あなたは美しい 2026年2月18日(水曜 聖書と祈りの会)

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あなたは美しい

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
雅歌 1章9節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:9 恋人よ、私はあなたを/ファラオの戦車隊の雌馬にたとえよう。
1:10 頬飾りが揺れるあなたの頬/首飾りをつけたあなたの首も麗しい。
1:11 私たちが、銀の玉を散りばめた金の頬飾りを/あなたに作ってあげよう。
1:12 王が宴席に着いている間/私のナルドは香りを放ちました。
1:13 愛する人は私にとって没薬の匂い袋。/私の乳房の間で一夜を過ごします。
1:14 愛する人は私にとって/エン・ゲディのぶどう園に咲くヘンナの花房。
1:15 恋人よ、あなたは美しい。/あなたは美しい、あなたの目は鳩。
1:16 愛する人よ、あなたは美しく、麗しい。/私たちの寝床は緑の茂み。
1:17 私たちの家の梁はレバノン杉。/その垂木は糸杉。雅歌 1章9節~17節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『雅歌』の第1章9節から17節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 9節から11節までをお読みします。

 恋人よ、私はあなたを/ファラオの戦車隊の雌馬にたとえよう。頬飾りが揺れるあなたの頬も/首飾りをつけたあなたの首も麗しい。私たちが、銀の玉を散りばめた金の頬飾りをあなたに作ってあげよう。

 9節から11節は、「若者」の言葉です。若者は、「恋人よ、私はあなたを/ファラオの戦車隊の雌馬にたとえよう」と言います(通常は戦車隊の馬は雄馬であった)。「ファラオ」とはエジプトの王様です。エジプトの王ファラオの戦車隊の馬は、美しい馬であったと思います。若者は、恋人であるおとめを、選りすぐりの美しい馬にたとえています。ちなみに、『列王記上』の第10章には、ソロモンがエジプトから馬を輸入したことが記されています。ファラオの戦車隊を引く馬は煌びやかに飾られました。そのことを念頭に置きつつ、若者は、「頬飾りが揺れるあなたの頬も/首飾りをつけたあなたの首も麗しい」と言うのです。若者は装飾品によって際立つ、おとめの美しさをほめるのです。そして、「私たちが、銀の玉を散りばめた頬飾りをあなたに作ってあげよう」と言うのです。このように聞くと、若者は裕福であるように思われます。しかし、必ずしも文字通りに捉えなくてよいと思います。若者は、さらなる装飾品によって、恋人の美しさをより際立たせたい思いを伝えているのです。

 12節から14節までをお読みします。

 王が宴席に着いている間/私のナルドは香りを放ちました。愛する人は私にとって没薬の匂い袋。私の乳房の間で一夜を過ごします。愛する人は私にとって/エン・ゲディのぶどう園に咲くヘンナの花房。

 12節から14節までは、「おとめ」の言葉です。おとめは、自分の愛する人を「王」と呼びます。第1章4節でも、おとめは「若者」のことを「王」と読んでいました。これは文字通りの意味ではなく、おとめにとって若者は王のような存在であるということです。第1章7節と8節を読むと、若者が羊の群れを飼っていたことが分かります。ですから、12節の「王」は文字通りの王様ではないのです。おとめは若者を王に、自分をその妃(きさき)になぞらえています。ですから、おとめは実際には、ナルドも没薬も所有していなかったと思います。ナルドはインド産の高価な香油です。また、没薬はアラビア産の高価な香料です。おとめは、貴族たちが没薬の匂い袋を首からさげていたことを知っていたのでしょう。おとめは、「愛する人は私にとって没薬の匂い袋」のようだと言うのです。おとめは、匂い袋が乳房の間で香りを放つように、若者が乳房の間で一夜を過ごすことを夢見るのです。そして、おとめは、「愛する人は私にとって/エン・ゲディのぶどう園に咲くヘンナの花房」と言うのです。若者がおとめを「ファラオの雌馬」にたとえたように、おとめは若者を「エン・ゲディのぶどう園に咲くヘンナの花房」にたとえます。「エン・ゲディ」とは死海の西岸にあるオアシスです。「ヘンナの花房」も良い香りを放ったようです。おとめは、若者との親しい交わりの心地よさを、良い香りを用いて、嗅覚に訴えて表すのです。

 15節をお読みします。

 恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しい、あなたの目は鳩。

 15節は、「若者」の言葉です。若者は、ストレートに、「恋人よ、あなたは美しい」と言います。そして、おとめの目を鳩にたとえるのです。イスラエルにおいて、鳩は純真さや清らかさの象徴であったのです(マタイ10:16「鳩のように無垢でありなさい」参照)。

 16節と17節をお読みします。

 愛する人よ、あなたは美しく、麗しい。私たちの寝床は緑の茂み。私たちの家の梁はレバノン杉。その垂木は糸杉。

 16節と17節は「おとめ」の言葉です。15節の若者の言葉に応えて、おとめも「愛する人よ、あなたは美しく、麗しい」と言います。「私たちの寝床は緑の茂み」とありますから、若者とおとめは、田舎の自然の中で逢い引きしているようです(「逢い引き」とは「愛し合っている二人が人目を忍んで会うこと。ランデブー。密会」の意味)。また、「私たちの家の梁はレバノン杉。その垂木は糸杉」とありますが、レバノン杉は高級木材です。ちなみに、『列王記上』の第7章で、ソロモンの宮殿が「レバノンの森の家」と呼ばれています。ここでもおとめは想像の翼を広げているようです。おとめにとって、愛する人は王であり、愛する人と共にいられる場所は、レバノンの森の家であるのです。

 今朝の御言葉を読むと、若者とおとめが互いをほめあっていることが分かります。若者がおとめを「ファラオの戦車隊の雌馬」にたとえると、おとめは若者を「エン・ゲディのぶどう園に咲くヘンナの花房」にたとえます。若者がおとめに「あなたは美しい」と言うと、おとめも若者に、「あなたは美しい」と応えます。このように、今朝の御言葉は、若者とおとめの掛け合いによって成り立っています。これは、神様と私たちとの交わりである礼拝と同じですね。神様は、私たちに、「あなたは私の目に貴く、重んじられる。私はあなたを愛するゆえに/人をあなたの代わりに/諸国の民をあなたの命の代わりに与える」と言ってくださいます(イザヤ43:4)。そして、私たちの身代わりとして、愛する御子イエス・キリストを与えてくださったのです(ヨハネ3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」参照)。そのような神様からの愛の告白を受けて、私たちは、「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、私の神である主を愛します」と告白するのです(マタイ22:37参照)。

 では、私たちにとっての「レバノンの森の家」は、どこでしょうか?それは、「真理の柱であり土台である生ける神の教会」であります(一テモテ3:15)。「教会」と訳されるギリシャ語はエクレーシアで、元々の意味は「召し出された者たちの集い」を意味します。教会とは建物ではなく、イエス・キリストによって召し出された者たちの群れであるのです。イエス・キリストの名によって二人、または三人が集まるところが教会であるのです(マタイ18:20「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」参照)。その教会で行われる礼拝において、キリストを知る知識の香りが放たれているのです。私たちは、礼拝において、命から命に至るキリストのかぐわしい香りを楽しむことができるのです(二コリント2:14~16参照)。

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