説教と日曜礼拝

この日は受難週礼拝として、南アフリカ・オランダ改革派教会のエルシェー・エイヘラー牧師が来日。礼拝の中で、通常の説教の前に、子供説教もしてくださいました。彼女のメッセージは神戸改革派神学校のステファン・ファン・デア・ヴァット教授が通訳してくださいました。
以下、子どもたちに向けたメッセージと、通常の礼拝メッセージとを掲載します。

For KIDS(子ども説教) 

通訳…ステファン・ファン・デア・ヴァット先生(神戸改革派神学校教授)

Today is Palm Sunday. Palm Sunday is the day we celebrate the entry of Jesus into Jerusalem. A week before his resurrection. Jesus entered Jerusalem on a donkey. I brought a picture of a donkey with me.

今日は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」という日です。棕櫚の日曜日というのは、イエスさまが(もうすぐ十字架にかかるというときに)エルサレムに入られたときのことをお祝いする日です。イエスさまの復活の1週間前にあたります。イエスさまはエルサレムに入るとき、ロバに乗って入られました。ロバの絵を持ってきたので、見てください。

Game – pin the tail on the donkey
ゲーム - ロバのしっぽを貼り付けるゲーム

I would like to invite 3 kids to come and help me. We are going to play a game.
だれか3人、手伝ってくれますか? 今からゲームをします。

The game works like this: The goal is to stick the donkey’s tail at the right place, but it’s not that easy.
こういうゲームです:ロバのしっぽをぴったりの位置に貼って欲しいんですけど、難しいですよ。

Because you have to do it while you are blindfolded.
目隠ししてやってもらうからです。

To start you need a tail, then you blindfold yourself. Before you pin the tail you need to spin yourself around 3 times. You are not allowed to help each other.
まずしっぽを持ちます。それから目隠しします。貼りに行く前に3回、その場で回ります。だれにも助けてもらわないで貼りに行きます。

(All 3 kids are blindfolded. I will give each child a chance to try. After the first round I will only blindfold one child)
(3人とも目隠しする。1人1回。一巡したら1人だけ目隠しする(あとの2人の目隠しは外す))

We are going to do a second round. In this round you can help each other. Only one is going to be blindfolded. The other two may help him/her to get it in the right place.
2回目をやります。今度はみんなで助けていいですよ。1人だけ目隠ししてあとの2人はぴったりの位置に貼れるように手伝ってあげてください。


Lesson(このゲームを通して学んだ内容)

It is easier to put the tail in the right place if you have help from friends. That is also why we as Christians are here. We need to help each other and also guide other people. We help them by telling them about Jesus and what He did for us.
In this week before Easter, let’s think about why Jesus entered Jerusalem on a donkey. He is our humble King who teaches us how to serve others. Let us thank God for Him.
友だちが助けてくれると、しっぽをぴったりの位置に貼るのは簡単でしたね。クリスチャンというのはこの友だちみたいなものです。私たちはみんなで助け合って、まだイエスさまを信じていない子たちを「こっちだよ」と連れてきてあげる必要があります。イエスさまのこと、イエスさまが私たちのためにどんなことをしてくださったかをみんなに話して、みんながイエスさまを信じることができるように助けてあげるのです。
イースターの前のこの一週間、イエスさまがどうしてロバに乗ってエルサレムに入って来られたのかを考えてみましょう。イエスさまは王さまですが、全然いばったりえらそうにしたりしない王さまです。そういうイエスさまが、私たちに、お互いに助け合うこと・愛し合うことを教えてくださいました。イエスさまのことを神さまに感謝し、お祈りしましょう。


Prayer(お祈り)

Father God. Thank you for this day, and that we can be together. Thank you that Jesus is our King and our Saviour. He gave His life, and died on the cross, so we may live.Please teach us how to give our lives to help others. In Jesus’ name. Amen.
父なる神さま。今日、みんなで一緒に礼拝できたことを感謝します。イエスさまが私たちの王さまになってくださり、救い主として来てくださったことを感謝します。イエスさまは御自分の命をささげてくださり、十字架の上で死んで、私たちが生きられるようにしてくださいました。どうぞ神さま、私たちにも、他の人たちのために自分の命・自分の人生をささげていくことができるように、道をお示しください。イエスさまの御名によってお祈りします。アーメン

Palm Sunday(日曜礼拝)

通訳…ステファン・ファン・デア・ヴァット先生(神戸改革派神学校教授)

Luke 19:28-44
ルカによる福音書 19章28~44節

Today is Palm Sunday. Palm Sunday is the day we celebrate the triumphant entry of Jesus into Jerusalem. A week before his resurrection. Palm Sunday started the final seven days of Jesus’ earthly ministry. The name Palm Sunday, comes from the group of people who were on the side of the road where Jesus was walking. The people put down their cloaks on the road. Others cut down branches from trees and also put them on the road (Matthew 21:8). By putting their cloaks and the branches on the road, they were treating Jesus like a royal person, like a king. John wrote that the branches came from palm trees.
今日は「棕櫚の日曜日」です。棕櫚の日曜日はイエスのエルサレム入城(勝利の入城)をお祝いする日です。復活の1週間前にあたります。棕櫚の日曜日からイエスの地上での宣教の最後の7日間が始まります。「棕櫚の日曜日」という名前は、イエスが通られる道の脇にいた人々がしたことから来ています。ある人々は道に上着を敷きました。またほかの人々は木の枝を切って道に敷きました(マタイ21:8)。上着や木の枝を道に敷くことによって、彼らはイエスを高貴な人、王としてお迎えしたのでした。ヨハネはこの木の枝がなつめやしの枝(口語訳ではしゅろの枝)であったと書いています。
(注:棕櫚となつめやしは厳密にはちがうもの。日本では「なつめやし」が知られていなかった時代に、この言葉を「棕櫚」と訳した。palm Sundayの訳語としては「棕櫚の日曜日」が定着しており、「なつめやしの日曜日」とは言わない)

We just read the story of Jesus entering Jerusalem in Luke 19:28-44.
ルカによる福音書19:29~44にあります、イエスのエルサレム入城の記事を読んでいきましょう。

As Jesus came to Jerusalem, a big group of people gathered around him. These people understood that Jesus was the Messiah. What they did not understand, was what that truly means and what type of king Jesus is. They expected an “earthly king” who overpowers everyone with his power and leads in a very dramatic way, with big armies and horses. Jesus tried to tell them that this is not the way he leads and rules the world, but they did not understand that.
イエスがエルサレムに近づいたとき、大勢の群衆がイエスのところに集まりました。群衆はイエスがメシアだということはわかっていました。彼らがわかっていなかったことは、イエスがメシアだということの本当の意味と、イエスがどういうタイプの王であるかということ、それがわかっていませんでした。群衆は「この世の王」のように、権力ですべての人を支配し、多くの兵と馬を率いてドラマチックに統率する姿を期待していました。イエスは彼らに、自分はそのように世界を導き治めるのではないということを話してわかってもらおうとしましたが、彼らには理解できませんでした。

They were expecting Jesus to arrive on a horse, ready to fight a war. Instead Jesus arrived on a donkey that symbolized peace, not war. The crowd was expecting Jesus to arrive on a horse showing his status and power. Instead Jesus arrived on a donkey, showing them how important humbleness is.
彼らはイエスが馬に乗って、戦いの準備ができている姿で来られるのを期待していました。しかしイエスはロバに乗ってこられました。ロバは平和のシンボルです。戦争の影はありません。群衆はイエスが、地位と権力とを持っていることを示すために馬に乗ってくることを期待していました。しかしイエスはロバに乗ってこられました。へりくだることがどれほど大切かを彼らに示すためです。

Jesus accepted the recognition as king, but he challenged their definition of what a king was, through his deeds (and by arriving on a donkey). Jesus is the triumphant, but humble King.
イエスは、群衆がイエスを王だと思っていることは受け入れましたが、群衆が思っている王というものの定義に、ロバに乗って到着するという行為を見せて、疑問を呈しました。イエスは勝利者です。しかし、(そのことを誇る者ではなく)謙遜な王なのです。

On PALM SUNDAY we get asked an important question…
棕櫚の日曜日にあたり、わたしたちは大切なことを問われています。

ARE YOU READY TO HEAR THE MESSAGE OF JESUS, AND DO YOU KNOW WHO HE IS?
イエスのこのメッセージを理解できていますか。イエスがどういうお方か、わかっていらっしゃいますか。

The Pharisees and even the disciples were not ready to understand what Jesus and the cross meant. They welcomed Jesus as a King, but still did not know what that meant.
ファリサイ派の人々も弟子たちでさえも、イエスとその十字架の意味を理解するには至っていませんでした。彼らはイエスを王として迎えはしましたが、イエスが王であるとはどういう意味なのか、彼らはその時まだわかっていませんでした。

We read in this passage that Jesus cried. Jesus cried because he realises that the people are not ready, and they do not realise what is going to happen at the cross. They do not realize His message and the sacrifice which Jesus is going to make for them. Therefore, they do not yet understand who He truly is.  Even though the people treated Jesus as a king by laying down their coats, they did not understand why Jesus was there. They could not see nor understand the cross. It is sad thing to see the Saviour, but not to realize who He is.
今日の箇所によると、イエスは泣いておられます。人々がまだ理解するに至っていない(※42節の言葉を用いるなら「わきまえていない」)から、そして十字架で何が起ころうとしているかを知らないからです。人々はイエスのメッセージも、イエスが彼らのために成し遂げようとしている身代わりの死についてもわかっていません。ですから人々はイエスが本当はどういうお方なのかがわかっていないのです。

The crowds around Jesus were blind to His true value, to the type of King He is and to the cross.
イエスを取り囲む群衆は、イエスの本当の価値、イエスがどのような王なのか、十字架の意味は何なのかがまだ見えていません。

Are we ready to hear the message of the cross? Or are we blind, as we saw through the kids game this morning? Are we also missing the point, and adding tails where they don’t belong? If we lose focus and are not ready to hear the message of the cross, we are missing the reality and truth behind Jesus’ death.
十字架のメッセージを理解できていますか。もしかしたら、今朝日曜学校で子どもたちがしたゲームのように、私たちにも見えていないかもしれません。私たちも的外れをおかして、ついていないはずのところにしっぽをつけたりしているのではないですか?見るべきところを見ないで、十字架のメッセージを理解できていないとしたら、イエスの死は現実に起こったということ、イエスは本当に死なれたということがわかっていないことになります。

Jesus died for you, for everyone here today, so that everyone of us can experience true freedom.
イエスはあなたのために死なれました。今日ここにいるすべての人のためです。それゆえにわたしたちのすべてが本当の自由を味わえるようになったのです。

Let us think again about the kids’ game earlier. When we try to put the tail on the right spot on the donkey, there are people talking to us. They guide us and say: go left, or go right. The people are guiding you help you get the tail on the right spot.
先ほどの子どもたちのゲームを思い出してみましょう。ロバのしっぽを正しい位置につけようとするとき、声をかけてくれる人たちがいました。その人たちは「もっと右、もっと左」と言って教えてくれました。しっぽを正しい位置につけるのを導き、助けてくれました。

In a very simple way, that is also the role of Christians. We need to remind one another of the value and the message of the cross. We also need to remind each other of the type of King Jesus is. And also how we as His followers should live.
非常に簡単な方法ですが、これがクリスチャンの役割です。私たちは十字架の価値・十字架のメッセージを折にふれて思い出し分かち合う必要があります。イエスがどのような王であるかということや、主に従う者としてどのように生きるべきかについても、です。

WHO IS JESUS? WHAT TYPE OF KING IS JESUS?
イエスとはあなたにとってどういうお方ですか。イエスとはどのような王ですか。

On Palm Sunday Jesus show us what kind of King he is. A King willing to ride on a donkey, not a fancy horse. A King willing to die for each one of us.
棕櫚の日曜日に、イエスは私たちに、御自分がどのような王であるかを示してくださいました。立派な馬ではなく、ロバに乗ることを望まれた王です。私たちのために死ぬことをよしとされた王です。

The Bible teaches us that we are made in the Image of God. Sometimes we forget that. Then we limit Jesus to our own image and understanding of Him. We then misunderstand the character of Jesus.
聖書によれば、私たちは神にかたどって造られました。私たちはたびたびそのことを忘れます。それを忘れてしまうと、私たちはイエスを自分のイメージと理解の中に閉じ込めてしまって、イエスという方を理解し損なってしまうのです。

What is the true character of Jesus? The last week of His earthly life help us to understand who Jesus really is:
イエスは、本当はどういうお方なのでしょう。イエスが地上のご生涯の最後の一週間をどう歩まれたかを見ることによってそれがわかると思います。

●Jesus reminds the people that the temple is a place of prayer and not a place to sell things for their own benefit.
●Jesus washes his disciples’ feet, eats with them and serves them Holy Communion. He does this although he knows they are going to deny him later.
●Jesus sweats blood in the garden of Gethsemane because He is scared. But, he still prays that his Father’s will shall be done.
●Jesus shows us the ultimate sacrifice, through his unconditional love on the cross on Good Friday. We will celebrate this again next Sunday.

・イエスは人々に、神殿は、自分の利益を得るための商売の場所ではなく、祈りの場所であることを教えてくださいました。
・イエスは弟子たちの足を洗い、彼らと共に食事をし、彼らに仕える姿勢を示してくださいました。イエスは彼らがすぐあとで裏切ることを知っていたのにそうしてくださいました。
・イエスはゲッセマネの園で恐れのために血の汗を流されました。しかし祈りの末に父の御心が成るようにと祈りました。
・イエスは聖なる金曜日に無条件の愛を十字架の上で示し、究極の犠牲を私たちに示されました。私たちはそのことを次週祝います。

These things may be known to us already. But even though we may have heard it already, we might still also fall in the trap of not understanding who Jesus truly is, and what He did for us.
これらのことはもうすでに皆さんご存じのことと思います。しかし、すでに聞いたことがあっても、イエスとは実際自分にとってどういうお方なのか、イエスが私たちのために何をしてくださったのかということについて、無理解の穴に陥ってしまうことがあるのです。

What is it that the people around Jesus, specifically the Pharisees – in Luke 19 - did not understand?
イエスの弟子たち、またファリサイ派の人々は何がわかっていなかったのでしょうか。ルカ19章をもう一度見てみましょう。

●They did not understand that disciples of Jesus are supposed to serve, just like Jesus served. They argued about who is the most important.
●They did not understand sacrificial love. Jesus shows us the ultimate form of sacrificial love when He dies for us on the cross.
●They did not understand that Jesus came for sinners, and also the grace that Jesus shows for sinners. They always wanted to judge people, exclude them, and keep them away from Jesus.
●They did not understand Jesus’ way of embracing people, welcoming them and caring for them. They wanted to chase the crowd away, when there was not enough food. But Jesus welcomed the crowd. They wanted to chase the children away, but Jesus welcomed the children.
●Even Jesus’ disciples did not understand the cost of discipleship. Jesus had to teach them over and over again what discipleship means.
●Even on Palm Sunday they still did not understand it.

・イエスの弟子はイエスのなさったように仕えるべきだということを理解していませんでした。彼らはいつもだれが一番えらいかと議論していました。
・犠牲的な愛についての理解が足りませんでした。イエスは十字架の上で私たちのために命をささげて、犠牲的な愛の究極の形を示してくださいました。
・彼らは、イエスが罪人のために来てくださったことも、イエスが罪人のために示してくださった恵みについても理解していませんでした。彼らはいつも人を裁き、排除し、イエスから遠ざけようとしました。
・人々を受けいれ、歓迎し、癒すイエスのやり方を、彼らはよく理解していませんでした。弟子たちは十分な食料がなかったとき群衆を解散させようとしました。しかしイエスは群衆を憐れんでくださいました。弟子たちはまた子どもたちを追い払おうとしました。しかしイエスは子どもたちを「わたしのところに来させなさい」とおっしゃいました。
・イエスの弟子たちですら、弟子としてどのくらいのことが必要かわかっていませんでした。そのためイエスは弟子たる者のあり方を何度も何度も彼らに教えなければなりませんでした。
・棕櫚の日曜日のときですらも、彼らはまだ理解していませんでした。

They and we as followers of Christ, begin to understand, when we realize that the power of Jesus looks different than our understanding of what an earthly king is.
彼らも、またイエスに従う私たちも、イエスの力は私たちが思う地上の王とは違うということを認識したときに、イエスのことを本当に理解することができるようになります。

Jesus, our King, does not enter Jerusalem on a white horse as a victorious general. But he rides in on a donkey as the humble, peacemaker King that He is.
私たちの王イエスは、勝利した将軍のように白馬に乗ってエルサレムに入城したのではありませんでした。謙遜な王、平和をつくる王として、ロバに乗って入ってこられたのでした。

His disciples always argued about who is the most important person among them. However, Jesus comes in and shows his serving love by washing their feet.
弟子たちはいつも、彼らの中でだれが一番えらいかと議論していました。しかしイエスは、弟子たちの足を洗うことによって、仕える愛を示されました。

Jesus died for you, for every one of us. Maybe you also want to learn more about who Jesus really is, although you have already committed your life to Him. We are all growing as Christians, as we learn who He truly is, day by day.
イエスはあなたのために、私たち一人ひとりのために死んでくださいました。おそらく、すでにイエスと共に歩む人生を歩み始めている方々も、イエスが本当はどのようなお方なのか、もっと知りたいと思っておられることでしょう。私たちはクリスチャンとしてみな成長の途上にあります。日ごとにイエスが本当はどういうお方なのかを知っていくのです。

Or maybe you have not dedicated your life to Jesus yet. If that is the case, I would like to invite you to talk to the church leaders. Let Jesus be the King and ruler of your life. Palm Sunday and this time of Easter is a wonderful opportunity to get to know Jesus. He died for our freedom from sin and eternal death. May we follow this King, Jesus, and serve as He did.
もしかしたら、皆さんの中にはまだイエスに人生を献げる決心がついてない方がいらっしゃるかもしれません。その場合は、教会のリーダーたちに相談してみることをおすすめします。イエスをあなたの人生の王また支配者として迎えてください。棕櫚の日曜日や次のイースターはイエスを知るまたとない機会です。イエスは、私たちを罪と永遠の死から解放するために死んでくださいました。私たちがこの王イエスに従い、イエスがなさったように仕えることができますように。

Amen.
Let’s pray.
Prayer
Father God, thank you for this beautiful day. Thank you for sending us your Son to die for us on a cross. Thank you Lord for the grace and love that you give freely to us. We don’t have to do anything to earn your love. You love us just the way we are.
お祈りをしましょう。
父なる神さま、きょうのすばらしい日を感謝いたします。私たちのために十字架で死んでくださるためにあなたの御子をお送りくださり、ありがとうございます。あなたの恵みと慈しみを私たちに限りなく注いでくださることを、主よ、感謝いたします。私たちはあなたの愛を得るために何かをしなければならないということはありません。あなたはありのままの私たちを愛してくださっています。

Lord, we want to follow our King, Jesus. Please guide us how to do this day by day. Teach us to be humble and how to serve one another, the way Jesus showed us on Palm Sunday.
主よ、我らの王イエスに、私たちは従いたいと願います。どうぞ日ごとに導いてください。棕櫚の日曜日にイエスが私たちに示してくださったように、私たちにも、へりくだる者となるように、また互いに仕え合う道を、教えてください。

We praise you Lord.
Amen

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