イエスの信仰告白 2018年4月15日(日曜 朝の礼拝)

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イエスの信仰告白

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 2章41節~52節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:41 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
2:42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
2:43 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
2:44 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
2:45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
2:48 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
2:49 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
2:50 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
2:51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
2:52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。ルカによる福音書 2章41節~52節

原稿のアイコンメッセージ

序 信仰告白式にあたって

 先程は、Mさんの信仰告白式を執り行いました。Mさんは、中学一年生の12歳であります。信仰告白をするには、少し早いと思われるかもしれませんが、今朝の御言葉にありますように、イエス様も12歳のとき、御自分の信仰を明確に語っておられます。イエス様が12歳で信仰告白をされたように、Mさんも12歳で信仰告白をしたのです。そのことを心に留めつつ、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

1 12歳のイエス

 41節から45節までをお読みします。

 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、探しながらエルサレムに引き返した。

 ここでの「両親」は、「ヨセフとマリア」のことであります。イエス様は、聖霊によって、ヨセフのいいなずけであるマリアの胎に宿り、お生まれになりました(ルカ1章参照)。ですから、ヨセフはイエス様の育ての親であります。ヨセフは、いいなづけ(妻)のマリアが聖霊によって身ごもったことを信仰をもって受け入れました(マタイ1章参照)。そして、生まれてきた男の子を自分の子として育てたのです。イエス様の両親であるヨセフとマリアは、過越祭には、毎年、故郷のナザレから都エルサレムへ旅をしておりました。ナザレからエルサレムまでは、およそ100キロメートル、歩いて3日ほどの道のりであったと言われています。イエス様が12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都エルサレムに上りました。両親は、12歳になったイエス様を連れて、過越祭を祝うために、都に上ったのです。これは準備教育をかねてのことでありました。当時のユダヤでは、13歳で「律法の子」(バル・ミツバ)と呼ばれ、律法に従う義務を負いました。その律法の一つが、過越祭をエルサレムで祝うことであったのです。その準備教育として、両親は12歳になったイエス様を連れて、エルサレムに上ったのです。一週間の祭りの期間を終えて帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられましたが、両親はそれに気づきませんでした。当時は、村ごとにまとまって、巡礼をしておりました。ある書物によれば、「女のグループが先に進み、その後に男のグループが進んだ、子供は、どちらのグループにいてもよかった」そうです。そうであれば、マリアは、少年イエスがヨセフと一緒にいると思い、ヨセフは、少年イエスがマリアと一緒にいると思ったのかも知れません。彼らは、イエス様が道連れの中にいると思い、一日分の道のり(およそ35キロメートル)を歩きました。しかし、イエス様がいないことに気づいて、親類や知人の間を探しました。それでも見つからないので、探しながらエルサレムに引き返したのです。マリアとヨセフは、心配しながらイエス様を捜し回ったのです。

2 イエスの信仰告白

 46節から50節までをお読みします。

 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。

 両親は、エルサレムに引き返してきて三日の後、ようやくイエス様を見つけました。イエス様は、神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問しておられたのです。誤解のないように申しますが、少年イエスが学者たちを教えていたのではありません。イエス様は、学者たちから学んでいたのです。「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた」とありますから、イエス様は優秀な生徒であったようです。ここで、心に留めたいことは、聖霊によっておとめマリアから生まれた、神の子であるイエス様も、学者たちから聖書を学ばれたということです。神の子であるイエス様は、人の子でもあります。私たちが先生から学んで知識を得るように、イエス様も学者たちから学ぶことによって知識を得ていたのです。両親は、そのイエス様のお姿を見て驚き、母マリアはこう言いました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」。新共同訳聖書は、訳出していませんが、元の言葉を見ますと、「子よ」という呼びかけの言葉が記されています。また、「お父さん」の前に「あなたの」という言葉が記されています。「子よ、なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。あなたのお父さんもわたしも心配して捜していたのです」。このような母の言葉を受けて、イエス様は何と言われたでしょうか?「お父さん、お母さん、心配かけてごめんなさい」と言ったのではないのです。イエス様は、こう言われました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。両親は、エルサレムに引き返して来て、三日もエルサレムの街中を捜し回りました。しかし、イエス様は、「探す必要などなかったのです。私がいる場所は、神殿しかないのですから」と言われたのです。テレビドラマなどで、行方不明になった生徒を先生や友人たちが探し回るという場面があります。その生徒が行きそうな所を捜し回るのです。ゲームセンターや思い出の場所などを捜し回るのです。このときのヨセフとマリアも、イエス様がおられそうな所を捜し回ったと思います。彼らは、巡礼団の中の親類や知人の間を捜しました。しかし、そこにイエス様はいませんでした。彼らは捜しながらエルサレムに帰って来たわけですが、三日の間、エルサレムのどこを捜したのかは記されていません。おそらく、彼らは、エルサレムの街中を歩き回って、イエス様を捜したのだと思います。彼らは、イエス様が神殿におられるはずだとは考えなかったのです。そのことをイエス様は、指摘しておられるわけです。ここでイエス様は、神殿のことを「わたしの父の家」と言われます。母マリアがヨセフのことを「あなたのお父さん」と言ったのに対して、イエス様は、神様のことを「わたしのお父さん」と言っているのです。また、ここで「当たり前」と訳されているのは、神様の定めや必然を表す言葉(デイ)であります。「わたしを捜す必要はありません。わたしがいるべき場所は、わたしの父の家である神殿に決まっているのですから」。こうイエス様は言われたわけです。ここにあるのは、強烈な神の子意識でありますね。イエス様は、ヨセフではなく、神様をわたしの父と呼び、その家にいることが当たり前のことであると言い表したのです。しかし、両親にはイエス様の言葉の意味が分かりませんでした。イエス様が聖霊によって身ごもったことを知っていたはずの両親でも、イエス様の言葉の意味が分からなかったのです。それは、イエス様が他の子供と全く同じように成長されたからだと思います。

 わたしは、この説教の始めに、「イエス様が12歳で信仰告白をされたように、Mさんも12歳で信仰告白をした」と申しました。しかし、その言い表した内容は異なります。イエス様は、聖霊によっておとめマリアからお生まれになった神の子として、また、神の民であるイスラエルの一員として、神様を「わたしの父」と言い表しました。しかし、Mさんは、イエス様を神の子、救い主として告白する者として、神様を「私たちの父」と言い表したのです。私たちは、神の独り子であるイエス様を信じることによって、神様の子とされたのです(ヨハネ1:12参照)。神の御子であるイエス様の聖霊を与えられて、神様を「アッバ、父よ」と呼び、祈ることができる者とされたのです(ガラテヤ4:6参照)。水曜日の祈祷会で、ハイデルベルク信仰問答を学んでおりますが、その第33問に、次のように記されています(春名純人訳)。

第33問 わたしたちも、神の子らであるのに、なぜ、キリストは、神の「独り子」と呼ばれるのですか。

答 キリストだけが、永遠からの、本性からの、神の御子であるからです。わたしたちは、このキリストのゆえに、恩恵(めぐみ)によって、神の子らとして、受け入れられたのです。

 イエス・キリストを神の御子、救い主と信じることによって、私たちは神様を「わたしの父」「私たちの父」と呼ぶことができるのです。日曜日に、わたしが教会にいるのは、当然ではないですか、と語ることができる者とされたのです。それは、ひとえに神様の恵みによることであるのです。

3 両親に仕えるイエス

 51節、52節をお読みします。

 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

 「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われたイエス様は、その後、神殿に住み着いたのではありません。イエス様は一緒にナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになったのです。それは、イエス様の父である神様が、「あなたの父と母を敬え」と命じられる神様であるからです(十戒の第五戒、出エジプト20:12)。イエス様は、父なる神様の御言葉に従って、両親に仕えてお暮らしになったのです。イエス様が公に救い主として働かれる30歳までの18年間、イエス様は両親に仕えてお暮らしになったのです。このことは、私たちにおいても言えることであります。イエス様を信じて、神の子とされた者は、地上の親をいよいよ重んじる者となるのです。なぜなら、父なる神様が、私たちに、「あなたの父と母を敬え」と命じておられるからです。

 カルヴァンは、『信仰の手引き』という書物の中で、「あなたの父と母を敬え」という戒めについて、次のように記しています(渡辺信夫訳)。

 その人たちがこの尊敬をうけるに価するかどうかは大した問題ではない。どうしてかといえば、彼らは、よしどんな人物であろうと、私たちの父や母として、主によって与えられたのであり、そして、主は彼らを敬うことを欲しておられるからである。ただ、それにともなって当然銘記されねばならないのは、神に従うことを差しおいてまで彼らに服従せよとは命ぜられていない、という点である。したがって、彼らを喜ばせるために、主の律法を犯すことは、してはならない。というのは、彼らが神に逆らう何かを私たちに命じるとすれば、このことにおいてすでに、彼らを父や母としてではなく、むしろ、私たちをまことの父への服従から逸脱(いつだつ)させようとする他人とみなさねばならないからである。

 父と母を敬うのは、神様が父と母を立てられたゆえであり、父と母を通して恵みを与えてくださるからであります。ですから、私たちは、父と母が衰えたとしても、敬わなければならないのです。しかし、父と母が神様の掟に背くことを命じるならば(例えば偶像を拝むこと)、私たちはまことの父から私たちを引き離す他人と見なさなければならないのです。このことは、私たちが物事の善と悪を判断する基準は、父なる神様の御言葉であることを教えています。イエス・キリストを信じて、神様を父と告白することは、イエス・キリストの父なる神様の言葉を、善悪の判断基準として生きるということであるのです。イエス様は、まさしく、神の子として、そのように歩まれたのです。そのようにして、イエス様は、神と人とに愛されたのであります。私たちがイエス・キリストの父なる神の言葉に従って歩むとき、私たちも神と人とに愛される人生を歩んで行くことができるのです。

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