過越の準備 2006年2月12日(日曜 朝の礼拝)

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過越の準備

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 22章1節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

22:1 さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。
22:2 祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。
22:3 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。
22:4 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。
22:5 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。
22:6 ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
22:7 過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。
22:8 イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。
22:9 二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、
22:10 イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、
22:11 家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』
22:12 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」
22:13 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。ルカによる福音書 22章1節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝から22章に入ります。1節に「さて、過越祭といわれている除酵祭が近づいていた。」とあります。過越祭と除酵祭、この祭りはどちらも出エジプトを記念するお祭りであります。神がイスラエルの民を奴隷の国エジプトから解放してくださったことを記念して、小羊を屠って焼き、種なしパンと共に食べ祝った。イスラエルの人々が、最も盛大にお祝いした喜びの時、それが過越祭でありました。その過越祭といわれている除酵祭が近づいていた頃、祭司長たちや律法学者たちは、イエス様を殺すにはどうすればよいかと考えておりました。祭司長たちや律法学者たちは、ユダヤの最高法院を構成する者たちです。そのユダヤの指導者たちが考えていたこと、それはイエスをどのようにすれば殺すことができるかということでありました。なぜ、彼らはイエス様を殺そうとするのか。それは、イエス様が彼らの目に危険人物であると映ったからです。自分たちに公に与えられた権威を危うくさせる、またローマとの妥協的な平和を危うくさせる危険人物である、と彼らの目に映ったのであります。彼らは権力者たちでありますから、人の身柄を拘束する、人を逮捕することができたはずであります。けれども、彼らはイエス様に手出しすることができなかった。それは、多くの民衆が話しを聞こうとして、イエス様のもとに集まっていたからであります。かつて、イエス様は、彼らと議論をした時に、ヨハネの洗礼の出所についてお尋ねになりました。その時彼らはこう相談しました。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」。つまり、祭司長たちや律法学者たちは、民衆の前でイエス様を捕らえようとするならば、民衆が自分たちに石を投げるのではないかと恐れたのです。朝早くからイエス様のもとに集まって来た民衆は、イエス様を祭司長たちから守る防壁の役目をしていたと言えるのです。21章37節に、イエス様の一日のサイクル、予定が記されています。それによれば、イエス様は、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされました。イエス様は、夜はエルサレムでお過ごしにはならなかった。暗くなる前に、エルサレムから出て、また、朝早くエルサレムへと入られたのです。ここに、「オリーブ畑と呼ばれる山」と記されていますが、イエス様がオリーブ山で夜を過ごされたことも、祭司長たちは知るよしもなかったでありましょう。なぜ、イエス様は、夜になると、エルサレムを出て、また朝にエルサレムへお入りになったのか。それは、御自分に危険が迫っていることを十分ご存じであったからです。祭司長たちの殺意というものをイエス様はひしひしと感じておられたからであります。イエス様は、日中は民衆と共にいますし、夜になるとどこかへ行ってしまう。これでは、いつになってもイエスを殺すという彼らの願いは実現することはできません。しかし、そこで思っても見なかったことが起こったのです。十二人の一人である、イスカリオテのユダが、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談を持ちかけてきたのです。12人とは、イエス様が弟子の中から特別にお選びになり、使徒と名付けられた者たちです。いわば、イエス様の側近であります。その十二人の一人であるユダが、どのようにイエスを引き渡そうかと祭司長たちや神殿守衛長たちのもとを訪れたのです。彼らがユダを訪れたのではない。ユダ自ら、彼らのもとを訪れたのであります。

 ユダについては、12人の名前を紹介するところで、こう紹介されておりました(6章16節)。「後に裏切り者となったイスカリオテのユダ」。「後に裏切り者となった」とありますから、初めから、裏切り者であったわけではない。おそらく、12人に選ばれるほどですから、熱心な弟子であったと思われる。ユダも12人の一人として、イエス様と寝食を共にしましたし、また、イエス様からあらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす権能を与えられ、神の国を宣べ伝えるという喜ばしい経験をしたはずであります。けれども、その12人の中から、裏切り者が出てくる。いわば、教会で最も熱心な者と目される人たちの中から、イエス様を裏切る者が出てきたのです。なぜ、ユダはイエス様を裏切ったのか。ルカは、その答えを「サタンが入ったからである」と記すのです。イエス様は、公生涯の初めに、悪魔から荒れ野で誘惑をお受けになりました。その最後、4章13節はこう結ばれておりました。「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」。荒れ野でイエス様を誘惑し、しばし離れていた悪魔が、再びその活動を開始した。いよいよ、その「時」が来たということであります。ルカが、ユダの裏切りをサタンの働きであると言う時、そこで明かなことは、再びイエス様に誘惑あるいは試練が襲いかかるということであります。ルカは、これから始まるイエス様の受難、み苦しみを、何より悪魔からの試みとして捉えているのです。ユダがイエス様を裏切ったのは、なぜであったのか。その問いに対して、ルカは「サタンが入ったからである」と答えました。しかし、このルカの答えも、すべての疑問に答えているわけではありません。なぜなら、なぜ、他の使徒ではなくて、ユダに入ったのかという疑問が残っているからです。ペトロやヨハネに入ったのではない。なぜ、ユダに入ったのか。この疑問については、イエス様御自身の教えから考えるのが良いと思います。11章24節から26節でイエス様はこのように教えられました。新約聖書の129頁です。「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで『出てきたわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」

 ここでは、人間の体が家にたとえられています。その家に汚れた霊、悪霊が住んでいる。その悪霊を追い出すにはどうすればいいのか。それはもっと強いお方、主の霊、聖霊に住んでいただくしかないのです。そうすれば、悪霊に住み込まれる心配はないわけであります。けれども、一度、聖霊の恵みに預かりながら、主イエスから離れていくならば、その人の後の状態は前よりも悪くなるとイエス様は警告なされるのです。なぜ、ユダにサタンがはいったのか。それは、彼がイエス様から離れていたからではなかったか。物理的には、イエス様のそばで生活をしていながら、その心は誰よりも遠く離れていたのではないかと推測できるのです。それゆえに、ユダの家は空き家となっており、サタンがそこに入り込んだのではないか、と考えられるのです。

 また、なぜユダにサタンが入ったかを知る手がかりとなる教えに、18章25節、26節があります。新約聖書の137頁です。

 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないならば、わたしの弟子ではあり得ない。」

 ここでの「憎む」とは、「より少なく愛する」ということでありました。つまり、イエス様はここで、「わたしを何よりも愛さないならば、わたしの弟子ではあり得ない」と仰せになられたのです。そして、ユダにサタンが入った理由も、この所から考えることができます。つまり、ユダは、イエス様を何よりも愛していなかったのです。他の使徒たちに勝って、ユダはイエス様を愛していなかった。ユダにとって、イエス様は、お金と交換することのできる売り物でしかなかったのです。そして、事実、ユダは、イエス様よりも、金の方を選んだのでありました。イエス様は、かつて「どんな召使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方を親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」と仰せになりました。この御言葉からも、ユダは富みに仕えることに心引かれる者であった。それゆえに、主イエスを愛することができなかったことが分かるのです。あの貧しいやもめが、なけなしのレプトン銅貨2枚を神様にささげたのに対し、ユダは、イエス様を引き渡すことによって、富を得ようとしたのであります。

 20世紀最大の神学者と言われるカール・バルトは、イエス様を裏切ったユダについて、こう書き記しています。「ユダの罪で明白なことは、ユダにとって、イエスは売り物であったということである。彼はイエスに相対して、自分の自由を持っており、また主張した。彼は、確かに、イエスに対して身を向けた。しかし、彼は自分をイエスとは結びつけてはしまわなかった。彼はイエスに対して、自分をささげてはいなかった。彼は、彼にとって、もっとよいと思われるほかのもののために、イエスを捨てることができた。そして、彼はそのことをなすことができたがゆえに、彼は、もっとよいものについての自分の考えを保留したがゆえに、彼は自分自身を引き渡さなかったゆえに、彼は、今度は自分の側で、イエスを引き渡すことができたのである。」。

 つまり、ユダにとって、イエス様を信じることもできたし、信じないこともできた。ユダは完全に自分をイエス様に明け渡していたわけではない。ユダはイエス様と自分を結びつけてはいないのです。よく「魂まで売った覚えはない」という言われますけども、それは本心から仕えているわけではない、ということであります。立場上、仕えているけれども、本心は違うということでありましょう。その言葉を用いるならば、ユダはイエス様に魂を売ったわけではなかった。ユダはイエス様に自分自身をささげていた訳ではなかったのです。後に、ペトロが「主よ、ご一緒ならば、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と申しますけども、このような発想は、ユダからは出て来ません。なぜなら、ユダは、イエスを自分の意志によってのみ、信じていると考えていたからです。自分で信じたのだから、信じないということも自分次第だと、彼は考えたのです。イエス様は、「わたしを何よりも愛さないならば、わたしの弟子ではあり得ない」と仰せになりました。イエス様を第一に愛さないということは、自分が第一とするもののために、イエス様を捨てることができるということであります。ですから、イエス様は、私を第一としない者は、わたしの弟子ではあり得ないと仰せになられたのです。

 ヨハネによる福音書第15章16節に、主イエスの有名な御言葉があります。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」。これは、私たちキリスト者の誰もがわきまえていなければならない神の真理であります。私たちは自分の力で、イエス・キリストを信じたのではない。むしろ、向こうから、イエス・キリストの側から、この私を捉えてくださって、教会へと招いてくださって、信仰の言葉を私の口に授けてくださった。私たちがイエス様を愛するよりも、先に、イエス様が私たちを愛してくださったのです。私たちは、主の日ごとに、礼拝に集う。しかし、それは週ごとに、どうしようかと考えるようなことではない。今日は行こうかしら、行くのをやめようかしらと考えるようなことではない。主なる神が、私たちを礼拝に招いておられる。そのために、罪のないお方、御子イエスを十字架の上に屠られたことを知るならば、それはキリストの弟子である私たちにとっては、赴かざるを得ない当然のことであります。そこに、もし、迷いがあるならば、その人はまだ、キリストに自分自身をささげてはいない。イエス・キリストを何よりも愛しているとは言えないのであります。

 7節以下に進みたいと思います(153頁)。過越の小羊を屠るべき除酵祭の日がやって来ました。過越祭は、約束の地カナンに入ってから、主がその名を置くために選ばれた場所、つまりエルサレムだけで行われるようになりました(申命記16章)。よって過越祭を祝うために、全国から多くの人々が、エルサレムに集ったのです。ですから、過越祭の季節、巡礼者によって、エルサレムの人口は、2倍にも、3倍にもふくれあがったと言われます。過越の小羊を屠る日、それはエルサレムが人々で溢れかえり、その準備のためにあわただしい、せわしい日でありました。ここで、イエス様も、過越の食事の準備をするようペトロとヨハネに言われました。過越の食事の準備、それを具体的に言いますと、傷のない一歳の雄羊を神殿で購入し、それを屠ってもらう、苦菜、種なしパン、ぶどう酒などを市場で調達することが考えられます。しかし、先ず何よりも、必要なのは、食事をする場所、部屋であります。ですから、二人は「どこに用意しましょうか」と尋ねたのです。先程も申しましたけども、祭りの日は、人々でエルサレムがごったがえしになる。そのために、エルサレムに住す人々は、巡礼者のために、自分の家を開放することが求められていた、ほとんど義務とさえ見なされていたのです。このことを背景として、イエス様は、こう仰せになるのです。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」。

 このイエス様のお言葉を読んで、私たちが、すぐに思い浮かべるのは、イエス様がエルサレムに入城された時の場面であります。イエス様が、まだ誰も乗ったことのない子ろばを調達する、あの場面です。それと重ね合わせる時、このイエス様の言葉は、預言者として不思議な力、予知能力を示すものであると考えられます。これも一つの解釈であります。しかし、この所には、他の解釈もあるのです。それは、イエス様が前もって、密かにエルサレムに住む弟子と打ち合わせをしていて、その場所を用意なされた、というものであります。私は、この後者の解釈の方がよいのではないかと思っています。なぜ、イエス様は、直前まで、過越の食事をとる部屋の場所を明らかにされなかったのか。それは、6節にありますように、ユダが、群衆がいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた、からであります。過越の食事は、夜に食べるものです。その際、それぞれが、家族ごとに、あるいは隣人同士が分け合って、一匹の小羊を残さずに食べる。つまり、それぞれが部屋に引きこもるわけです。その時、イエス様の周りに、祭司長たちや律法学者たちが恐れる民衆はおりません。ですから、過越の食事の時こそ、イエス様を引き渡す良い機会であったに違いないのです。それゆえに、イエス様は、その直前まで、過越の食事をする場所を明らかにされなかったのです。ここで、ペトロとヨハネとを使いに出されたと記されています。ペトロとヨハネ、この二人は、イエス様が最も信頼を置く、腹心の弟子です。イエス様は、ヤイロの娘を生き返らせたとき、また、山上の変貌の場面において、ペトロとヨハネとヤコブだけを伴われたのでありました。その最も信頼の置ける弟子の二人を遣わしたことからも、イエス様がどれほど注意を払われていたかが分かります。イエス様は、都に入ると水がめを運んでいる男に出会うと申しましたが、当時、水汲みは、女性の仕事とされておりましたから、水がめを持つ男は、目立つ存在でありました。よい目印になるわけです。その男について行け、そして、そこが私たちが過越の食事をする部屋だとイエス様は仰せになられるのです。なぜ、イエス様はこれほどまでに、用意周到にことを進められたのか。その答えは、来週学ぶことになります、15節に記されています。

 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。」。

 イエス様が、これほどまでに、用意周到にことを進められた、その理由、それは、イエス様御自身が、弟子たちと過越の食事をしたいと切に願っておられたからです。ある翻訳聖書は、このところを「過越の食事をしたくて、したくてたまらなかった」と訳しています。それほどまでに、イエス様は弟子たちと過越の食事を取ることを欲したのであります。それは、これから、お受けになる苦しみの意味を、弟子たちに教えるためでありました。イエス様は、その食卓において、裂かれたパンがあなたがたのために与えられる私の体であることを、杯があなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約であることを教えられます。つまり、これからお受けになる苦しみ、十字架の死の意味を御自身で前もって、弟子たちに解き明かされたのです。イエス様の十字架の死、それはこの世の知恵をもってすれば、愚かなこと、馬鹿げたことであります。けれども、イエス様は、御自分で、その苦しみの意味を解き明かされる。その意味づけを、勝手に解釈させはしない。イエス様は弟子たちに、御自分が受ける苦難の意味を、過越の食事になぞらえて教えられるのです。ここに、イエス様が苦しみを受ける前に、弟子たちと過越の食事をしたいと切に願った、その理由であるのです。そして、ここに、イエス様が、細心の注意を払われて、過越の食事を準備なされた、その理由もあるのであります。

 私たちは、月に一度、第一主日に、聖餐の恵みにあずかります。その聖餐の恵みにあずかるために、私たちはどれほど心の備えをしているかと思います。主イエスが切に願った、その熱心をもって、聖餐の恵みにあずかっているか。私たちは、今朝、自分自身の心に問うてみたいと思います。

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