私の愛する人よ、急いでください 2026年7月08日(水曜 聖書と祈りの会)
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私の愛する人よ、急いでください
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- 村田寿和 牧師
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雅歌 8章11節~14節
聖書の言葉
8:11 ソロモンはバアル・ハモンにぶどう園を持ち/番人たちに任せていました。/彼らは収穫に従って銀一千を納めます。
8:12 私の前にあるのは私のぶどう園。/ソロモンよ、あなたには銀一千/収穫物の番人には銀二百。
8:13 園に座る人よ/仲間たちはあなたの声に耳を澄ませています。/私にも聞かせてください。
8:14 私の愛する人よ、急いでください。/香り高い山々の/ガゼルや若い雄鹿のようになって。雅歌 8章11節~14節
メッセージ
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今年、2026年の1月14日から『雅歌』を読み始めました。今朝はその最後の学びとなります。今朝は、第8章11節から14節より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
11節と12節をお読みします。
ソロモンはバアル・ハモンにぶどう園を持ち/番人たちに任せていました。彼らは収穫に従って銀一千を納めます。私の前にあるのは私のぶどう園。ソロモンよ、あなたには銀一千/収穫物の番人には銀二百。
11節と12節は「若者」の言葉です。若者は、「ソロモンはバアル・ハモンにぶどう園を持ち/番人たちに任せていました」と語ります。このぶどう園はソロモン王の後宮(ハーレム)のことであるようです。『列王記上』の第11章3節によれば、「彼(ソロモン)には多くの妻、すなわち、700人の王妃と300人の側室がいた」と記されています。そのことを念頭に置きつつ、若者はソロモンがぶどう園を持っていたと言うのです。番人がソロモンに納める銀一千は、ソロモンの多くの妻たちを表しているようです(700人の王妃と300人の側室を足すと1000人の妻となる)。しかし、若者のぶどう園は、花嫁であるおとめ一人なのです。ソロモンには多くの妻たちがいました。しかし、そこには若者とおとめのような愛はないのです。7節の後半に、「愛を手にいれるために、家の財産をすべて差し出す者がいたとしても/蔑まれるだけでしょう」と記されていました。ある研究者は、「財産によって愛を手に入れようとした者こそ、ソロモンであった」と言っています。ソロモンは多くの妻たちをめとりましたが、その多くの妻たちによって、ソロモンの心は他の神々へと向かうことになりました(列王上11:4「ソロモンが年老いたとき、女たちは彼の心を、他の神々へと向かわせた」参照)。多くの妻たちは、ソロモンに幸いではなく、災いをもたらす者となったのです。
13節をお読みします。
園に座る人よ/仲間たちはあなたの声に耳を澄ませています。私にも聞かせてください。
13節も「若者」の言葉です。ですから、「園に座る人」とは花嫁であるおとめのことです。「仲間たち」とは、若者とおとめの結婚式に集った友人たちのことです。今朝の御言葉も、結婚式で歌われた歌のようです。若者は多くの妻たちを持ったソロモンを引き合いに出して、花嫁に、「私のぶどう園はあなただけである」と言うのです。そして、園に座るおとめに、発言を求めるのです。
14節をお読みします。
私の愛する人よ、急いでください。香りの高い山々のガゼルや若い雄鹿のようになって。
14節は「おとめ」の言葉です。おとめは「私の愛する人よ、急いでください」と言って、若者の母親の天幕へと誘うのです。第8章5節の後半で、おとめはこう言っていました。
りんごの木の下で、私はあなたを目覚めさせました。そこは、あなたの母があなたを身ごもった所。そこは、あなたの産んだ母が身ごもった所。
かつて学んだ第3章6節から第5章1節に、婚宴の様子が記されていました。同じように、第8章5節から14節にも婚宴の様子が記されているのです。若者とおとめの愛は、「二人は一体となる」という神秘によって最高潮(クライマックス)に至るのです。
今朝は最後に、14節のおとめの言葉に着目して終わりたいと思います。「私の愛する人よ、急いでください。香り高い山々のガゼルや若い雄鹿のようになって」。このおとめの言葉は、花婿であるイエス・キリストを待ち望む教会の言葉です。『ヨハネの黙示録』の第22章6節以下をお読みします。新約の466ページです。
天使はまた、私にこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちに霊感を授ける神、主が、その天使を送って、すぐに起こるべきことを、御自分の僕たちに示されたのである。見よ、私はすぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、幸いである。」
これらのことを聞き、また見た者は、私ヨハネである。聞き、また見終わったとき、私は、これらのことを示してくれた天使の足元にひれ伏して、拝もうとした。すると、天使は私に言った。「やめよ、私はあなたや、あなたのきょうだいである預言者たちや、この書の言葉を守っている人たちと同じく、仕える者である。神を礼拝せよ。」また、私に言った。「この書の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。不正を行う者はさらに不正を行い、汚れた者はさらに汚れた者とされ、正しい者はさらに正しいことを行い、聖なる者はさらに聖なる者となれ。
見よ、私はすぐに来る。私は報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。私はアルファでありオメガ、最初の者にして最後の者、初めであり終わりである。
命の木にあずかる権利を与えられ、門を通って都に入ることができるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。犬ども、魔術を行う者、淫らな行いをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、都の外に置かれる。
私イエスが天使を送り、諸教会についてこれらのことをあなたがたに証しした。私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である。」霊と花嫁が共に言う。「来りませ。」これを聞く者も言うがよい。「来りませ。」渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
この書の預言の言葉を聞くすべての者に、私は証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受け取る分け前を取り去るであろう。
これらのことを証しする方が言われる。「然り、私はすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来りませ。
主イエスの恵みがあなたがたすべての者と共にあるように。
花婿であるイエス様は、「私はすぐに来る」と三度言われます(7、12、20節)。このイエス様の確かな約束に基づいて、花嫁である教会も、「来りませ」と三度言うのです(17a、17b、20節)。『雅歌』のおとめが、「私の愛する人よ、急いでください」と言ったように、私たちも「私の愛する主よ、急いで来てください」と祈り求めているのです(新共同訳一コリント16:22「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)」も参照)。