ソロモンの雅歌 2026年1月14日(水曜 聖書と祈りの会)

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ソロモンの雅歌

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
雅歌 1章1節

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1:1 ソロモンの雅歌。雅歌 1章1節

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 「聖書と祈りの会」では、今朝から『雅歌』を読み進めていきたいと思います。今朝は、第1章1節を中心にしてお話しします。

 1節をお読みします。

 ソロモンの雅歌。

 これは、この文書の表題(タイトル)と言えます。「雅歌」と訳されている言葉を直訳すると「もろもろの歌の中の歌」となります。これはヘブライ語で、最上級を表す表現です。雅歌はもろもろの歌の中の歌、もっとも素晴らしい歌であるのです。「ソロモンの雅歌」とあるように、『雅歌』は知恵で有名なソロモン王によって記されたと考えられています。ソロモン王の知恵については、『列王記上』の第5章9節から14節に次のように記されています。旧約の520ページです。

 神はソロモンに、非常に豊かな知恵と英知、そして海辺の砂浜のような広い心をお与えになった。ソロモンの知恵は、東方のどの人たちの知恵にも、エジプトのいかなる知恵にもまさっていた。彼は、エズラ人エタンやマホルの子らであるヘマン、カルコル、ダルダの誰よりも賢く、その名声は周りのすべての国々に知れ渡っていた。ソロモンは三千の箴言を語り、その歌は千と五を数えた。レバノン杉から、石垣に生えるヒソプに至る草木について論じ、獣や鳥、這うものや魚について語った。ソロモンの知恵を聞きつけたあらゆる国の王のもとから、その知恵を聞こうとあらゆる民がやって来た。

 12節に、「ソロモンは三千の箴言を語り、その歌は千と五を数えた」と記されています。ソロモンが歌った千と五の歌の最高のものが『雅歌』であると考えられるのです。また、ソロモンには多くの妻、すなわち、七百人の王妃と三百人の側室がいました(列王上11:3参照)。ソロモンは恋多き男であったのです。そのことも雅歌がソロモンによって記されたと考えられた理由であるようです。このように伝統的には、『雅歌』は知恵文学の一つとして、ソロモンと結び付けられているのです(ユダヤ教のあるラビによれば、ソロモンは青年期に『雅歌』を記し、壮年期に『箴言』を記し、高齢期に『コヘレトの言葉』を記した)。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の1035ページです。

 『雅歌』には、一組の夫婦の未婚(婚約)のときの愛の歌、あるいは新婚のときの愛の歌が記されています。聖書協会共同訳は、小見出しをつけて、誰の歌であるかを教えてくれています。小見出しを見ると、「おとめ」と「若者」と「おとめたち」の三者が登場します(フランシスコ会聖書研究所訳では「花嫁」と「花婿」と「おとめたち」と記されている)。『雅歌』は「おとめ」と「若者」と「おとめたち」の言葉によって織りなされています。『雅歌』がどのような書物であるかについては諸説がありますが、私としては、婚礼のときに歌われた戯曲であると解釈したいと思います。また、『雅歌』は夫婦の愛の歌に留まることなく、神とイスラエルの愛の歌であると解釈したいと思います。といいますのも、聖書は、神様とイスラエルとの関係を夫と妻の関係にたとえて教えているからです(ホセア2~3章、イザヤ5:1、50:1、54:4~8、62:4~5、エレミヤ2~3章、エゼキエル16章、23章など)。ここでは『イザヤ書』の第54章4節から8節までをお読みします。旧約の1135ページです。

 恐れるな、あなたが恥じ入ることはない。恥じるな、あなたが辱められることはない。あなたは若い時の恥を忘れ/やもめであったときの屈辱を/二度と思い出すことはない。あなたの夫はあなたを造られた方。その名は万軍の主。あなたの贖い主はイスラエルの聖なる方で/全地の神と呼ばれている。捨てられ、心を痛めた妻を呼ぶように主はあなたを呼ばれる。若い時の妻を見捨てることなどできようか-あなたの神は言われる。ほんの僅かな間、わたしはあなたを見捨てたが/深い憐れみをもって、あなたを連れ戻す。怒りが溢れ/僅かな間、私は顔をあなたから隠したがとこしえの慈しみをもってあなたを憐れむ-あなたの贖い主、主は言われる。

 5節に、「あなたの夫はあなたを造られた方。その名は万軍の主」とあるように、ここでは主とイスラエルとの関係が夫と妻の関係にたとえられています。イザヤは、シナイ山での契約を神様とイスラエルの民との結婚の契約になぞらえているわけです。

 また、『雅歌』はイエス・キリストと教会の愛の歌でもあります。といいますのも、使徒パウロは、イエス・キリストと教会の関係を夫と妻の関係に、花婿と花嫁の関係にたとえています。『エフェソの信徒への手紙』の第5章21節から33節までをお読みします。新約の351ページです。

 キリストに対する畏れをもって、互いに従いなさい。妻たちよ、主に従うように、自分の夫に従いなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉と共に水で洗うことによって、教会を清めて聖なるものとし、染みやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、傷のない、栄光に輝く教会を、ご自分の前に立たせるためでした。そのように夫も、自分の体のように、妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。これまで、誰もわが身を憎んだ者はいません。かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。私たちはキリストの体の一部なのです。「こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。」この秘義は偉大です。私は、キリストと教会とを指して言っているのです。いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。

 このように使徒パウロは、夫と妻の関係を、キリストと教会の関係に重ねて教えています。パウロは、エレミヤが預言し、イエス・キリストが十字架の血潮によって結ばれた新しい契約が結婚の契約になぞらえているわけです。旧約の預言者たちが神とイスラエルの民との関係を夫婦にたとえたことを踏まえて、パウロはキリストと教会の関係を夫婦にたとえているのです。なぜなら、キリストの教会こそ、神のイスラエルであるからです(新共同訳 ガラテヤ6:15、16「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に、平和と憐れみがあるように」参照)。神とイスラエルの民、キリストと教会は、夫婦の関係にたとえられる。このことを覚えて、私たちは『雅歌』を読み進めていきたいと思います。

 私たちの主イエス・キリストは、「聖書は私について証しをするものだ」と言われました(ヨハネ5:38)。その聖書の中に『雅歌』も含まれています。私たちにとって『雅歌』は、信仰と生活の規範である神の言葉であるのです(ウェストミンスター信仰告白1:2参照)。それゆえ、私は『雅歌』を、他の聖書の書物と同じように、文法的(グラマティカル)に、歴史的(ヒストリカル)に、神学的(セオロジカル)に解釈してお話ししていきたいと思います(ルイス・ベルコフ著『聖書解釈の原理』参照)。

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