悲しみの道 2006年5月07日(日曜 朝の礼拝)

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悲しみの道

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 23章26節~31節

聖句のアイコン聖書の言葉

23:26 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
23:27 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。
23:28 イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。
23:29 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。
23:30 そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。
23:31 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」ルカによる福音書 23章26節~31節

原稿のアイコンメッセージ

 ローマの総督ポンテオ・ピラトが3度もイエス様の無罪を主張したにも関わらず、イエス様は人々の要求に従って十字架につけられることになりました。十字架、それはローマ人にとって最も恐ろしい、最も苦しみの伴う処刑方法でありました。それゆえ、ローマの市民権を持つ者には、十字架刑は適用されなかったと言われます。また、ユダヤ人にとって十字架は、神に呪われた者の死でありました。イスラエルにおいて、十字架刑というものはありません。ユダヤにおける処刑方法は石打の刑でありました。しかし、処刑した後、その死体を木にさらすということはあったのです。なぜ、わざわざそのようなことをするのかと言うと、それは、その者の死が神の呪いによるものであることを人々に知らしめるためでありました。そしてここに、ユダヤ人たちがあくまでもイエス様を十字架につけろと要求し続けた理由があるのです。人々は、イエス様を単なる死に引き渡したのではなくて、神の呪いの死へと引き渡したのです。

 さて、刑罰というものは、往々にして見せしめという意義を持っています。罪を犯した者を罰する事によって、同じ罪を犯す者が出てこないよう抑制するという効果があるのです。私たちも、社会的な刑罰、警察権によって、他人の罪から、また自分の罪から、どれほど守られているかと思います。刑罰は見せしめとしての意義を持つ。それは十字架刑においても言えることでありました。十字架刑を宣告された者は、鞭を打たれた後、自分がはりつけにされる十字架の横木を背負い処刑場までの道をねり歩いたと言われています。十字架には縦と横の木がありますけども、縦の木は、処刑所に予め立てられており、その横木だけを背負ったと言われているのです。そして、人々が見守る中で、公の場で処刑されたのです。

 26節に「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」と記されています。先程申しましたように、十字架の横木は、死刑囚が自分で背負うべきものでありました。しかしこの時、イエス様にはそれができませんでした。このことは、十字架につけられる前に為される鞭打ちがよほど激しいものであったことを教えています。その鞭には、骨のかけらや金属片がつかられており、肉に食い込み、肉を裂いたと言われています。また、イスラエルでは鞭打ちは40回までと限られておりましたけども、ローマではそのような限度がありませんでした。ですから、この鞭打ちによって、十字架につけられる前に死んでしまった者も多くいたということです。

 以前学びましたように、イエス様は主の晩餐の席においてすでに断食しておられたと考えられます。また、真夜中に捕らえられたイエス様は、昨夜一睡もしていなかったと考えられます。そこに、肉を裂くほどの鞭打ちを受けたのですから、イエス様はこの時、どれほど衰弱しておられたかと思います。ローマ兵たちも、イエス様がこのまま息絶えてしまうのではないかと心配したのでしょう。それゆえ、彼らは田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエス様の後ろから運ばせたのです。キレネとは、北アフリカ沿岸に位置する町であります。おそらく、シモンは離散のユダヤ人であり、過越の祭りの巡礼に来ていたのでありましょう。マルコによる福音書の並行個所を見ますともう少し詳しくシモンについて記されています。マルコによる福音書15章21節には「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が」と記されています。マルコは、シモンのことを「アレクサンドロとルフォスとの父」と記しているのです。なぜ、マルコはこのように記したのでしょうか。それは、マルコによる福音書の読者がアレクサンドロとルフォスの二人のことをよく知っていたからです。マルコによる福音書、これはローマの教会に宛てて書き記された福音書であると考えられています。そして、使徒パウロが記したローマの信徒への手紙の中にもこの「ルフォス」という名前がでてくるのです。ローマの信徒への手紙第16章13節にはこう記されています。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」ここにもルフォスとう名前がでてきます。よって、昔からルフォスの父であり、イエス様の十字架を背負ったシモンは、後に家族そろってキリスト者になったと想像されています。それも、教会の中心的なメンバーとなったと考えられているのです。けれども、それではこの時、シモンが喜んでイエス様の十字架を背負ったのかと言えば、そうではありません。彼はローマの権力によって無理矢理十字架を背負わされたのです。このことはシモンにとって思いもよらない災難であったと思います。先程も申しましたように、十字架の横木は、その刑に処せられる犯罪人自らが背負うべきものとされていました。ですから、それを代わりに背負うということは、周りの人々に誤解を与える危険があったのです。それは真に恥ずべきことでありました。けれども、シモンはローマの権力に逆らうことはできず、十字架を背負い、イエス様の後に従ったのです。

 27節をお読みいたします。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。

 この民衆と婦人たちが果たしてどのような人々であったのか。これは研究者の間でも意見の分かれるところであります。ある人はここに、イエス様を十字架につけることに反対であった民衆とイエス様の処刑を嘆き悲しむ婦人たちの姿が記されていると好意的に解釈します。しかし、またある人は、この民衆はイエス様の処刑を見物しようとする者たちであり、ここでの婦人たちは葬儀の際に呼び出された泣き女たちであると解釈するのです。つまり、この婦人たちは心から悲しんでいるのではなくて、悲しんでいるふりをしているだけだと解釈するのです。私は、民衆についてはよく分かりませんが、婦人たちについては、聖書に書いてある「嘆き悲しむ」という言葉をそのまま受け取ってよいと思っております。なぜなら、ここでイエス様が、長い沈黙を破ってこの婦人たちに話しかけられたからです。もしですね、この婦人たちが悲しんでいるふりをしていただけならば、人の心をご存じあられる主イエスが、婦人に語りかけたということは考えにくいことであります。イエス様がこの婦人たちに長い沈黙を破って語りかけられたこと。それが何より、この婦人たちの悲しみが心からのものであったことを表しているのです。

 イエスは婦人たちの方を振り向いてこう仰せになりました。

 エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』という日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこされるなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。

 ここでイエス様は「エルサレムの娘たち」と呼びかけています。この嘆き悲しむ婦人たちはガリラヤからイエス様に付き従って来た婦人たちではなく、エルサレムの娘たちでありました。そのエルサレムの娘たちがイエス様のために泣いているのです。深い同情を寄せて、胸を打ちながら悲しんでいるのです。しかし、イエス様はわたしのために泣くなと言われる。そして、むしろ、自分と自分の子供たちのために泣けと言われるのです。それは、なぜでしょうか。それは神が遣わされた平和の王であるイエス・キリストを拒むことによって、エルサレムに徹底的な破滅が臨むからです。このことは19章の41節以下で、既に学んだことでありました。イエス様はエルサレムのために泣いてこう言われたのです。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神が訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

 イエス様が涙を流し憂えていたエルサレムの破滅が、今や、イエス様を呪いの死へと引き渡すことによって決定的になる。その決定的となったエルサレムの破滅を見据えつつ、婦人たちよ、涙を流せと言われるのです。それは、人々が『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」というほどの徹底的な破滅であり、生きていることをいとい、生きながら土に埋められることを願うほどの苦しみと悲惨なのです。

 旧約聖書に哀歌という書があります。哀歌は、バビロン帝国によって滅ぼされたエルサレムの悲しみの歌です。その一部を今朝ご一緒に読んでみたいと思います。旧約聖書1288頁。哀歌2章18節から22節までをお読みいたします。

 おとめシオンの城壁よ/主に向かって心から叫べ。昼も夜も、川のように涙を流せ。休むことなく、その瞳から涙を流せ。立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声をあげるために。主の御前に出て/水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ/あなたの幼子らのために。彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。主よ、目を留めてよく見てください。これほどの懲らしめられた者がありましょうか。女がその胎の実を/育てた子を食い物にしているのです。祭司や預言者が/主の聖所で殺されているのです。街では老人も子供も地に倒れ伏し/おとめも若者も剣にかかって死にました。あなたは、ついに怒り/殺し、屠って容赦されませんでした。祭りの日のように声をあげて脅かす者らを呼び/わたしを包囲させられました。主が怒りを発したこの日に/逃げのびた者も生き残った者もなく/わたしが養い育てた子らは/ことごとく敵に滅ぼされてしまいました。

 この哀歌に歌われているような破滅と悲惨が、これからローマ帝国によってエルサレムのうえに実現しようとしているのです。イエス様を捨てることによって、エルサレムはその破滅を自ら招いてしまう。それゆえ、イエス様は「わたしのために泣くな。むしろ自分と自分の子供たちのために泣け」と言われるのです。

 ルカによる福音書に戻りましょう。新約聖書の158頁です。

 今朝の御言葉でイエス様が婦人たちに話しかけ、自分と子供たちのために泣けと言われたことは大変印象的なことであります。婦人と子供たち、これはどちらも古代の社会において、大変弱い立場に置かれていた者たちでありました。よっておそらく、ピラトの法廷において、イエス様を十字架につけろと叫んだ者たちの中に、婦人や子供たちはいなかったのではないかと思います。古代の社会において、婦人が政治や裁判という公の場において発言するということは考えにくいことです。けれども、その責任、イエス様を十字架につけるというその責任は、婦人たちも子供たちも男たちと一緒に問われることになる。婦人たちや子供たちも男たちと一緒にその裁きを受けなくてはならない。それゆえにこそ、イエス様は婦人たちに、自分と子供たちのために涙を流せと言われたのではないかと思うのです。ここに、社会的な弱者を気づかわれる、変わることのない主イエスのお姿があるのです。

 イエス様は最後に、謎のような言葉を仰せになりました。この31節を理解する最も良い助けとなるのは、エゼキエル書第21章3節であります。そこにはこう記されています。ネゲブの森に言いなさい。主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。わたしはお前に火をつける。火はお前の中の青木も枯れ木も焼き尽くす。燃え盛る炎は消えず、地の面は南から北まで、ことごとく焦土と化す。

 つまり、この31節では、これからエルサレムを襲う神の裁きが炎として描かれているのです。『生の木』とは青々とした樹脂のしたたる木です。それは『枯れた木』よりも燃えにくいものであります。その『生の木』が燃えているならば、燃えやすい『枯れ木』はどれほどよく燃えるであろうか、とイエス様は仰せになっているのです。もちろん、これはたとえでありますから、『生の木』はイエス様を指し、『枯れた木』はエルサレムの人々を指しているのです。いや、エルサレムの人々だけではない、私たちを含む全人類を指しているのです。何の罪もないイエス様が十字架につけられるならば、罪人である私たちはどれほどの裁きを覚悟しなくてはならないのか。そのことをよく考えてみよとイエス様は言われたのです。

 私たちが流す涙。その源には様々な思いや感情があります。涙には様々な思いや感情が含まれているものです。エルサレムの娘たちがイエス様のために流した涙。それは深い憐れみの涙でありましょう。イエス様を憐れに思うその涙です。けれども、それではだめだとイエス様は言われるのです。十字架の死へと向かわれるイエス様のお姿に自分の姿を見ないならば、その涙は一時の空しい涙でしかないのです。イエス様が今朝私たちに求めておられることは、十字架へと向かわれる御自分のお姿を通して、私たち自身こそが、神から裁かれるべき罪人であるということを知ることであります。イエス様が十字架につけられたというお話しを聞いて、ああ、イエス様がかわいそうと涙するのではありません。自らも神によって裁かれる者として嘆き悲しむのです。その時、その涙は決して悲しみの涙で終わらない。なぜなら、聖書は、イエス様が、自分の罪のためではなくて、私たちの罪のためには十字架につき、呪いの死を死んでくださった。そして死から3日目に復活してくださったと教えているからです。

 復活の喜び、罪赦された者の喜びの涙を知るために、私たちは先ず自らの罪と神の裁きを覚え嘆き悲しまなくてはなりません。先程の哀歌にありましたように、主の御前に出て、水のように私たちの心を注ぎ出さなければならないのです。

 この説教の初めに、キレネ人シモンについてお話しをいたしました。死刑囚が背負うべき十字架を代わって担いだこと。それはシモンにとってはなはだ迷惑なことであり、恥ずべきことであったと申しました。けれども、そのシモンが後に家族と共にキリスト者となったということは、このことをシモンが喜びをもって人々に語ったことを表しています。自分は、主イエスの十字架を代わりに背負ったその男だと喜びをもってシモンは語ったのです。そのようなキリストの証人となったのです。なぜ、シモンは本来恥ずべきことを、喜びをもって語ることができたのか。それは、シモンもまた、自らの罪と神の厳粛なる裁きを思って嘆き悲しんむことができたからであります。その嘆き悲しみの果てに、主イエスの十字架の恵みが見たのです。イエス・キリストの十字架の死によって全ての罪が赦され、新しい者とされたことを信じることができたのです。シモンが後に、復活の主とまみえたかどうかは定かではありません。けれども、彼は復活の主イエス・キリストの聖霊をいただいてそれを信じることができたのです。その時シモンに、自分の十字架を背負ってイエス様に従って行く弟子として生活がはじまったのです。自分の十字架を背負ってイエス様に従って行く。それは、シモンだけではない、イエス・キリストにあって罪赦された私たちのあるべき姿であります。

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