園の泉、命の水の井戸 2026年4月08日(水曜 聖書と祈りの会)
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園の泉、命の水の井戸
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- 村田寿和 牧師
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雅歌 4章8節~15節
聖書の言葉
4:8 花嫁よ、レバノンから私と一緒に/レバノンから私と一緒に来なさい。/アマナの頂、セニルとヘルモンの頂から/獅子の隠れ家、豹の山から下りなさい。
4:9 私の妹、花嫁よ/あなたは私の心をときめかせる。/あなたの一瞬のまなざしも/首飾りの玉の一つも私の心をときめかせる。
4:10 私の妹、花嫁よ/あなたの愛はなんと美しいことか。/あなたの愛はぶどう酒よりも心地よく/あなたの香油は/どのような香料よりもかぐわしい。
4:11 花嫁よ、あなたの唇は蜂蜜を滴らせ/舌の裏には蜜とミルクがある。/あなたの衣はレバノンの香りのよう。
4:12 私の妹、花嫁は閉じられた園。/閉じられた池、封じられた泉。
4:13 あなたは、見事な実をつけるざくろの果樹園/ヘンナやナルド。
4:14 ナルドやサフラン、菖蒲やシナモン/あらゆる乳香の木々。/没薬や沈香、あらゆるえりすぐりの香料。
4:15 園の泉、命の水の井戸/レバノンから流れ出る川。雅歌 4章8節~15節
メッセージ
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今朝は、『雅歌』の第4章8節から15節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。最初に、文脈を確認したいと思います。第3章6節から11節には、婚礼の日のことが記されていました。若者とおとめは結婚して、夫婦となったのです。それを受けて、第4章1節から7節には、花婿が花嫁をほめたたえる歌が記されていました。今朝の御言葉はその続きとなります。今朝の御言葉にも、花婿の花嫁に対する愛の言葉が記されています。
8節を読みます。
花嫁よ、レバノンから私と一緒に/レバノンから私と一緒に来なさい。アマナの頂、セニルとヘルモンの頂から/獅子の隠れ家、豹の山から下りなさい。
「レバノン」は、パレスチナ北部のシリアの山脈です(聖書地図4参照)。「レバノン」とは「白い山」という意味で、一年中、雪を被っていることに由来します。「アマナ」も「セ二ル」も「ヘルモン」も、レバノン山脈に連なる山です。最高峰のヘルモン山は、標高2815メートルです(ちなみに富士山の標高は3776メートルです)。花婿は、「花嫁よ、レバノンから私と一緒に来なさい」と言っていますが、実際に、花嫁がレバノンの山にいたのではないと思います。また、実際に、花嫁が獅子の隠れ家にいたのでもないと思います。この背景には、女神は高い山に住んでおり、ライオンなどのネコ科の猛獣を飼っているという古代オリエントの神話があるようです。そのような神話を背景にして、花婿は、「花嫁よ、レバノンから私と一緒に来なさい」と言うのです。ところで、花婿にとっての「レバノン」とはどこでしょうか?それは「花嫁の家」であると思います(2:9「ほら、あの方は私たちの家の壁の外に立ち/窓からのぞき、格子の間から見ています」参照)。婚礼は夜に行われました(3:8「それぞれ夜襲に備えて、腰に剣を差しています」参照)。花婿は、友人たちが担ぐ輿に乗って、花嫁の家に迎えに行きます。そして、花婿は花嫁の家に着いたとき、「花嫁よ、レバノンから私と一緒に/レバノンから私と一緒に来なさい」と呼びかけるのです。この花婿の言葉は、私たちの花婿であるイエス様の御言葉を思い起こさせます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(新共同訳マタイ11:28~30)。私たちの花婿であるイエス様は、そのように私たちを、「私と一緒に来なさい」と招いてくださるのです。
9節から11節までを読みます。
私の妹、花嫁よ/あなたは私の心をときめかせる。あなたの一瞬のまなざしも/首飾りの玉の一つも私の心をときめかせる。私の妹、花嫁よ/あなたの愛はなんと美しいことか。あなたの愛はぶどう酒よりも心地よく/あなたの香油は/どのような香料よりもかぐわしい。花嫁よ、あなたの唇は蜂蜜を滴らせ/舌の裏には蜜とミルクがある。あなたの衣はレバノンの香りのよう。
花婿は、花嫁のことを「私の妹」と呼んでいますが、近親婚(血縁関係の近い親族同士の結婚)ではありません。花婿は親しみを込めて、花嫁を「私の妹」と呼んでいるのです。ここには、花婿の花嫁に対する愛の言葉が記されています。花婿は、花嫁の一瞬のまなざしに心をときめかせるほどメロメロなのです。ちなみに、「めろめろ」とは「物事におぼれて本来の正常な精神活動が行われなかったり腰くだけになったりするさま」を意味します(広辞苑)。花婿にとって、花嫁の愛はたとえようもないほど美しく、ぶどう酒よりも心地よいのです。また、花嫁の香油は、どのような香料よりもかぐわしいのです。ここで花婿が語っていることは、第1章2節と3節で、おとめが若者に対して語っていたことです。おとめは、第1章2節と3節でこう語っていました。「あの方が私に口づけをしてくださるように。あなたの愛はぶどう酒よりも心地よく/あなたの香油はかぐわしい」。そして、今朝の御言葉では、花婿が花嫁に対して、「あなたの愛はぶどう酒よりも心地よく/あなたの香油はどのような香料よりもかぐわしい」と言うのです。花婿は、花嫁とのくちづけがどれほど甘いものであるのかを語ります。「花嫁よ、あなたの唇は蜂蜜を滴らせ/舌の裏には蜜とミルクがある」。ここでは唇と唇を重ねる軽いキスのことではなく、舌と舌を絡める濃厚なキスのことが言われているようです。また、花婿は花嫁の衣をレバノン杉の香りにたとえます。8節の「レバノン」は「レバノンの山」のことでしたが、11節の「レバノン」は「レバノンの杉」のことが言われています(ホセア14:7参照)。
12節から15節までを読みます。
私の妹、花嫁は閉じられた園。閉じられた池、封じられた泉。あなたは、見事な実をつけるざくろの果樹園/ヘンナやナルド。ナルドやサフラン、菖蒲やシナモン/あらゆる乳香の木々。没薬や沈香、あらゆるえりすぐりの香料。園の泉、命の水の井戸/レバノンから流れ出る川。
花婿は、花嫁を「閉じられた園、閉じられた池、封じられた泉」と呼びます。このことは、花嫁が男の人を知らないことを示しています(ルカ1:34参照)。花婿もまだ花嫁を知らないのです。その閉じられた園に、花婿はいよいよ立ち入ろうとしているのです。花婿は、花嫁を「見事な実をつけるざくろの果樹園」にたとえます。また、ナルドやサフランといった、あらゆる乳香の木々にたとえます。花婿にとって、花嫁は没薬や沈香といった、あらゆる香料にまさるのです。花婿は花嫁を、「園の泉、命の水の井戸/レバノンから流れ出る川」と言います(箴言5:15~18参照)。ここでの「レバノン」は「レバノンの山」のことです。レバノンの山を覆っていた雪が溶けて流れ出す澄んだ川に、花嫁をたとえるのです。水は命にかかわる貴重なものです。その水が湧き出るところ、それが花婿にとっての花嫁であるのです。私たちの花婿はイエス・キリストであり、私たちは主イエス・キリストの花嫁であります。今朝の御言葉をイエス・キリストと私たちに当てはめると、花嫁である私たちが花婿であるイエス・キリストの命の泉の井戸となります。こう聞きますと、それは逆であると思います。なぜなら、イエス・キリストは、『ヨハネによる福音書』の第4章で、サマリアの女にこう言われたからです。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(ヨハネ4:13、14)。イエス様が与えてくださる水、私たちの内で泉となって湧き出る水とは、神の霊である聖霊のことです(ヨハネ7:37~40参照)。花婿であるイエス・キリストは、聖霊において私たちの内にいてくださり、私たちの魂の渇きを癒しくださいます。花嫁である私たちにとって、花婿であるイエス・キリストこそ「園の泉、命の水の井戸、レバノンから流れ出る川」であるのです。