私の愛をあなたにささげます 2026年6月10日(水曜 聖書と祈りの会)
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私の愛をあなたにささげます
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- 村田寿和 牧師
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雅歌 7章11節~8章4節
聖書の言葉
7:11 私は愛する人のもの。/あの方は私を求めています。
7:12 私の愛する人よ/さあ、野原に出かけましょう。/ヘンナの中で夜を過ごしましょう。
7:13 早く起きて、ぶどう畑に行きましょう。/ぶどうの木がつぼみをつけたか、花盛りか/ざくろの花が咲いたかを見ましょう。/そこで私の愛をあなたに差し上げましょう。
7:14 恋なすびは香りを放ち/見事な実はすべて私たちの戸口にあります。/私の愛する人よ/新しい実も古い実も、あなたのために/大切に取っておきました。
8:1 あなたが、母の乳房を吸った/私の兄弟であったなら/私が外であなたにお会いして口づけしても/誰も私を蔑みはしないでしょう。
8:2 私はあなたを導いて/私を育ててくれた母の家にお連れします。/香料の入ったぶどう酒、ざくろの飲み物を/あなたに飲ませてあげましょう。
8:3 あの方が私の頭の下に左の腕を伸べ/その右腕で私を抱いてくださいますように。
8:4 エルサレムの娘たちよ、私に誓ってください。/愛が望むまで目覚めさせず、揺り起こさないと。雅歌 7章11節~8章4節
メッセージ
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今朝は、『雅歌』の第7章11節から第8章4節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
第7章11節から第8章3節までは、「おとめ」の言葉です。また、第8章4節は「若者」の言葉です。おとめと若者は恋人同士であり、まだ結婚はしていないようです。第3章6節から第5章1節に、若者とおとめが結婚したことが記されていました。けれども、今朝の御言葉には、若者とおとめが結婚する前のことが記されているのです。
第7章11節から14節までをお読みします。
私は愛する人のもの。あの方は私を求めています。私の愛する人よ/さあ、野原に出かけましょう。ヘンナの中で夜を過ごしましょう。早く起きて、ぶどう畑に行きましょう。ぶどうの木がつぼみをつけたか、花盛りか/ざくろの花が咲いたかを見ましょう。そこで私の愛をあなたに差し上げましょう。恋なすびは香りを放ち/見事な実はすべて私の戸口にあります。私の愛する人よ/新しい実も古い実も、あなたのために大切に取っておきました。
この「おとめ」の言葉は、第7章2節から10節に記されていた「若者」の言葉を受けてのものです。若者は、おとめの美しさをほめたたえてこう語っていました。第7章7節から10節までをお読みします。
喜びに溢れた愛よ/あなたはなんと美しく、なんと麗しい。あなたの立ち姿はなつめやし/あなたの乳房はその実の房のよう。私は言う。「なつめやしの木に登り、その房の実をつかもう。あなたの乳房がぶどうの房になり/あなたの息がりんごの香りのようになるように。あなたの口は上質のぶどう酒のように/私の愛する人に滑らかに流れ/眠っている唇に滴ります。」
このような「若者」の言葉を受けて、おとめは、「私は愛する人のもの/あの方は私を求めています」と言うのです。確かに、若者はおとめを求めているのです。そのような若者に、おとめはこう言います。「私の愛する人よ/さあ、野原に出かけましょう。ヘンナの中で夜を過ごしましょう」。おとめも若者を求めているのです。しかし、実際にヘンナの中で夜を過ごすことはなかったようです。それで、おとめは「早く起きてぶどう畑に行きましょう」と言います。ぶどう畑で、「私の愛をあなたに差し上げましょう」と言うのです。14節に、「恋なすび」とありますが、「恋なすび」は性的な欲求を高めたり、性的快感を増幅させる媚薬であると信じられていました(創世30:14~16参照)。そのことからも分かるように、ここでの「愛」は、肉体関係を伴う愛の行為のことが言われています。14節後半の「私の愛する人よ/新しい実も古い実も、あなたのために/大切に取っておきました」も同じことですね。おとめは愛する人のために、貞潔を守ってきたのです。
第8章1節から3節までをお読みします。
あなたが、母の乳房を吸った/私の兄弟であったなら/私が外であなたにお会いして口づけしても/誰も私を蔑みはしないでしょう。私はあなたを導いて/私を育ててくれた母の家にお連れします。香料の入ったぶどう酒、ざくろの飲み物を/あなたに飲ませてあげましょう。あの方が私の頭の下に左の腕を伸べ/その右腕で私を抱いてくださいますように。
おとめは、若者に、「早く起きて、ぶどう畑に行きましょう。そこで私の愛を差し上げましょう」と言いましたが、このことも実現しなかったようです。と言いますのも、イスラエルでは若い男女が親密な関係を持つことは難しかったからです。それで、おとめは、「若者が自分の兄弟であったなら、外で会って口づけすることができたのに」と言うのです。しかし、これは実現不可能な話です。そこで、おとめは若者を母親に紹介して、結婚関係を結ぶことを申し出ます。「結婚して夫婦となって、愛を楽しみましょう」と言うのです。「あの方が私の頭の下に左の腕を伸べ/その右腕で私を抱いてくださいますように」。このような若者との甘いロマンスをおとめは夢見るのです(2:6参照)。
4節をお読みします。
エルサレムの娘たちよ、私に誓ってください。愛が望むまで目覚めさせず、揺り起こさないと。
これは「若者」の言葉です。若者は、おとめと結婚して夫婦となるまで純潔を保つことを願うのです。
今朝、着目したい御言葉は、第7章13節の4行目の「そこで私の愛をあなたに差し上げましょう」という御言葉です(新改訳2017「そこで私は、私の愛をあなたにささげます」)。ぶどう畑とは、私たちにとって「教会」と言えます。教会において、花婿であるイエス様に、私たちがささげる愛とは礼拝のことです。また、礼拝だけに限られない、イエス様の御言葉に聞き従うことです。私たちがささげる愛とは、イエス様の御言葉に聞き従うことである。そのことを『ヨハネによる福音書』の第14章から確認したいと思います。新約の193ページです。
15節で、イエス様はこう言われます。「あなたがたが私を愛しているならば、私の戒めを守るはずである。」
また、21節で、イエス様はこう言われます。「私の戒めを受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は、私の父に愛される。私もその人を愛して、その人に私自身を現す。」
さらに、23節と24節で、イエス様はこう言われます。「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。私を愛さない者は、私の言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は私のものではなく、私をお遣わしになった父のものである。」
このように、イエス様を愛するとは、イエス様の言葉に聞き従うことであるのです。私たちが教会でささげる礼拝が、イエス様に対する愛の行為となるのは、私たちがイエス様の御言葉に聞き従って礼拝をささげているからであるのです。また、礼拝において、聖書の御言葉を聞き、その解き明かしである説教を聞くことは、礼拝が愛の行為であることを示しているのです。
イエス様は、31節でこのようにも語っています。「私は、父がお命じになったとおりに行う。私が父を愛していることを世が知るためである。立て。さあ、ここから出かけよう。」
イエス様は、父なる神を愛するゆえに、父なる神がお命じになることを行われます。イエス様は父なる神を愛するゆえに、十字架の道を進まれるのです。
「私を愛する人は、私の言葉を守る」。この御言葉を心に留めて、私たちはそれぞれの愛を、花婿であるイエス・キリストにささげたいと願います。また、教会というぶどう園んで、礼拝という愛をささげたいと願います。