婚礼の日は心の喜びの日 2026年3月18日(水曜 聖書と祈りの会)
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婚礼の日は心の喜びの日
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- 村田寿和 牧師
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雅歌 3章6節~11節
聖書の言葉
3:6 荒れ野から煙の柱のように/上って来る人は誰でしょう。/没薬と乳香、商人のもたらすあらゆる香料を/くゆらせながら。
3:7 御覧なさい、ソロモンの輿を。/イスラエルの勇士/えり抜きの六十人が周りを囲んでいます。
3:8 彼らは皆、剣を持ち、戦いに秀でています。/それぞれ夜襲に備えて、腰に剣を差しています。
3:9 ソロモン王は自分のために/レバノンの木材で輿を作りました。
3:10 その柱は銀、背もたれは金/玉座は紫の布で作られました。/内側は、エルサレムの娘たちの手で/愛を込めて、仕上げられています。
3:11 シオンの娘たちよ/出て来て、御覧なさい、ソロモン王を。/王の婚礼の日、その心の喜びの日に/母君にかぶせていただいた冠を。
雅歌 3章6節~11節
メッセージ
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今朝は『雅歌』の第3章6節から11節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
今朝の御言葉は「おとめたち」の言葉です。ここには、婚礼の日の出来事が記されています。そのことを念頭に置いて、読み進めていきます。
6節から8節までをお読みします。
荒れ野から煙の柱のように/上って来る人は誰でしょう。没薬と乳香、商人のもたらすあらゆる香料をくゆらせながら。御覧なさい、ソロモンの輿を。イスラエルの勇士/えり抜きの六十人が周りを囲んでいます。彼らは皆、剣を持ち、戦いに秀でています。それぞれ夜襲に備えて、腰に剣を差しています。
ここで描かれているのは、婚礼の日の夜に、花婿が花嫁を迎えに行く光景です。おとめたちは、その光景をよく見て、私たちに伝えてくれています。「荒れ野から煙の柱のように/上って来る人は誰でしょう。没薬と乳香、商人のもたらすあらゆる香料をくゆらせながら」。没薬と乳香は、いずれも外国産の高価な香料でした。その香料を燃やして煙にして上って来る人、それは「ソロモン」です。ここでのソロモンがソロモン本人であるのか、それとも、若者のことであるのかは解釈が分かれるところです。私は、若者のことであると解釈したいと思います(1:4、12の「王」も若者であると解釈しましたので)。おとめたちは、若者をソロモンになぞらえているのです。「ソロモンの輿」とありますが、輿とは「屋形(やかた)の下に二本のながえをつけ、それを肩にかついだり手に持ったりして運ぶ乗り物。みこし」のことです(明鏡国語辞典)。ソロモンの輿の周りを、イスラエルの勇士、えり抜きの60人が囲んでいます。勇士たちは、敵の夜襲に備えて、腰に剣を差しているのです。おとめたちは、実際にそのような光景を見たことがあったのかも知れません。おとめたちは、かつて見たソロモンの輿を思い起こしながら、花嫁を迎えに行く花婿の姿を描いているのです。花婿の輿の周りを、花婿の友人たちが囲んでいる。婚礼の日は、花婿がまさに王様になれる日であるのです。
9節と10節をお読みします。
ソロモン王は自分のために/レバノンの木材で輿を作りました。その柱は銀、背もたれは金/玉座は紫の布で作られました。内側は、エルサレムの娘たちの手で/愛を込めて、仕上げられています。
ここには、ソロモンの輿がどのように作られていたかが記されています。ソロモン王は、自分のための輿を、高級木材であるレバノン杉で作りました。また、ソロモンの輿の柱は銀、背もたれは金、玉座は紫の布で作られていました。いずれも高価なものです。その内側はエルサレムの娘たちの手で、愛を込めて仕上げられている。実際に、おとめたちは、ソロモンの輿を見たことがあって、思い起こして、このように記しているのだと思います。もちろん、ソロモン王になぞらえる花婿の輿は、このような絢爛、豪華なものではなかったと思います。しかし、おとめたちは、想像力を膨らませて、若者の輿がソロモンの輿であるかのように語るのです。
11節をお読みします。
シオンの娘たちよ/出て来て、御覧なさい、ソロモン王を。王の婚礼の日、その心の喜びの日に/母君にかぶせていただいた冠を。
「シオン」とはエルサレムにある丘のことですから、「シオンの娘たち」は「エルサレムの娘たち」の言い換えです。おとめたちは、シオンの娘たちに、ソロモン王を見るように促します。11節の3行目に「王の婚礼の日」とありますが、「王の」は聖書協会共同訳の補足です。おとめたちは、婚礼の日、その心の喜びの日に、母親に冠をかぶらせていただいたソロモン王を見るように言います。婚礼の日、それはまさに喜びの日であるのです。特に、母親にとって喜びの日であるのです。それゆえ、母親は息子の頭に冠をかぶらせるのです。母親が若者にかぶらせた冠は、草花で作った冠であったかも知れません。しかし、そこには息子を育て上げた母親の喜びが込められているのです。
イエス様にとっても、婚礼の日は、心の喜びの日でありました。今朝は、そのことを確認して終わりたいと思います。新約の162ページです。『ヨハネによる福音書』の第2章1節から11節までをお読みします。
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスとその弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなってしまったとき、母がイエスに、「ぶどう酒がありません」と言った。イエスは母に言われた。「女よ、私とどんな関わりがあるのです。私のときはまだ来ていません。」母は召し使いたちに、「この方が言いつけるとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、汲んで、宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役が水をなめてみると、ぶどう酒に変わっていた。それがどこから来たものなのか分からなかったのでーー水を汲んだ召し使いたちは知っていたがーー、世話役は花婿を呼んで、言った。「誰でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回った頃に劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
ユダヤでは、婚礼の披露宴が一週間も続いたと言われます。しかし、途中でぶどう酒が無くなってしまいました。ぶどう酒が無ければ宴会を続けることはできません。しかし、イエス様は、大量の水を極上のぶどう酒に変えてくださり宴会を続けることができるようにしてくださったのです。婚礼にはイエス様の母がおり、イエス様も招かれていますから、花婿は、イエス様の親族であったのも知れません。ともかく、イエス様も婚礼を喜ばれていたのです。イエス様の最初のしるしは、婚礼の喜びを途切れさせないで、かえって喜びを増し加えるという奇跡であったのです。
イエス様ご自身は、生涯独身でした。しかし、イエス・キリストの使徒パウロは、教会がキリストの花嫁であると記しています(エフェソ5:21〜33参照)。私たちは、イエス・キリストの花嫁であるのです。そうであれば、キリストの教会として集まり、礼拝をささげる日は、私たちにとって心の喜びの日であるのです。