12人を遣わすイエス 2025年6月29日(日曜 朝の礼拝)
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12人を遣わすイエス
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- 村田寿和 牧師
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ルカによる福音書 9章1節~9節
聖書の言葉
9:1 イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊を追い出し、病気を癒やす力と権能をお授けになった。
9:2 そして、神の国を宣べ伝え、病人を癒やすために遣わすにあたり、
9:3 次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持つな。
9:4 どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。
9:5 あなたがたを受け入れない者がいれば、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに足の埃を払い落としなさい。」
9:6 十二人は出かけて行き、村々を巡り歩いて、至るところで福音を告げ知らせ、病気を癒やした。
9:7 ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて困惑した。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、
9:8 「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、さらに、「昔の預言者の一人が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
9:9 ヘロデは言った。「ヨハネなら、私が首をはねた。では、耳に入って来るこの噂の主は、一体、何者だろう。」そして、イエスを見てみたいと思った。ルカによる福音書 9章1節~9節
メッセージ
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今朝は、『ルカによる福音書』の第9章1節から9節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節に、「イエスは12人を呼び集め、あらゆる悪霊を追い出し、病気を癒やす力と権能をお授けになった」とあります。このことの前提には、イエス様があらゆる悪霊を追い出し、病気を癒やす力と権能を持っていることがあります。イエス様は御自分が持っている悪霊を追い出し、病気を癒やす権能を、12人にお授けになったのです。12人とは、イエス様が弟子たちの中から選んで、使徒と名付けられた者たちのことです。第6章12節から16節にこう記されていました。新約の111ページです。
その頃、イエスは祈るために山に行き、夜(よ)を徹して神に祈られた。朝になると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後(のち)に裏切り者となったイスカリオテのユダである。
イエス様は、12人を使徒と名付けられましたが、「使徒」とは「遣わされた者」という意味です。権威を与えられた全権大使として、あるいは名代として遣わされた者、それが使徒であります。では、イエス様は、すぐに12人を遣わしたかと言えば、そうではありませんでした。第8章1節に、こう記されています。新約の116ページです。
その後(のち)、イエスは神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせながら、町や村を巡られた。十二人も一緒だった。
イエス様は、12人を引き連れて町や村を巡り、神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせました。それは、どのようにして神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせるのかを、12人によく見せるためであります。今朝の御言葉では、その12人が、いよいよ神の国を宣べ伝えるために遣わされるのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約119ページです。
イエス様が12人を呼び集め、あらゆる悪霊を追い出し、病気を癒やす力と権能をお授けになったのは、12人を遣わして、神の国を宣べ伝え、病人を癒やすためでありました。ここには「悪霊を追い出すために」とは記されていません。イエス様は、12人に、あらゆる悪霊を追い出し、病気を癒やす力と権能をお授けになりましたが、「病人を癒やすためにお遣わしになった」とだけ記されているのです。それはおそらく、病気が悪霊の仕業であると考えられていたからだと思います。第13章11節に、こう記されています。新約の133ページです。
そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
「病の霊」とあるように、悪霊の働きと病が一体的に考えられています。これは当時の、紀元1世紀のユダヤ人の世界像(ワールド イメージ)で記されているわけですね(聖書は自然科学の教科書でないように、医学の教科書でもない)。現代の私たちは、病が悪霊の働きによるものだとは考えないと思います(インターネットで調べると、「病気の原因は遺伝子、外部環境、生活習慣の大きく3つの要因がある」とありました)。ですから、私たちは、病気になればお医者さんにかかって、薬を飲むわけです。そのようにして、私たちは、お医者さんや薬を通して、神様の癒やしにあずかるのです。けれども、紀元1世紀のユダヤの人々は、病の原因を悪霊の働きによるものと考えていたのです。それゆえ、病の癒やしは悪霊の追い出しと一体的であり、神の国が到来していることのしるしとなるわけです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の119ページです。
イエス様は、御自分において神の国、神の王国、神の王的支配が来たことを宣べ伝えました。『マルコによる福音書』の第1章14節と15節には、こう記されています。「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい』と言われた」。イエス様が「時は満ち、神の国は近づいた」と言われたとき、それは神様によってメシア、王とされた御自分において、神の国が到来したことを宣言されたのです。ですから、「悔い改めて、福音を信じる」とは、神に立ち帰って、神のメシアであるイエス・キリストを信じることであるのです。イエス様があらゆる悪霊を追い出し、病人を癒やされたのも、御自分において神の国が到来したことのしるしであったのです。イエス様は御自分の名によって、人々から悪霊を追い出し、人々の病を癒やされました。では、イエス様によって遣わされた12人はどうだったでしょうか。彼らはイエス様からあらゆる悪霊を追い出し、病気を癒やす力と権能を授けられた者として、イエス様の御名によって神の国を宣べ伝え、イエス様の御名によって病人を癒やしたはずです。同じことが、使徒的教会である私たちにも言えると思います(ニケア信条「私たちは、ひとつの聖なる公同の使徒的な教会を信じます」参照)。私たちは、キリストの名の下に集まり、礼拝をささげています。礼拝の中心は聖書朗読とその解き明かしである説教ですが、説教者である私もキリストの名の下に説教をしています。教会の頭(かしら)は主イエス・キリストであり、主イエス・キリストは、牧師、長老、執事といった教会役員を立て、教会会議を通して、御自分の教会を治めておられます。私たちは、主の日の礼拝ごとに、「主イエス・キリストにおいて神の国は来ている。主イエス・キリストを信じるならば、神の国の祝福にあずかることができる」と宣べ伝えているのです。しかし、残念ながら、私たちは病人を癒やすことができるわけではありません。それは、病人の癒やしがイエス・キリストにおいて神の国が到来していることのしるしであったからです。つまり、病人の癒やしは神の啓示、出来事啓示であったのです。啓示の書物である聖書が完結したことにより、出来事啓示である病人の癒やしは止まってしまったのです。神様は今、教会ではなく、病院によって、いわば一般恩恵として、すべての人を癒やしておられます。では、病の癒やしに代わる神の国のしるしは何でしょうか。それは、「イエスは主である」と告白する私たち自身です。使徒パウロは、『コリントの信徒への手紙一』の第12章3節で次のように記しています。「そこで、あなたがたに言っておきます。神の霊によって語る人は、誰も『イエスは呪われよ』とは言わず、また、聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』と言うことはできません」。私たちは、聖霊のお働きによって、「イエスは主である」と告白し、イエス様の名の下に集まり、礼拝をささげています。そのようにして、私たちは、イエス・キリストにおいて神の国が到来していることを宣べ伝えているのです。
イエス様は、12人を遣わすにあたり、次のように言われます。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持つな。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。あなたがたを受け入れない者がいれば、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに足の埃を払い落しなさい」。イエス様は、「旅には何も持って行ってはならない」と言われます。それは、弟子たちが、ただ神様だけに寄り頼むためであります。イエス様は、第12章で弟子たちにこう言われます。「命のことで何を食べようか。体のことで何を着ようかと、思い煩うな。・・・あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられる」(12:22、30)。このような父なる神への信頼を、イエス様は弟子たちに求められたのです。また、イエス様が弟子たちに、「何も持っていくな」と言われたのは、ユダヤの社会に、旅人をもてなすという習慣があったからです。旅人をもてなすことは善行の一つであったのです。イエス様は、「どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい」と言われます。これは、「善い待遇の家を求めて、渡り歩くな」ということでしょう。また、イエス様は、町の者たちが、弟子たちを受け入れいない場合についても指示を与えます。「あなたがたを受け入れない者がいれば、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに足の埃を払い落しなさい」。「彼らに対する抗議のしるし」とありますが、元の言葉を直訳すると「彼らに対する証しとして」となります。私は「抗議のしるし」では弱いと思います。と言いますのも、足の誇りを払うという身振り(ジェスチャー)は、ユダヤ人が異邦人の土地からユダヤの地に入るときの身振り(ジェスチャー)であるからです。それゆえ、使徒たちを受け入れない町を出るときに足の埃を払うとは、その町を異邦人の町と同じように見なすということであるのです。神の国は、イエス・キリストにおいて到来しました。そして、イエス・キリストは、使徒たちに力と権能を授けて、御自分において神の国が到来したことを宣べ伝え、そのしるしとして病人を癒やすように命じられました。その使徒たちを受け入れないことは、その使徒たちを遣わされたイエス・キリストを受け入れないことであるのです。そのようにして、使徒たちを受け入れない人々は、イエス・キリストにおいて到来した神の国から自分を除外してしまうのです。
12人は出かけて行き、村々を巡り歩いて、至るところで福音を告げ知らせ、病気を癒やしました。使徒たちは、何も不足することなく、イエス・キリストの福音を告げ知らせ、イエス・キリストの名によって病気を癒やしたのです(22:35参照)。
ところで、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、これらの出来事をすべて聞いて困惑しました(3:1参照)。というのは、イエス様について、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいれば、さらに、「昔の預言者の一人が生き返ったのだ」という人もいたからです。このような人々の噂を聞いて、ヘロデはこう言います。「ヨハネなら、私が首をはねた。では、耳に入ってくるこの噂の主(ぬし)は、一体、何者だろう」。私たちは、このヘロデの言葉から、洗礼者ヨハネがヘロデによって首をはねられて殺されていたことを知らされます。洗礼者ヨハネについては、第1章でその誕生が、第3章でその働きが記されていました。洗礼者ヨハネは、イエス様に先立って行き、その道を備える預言者でありました。洗礼者ヨハネは、来るべき方を迎えるための備えとして、民衆に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。そのヨハネを領主ヘロデは牢に閉じ込めていたのです(3:19参照)。第7章に、ヨハネが二人の弟子たちをイエス様のもとに遣わして、「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」と尋ねさせたことが記されていました。洗礼者ヨハネが宣べ伝えていた来るべき方、メシアは「麦打ち場を掃き清め、麦は倉に納めて、殻を消えない火で焼き尽くされる」裁き主でありました(3:17)。しかし、ヨハネのもとに聞こえてくるイエス様は、そのような裁き主ではないのです。それで、ヨハネは弟子たちを遣わして、「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」と尋ねさせたのです。その時、イエス様は病気や苦しみや悪霊に悩んでいる大勢の人を癒やし、大勢の目の見えない人を見えるようにしていました。そして、こうお答えになったのです。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、既定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである」。ここでイエス様は、御自分の働きを、旧約聖書の預言の成就として語っています。そのようにして、「私は聖書が預言している来るべき者、メシアである」と言われたのです。イエス様は、「私につまずかない人は幸いである」と言われました。これはイエス様につまずきそうになっているヨハネに対する招きの言葉です。イエス様は、「私こそ来るべき者、メシアである。そのことを信じて幸いを得なさい」とヨハネに告げたのです。そして、ヨハネは、イエス様の言葉を受け入れて、神の国の幸いに生きる者となったのです。ヨハネは領主ヘロデによって首をはねられました。『マルコによる福音書』の並行個所によれば、ヘロディアの娘の踊りの褒美として、ヨハネは首をはねられました(マルコ6:21~28参照)。しかし、ヨハネは、イエス様を来るべき方、メシアと信じて、神の国の祝福に生きる者であったのです。使徒パウロは、『ローマの信徒への手紙』の第8章38節で、こう記しています。「私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他(た)のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」。洗礼者ヨハネはヘロデによって首をはねられるという無残な死を遂げました。しかし、その死も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から洗礼者ヨハネを引き離すことはできないのです。私たちは、洗礼者ヨハネが無残な死を遂げたことに合わせて、その無残な死も、洗礼者ヨハネをイエス・キリストにおいて示された神の愛から引き離すことはできなかったことを心に刻みたいと願います。