失われた息子 2005年7月31日(日曜 朝の礼拝)

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失われた息子

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 15章25節~32節

聖句のアイコン聖書の言葉

15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

ルカによる福音書 15章25節~32節

原稿のアイコンメッセージ

 前回は、11節から24節までを学びましたので、今朝は、25節から32節までを学びたいと思います。

 25節から28節をお読みいたします。

 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。

 25節からは、もう一人の息子である兄息子のお話しが記されています。父親が弟息子を喜んで迎え入れ、祝宴を催していたとき、兄息子はまだ畑におりました。一日の労働を終えて、家の近くまで来た時、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきます。兄息子は、これはいったい何事かと僕に尋ね。僕は「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです」と答えます。これを聞いて、兄は喜んだかといいますと、そうではありませんでした。兄は怒って家に入ろうとしません。そして、ここでも父親は出てきて息子を迎えるのです。ここで「なだめた」と訳されている言葉は、懇願したとも訳すことができます。父親は兄息子に家に入るようにと願い続けたのです。

 29節から30節。

 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』

 父親は兄息子を宥めようといたしました。しかし、兄息子は、父親を激しく非難するのです。弟息子は、失意の中で「お父さん」と親しく呼びかけましたが、兄息子は「このとおり」という注意を引きつける言葉で語り出します。この時、兄息子は作業着を着ていたはずです。汗や埃にまみれて疲れて帰ってきた。その自分の姿を指差して「このとおり、私はあなたに仕えている」と語り出したのです。29節に「お父さん」とありますが、これは新共同訳聖書の意訳でありまして、元の言葉では、「あなた」と記されています。実は、兄息子の口から「お父さん」という言葉は出てこないのです。そして、ここで「仕えています」と訳されている言葉は、直訳すると「奴隷として仕える」となります。ここで、兄息子は、父親に対して、「わたしはあなたに奴隷として仕えてきた」「わたしはあなたの奴隷であった」と言ってのけたのです。そして、父親の取り扱いがいかに不当であるかを非難するのです。兄息子は、父の言いつけに「決して」背いたことは無かったのに、父親は兄息子に子山羊一匹すら「決して」くれなかったのです。しかし、父親は、弟息子が放蕩の限りを尽くし、何もかも使い果たして帰ってくると肥えた子牛を屠る。30節で、兄息子は、弟息子を「あなたのあの息子」と呼び、「弟」と呼ぶことを拒否しています。先程、兄息子は父親を「お父さん」とは呼ばず「あなた」と呼んでいることを指摘しましたが、彼はここでも自分の肉親を、まるで他人のように語っているのです。兄息子は、弟息子が「娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶした」と語り、喜び迎えるのはおかしいと考えました。いや、迎え入れてもよいが、肥えた子牛を屠るのはおかしいと考えたのです。「肥えた子牛」とは、祝宴のために特別に飼育された子牛のことです。帰って来た息子に水を与え、パンを与えるのはよいでありましょう。しかし、父親の身上を娼婦どもと食いつぶして帰って来た息子に肥えた子牛を屠ってはならない。それでは、今まで真面目に仕えてきた私はどうなるのだ。そう憤慨するのです。

 さて、皆さんは、この兄息子の言い分を聞いて、どう思われるでしょうか。兄息子は心が狭い、愛が足りないと考えるでしょうか。おそらく、そのようには考えないと思います。おそらく、多くの方が、兄息子の言い分は最もだと受け止めるのだと思います。弟息子は、父から譲り受けた財産を勝手に金に換えて家を飛び出しました。弟息子は、自ら父を捨て、兄を捨て、遠い国へと旅だったのです。その間、兄は何をしていたか。兄は変わらず父に仕えていた。弟が放蕩の限りを尽くし、遊びほうけている間、兄はせっせと畑を耕していたのです。その弟息子が自業自得にも、すってんてんになって帰ってきた。そこで、普通ならどうするでしょうか。ここぞとばかりに、世間の厳しさを教えるのではないでしょうか。弟息子が決意したように、少なくともしばらくの間、雇い人の一人としてこき使い、十分反省させるべきではなかったか。家族を捨て、財産を無駄遣いして帰ってきたどら息子を、喜び迎えて、子牛を屠る父親がどこにいるか。甘っちょろい、それで示しがつくか。誰もがそう考えるのではないでしょうか。

 31節から32節。

 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』

 怒りに燃える兄息子に、父親は愛情を込めて「子よ」と呼びかけます。兄息子が「お父さん」とは呼ばずに「あなた」と呼んでも、父親は、兄息子を親しく「子」と呼びかけるのです。そして、兄息子に、今与えられている恵みを気づかせようとするのです。その第一の恵みは、「お前はいつもわたしと一緒にいる」という父と共に生きる恵みであります。これは、弟息子が落ちるところまで落ちて始めて気づいた恵みでありました。しかし、兄息子にはこの恵みは見えていないのです。なぜなら、彼は父親に子として仕えていたのではなく、奴隷として仕えていたからです。子供が父親に仕えるとき、それは愛と信頼をもって仕えます。父の喜びを満たそうと本心から仕えるのです。しかし、奴隷は違います。奴隷は、主人を恐れて、形式的に、義務的に仕えるのです。父親は兄息子に「お前はいつもわたしと一緒にいる」と申しました。しかし、奴隷として仕えていた兄息子に取って、それは果たして喜びだったでしょうか。むしろ、父親の機嫌を損ねるのではないかと負担になっていたのではないでしょうか。

 第二の恵みは、「わたしのものは全部お前のものだ」という事実です。12節によれば、父親は既に、二人の息子に財産を分けております。前回申しましたように、当時は、父親が生きている間に財産を分配するということがありました。しかし、それは名義の変更でありまして、その財産を使用する権利は依然として父親にあるとされていたのです。このことを思います時に「わたしのものは全部お前のものだ。」という父親の言葉は、現実味を帯びてきます。文字通り、全ては、兄息子のものであったのです。

 最後に父親は、再び、祝宴を催す正当性を主張いたします。ここで父親は弟息子を「お前のあの弟」と言っています。「わたしの息子」とは言わずに「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った」と語るのです。「わたしの息子は、あなたの弟ではないか。弟が帰ってきのだ。さあ、一緒に喜び楽しもう」そう父親は、兄息子を祝宴へと招くのです。 

 失われていた弟息子が父の家へ帰ってきた時、そこで、明らかとなったことは、実は、兄息子も父の御前から失われていたということです。私たちは「失われた息子」と聞きますとすぐに弟息子のことを思い浮かべます。けれども、兄息子も父親にとって、失われた存在であったのです。そして、それはいつも一緒にいながら、心が離れているという、さらに深刻なものでありました。喜ぶ父親と一緒に喜ぶことができない。父の喜びを自分の喜びとすることができない。そのとき、父と兄息子の心がどれほど離れているかが明らかとなったのです。父親は、兄息子が愛をもって自分に仕えていると思っていた。けれども、弟息子が帰って来たとき、そうではないということが明らかになるのです。兄息子は、ただの奴隷根性から、父の戒めを守っていたに過ぎなかったのです。ある神学者は、兄息子こそ、失われた存在であると申します。私もその通りだと思います。弟息子も兄息子もそれぞれの仕方で失われいたのです。彼らは、それぞれの仕方で、父を捨てたのです。弟息子は、遠い地に行くことによって、父を捨てました。弟息子は、後に本心に立ち帰り、父のもとへと帰って参りました。しかし、兄息子は、その弟を受け入れず他人と見なし、その弟を喜ぶ父親をも依然として他人と見なしているのです。いや、むしろ、父親が弟息子を喜び迎え入れた時、兄は自分の本当の気持ちに始めて気づいたのかも知れないのです。

 さて、このお話しは譬え話でありますから、その意味を考えてみたいと思います。そもそも、この話は何を契機として語られたのか。イエス様は、この譬え話を「罪人を迎えて食事まで一緒にしている」と御自分を非難するファリサイ派の人々や律法学者たちに対して語ったのでした。ですから、この譬え話の、父親は主なる神を指し、弟息子は徴税人や罪人を指し、兄息子は、ファリサイ派の人々や律法学者たちを指すと考えられます。ファリサイ派の人々や律法学者たちは、神の掟を熱心に守っていた人々でありました。その自負心は、兄息子の「言いつけに背いたことは一度もありません」という言葉によく表れています。しかし、それは兄息子が父親に奴隷として仕えていたように、主なる神を愛するゆえではなかったのです。兄息子は、言いつけに背いたことは一度もないのに、子山羊一匹もいただけないのはおかしい、と考えました。いわば、報酬を期待して、父親に仕えていたのです。そして、それはファリサイ派の人々や律法学者たちにも言えるのです。彼らは、見返りを期待して、律法を守っていたに過ぎなかったのです。兄息子は、弟息子が娼婦どもと一緒に父の財産を食いつぶしたと非難しました。しかし、これは推測に過ぎず、それは兄息子の願望を投影したものに過ぎないのです。彼はそれを実行いたしませんけども、その心には、放蕩を夢見る思いが渦巻いていたのです。そして、それはファリサイ派の人々や律法学者たちにも言えることのなのです。彼らは、杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と悪意に満ちていたのです(11:39参照)。

 しかし、ここで見落としてはならないことは、父親の愛は、弟息子にも、兄息子にも開かれているということです。この父親は、弟息子を可愛がって、兄息子をないがしろにしたのではありません。父の愛は、弟息子にも兄息子にも注がれているのです。そして、父親は、兄と弟が共に、父と子との愛の交わりに生きることを願っているのです。弟息子に走りより首を抱き、接吻した父親は、今度は、兄息子を宥め、共に喜ぼうと懇願するのです。この兄息子が、弟息子を、「自分の弟」として受け入れ、父の喜びを自らの喜びとする時、兄息子は、父の子として見出さます。父と共に弟息子を喜ぶ。それが兄息子にとっての悔い改めとなるのです。この譬え話をファリサイ派の人々や律法学者たちがどれほど理解したかは分かりません。けれども、イエス様の思いは明かであると思います。ファリサイ派の人々や律法学者たちにも、わたしの食卓に連なって欲しい。失われた兄弟姉妹が、今帰って来たのだ。その食卓を非難するのではなくて、一緒に喜んで欲しい。あなたたちは、熱心に神に仕えている。しかし、それは奴隷として仕えているに過ぎない。あなたたちも神の御前から失われていることに気づいてほしい。そうイエス様は願って、この譬えを語っておられるのです。

 今朝の御言葉は、私たちに大切なことを教えております。それは、聖書を読み、祈り、礼拝に出席していたとしても、神の御前から失われていることがあるということです。キリスト者として生活して行く中で、信仰生活が義務的なお務めとなり、喜びが失われていく。その危険を誰もが抱えているのです。兄息子は、長男でありますから、自分の思い描く、長男としてのあるべき姿があったことでしょう。従順で父親の言うことを聞く息子。それが長男に求められる姿であると、兄息子は思っていたのかも分かりません。私たちも、キリスト者であるという時、自分が思い描くキリスト者としてのあるべき姿に縛られることがあるのです。そして、クリスチャンだから教会に行く。クリスチャンだから聖書を読み、お祈りする。そう自分をがんじがらめにしてしまう恐れがあるのです。もちろん、聖書を読み、祈り、礼拝を献げることは大切なことであります。それは私たちキリスト者の特権であり義務とするところです。けれども、私たちが父なる神への愛を見失ってしまうならば、それは奴隷として仕えることに堕ちてしまうのです。自分の信仰生活が奴隷のようになってしまっていないか。それを知る手がかりは、神との交わりに喜びがあるか、ということです。神と共に生きる喜び、これこそ、私たちが父なる神に子として仕えていることのしるしであるのです。しかし、もし今、その喜びをあまり感じられない人がいるならば、この譬えを語っておられるイエス様に、その心を向けてくださればと願います。イエス・キリストの十字架に私たちの心を向ければよいのです。

 使徒パウロは、ローマ書の8章で、こう語りました。

 しかし、わたしたちが、まだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

 また、使徒ヨハネも第一の手紙の4章で、こう語っています。

 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

 ここで、パウロとヨハネが語っていることは、ほぼ同じことです。私たちは罪人であった。神の掟に背く、滅ぶべきものであった。しかし、神はその私たちを救うために、愛する御子を遣わし、十字架の死へと引き渡された。これによって神の愛が示されたのだと、使徒たちは語るのです。しかし、これはよく考えて見ますと真に不思議なことです。罪人である私たちのために、神の御子が死んでくださった。これは真に不思議なことであります。兄息子の論理、私たち人間の論理からすれば、罪人である私たちは滅んでしまえば良かったのです。罪のないイエス様が、私たちに代わって十字架につけられる必要などなかったのです。しかし、事実、神は、愛する御子を、私たちの罪人の代わりに罰し、私たちの罪をイエス・キリストにあって赦されたのです。考えられないといわれようが、不思議といわれようが、それがイエス・キリストにおいて起こった神の出来事なのです。そして、使徒たちはここに神の愛を見たのです。イエス・キリストの十字架。それによってもたらされる罪の赦し。この神の恵みを脇に置いて、今朝の御言葉を理解することはできません。弟息子を迎え入れる父親の愛。兄息子を招き続ける父親の愛。それはどちらも、イエス・キリストの十字架に現された父なる神の愛を指し示しているのです。ここに、私たちの思いを越えた神の愛があります。神の愛は、私たちの論理や良心さえも遥かに越えているのです。その神の愛を注がれている神の子として、心からの礼拝を献げていきたいと願います。

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