恋人よ、さあ、立ちなさい 2026年3月04日(水曜 聖書と祈りの会)
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恋人よ、さあ、立ちなさい
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- 村田寿和 牧師
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雅歌 2章8節~17節
聖書の言葉
2:8 愛する人の声。/ほら、あの方がやって来ます。/山々を跳び越え、丘を跳びはねて。
2:9 私の愛する人はガゼルや若い雄鹿のようです。/ほら、あの方は私たちの家の壁の外に立ち/窓からのぞき、格子の間から見ています。
2:10 私の愛する人は語りかけて言います。/「恋人よ、さあ、立ちなさい。/美しい人よ、さあ、来なさい。
2:11 ほら、冬は去り、雨季は過ぎ行きました。
2:12 花々が地に現れ/さえずりの季節がやって来ました。/山鳩の声が私たちの地に聞こえます。
2:13 いちじくの実は熟し/ぶどうの花は香りを放ちます。/恋人よ、立ち上がって来なさい。/美しい人よ、さあ来なさい。
2:14 岩の裂け目、崖の隠れ場にいる私の鳩よ/あなたの姿を見せてください。/あなたの声を聞かせてください。/あなたの声は甘く、あなたの姿は愛らしい。」
2:15 ジャッカルを捕まえてください。/ぶどう畑を荒らす小さなジャッカルを。/私たちのぶどう畑は花盛りですから。
2:16 愛するあの方は私のもの。/私は、百合の中で群れを飼っているあの方のもの。
2:17 愛する人よ/日が息をつき、影が逃げ去るまでに/ガゼルや若い雄鹿のように/険しい山々を越え、戻って来てください。雅歌 2章8節~17節
メッセージ
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今朝は、『雅歌』の第2章8節から17節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
今朝の御言葉は、「おとめ」の言葉です。10節から14節までは、おとめの愛する人、若者の言葉ですが、これもおとめの口から語られています。
8節と9節前半をお読みします。
愛する人の声。ほら、あの方がやって来ます。山々を跳び越え、丘を跳びはねて。私の愛する人はガゼルや若い雄鹿のようです。
おとめは、愛する人が遠くから呼びかける声を聞きます。そして、若者が山々を跳び越え、丘を跳びはねて近づいてくる姿を見るのです。おとめの愛する人は、ガゼルや若い雄鹿のように優美で軽やかです。ちなみに、新共同訳では、「ガゼル」を「かもしか」と翻訳していました。おとめは、かつて見た若者の姿を思い起こして記しているのか、それとも、おとめが想像の翼を広げて記しているのかは解釈が分かれるところです。私としては、かつての体験を思い起こして記していると解釈したいと思います。
9節後半から14節までをお読みします。
ほら、あの方は私たちの家の壁の外に立ち/窓からのぞき、格子の間から見ています。私の愛する人は語りかけて言います。「恋人よ、さあ、立ちなさい。美しい人よ、さあ、来なさい。ほら、冬は去り、雨季は過ぎ行きました。花々が地に現れ/さえずりの季節がやって来ました。山鳩の声が私たちの地に聞こえます。いちじくの実は熟し/ぶどうの花は香りを放ちます。恋人よ、立ち上がって来なさい。美しい人よ、さあ来なさい。岩の裂け目、崖の隠れ場にいる私の鳩よ/あなたの姿を見せてください。あなたの声を聞かせてください。あなたの声は甘く、あなたの姿は愛らしい」。
若者は、おとめの家の壁の外に立って、窓からのぞき、格子の間から見ています。若者は、おとめの家に入ることができないので、家の外に出てくるように、語りかけるのです。この若者の言葉も、おとめの想像ではなく、実際に若者がおとめに語った言葉を思い起こしているのだと思います。若者は、春の訪れを告げて、「恋人よ、立ち上がって来なさい」と誘うのです。ここで若者は、いくつもの言葉で、春の訪れを告げています。冬は去り、雨季は過ぎ去りました。花々が地に現れ、鳥たちがさえずる春がやってきたのです。いちじくの実は熟し、ぶどうの花が香りを放つ、逢い引きするのに良い季節が到来したのです。「恋人よ、岩の裂け目に隠れていないで、あなたの愛らしい姿を見せておくれ、あなたの甘い声を聞かせておくれ」と若者は語りかけるのです。この若者の姿は、戸口に立って扉を叩いているイエス様の姿を思い起こさせます。新約の444ページです。
『ヨハネの黙示録』の第3章14節から22節には、「ラオディキアの教会に宛てた手紙」が記されています。その20節で、イエス様はこう言われています。
「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう」。
イエス様は扉を蹴り破って、無理やり入ってくるようなことはしません。イエス様は、扉を叩いて、私たちが自分から扉を開けるのを待っておられます。そして、私たちが扉を開くならば、中に入ってくださり、共に食事をしてくださるのです。イエス様は、聖書の御言葉を通して、私たちの心の扉をノックしています。そして、私たちが心の扉を開くならば、私たちの心に、聖霊において住み込んでくださり、親しい交わりを持ってくださるのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の1037ページです。
15節をお読みします。
ジャッカルを捕まえてください。ぶどう畑を荒らす小さなジャッカルを。私たちのぶどう畑は花盛りですから。
「ジャッカル」とありますが、新共同訳は「狐(きつね)」と翻訳していました。ここでの「ぶどう畑」はおとめのことです。また、「ジャッカル、狐」とは、おとめを誘惑する好色(スケベ)な男のことです。若者とおとめの恋路を邪魔する男は、取り除かなければならないのです。「私たちのぶどう畑は花盛りです」とあるように、若者とおとめの関係は一番良いとき(アツアツ)であるのです。
16節をお読みします。
愛する方は私のもの。私は、百合の中で群れを飼っているあの方のもの。
おとめは、「愛する方は、私のもの。私は、百合の中で群れを飼っているあの方のもの」と言います。ここに、私たちは神様の約束、「私はあなたの神となり、あなたは私の民となる」という約束の反響を聞き取ることができます。「私はあなたの神となり、あなたは私の民となる」。この神様の約束は、アブラハムに始まる恵みの契約を貫く約束であります(創世17:7、8参照)。「私はあなたの神となり、あなたは私の民となる」。この御言葉は、『エレミヤ書』の第31章の「新しい契約」の預言の中にも記されています。旧約の1221ページです。第31章31節から34節までをお読みします。
その日が来るーー主の仰せ。私はイスラエルの家、およびユダの家と新しい契約を結ぶ。それは、私が彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に結んだ契約のようなものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らは私の契約を破ってしまったーー主の仰せ。その日の後、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれであるーー主の仰せ。私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。もはや彼らは、隣人や兄弟の間で、「主を知れ」と言って教え合うことはない。小さな者から大きな者に至るまで、彼らは皆、私を知るからであるーー主の仰せ。私は彼らの過ちを赦し、もはや彼らの罪を思い起こすことはない。
この新しい契約は、イエス・キリストが御自分の血潮によって締結してくださいました。十字架と復活の主であるイエス・キリストは、聖霊によって、私たちの心に神の律法を書き記して、主を知る者としてくださったのです。そのようにして、私たちのうえに、「私はあなたの神となり、あなたは私の民となる」という御言葉が実現したのです。ですから、私たちも、「愛するあの方は私のもの。私は、百合の中で群れを飼っているあの方のもの」と言うことができるのです。永遠の契約の血による羊の大牧者であるイエス・キリストは、私の主であり、私の神であるのです(ヘブライ13:20、ヨハネ20:28参照)。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の1037ページです。
17節をお読みします。
愛する人よ/日が息をつき、影が逃げ去るまでに/ガゼルや若い雄鹿のように/険しい山々を越え、戻って来てください。
「日が息をつき、影が逃げ去るまで」とは、「夕刻になるまで」という意味です。おとめは、再び、若者を「ガゼル(かもしか)」や「若い雄鹿」にたとえます。百合の中で羊の群れを飼っている愛する人が、険しい山々を跳びこえて、戻ってくることを願うのです。私たちが主イエス・キリストの再臨を待ち望んでいるように、おとめは愛する人が戻って来ることを待ち望んでいるのです。