イエスの復活 2006年6月25日(日曜 朝の礼拝)

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イエスの復活

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 23章56節~24章12節

聖句のアイコン聖書の言葉

23:56 婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。
24:1 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。
24:2 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
24:3 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
24:4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
24:5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
24:6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
24:7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」
24:8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
24:9 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
24:10 それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
24:11 使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
24:12 しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。ルカによる福音書 23章56節~24章12節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちは、前回、イエス様のご遺体がアリマタヤのヨセフによって葬られたという場面を共に読みました。54節に、「その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた」とありますから、おそらく時間に追われながら、イエス様のご遺体を亜麻布に包み、墓の中に納めたのだと思います。ユダヤの暦では、日没から一日が始まると考えられておりましたから、もう新しい一日を告げる一番星が輝きそうであったのです。旧約聖書の申命記の21章23節以下にはこう記されています。「死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない。」

 イエス様は、十字架につけられて処刑されました。いわば、神の呪いの死を死なれたのです。ですから、イエス様のご遺体は、その日のうちに、速やかに葬らなくてはなかったのです。今朝の御言葉にイエス様と一緒にガリラヤから来た婦人たちが、準備した香料を持って墓に行ったと記されておりますけども、これはそのためではなかったかと考えられるのです。つまり、アリマタヤのヨセフは、急いでご遺体を納めたものの、まだ十分に葬りの儀式をしていなかった。それを婦人たちが為そうとしたのだと考えられるのです。また、あるいはこうも考えられます。イエス様のご遺体はアリマタヤのヨセフによって丁重に葬られたけども、しかし、なお、婦人たちは自分たちでイエス様のご遺体を葬りたいと願ったのではないだろうか。こう考えられるのです。この婦人たちが何人いたのかは分かりませんけども、10節を見ますと、3人の名前があげられています。それは、「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア」でありました。このうちの二人、マグダラのマリアとヨハナは、以前学んだ8章にも、その名前が記されておりました。イエス様がガリラヤにおいて、神の国の福音を宣べ伝えながら、町や村を巡って旅を続けられた。そして、そこには、12人だけではなくて、多くの婦人たちも一緒であったのです。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していたのでありました。おそらく、婦人たちは、自分たちの賜物を生かして、食事を用意したり、衣服を洗濯したりとイエス様ご一行のお世話をしていたと考えられるのです。そして、イエス様の宣教、また弟子たちの宣教というものは、このような婦人たちの地道な奉仕によって支えられていたのです。ガリラヤから一緒に旅を続け、日々、イエス様の食卓を整え、イエス様の衣服を洗濯してきた婦人たちでありますから、最後の最後も、自分たちがイエス様のお世話をしたい。イエス様のご遺体を葬りたいと願ったのは当然であったと思います。たとえ、アリマタヤのヨセフがイエス様のご遺体を丁重に葬っていおたとしても、やはり、婦人たちは、自分たちがイエス様のお体を葬りたい、最後までお世話をしたいと願ったに違いないのです。また、この婦人たちは、単にイエス様と一緒に歩んできたということだけではなく、イエス様によって救っていただいた者たちでもありました。マグダラのマリアはその代表的な人物でありまして、8章の2節を見ますと「七つ悪霊を追い出していただいた」と記されています。マグダラのマリアは、イエス様に悪霊を追い出していただいた。病いを癒していただいたのです。そして、それゆえに、イエス様に愛をもって奉仕していた。婦人たちの奉仕を支えていたもの、それはこのイエス様への愛であります。そして、香料をもって墓を訪れた婦人たちの心にもあったのも、同じ主イエスへの愛であったのです。

 イエス様が死んで、葬られた日、これは「準備の日」とありますから、金曜日のことです。安息日は週の最後の日、土曜日でありますから、イエス様は金曜日に葬られたのです。安息日は、いかなる労働も禁じられておりましたから、婦人たちは、安息日は掟に従って休みました。そして、週の初めの日、つまり日曜日の明け方早く、準備しておいた香料をもって墓へと向かったのです。55節にありますように、婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエス様のご遺体が納められる有様を見届けておりましたから、彼女たちは、イエス様のお墓がどこにあるかをちゃんと知っていたわけです。婦人たちは明け方早くお墓に向かったわけでありますけども、これはおそらくご遺体が腐ってしまうことを心配したからではないかと思います。ヨハネによる福音書の11章にイエス様がラザロを生き返らせるお話しが記されておりますけども、そこで死んだラザロの姉妹マルタがこう言っています。「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます。」遺体から死臭がもうすでに漂っていたわけです。週の初めの日、これはすでにイエス様が葬られてから3日たっておりました。金、土、日と足かけ3日たっていたのです。ですから、一刻もはやく、イエス様のご遺体に豊かな香りの香料を注いであげたいと願ったと考えられるのです。

 現代では、ドライアイスというものがありますから、それほど急いで遺体を葬るということはいたしません。それこそ、前夜式、そして次の日に告別式と、遺族の方は、愛する者のご遺体と一夜を共にすることができます。そのような時を通して、遺族の方は、その人の死というものを受け入れいていく。その夜を、その人との別れの時として大切に過ごすのであります。告別式を終えて、ご遺体を斎場へと送り出す時もそうであります。告別式に参列する者たちは棺に横たわるご遺体を、美しいお花で飾って送り出すのです。それは、この婦人たちと同じ気持ちでありましょう。婦人たちは、イエス様と最後のお別れをするために、イエス様のご遺体を美しく飾るためにお墓へと行ったのです。

 けれども、そこで婦人たちは思いもよらない光景を目にします。お墓の蓋、お墓の扉とも言える大きな石がわきに転がしてあったのです。イエス様のご遺体を葬ったのは、まだだれも葬むられたことのない岩に掘ったお墓でありました。いわば、洞窟のようなお墓であったのです。その入り口を大きな石でふさいでいた。ジャッカルなどの獣から守るために、また墓場泥棒から守るために、大きな石で塞いで封をしたのです。マルコによる福音書の並行個所を見ますと、婦人たちが、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合いながらお墓に向かったと記されています。けれども、婦人たちがお墓についた時には、すでに石は転がしてあったのです。そして、中に入っても、イエス様のお体は見あたらなかったのであります。婦人たちが途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れました。この婦人たちが恐れて地に顔を伏せたことからも分かるように、明らかにこの二人は普通の人ではありません。二人の御使いが婦人たちに現れたのです。そして、こう語るのです。

 「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

 婦人たちは、イエス様のご遺体に香料を注ごうとお墓へきたのです。そこで、前提とされていることは、イエス様はもう死んでしまった。イエス様の体はもう動くことはない、ということであります。けれども、御使いたちは、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」と問うのです。そして、「イエス様は復活なさった」と告げたのであります。細かいことを言うようでありますが、この6節の「復活なさった」は受動態で記されています。つまり、神様がイエス様を復活させたと言っているのです。そして、それはかつてイエス様が予告されたことの成就であると言うのです。確かに、これまでイエスさまは3度、御自分の死と復活について予告して参りました。そのイエス様のお言葉を思い出しなさいと語るのです。

 婦人たちは、イエス様の言葉を思い出しました。確かに、イエス様が自分は死から三日目に復活させられると予告していたと思い出したのです。そして、墓から帰り、11人と他の弟子たちに、一部始終を知らせたのです。けれども、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じませんでした。仲間である婦人たちの証言であるにも関わらず、使徒たちはイエス様が復活されたという、この知らせを信じることができなかったのです。

 イエス・キリストが死か三日目に復活された、これはキリスト教信仰の心臓部であります。キリスト教会は、その二千年の歴史において、イエス・キリストの復活を宣べ伝えてきたのです。そして、このことが多くの人々にとって、つまづきとなってきたことも事実であります。イエスの教えは、素晴らしいし、受け入れたいと思うが、イエスが死者の中から復活したということは信じられない。そういう人は多いと思います。ある人々は、イエスの復活は、弟子たちが捏造したフィクションではないかと考えます。弟子たちが考え出したでっち上げだと言うのです。けれども、今朝の御言葉から教えられますことは、婦人たちも、使徒たちも、イエス・キリストの復活を全く予期していなかったということであります。それどころか、使徒たちをはじめとする弟子たちは、婦人たちの話しを聞いても、たわ言のようにしか思えなかったのです。使徒たちにとっても、イエス様が復活されたことは、到底信じられないことであったのです。それほどまでに、彼らは、死の力を絶対視しておりました。死の支配に捕らわれていたのであります。

 しかし、それでも、続く12節には、ペトロは立ち上がって墓へ走ったと記されています。これは、11節の内容と何だか矛盾するように思えるかも知れません。婦人たちの話しをたわ言のように思いながら、なぜペトロは立ち上がって墓へと走ったのか。そもそも、墓に行くのに走っていくこと自体が異様なことであります。墓にいくときは、通常歩いていくものです。墓に走って行くことは、あまりないと思います。なぜなら、墓に納められている者は、もうどこにも行く心配がないからであります。私たちが走る時、例えば、それは誰かと待ち合わせをしていて遅れそうなときです。遅れてしまうと、その人が先に出発してしまうかも知れないからです。けれども、お墓に向かうのはその心配がないわけです。ですから、このとき、ペトロが走ったのには、やはり意味があったと思います。ただ、婦人たちが言ったように、イエス様の遺体があるかないかを確かめるだけならば、この時ペトロは走る必要などなかったはずです。それでは、なぜ、ペトロは走ったのか。それは、ペトロが、もしかしたら復活した主イエスにお会いすることができるのではないだろうかと考えたからであります。信じたいけども、信じられない。そのような混沌とした気持ちの中から、ペトロは立ち上がって、そして墓に向かって走りだしたのです。しかし、もちろん、主イエスはそこはおられませんでした。墓の中には亜麻布しかなかったので、ペトロはこの出来事に驚きながら帰っていったと記されています。ここで、「亜麻布しかなかった」とありますけども、これは大切なことであります。亜麻布しかなかったということ、これはイエス様のご遺体が盗まれたのではないということを教えています。イエス様のお墓が空っぽであったこと。その時まず考えられますことは、誰かがイエス様の遺体を持ち去ったからではないかということです。けれども、もし、誰かがイエス様の遺体を持ち去ったのであれば、どうしてその遺体を包んでいた亜麻布をわざわざほどいたのでしょうか。持ち運ぶならば、亜麻布でくるまれていた方が便利です。わざわざ、傷だらけのご遺体を裸にして持ち出すことなどは考えにくいことであります。ですから、お墓に亜麻布が残されていたこと。これは、イエス様のご遺体が誰かに持ち去られたのではない、盗まれたのではないことの証拠であると言えるのです。

 さて、今朝の説教題を「イエスの復活」といたしました。確かに、イエス様を納めた墓は空っぽであり、途方に暮れる婦人たちは、二人の天使は、「イエス様が復活なされて、ここにはおられない」と告げられております。しかしだからといって、この婦人たちがイエス様の復活を信じたのかと言えば、ルカはそのようには記しておりません。婦人たちは、イエス様のお言葉を思い出しましたけども、それでは、イエス様の復活を信じて、大胆に、喜びをもって使徒たちに語り伝えたかというと、どうもそうではないのです。むしろ、婦人たちも半信半疑でありまして、どうも今だに信じられないでいたのです。さらに、この婦人たちから、一部始終を聞いた使徒たちはもっとはっきりとしておりまして、この話しをたわ言としてかたづけ、婦人たちを信じなかったのです。ペトロでさえも、立ち上がって墓へ走りましたが、この出来事を不思議に思いながら帰ってきただけでありました。こう考えてきますと、むしろ、このような不信仰な使徒たちが、どのようにして主イエスの復活を信じるようになったのかが不思議に思えて参ります。どうしてこのような使徒たちがイエス様の復活を信じ、宣べ伝えるようになったのかが不思議に思えてくるのです。そして、それは、ただ、復活の主イエスが弟子たちに現れてくださることによってしか起こらないということが、読み進めていくと分かるのであります。復活の主イエスが現れてくださって初めて、弟子たちはイエス・キリストの復活を信じることができたのです。

 ペトロは、立ち上がり、墓へと走りました。それは、生きておられる方を死者の中に捜すような行為であります。墓を訪ねてみても、主イエスは、もうそこにはおられない。復活なさった。生きておられるお方に出会うには、それにふさわしい場所を訪ね求めなければならなりません。現代の私たちが主イエスにまみえるところ、それは何より主の日の礼拝においてであります。礼拝のうちに主イエスが聖霊において御臨在くださり、聖書の御言葉を通して私たち一人一人に心に触れてくださり、私たち一人一人に出会ってくださるのです。古代の書物をいくら研究して、歴史的なイエスを探求したとしても、礼拝において今、生きておらえる主イエスを尋ね求めないなら、それは、生きておられるお方を死者の中に捜すのと同じであるのです。私たちは、過去の主イエスの歩みに目を向けると共に、今生きて働き給う主イエスに心を向けなくてはならないのです。

 ヨハネによる福音書の14章の、「聖霊を与える約束」という文脈の中で、イエス様はこう仰せになっています。

 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。

 ここで、イエス様は、世の人々は、聖霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができないと仰せになっています。栄光の朽ちることのない体に復活されたイエス様は、40日して天へと昇られました。そして、父なる神の右に座し、御自分の御霊を弟子たちに注いでくださったのです。今、イエス様は聖霊において私たちと共にいてくださり、聖霊において、御自分が復活したことを私たちに心に確信させてくださるのです。そうであるならば、この主イエスの御霊の存在を知ろうともしない人々が、イエス様の復活を信じられなくても当然ではないでしょうか。そして、ここに、伝道の最前線が礼拝であると言われる理由があるのです。伝道するということは、福音を直接伝えるということも、もちろんありますけども、人々を礼拝に招くということでもあるのです。礼拝において生きて働いてくださる主イエスに期待して、人々を礼拝へと招くのです。聖霊において御臨在くださる主イエスがその方の心に触れてくださる、その方と出会ってくださることを祈り求めつつ、共に礼拝をささげるのです。なぜ、私たちは週の初めの日ごとに礼拝をささげるのか。それは、復活され、今も生きて働き給うイエス・キリストを世の人々に証しするためであるのです。

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