あなたには何の傷もない 2026年3月25日(水曜 聖書と祈りの会)
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あなたには何の傷もない
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- 村田寿和 牧師
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雅歌 4章1節~7節
聖書の言葉
4:1 なんと美しい、私の恋人よ。/なんと美しい。ベールの奥の目は鳩のよう。/あなたの髪は/ギルアドの山を駆け下りる山羊の群れのよう。
4:2 あなたの歯は、洗い場から上って来る/毛を刈られる羊の群れのよう。/それらは皆、双子を産み/子を産めないものはありません。
4:3 あなたの唇は紅の糸のよう、話す口元は愛らしい。/ベールの奥の頬は、はじけたざくろのよう。
4:4 あなたの首は/武器庫として建てられたダビデの塔のよう。/千の盾がそこに掛けられている。/それらは皆、勇士たちの小盾。
4:5 あなたの二つの乳房は二匹の小鹿のよう。/百合の間で草を食んでいる双子のガゼル。
4:6 日が息をつき、影が逃げ去るまでに/没薬の山、乳香の丘に私は行きましょう。
4:7 私の恋人よ、あなたのすべては美しく/あなたには何の傷もない。雅歌 4章1節~7節
メッセージ
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今朝は、『雅歌』の第4章1節から7節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。今朝の御言葉には、花婿が花嫁の美しさをほめたたえる歌が記されています。
1節をお読みします。
なんと美しい、私の恋人よ。なんと美しい。ベールの奥の目は鳩のよう。あなたの髪は/ギルアドの山を駆け下りる山羊の群れのよう。
花婿は花嫁の美しさを被造世界(自然)の美しさにたとえます。「ベール」とありますが、これは結婚式において花嫁が身に着けるものです。『創世記』の第24章に、花嫁であるリベカが花婿であるイサクが近づいて来るのを見て、ベールを取り出してかぶったと記されています(創世24:65参照)。花嫁であるおとめはベールをかぶっていたのです。ちなみに「ベール」とは「女性の顔や頭をおおう薄い布やネット」のことです(広辞苑)。花婿は花嫁のベールの奧の目を「鳩」にたとえます(雅歌1:15参照)。鳩は純真と清らかさの象徴でした。ですから、花婿は花嫁の目が純真で清らかであると言っているのです。また、花婿は花嫁の髪を「ギルアドの山を駆け下りる山羊の群れ」にたとえます。ここでの山羊は毛の黒い山羊です。花嫁の髪はギルアドの山を駆け下りる黒い山羊のように躍動的で美しいのです。
2節をお読みします。
あなたの歯は、洗い場から上って来る/毛を刈られる羊の群れのよう。それらは皆、双子を産み/子を産めないものはありません。
花婿は花嫁の歯を「洗い場から上って来る、毛を刈られる羊の群れ」にたとえます。羊の毛の色は白です。しかも、洗い場から上って来る羊の群れですから、きれいな白です。花嫁の歯はその羊の群れのように白くて美しいのです。また、「それらは皆、双子を産み/子を産めないものはありません」とあるように、花嫁は歯並びが良く、一本も抜けてはいないのです(新改訳2017「それはみな双子で、一方を失ったものはそれらの中にはいない」参照)。
3節をお読みします。
あなたの唇は紅の糸のよう、話す口元は愛らしい。ベールの奧の頬は、はじけたざくろのよう。
花婿は花嫁の唇を「紅の糸」にたとえます。花嫁は薄い唇に口紅をつけていたようです。「話す口元は愛らしい」とあるように、花嫁はその所作(身のこなし。しぐさ)も美しいのです。また、花婿は花嫁の頬を「はじけたざくろ」にたとえます。ざくろは赤い実で、種が多いことから豊穣の象徴とされていました。花嫁の頬は血色が良く、生命力に満ちているのです。
4節をお読みします。
あなたの首は武器庫として建てられたダビデの塔のよう。千の盾がそこに掛けられている。それらは皆、勇士たちの小盾。
花婿は花嫁の首を「武器庫として建てられたダビデの塔」にたとえます。スラっとした美しい塔であったのでしょう。また、そこに掛けられている千の盾、勇士たちの小盾とは、花嫁の首に掛けられているいくつもの首飾り(ネックレス)のことを指しているようです(雅歌1:10参照)。
5節をお読みします。
あなたの二つの乳房は二匹の小鹿のよう。百合の間で草を食んでいる双子のガゼル。
花婿の視線は花嫁の顔から胸へと移ります。花婿は花嫁の二つの乳房を二匹の小鹿にたとえます。小鹿のように花嫁の乳房は柔らかく、弾んでいるのです。また、「百合の間で草を食んでいる双子のガゼル」とあるように、二つの乳房は均等がとれており、生命力にあふれているのです。
6節をお読みします。
日が息をつき、影が逃げ去るまでに/没薬の山、乳香の丘に私は行きましょう。
「日が息をつき、影が逃げ去るまで」とは「日が暮れて、夜になるまでに」という意味です。また、「没薬の山、乳香の丘」とは、花嫁の体のたとえです。没薬も乳香も、外国産(アラビアやインド)の貴重な香料ですから、文字通りの「没薬の山、乳香の丘」があるわけではありません。花婿は花嫁の体を「没薬の山、乳香の丘」にたとえているのです。結婚式を挙げた花婿は、花嫁と関係を持つことに意欲を燃やします。これまで、若者は、「エルサレムの娘たちよ/ガゼルや野の雌鹿にかけて私に誓ってください。愛が望むまで目覚めさせず、揺り起こさないと」と言って、純潔を保ってきました(2:7、3:5参照)。しかし、結婚式を挙げた今、愛を揺り起こして目覚めさせる時がきたのです。
7節をお読みします。
私の恋人よ、あなたのすべては美しく/あなたには何の傷もない。
花婿は、花嫁の目、髪、歯、唇、口元、頬、首、乳房の美しさを、被造世界(自然)の美しさにたとえて語ってきました。つまり、花嫁のすべては美しいのです。花嫁の美しさは、何の傷もない完全な美しさであるのです。
今朝の御言葉を読んで、私が思い起こしたのは、『エフェソの信徒への手紙』の第5章の御言葉です。新約の351ページです。21節から33節までお読みします。
キリストに対する畏れをもって、互いに従いなさい。妻たちよ、主に従うように、自分の夫に従いなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉と共に水で洗うことによって、教会を清めて聖なるものとし、染みやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、傷のない、栄光に輝く教会を、ご自分の前に立たせるためでした。そのように夫も、自分の体のように、妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。これまで、誰もわが身を憎んだ者はいません。かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。私たちはキリストの体の一部なのです。「こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。」この秘義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。
今朝、注目したいのは、25節から27節の御言葉です。「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉と共に水で洗うことによって、教会を清めて聖なるものとし、染みやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、傷のない、栄光に輝く教会を、ご自分の前に立たせるためでした」。私たちの多くは年を重ねており、染みやしわやそのたぐいのものがあります。また、傷もあります。しかし、私たちの花婿であるキリストは、十字架の血潮によって、私たちを染みやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、傷のない、栄光に輝く教会として、御前に立たせてくださいます。花婿であるイエス・キリストは、御自分の贖いの御業のゆえに、私たちを何一つ罪のない、正しい者として受け入れてくださるのです。