神の国は今ここに 2026年1月11日(日曜 朝の礼拝)

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神の国は今ここに

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 11章14節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

11:14 イエスは悪霊を追い出しておられた。それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚いた。
11:15 しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、
11:16 イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。
11:17 しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国も荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。
11:18 サタンもまた内輪もめすれば、どうしてその国は立ち行けよう。というのも、あなたがたは、私がベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言っているからだ。
11:19 私がベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのであれば、あなたがたの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたがたを裁く者となる。
11:20 しかし、私が神の指で悪霊を追い出しているのなら、神の国はあなたがたのところに来たのだ。
11:21 強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その財産は安全である。
11:22 しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具を奪い、分捕り品を分け合う。
11:23 私と共にいない者は私に反対する者であり、私と共に集めない者は散らす者である。」ルカによる福音書 11章14節~23節

原稿のアイコンメッセージ

 今年も「主の日の礼拝」では、『ルカによる福音書』を読み進めていきたいと思います。今朝は、第11章14節から23節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 イエス様は悪霊を追い出しておられました。それは口を利けなくする悪霊でした。悪霊が出て行くと、口を利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚きました。しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者がいました。また、イエス様を試そうとして、天からのしるしを求める者がいました。私たちはここから、群衆はイエス様に必ずしも好意的ではないことを教えられます。同じイエス様の悪霊追い出しを見ても、様々な反応があったのです。イエス様が悪霊を追い出して、口の利けない人を口が利けるようにされた。これは、普通に考えれば、イエス様が神様の力によって、人間から悪霊を追い出されたとなると思います。しかし、群衆の中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者たちがいたのです。そこにはイエス様への悪意があります。17節に、「しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた」とあるように、イエス様は、彼らの心の中にあるご自分に対する悪意を見抜かれて、こう言われます。「内輪で争えば、どんな国も荒れ果て、家は重なり合って、倒れてしまう。サタンもまた内輪もめすれば、どうしてその国は立ち行けよう。というのも、あなたがたは、私がベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言っているからだ」(17、18節)。細かいことを言うようですが、ここでの「国」は「王国」(バシレイア)のことです。内輪で争えば、どんな王国も荒れ果てて、立ち行かない。これは確かにそうであると思います。そして、そのことはサタンの王国においても同じであると言うのです。15節に「悪霊の頭ベルゼブル」とあり、18節に「サタン」とありますが、ベルゼブルはサタンのことです。サタン、悪魔は、堕落した天使であり、神の御業を台無しにしようとする、神の敵であります。そのサタンが多くの悪霊を従えて、サタンの王国を築いているのです。そのサタンの王国のことを考えてみれば、あなたがたの主張、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」という主張がいかに馬鹿げたものであるかが分かるであろう。それはサタンの王国の内輪もめであり、サタンの王国は成り立っていかない。しかし、サタンの王国が存在している以上、あなたがたの主張は破綻している、こうイエス様は言われるのです。このイエス様の御言葉の前提にあるものは、悪霊にとって、人間の中に入り込んで、人間を苦しめることは本性(ほんしょう「本来の性質」の意味)であるということです。悪霊の頭であるベルゼブルであっても、悪霊の本性に反することを命じることはできないのです(ヨハネ8:44「悪魔は初めから人殺しであって、真理に立っていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性(ほんしょう)から言っている。自分が偽り者であり、偽りの父だからである」参照)。

 また、イエス様は19節でこう言われます。「私がベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのであれば、あなたがたの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたがたを裁く者となる」。イエス様の他にも、悪霊を追い出している者たちがいたようです(9:49参照)。イエス様に対して、「あの男はベルゼブルの力で悪霊を追い出している」という者たちの仲間にも、悪霊を追い出している者たちがいました。しかし、彼らは自分の仲間に対しては、「ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」とは言わないわけですね。もし、そのようなことを言えば、彼らがあなたがたを裁いて、罪に定めるであろうと、イエス様は言われるのです。つまり、彼らの主張には一貫性がないのです。

 さらに、イエス様は20節でこう言われます。「しかし、私が神の指で悪霊を追い出しているなら、神の国はあなたがたのところに来たのだ」。ここでイエス様は、ご自分が神の指で悪霊を追い出していること。そして、そのことは神の王国があなたがたのところに来ていることのしるしであると言われます。「神の指」という言葉は、『出エジプト記』の第8章に記されている「ぶよの災い」のお話しに由来します。聖書を開いて確認したいと思います。旧約の97ページです。第8章12節から15節までをお読みします。

 主はモーセに言われた。「アロンに言いなさい。杖を差し伸べて地の塵を打て。そうすれば、それはエジプト全土でぶよとなる。」二人はそのように行った。アロンは杖を持って手を伸ばし、地の塵を打つと、人や家畜につくぶよとなり、地の塵はすべて、エジプト全土でぶよとなった。魔術師たちも秘術を使って同じように行い、ぶよを出そうとしたが、できなかった。ぶよは人にも家畜にもついたので、魔術師たちはファラオに、「これは神の指によるものです」と言った。しかし、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が語られたとおりである。

 ここでエジプトの魔術師たちは、アロンがしたことを、「これは神の指によるものです」と認めています。地の塵からぶよを造り出すことは、神様だけがなせる御業であるのです(創世1:24参照)。かつてアロンが神の指によって、ぶよの災いをもたらしたように、イエス様は、ご自分が神の指によって悪霊を追い出したのであると言われるのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の127ページです。

 20節で、イエス様はこう言われます。「私が神の指で悪霊を追い出しているのなら、神の国はあなたがたのところに来たのだ」。この「神の指」は「神の霊」とも言い換えることができます。イエス様は、神の霊を注がれたメシア、キリスト、王として、人間から悪霊を追い出しているのです。『ルカによる福音書』は、イエス様が聖霊によっておとめマリアの胎に宿られた、神の御子であることを記しました。また、およそ30歳のときに、天から聖霊を注がれて、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という天からの声によって、イスラエルのメシア、キリスト、王として就任されたことを記しました。第4章には、ナザレの会堂でのメシア就任演説が記されています。新約の106ページです。第4章16節から21節までをお読みします。

 それから、イエスはご自分が育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために/主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは/捕らわれている人に解放を/目の見えない人に視力の回復を告げ/打ちひしがれている人を自由にし/主の恵みの年を告げるためである。」イエスは巻物を巻き、係りの者に返して座られた。会堂にいる皆の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

 ここで、イエス様は、預言者イザヤが預言していたメシア(油を注がれた者)こそ、自分であると宣言されました。イエス様は、主の霊を注がれたメシアとして、福音を告げ知らせ、悪霊に捕らわれている人々を解放して来たのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の127ページです。

 20節で、イエス様は、「私が神の指で悪霊を追い出しているなら、神の国はあなたがたのところに来たのだ」と言われました。イエス様の悪霊追い出しは、イエス様において神の王国が到来していることのしるしであるのです。神の王国は、神によってメシアとされたイエス様において来ているのです。今朝の御言葉の前提にあることは、神の王国とサタンの王国があるということです。そして、人間は、はじめの人アダムが、エデンの園において、サタンに惑わされて罪を犯したことにより、サタンの王国、サタンの王的支配のもとに置かれているということです(一ヨハネ5:19「私たちは神から出た者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています」参照)。はじめの人アダムの子孫である人間は罪の奴隷であり、悪魔の奴隷でもあるのです。これが聖書が教える霊の世界の真相です。霊の世界には、神の王国とサタンの王国の二つしかありません。中立地帯のようなものはないのです。そのことをイエス様は、21節から23節で教えています。「強い人が武装して自分の屋敷を守っているときは、その財産は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具を奪い、分捕り品を分け合う。私と共にいない者は私に反対する者であり、私と共に集めない者は散らす者である」。ここでイエス様はたとえを語っています。「強い人」は「悪霊」のことです。「自分の屋敷」とは「悪霊に取りつかれた人」のことです。「もっと強い者」とは「人から悪霊を追い出すイエス様」のことです。イエス様が人から悪霊を追い出すことは、このような霊的な戦いであるのです。このような霊的な戦いが始まっている以上、人間はイエス様の側につくか、悪魔の側につくかの決断を迫られているのです。その決断は、イエス様の悪霊追い出しの力の源が神であると言うか、それとも、ベルゼブルであると言うかによって示されるのです。イエス様の悪霊追い出しが、ベルゼブルの力であると言うなら、その人は、イエス様に反対する者であり、散らす者であります。しかし、イエス様の悪霊追い出しが神の指によるものであると言うなら、その人はイエス様と共にいる者であり、イエス様と共に集める者であるのです。ここでの「集める」とは羊飼いであるイエス様のもとに、イエス様の羊たちを集める、福音宣教と教会形成のことです。イエス・キリストの弟子である私たちは、イエス様の悪霊追い出しに、神の指の働きを見て、確かにイエス様において、神の国がこの地上に到来したことを信じて、イエス様と共に福音宣教と教会形成に励んでいるのです。

 今朝の御言葉において、イエス様が追い出した悪霊は、口を利けなくする悪霊でした。この記述は、紀元1世紀のユダヤにおいて、病気や障がいの背後には悪霊の働きがあると考えられていたことを教えています。現代の私たちは、病気や障がいを悪霊の働きに結びつけることはしないと思います。病気や障がいがあれば、病院に行って、治療を受けると思います。私たちは、癒し主である神様が、医療を用いて癒してくださることを信じて、治療を受け、薬を飲むのです(一般恩恵としての医療)。では、現代の私たちは、人間が神の王国に属しているか、それともサタンの王国に属しているかを、どのように知ることができるのでしょうか。その答えが、『コリントの信徒への手紙一』の第12章に記されています。新約の309ページです。第12章1節から3節までをお読みします。

 さて、きょうだいたち、霊の賜物については、次のことをぜひ知っておいてほしい。知ってのとおり、あなたがたは、まだ異邦人だったとき、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれました。そこで、あなたがたに言っておきます。神の霊によって語る人は、誰も「イエスは呪われよ」とは言わず、また、聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」と言うことはできません。

 このパウロの言葉から教えられることは、その人が「イエスを何と言うか」によって、その人が悪霊の支配のもとにあるのか、あるいは聖霊の支配のもとにあるのかが分かるということです。「イエスを何と言うか」によって、その人がサタンの王国に属する者であるか、あるいは神の王国に属する者であるかが分かるのです。なぜなら、神様は、イエスを主とすることによって、神の王国を樹立されたからです(使徒2:36「イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」、フィリピ2:6~11も参照)。「イエスは呪われよ」と言う人は悪霊の支配のもとにあり、サタンの王国に属しています。しかし、「イエスは主である」と言う人は聖霊の支配のもとにあり、神の王国に属す者であるのです。ですから、「イエスは主である」と告白する私たちは、たとえ口が利けなくなったとしても、聖霊の支配のもとにあり、神の王国に属する者であるのです。私たちはイエス・キリストの御言葉と聖霊によって、悪霊の支配から解放されて、イエス・キリストにおいて到来した神の王国に生きる者とされているのです。

 今朝の説教題を「神の国は今ここに」としました。神の国は、イエス・キリストを主と告白する私たちのところに、今来ているのです。イエス・キリストは、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」と言われました(マタイ18:20)天におられるイエス・キリストは御言葉と聖霊において、私たちの只中におられるのです。そのことを心に留めて、私たちはイエス様と共に、イエス様の民を集める働きに励んでいきたいと願います。

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