食卓での教え 2005年5月22日(日曜 朝の礼拝)

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食卓での教え

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 14章1節~6節

聖句のアイコン聖書の言葉

14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。ルカによる福音書 14章1節~6節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝の説教題を「食卓での教え」と付けました。これだけを聞くとテーブルマナーか何かについての教えかなぁと思うかも知れません。けれども、もちろんそうではありません。14章の1節から24節までを注意深く読むと、イエス様が食事の席でお話しされていることが分かります。7節を見ると、「イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて云々」とあります。また、15節には、「食事を共にしていた客の一人は、これを聞いて云々」とあります。ですから、14章の1節から24節までは、イエス様が食卓で話された教えであるのです。そのような理由から、今朝の説教題を「食卓での教え」と付けたのであります。

 今朝の御言葉は、そのはじめの教えでありまして、その食卓がどのような食卓であったのかが記されています。

 1節をお読みいたします。

 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。

 時は、安息日であります。そして、お話しの舞台は、ファリサイ派のある議員の家でありました。議員とありますから、この人は、社会的に高い地位にあったことが分かります。このファリサイ派のある議員は、イエス様を礼拝の後に、自分の食卓へと招きました。ユダヤでは、安息日の礼拝の後に、人を招待してごちそうを振る舞う習慣があります。安息日の食事を共に楽しむのです。おそらく、この時もそうであったと思います。午前に礼拝を献げまして、ファリサイ派のある議員がイエス様を自分の家へとお招きした。そして、イエス様はその招きに答えてその家にお入りになったのです。安息日の食事、それも神様を共に礼拝した後の食事でありますから、通常、和気あいあいと、和やかな雰囲気で持たれるのだと思います。けれども、この時はどうも様子が違っていたようでありました。「人々はイエスの様子をうかがっていた」とありますように、何とも言えない空気がそこに流れていたのです。この人々がどのような人たちであったのかは、3節を見ますと明かになります。それは律法学者たちやファリサイ派の人々でありました。おそらく、彼らは、イエス様が安息日に公然と病人を癒されたことを聞いていたのだと思いますね。ルカ福音書はこれまでに、2度、イエス様が安息日に病人を癒されたことを記しています。イエス様は6章6節以下で、安息日に右手の萎えた人をお癒しになりました。また13章10節以下では、安息日に腰の曲がった婦人をお癒しになりました。そのイエス様に不信感を抱いて、様子をうかがっていたのです。もっとはっきり言えば、目の前にいる水腫の人にイエス様がどのような態度を取られるかをうかがっていたのです。

 2節に、「そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。」と記されています。水腫とは、体の組織の間に、リンパ液などが異常にたまった状態を言うそうです。それによって、体がむくんでしまう。いわば、病であることが一目見れば分かる、そのような病気でありました。なぜ、ここに水腫を患った人がいたのでしょうか。私たちは以前、8章でイエス様が罪深い女を赦すというお話しを学びました。その時の場面も、今朝の御言葉とちょうど同じような場面であります。ファリサイ派の人が、一緒に食事をして欲しいと願ったので、イエス様はその家に入って、食事の席へと着かれたのです。すると、招かれざる客である罪深い女が入って来て、イエス様の足に泣きながら香油を塗ったのでありました。この水腫を患った人も、先程の罪深い女のように、入り込んできたのでしょうか。どうも、そうではないようであります。むしろ、この水腫を患っている人は、イエス様よりも先にいたようです。そして、イエス様は、この水腫を患っていた人の真向かえに座らされたわけであります。「どうぞ、お座りください。」、そう言われた席は水腫を患っている人の、真向かえの席であったのです。さて、それではファリサイ派の議員の人は、この水腫の人を好意で招いたのでしょうか。これもどうも、そうではないようです。むしろ、ここに彼らの思惑があるのです。律法の専門家たちやファリサイ派の人々、彼らは、安息日に病人を癒すことに反対でありました。そのような行為は、律法に背く行為であると考えていたのです。6章において、イエス様が安息日に右手の萎えた人を癒された時、彼らは怒り狂って、イエス様を何とかしようと話し合ったのです。

 また、13章において、腰の曲がった婦人が癒された時、会堂長は腹を立て、「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない」と言ったのです。この会堂長の発言は、彼独自の見解に基づくものではありません。律法学者たちやファリサイ派の人々が教えていた、いわば当時の常識的な見解であります。律法学者たちは、命が危険にさらされていない限り、安息日に病人を癒すべきではないと考え、教えていたのです。彼らは、イエス様と安息日における病の癒しの是非を論じるよりも、もっと手っ取り早い仕方を選んだと言えます。彼らは、イエス様を、水腫を患っている人の前に座らせて、実際にどのように振る舞うのかを見極めよう、それによってイエス様を陥れようとしたのです。

 新共同訳聖書は、省略していますけども、実は3節には、「答えて」という言葉が記されています。ですから、3節を元の言葉から直訳しますとこうなります。「そこで、イエスは答えて、律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた」。つまり、イエス様の言葉の前に、彼らからの問いがあったということであります。聖書は、それがどのような問いであるかは記しておりません。ですから、それは心の中での問いであったのかも分かりません。その人々の考えを見抜いて、彼らがはっきりさせたい、尋ねてみたいと思っていた事柄をイエス様は御自分の口から仰せになられたのです。 

 「安息日」と訳される言葉は、ヘブライ語でシャバットという言葉です。シャバットは、「止める」とか「休む」という意味の言葉です。その日は、一切の労働を止めて、休む。それが安息日であります。安息日の起源は、出エジプト記によれば、神の天地創造の御業にあります。神様が6日間の創造の業を終えて、7日目に休まれた。このことが安息日の起源として記されています。また、申命記によれば、安息日の起源は、出エジプトという奴隷状態から贖いの御業に帰されています。自分たちもかつては奴隷であった、だから、全てのものを休ませるべきである、そう記されています。天地創造と出エジプト。この2つの起源から、安息日は、神の創造の御業に従いあらゆる労働を止めて、神の贖いの御業を喜ぶ、礼拝の日とされたのです。書かれた律法と言える聖書には、そのあらゆる労働が何であるかは記されてはおりません。労働のリストというものがあって、これをしてはいけないとか、これはして良いということが記されているわけではないのです。それでは、それをどのように判断したのかと言いますと、律法学者たちは、先祖伝来の言い伝えに基づいて、判断したわけです。彼らは昔の人の言い伝えを口伝律法と呼び、書かれた律法である聖書と同じような権威を与えていたのです。けれども、イエス様はここで改めて問うのです。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」。

 ここで「許されている」と訳されている言葉は、「合法である」、「正しい」とも訳すことができます。イエス様はここで、そもそも安息日はどのような日であるのか。神は安息日をどのような日として与えられたのか。その根本を問うているのです。

 イエス様の問いに彼らは沈黙しておりました。もともと、このことは、彼らからイエス様に問うてみたいと思っていたことでありましたから、先手を打たれて口をつぐんでしまったのかも分かりません。ともかく、彼らは何も答えることができませんでした。すると、イエス様は病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになられました。この「お返しになった」と訳されている言葉は「去らせた」、「解放した」とも訳すことができます。ここに、この水腫の人が、ファリサイ派の人々の悪意によって連れてこられたと判断して良い根拠があります。もし、この人がファリサイ派の議員の善意によって招かれていたとするならば、イエス様はこの人を帰らせはしなかったと思います。しかし、この人が、イエス様を罠に陥れるための、言ってみれば「道具」としてこのところに連れて来られていたとするならば、この人は直ちにこの家から解放されるべきなのです。

 律法学者たちやファリサイ派の人々、おそらく彼らは、イエス様が水腫の人を癒された後で、安息日を汚した者として訴えるつもりであったと思います。しかし、イエス様は、即座に次の言葉によって、彼らの偽善を暴かれたのです。「あなたたちの中に自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。

 安息日にあらゆる労働を禁じる、律法学者たちやファリサイ派の人々であっても、自分の息子や牛が井戸に落ちたら、安息日であっても、すぐに引き上げてやる。ここに彼らの主張の一貫性のなさがあるのです。もし、自分の息子が井戸に落ちれば、彼らはそこで、はて、息子を助けることは安息日に許されるかとは問わずに、即座に引き上げてやる。それは、彼らが自分の息子を愛しているからです。いや、自分の牛ですら、愛着をもっているゆえに、引き上げてやるでのです。ここで、イエス様によって暴かれたことは、自分に属するものにはあたたかな目を向けるが、他人には冷ややかな目を向ける、思いやりのなさであります。自分に属するものにはあたたかな目を向ける。けれども、他人には冷ややかな目を向ける、その落差であります。そして、このことは、私たち一人一人についても言えるのだと思います。主の日ごとに礼拝に集う時、私たちは互いのことをどのように見ているのか。このことが今朝、私たちにも問われているのです。

 安息日とは、神を礼拝することによって、神との関係、また隣人との関係が回復される時であります。そうであるならば、なぜ、水腫を患っている人に、自分の息子の姿を重ねることができないのか。共に礼拝を献げる兄弟姉妹として、その重荷を分かち合い、自らのものとして受け止めることが、なぜできないのか。それは、彼らが自分というものにとらわれているからです。神の御前に礼拝を献げながらも、自分にとらわれている。自分という存在から他人を見ているからであります。けれども、自分という存在にとらわれていて、果たして私たちは互いを兄弟姉妹と呼び合うことができるのでしょうか。私はできないと思います。自分というものを出発点とするならば、兄弟姉妹と呼び合い、重荷を分かち合うということはできないのです。けれども、私たちが神を出発点とするならば、神がどのように私たちを見ているかを出発点とするならば、私たちは確かに主にある兄弟姉妹であると言うことができるのです。イエス様は、「あなたたちは自分の息子や牛なら、安息日であっても即座に引き上げてやるではないか」と仰せになりました。これは、彼らの思いやりのなさを責める言葉のようにも読むことができます。けれども、ここでイエス様は、ただ「思いやりを持ちましょう」とか、「他人の気持ちになって物事を考えましょう」といった道徳訓を教えているのではありません。イエス様がここで教えておられることは、それ以上のことであります。つまりイエス様がここで教えておられることは、神様の身になって考えなさいということであります。水腫を患っている人、この人は、社会的には、それほど重んじられてはいなかったでしょう。蔑まれるような存在であったかも分かりません。けれども、神の目からすれば、この人も、大切な息子なのであります。ファリサイ派の議員と同じ、大切な神の民なのです。ファリサイ派の人々が、安息日であっても、自分の息子を助けるならば、神は、その子らを、どれほど躊躇なく助けることでありましょう。その神様のお気持ちが分からないから、その神様の気持ちを知ろうとしないから、安息日の癒しに腹を立てるのです。神様の視点にたって、水腫の人を見ないから、彼らは、その癒しを喜ぶことができないのです。神様の視点に立つ時、私たちが主の日をどのように過ごすべきか分かってきます。神の視点に立つ時、兄弟姉妹の重荷を共に分かち合い、人生を共有する、豊かさに生きることができるのです。主の日ごとに礼拝をささげる時、私たちは自分という殻から解き放たれたいと思います。イエス・キリストを賜った神の視点に立ってこの世界と兄弟姉妹を見つめるものでありたいと願います。

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