イエスに仕えた女たち 2025年5月04日(日曜 朝の礼拝)

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イエスに仕えた女たち

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 8章1節~3節

聖句のアイコン聖書の言葉

8:1 その後、イエスは神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせながら、町や村を巡られた。十二人も一緒だった。
8:2 悪霊を追い出して病気を癒やしてもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、
8:3 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に仕えていた。ルカによる福音書 8章1節~3節

原稿のアイコンメッセージ

 受難週、イースター、半日修養会と、しばらく『ルカによる福音書』から離れていましたが、今朝から再び『ルカによる福音書』を読み進めていきたいと思います。今朝は、第8章1節から3節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 1節をお読みします。

 その後、イエスは神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせながら、町や村を巡られた。十二人も一緒だった。

 「十二人」とは、イエス様が弟子たちの中から選んで使徒と名付けられた者たちです。第6章12節から16節に、こう記されていました。

 その頃、イエスは祈るために山に行き、夜(よ)を徹して神に祈られた。朝になると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。

 イエス様が弟子たちの中から12人を選ばれたのは、イスラエルが12部族から成っていたことに由来します。イエス様は、ご自分が王として治める、新しいイスラエルとして、弟子たちの中から12人を選ばれたのです。イエス様は、12人を「使徒」と名付けられました。「使徒」とは「遣わされた者」という意味です。イエス様は、権能を授けて遣わすために12人を選ばれたのです。第9章1節と2節には、イエス様が12人に悪霊を追い出し、病気を癒やす権能をお授けになったこと。そして、神の国を宣べ伝え、病人を癒やすために遣わされたことが記されています。けれども、その前に、12人は、イエス様がどのように神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせるのかを、よく見る必要があったのです。イエス様が十二人を伴って、神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせながら、町や村を巡られたのは、12人を遣わすための訓練であったのです。私たち日本キリスト改革派教会は、牧師を養成するために神戸改革派神学校を運営しています。私も25年前の2000年に、神戸改革派神学校に入学しました。わたしの時は、三年制でした(今は四年制)。神学生は、一年ごとに西部中会の教会に遣わされます。「派遣神学生」と言いますが、派遣先の教会でさまざまな訓練を受けるのです。具体的に言えば、教会学校の教師の奉仕をしたり、小会や執事会に陪席させていただいたり、その教会の牧師に説教の指導をしていただいたりと様々な訓練を受けます。それは、教会の現場に身を置いて、牧師の働きをよく見るためです。私は、一年目は神港教会、二年目は宝塚教会、三年目は園田教会に派遣されました。そこで訓練を受けて、神学校を卒業し、羽生栄光教会に定住伝道者として赴任したのです。

 イエス様が神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせたとは、イエス様御自身において神の国が到来したことを宣べ伝え、イエス・キリストを信じるならば、神の国に入ることができるという福音(良き知らせ)を告げ知らせたということです(マルコ1:15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」参照)。神の国、神の王国、神の王的支配は、イエス様において到来し、イエス様を信じることによって入ることができる。そのしるしとして、イエス様はご自分を信じる者たちから悪霊を追い出し、その病を癒やされたのです。

 2節と3節をお読みします。

 悪霊を追い出して病気を癒やしてもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に仕えていた。

 ここには、12人といった男の弟子たちだけではなく、女の弟子たちも一緒にいたことが記されています。このことは、福音書記者ルカが一つの資料として用いた『マルコによる福音書』にも記されています(1:1~4参照)。ただし、福音書記者マルコは、女の弟子たちも一緒にいたことをイエス様の十字架の死の場面で記しています。新約の95ページです。『マルコによる福音書』の第15章40節と41節をお読みします。

 また、女たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この女たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、その後に従い、仕えていた人々である。このほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た女たちが大勢いた。

 ここには、イエス様がガリラヤにおられたときから仕えていた女たちのことが記されています。この女たちのことを、福音書記者ルカは、ガリラヤ宣教の場面で、12弟子と並ぶ者として記すのです。『ルカによる福音書』は「女性の福音書」と呼ばれるほど、女たちにスポットライトを当てています。福音書記者ルカは、男と女を並べて記すことが多いのです。例えば、シメオンとアンナ、サレプタのやもめとシリア人ナアマン、百人隊長の部下とやもめの一人息子、十二人と女たち。このように、男も女もバランス良く記しているのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の116ページです。

 イエス様と一緒にいたのは、イエス様から悪霊を追い出して病気を癒やしてもらった女たちでした。女たちは、イエス様に救っていただいた恵みに感謝して、自分の持ち物を出し合って、一行(イエス様と弟子たち)に仕えていたのです。前回(4月6日)に、私たちは、罪深い女がイエス様の足元で泣きながらその足を涙でぬらし、自分の髪の毛で拭い、接吻して香油を塗ったお話しを学びました。イエス様は、この女の行為を「愛の行為」として受け入れてくださいました。そして、ファリサイ派の人シモンに、「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛する者も少ない」と言われたのです(7:47)。同じことが、イエス様一行に奉仕した女たちにも言えると思います。女たちは、12人と同じように、すべてを捨ててイエス様に従いました。すべてを捨てるとは、すべてをイエス様のために用いるということです。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、イエス様一行に仕えたのです。具体的に言えば、食事を作ったり、洗濯をしたりと身の回りの世話をしたのだと思います。彼女たちは、自分たちの賜物を惜しみなく用いて、イエス様一行に仕えたのです。1節に、「イエスは神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせながら、町や村を巡られた」とありましたが、このようなイエス様のお働きを支えていたのは、女の弟子たちの奉仕であったのです。

 2節と3節には、イエス様から悪霊を追い出して病気を癒やしてもらった三人の女の名が記されています。一人目は「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア」です。「マグダラ」とはガリラヤ西岸にある町の名前です(巻末の聖書地図「9イエス時代のパレスティナ」参照)。マグダラという町の出身であるので、「マグダラのマリア」と呼ばれていたのです。「七つの悪霊を追い出してもらった」とありますから、マグダラのマリアは重い病気を患って苦しんでいたのでしょう。その苦しみからイエス様は彼女を解放してくださいました。そして、マグダラのマリアは大きな愛をもって、イエス様一行に仕える者となったのです。

 二人目は「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」です。「ヘロデ」とはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスのことです。「家令」とは「その家の事務・会計を管理し、使用人を監督する人」のことを言います(明鏡国語辞典)。ヨハナの夫であるクザは領主ヘロデ・アンティパスの家を管理する身分の高い人であったのです。

 三人目は「スサンナ」です。この人については名前しか記されていないので、よく分かりません。ちなみに、「スサンナ」とは「ゆり」という意味です。

 後(のち)に、この女の弟子たちは、イエス様の十字架の死と葬りと復活の証人(証し人)となります。聖書を開いて確認しましょう。新約の156ページ。第23章49節にこう記されています。

 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た女たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

 このようにガリラヤから従って来た女たちは、イエス様の十字架の死を見ていたのです。

 また、第23章55節と56節にこう記されています。

 イエスと一緒にガリラヤから来た女たちは、ヨセフの後に付いて行き、墓と、イエスの遺体が納められる様子とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。

 このようにイエス様と一緒にガリラヤから来た女たちは、イエス様の葬りを見届けるのです。

 さらに、第24章8節から10節にこう記されています。

 そこで、女たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいたほかの女たちであった。女たちはこれらのことを使徒たちに話した。

 ここには、スサンナの名前はありませんが、「マグダラのマリア」と「ヨハナ」の名前が記されています。彼女たちは、天使たちの言葉、イエス様が復活したという福音(良き知らせ)を、十一人に告げ知らせたのです。

 このように、女の弟子たちは、イエス様の十字架の死と葬りと復活の証人(証し人)となるのです。神様は、イエス・キリストの復活という福音(良き知らせ)を、女の弟子たちを用いて、男の弟子たちに伝えたのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の116ページです。

 イエス様の宣教旅行に、男の弟子だけではなく、女の弟子もいたことは、当時の常識に反することでありました。律法の教師は男であり、男の弟子を引き連れることはあっても、女の弟子を引き連れることはなかったのです。しかし、イエス様の宣教旅行には、男の弟子だけではなく、女の弟子たちも一緒にいたのです。このことは、イエス・キリストの教会において、男も女もないことを教えています。イエス・キリストの使徒パウロは、『ガラテヤの信徒への手紙』の第3章で、こう記しました。「あなたがたは皆、真実によって、キリスト・イエスにあって神の子なのです。キリストにあずかる洗礼を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです」。

 ここでパウロは、イエス・キリストに結ばれた教会の交わりにおいて、民族の違いや身分の違いや性別の違いは意味をもたないと語ります。イエス・キリストに結ばれた教会の交わりにおいて、だれもが等しい恵みを受けることができるのです。なぜ、そのように言えるのかと言えば、教会の頭であり、王であるイエス・キリストが男の弟子だけではなく、女の弟子とも一緒になって福音を宣べ伝えたからです。

 私たち日本キリスト改革派教会は、2014年に開催された第69回定期大会において、『政治規準』の第44条(教師の資格)と第54条(治会長老の資格)を「男子」から「者」に改訂しました。これによって、女性教師と女性長老の道が開かれました。教師と長老という職務は性別の違いによるのではなく、召命と賜物によると理解したのです。このことによって、イエス・キリストの教会において男も女もないということがより徹底したと思います。イエス・キリストの教会である私たちの交わりは、男の弟子と女の弟子とからなる交わりです。男の弟子も女の弟子も、救われたことに感謝して、それぞれの召しと賜物に応じて、イエス・キリストと教会に仕えているのです。

(参考)2014年第69回年度定期大会での「政治規準改正の提案」の決議

第四十四条(教師の資格)

(改正前)この職務を担当する者は、十分な教養と健全な信仰を持ち、生活に恥じるところがなく、教えることにたん能な男子でなければならない。

(改正後)この職務を担当する者は、十分な教養と健全な信仰を持ち、生活に恥じるところがなく、教えることにたん能な者でなければならない。

第五十四条(治会長老の資格)

(改正前)この職務を担当する者は、健全な信仰を持ち、家をよく治め、生活に恥じるところがなく、言葉と行いにおいて、群れの模範となる男子でなければならない。

(改正後)この職務を担当する者は、健全な信仰を持ち、家をよく治め、生活に恥じるところがなく、言葉と行いにおいて、群れの模範である者でなければならない。

 

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