「2・11平和の集い」のご案内

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「2・11平和の集い」のご案内

今年度の平和の集いは、感染症防止のためプログラムすべてをオンラインでの開催(YouTubeライブ配信)となります。

オンライン配信します。

https://youtu.be/abH2XFtqFvc


★当日のプログラム 2月11日(木)午後1時~3時30分
1時~1時20分   開会礼拝(礼拝後に10分間の休憩)
1時30分~2時30分 講演(講演後20分間の休憩)
2時50分~3時10分 質疑応答(質問がある場合は、
3時10分~3時30分 靖国問題の情勢報告・祈祷会




平和を求めるとは?
                -非戦の願いとキリスト教-

                           講師:吉馴明子(東京恩寵教会会員)

はじめに

 2.11は「信教の自由」について、8.15は「反戦・平和」についてというふうに私の頭の中では住み分けができてしまっていて、2.11「平和」について話すようにといわれた時から、この日に平和でいいのかなとチョット戸惑いました。それが今日の講演を準備する過程でも、何度も頭をもたげてきて困りました。ただ、私たちの世代には「戦争はダメだ」という体に染みついた感覚があってお断りすることはできませんでした。
もちろん「平和」は「戦争」の反対語ではありません。経済的、社会的(会社の地位や学歴、性別による)差別がなく、皆が不自由なく、平穏な日常を送ることも「平和」だと思います。しかし、今日のようにグローバル化が進むと、食料も世界中から輸入されているし、産業を支える労働力も近隣諸国に頼っています(留学生のはずが工場労働に従事していたり)。グローバル化が進む中でトラブルが起こると、事と次第によっては国際的ないざこざに発展することもあるでしょう。海中の島をめぐる領海、国境線、さらにその軍事利用など、下手をすると「戦争」に発展する事態もあります。「危ない、あぶない」ですが、だからといって簡単に「戦争に備える」方向へは進めないでしょう。まだ戦争体験を持っておられる方々もおられますし、キリスト教界が第二次世界大戦の時に戦争協力をした過ちを犯したくないという思いを継ぐべく、2.11集会や8.15集会が開かれて来ました。でも、「戦争はいやだものねぇ」っていうだけでは弱いと思いますので、今日はチョット極端に「非戦論」を取り上げて考えてようと思いました。

1.非戦論の登場

日本で「非戦」が主張されるようになったのは日露開戦の声が高まって来た頃のことです。黒岩涙香主宰の『萬朝報』が1903年10月12日開戦論に踏み切るまでは、言論界の論調もロシアの出方を冷静にみようというものと、強硬論が入り交じっていた。翌13日内村鑑三の紙上で社の方針と異なる反対意見を述べる訳にはいかないとの退社の辞が掲載され、つづいて堺利彦、幸徳秋水も社会主義の見地から、貴族、軍人などの私闘に過ぎない国際戦争で、「国民の多数はその為に犠牲に供せらるることと為す」と述べて退社しました。
内村はこれに先立つ9月17日『聖書の研究』で「平和の福音」(絶対的非戦主義)を著して「聖書の教え」に基づいた非戦の立場を主張しました。彼はマタイ5:9「平和を求むる者は福(さいわい)なり」、「凡て剣を取る者は剣にて亡ぶべし」(同26:52)を冒頭に掲げ、戦争に関する聖書の教えは「絶対的の平和である」と明言しました。さらにロマ書12:18~21「力を尽くして人々と睦親むべし…その仇を報るなかれ、退きて主の怒を待て…仇を復すは我(主)に在り…爾、悪に勝たるゝ勿れ、善をもて悪に勝つべし」を引用して、どのような理由があっても、どのような場合であっても「剣を以て争わないこと、」 万やむを得ない時には、「敵に譲り、後は神の怒を待つ」ようにと、説きます。しかもこれを「個人と個人との間」だけではなく「人の集合体なる国民と国民との間に関しても適用すべき神の教訓であります」とするのです。キリストの愛の教えを、個人道徳としてだけでなく、国際関係においても「無抵抗主義」をとるべき事、「非戦」を主張したのです。このような「絶対非戦」を述べた後、内村は2、3の反対論を想定した説明も加えています。

1)旧約聖書の戦争是認

まず、旧約聖書の戦争是認については、旧約時代の人たちの心が「かたくな」だったので、戦争を神は「黙許」していたにすぎないといいます。マタイ5:38~42の「歯には歯を」の箇所から「爾の右の頬をうたば、また他の頬をもめぐらして之を向けよ」を引いて、この福音によって「復讐の精神と之に伴う戦争とは絶対的に否認されたのであります」といいます。

2)剣をとる者は剣にて亡ぶ

クロムウェルがもし剣を抜かなかったならば、イギリスで自由は得られなかったのではないかという問いへの反論です。キリストを守ろうと大祭司の手下の耳をそぎ落とした者に、イエスは「爾の剣をもとに収めよ、凡て剣をとる者は剣にて亡ぶべし」といわれたではないか。「自由は自由の敵を倒して得らるるものではありません。その敵にとりこにせられ、彼の侮辱する所となり、終に彼に殺されて而して後に自由は復活するものであります」「自由は生命の犠牲を以て得られたものであります。キリストを始めとしてヤコブ、パウロ、ペテロ等、凡てキリストの生涯に倣いし者の無抵抗の流血を以て買はれたものであります。」
「武装せるキリスト教国? そんな怪物の世に存在しよう筈はありません…聖書に照らしてみて英国も米国も、露国も仏国もキリスト教国ではありません、彼らは金箔付の偽善国であります。」

3)戦争に勝る悪事なし

最後に「戦争はより小なる悪事であって世には戦争に勝る悪事がある」という意見に対してです。「戦争より大なる悪事は何でありますか…もし無辜の人を殺さなければ達しられない善事があるならば、その善事は何でありますか…殺人術を施して東洋永久の平和を計らんなどと云うことはもっての外の事であります」「武器をおくこと、之が平和の始まりであります。」

4)結論として、「私共平和の主たるイエスキリストを主として戴く者は絶対的に戦争に反対しなければなりません。」日本の将来を思い、日本人の良心に訴えて戦争に反対しなければならない。また日本とは反対の立場に立ってキリスト教を標榜しているロシア人の偽善を責め」非戦を主張しなければなりません。もし、日本とロシアが開戦するなら、日本人とロシア人が苦しむだけでなく、全世界の戦争を惹起し、五大陸を修羅の街と化するかもしれない…私共は断然意を決し、神に頼りその能力を仰いで是非共開戦を食止めなければなりません。
以上が、内村の非戦論の概略です。「聖書の教え」に基づいて語る内村の文章には、反論を許さない強さがあります。「のであります」「のではありません」と断定します。もっと強く「もっての外」という表現もあります。このような内村の主張の強さの秘密について、丸山眞男が次のように書いています。
 日清戦争に際して燃え上がった彼の愛国的情熱が激しかっただけ、それだけ彼の失望と悔恨は大きく、それがそのまま戦争否定への精神的エネルギーに転化したのである。(「内村鑑三と「非戦」の論理」1953.4『丸山眞男集』Ⅴ)

2.「日清戦争の義」からの転向

 「日清戦争に際して燃え上がった愛国的情熱」と云われても、ピンとこない方もおられるかもしれませんが、内村は1894年9月『国民之友』に、「日清戦争の義」を著しています。清は朝鮮を保護国化して、「国を閉じ、進歩に逆行」させようとしている…このような状態より朝鮮を脱せしめ、朝鮮の独立を回復させるために日本が朝鮮に「干渉する」のは「神聖なる隣友(日本)の権利と信ずるなり。」それ故「吾人は信ず。日清戦争は、吾人にとりては、実に義戦なりと。その義たる法律的にのみ義たるにあらず、倫理的にまたしかり。」
 ところが、日清戦争に勝利した日本は、台湾と遼東半島の領有(遼東半島は三国干渉で返還したが)と、二億両の償金によって資本主義的発展を手に入れた。しかし朝鮮の独立のための動きはなく、かえってその独立は弱められる有様であった。内村は己が不明を恥じ、果たして日清戦争は「義戦」であったのかとの疑問と批判をもつようになりました。

3.米西戦争とボーア戦争-「贖罪史観」へ

日清戦争と日露戦争の間の10年に、米西戦、ボーア戦争、そして北清事変が起こります。1898年夏アメリカは米西戦争でスペインに勝利しましたが、フィリピンを独立させず併合しました。このアメリカを「盗賊の所業なり」(「当世倫理」1899.2.25.)と内村は非難します。さらに、1895年12月に始まったボーア戦争では、1899年10月イギリスのてこ入れで再度激化すると、イギリス帝国に抵抗する南アの小さい二つの共和国、トランスバール、オレンジ両共和国を「良心の強固なる」国とみなし、「自由は彼らに負ふ所甚だ多し」と、ボーアに期待(「社会の征服」1898.12.5)をよせます。
このような欧米のキリスト教的自由国の弱小国に対する侵略行為を目の当たりにして、内村は「贖罪史観」こそ「歴史の恒則」であるというようになります。
  正義は敗れて起こり、不義は勝ちて亡ぶ。是れ歴史の恒則にして、過去六千年間の人類の実験に徴して明らかなり。ソクラテス熓毒に死して、彼の教義は時の文明世界に普く、キリスト十字架に磔せられて、十九世紀末期の今日、彼は王の王として泰西億兆の崇敬を繋ぐ…死して光りを揚ぐるものは正義なり  (「弛むなかれ」1898.11)
 しかも、正義は敗れて起こり、不義は勝ちて亡ぶという贖罪史観は、「正義は決して腕力に訴へて勝つものではなひ、正義は常に負けて勝つものである」「正義の為を思へば正義は一度潰される方が宜い」(「正義と腕力」1900.3.25)という言葉をも生む。正義は敗れて起こり、不義は勝ちて亡ぶ。義は力、腕力を必要とせず、規範と暴力とは、本質的に対立関係にあるとの主張ともなった。
 このように、「日清戦争の義」に疑問を持った内村は、キリスト教国である欧米諸国がアジアへ帝国主義的に侵略してくる実情を観察し、そこに「正義は敗れて起こる」贖罪史観を立てました。「非戦論」は、もはや人間の力では帝国主義的侵略に対抗することができない神の歴史支配への信仰の、コインの裏側だったのではないかと私は考えました。

まとめ:

1.丸山眞男の問いかけ

ここで、丸山眞男の内村「非戦論」紹介にもどりたいと思います。
 丸山は、「内村の非戦論が単にキリスト教的福音に立つ議論ではなく、帝国主義の経験から学びとった主張であった」ことに着目していう、「彼の論理に当時の自称リアリストをはるかに超えた歴史的現実ヘの洞察力を付与する結果となった」と。上で紹介した米西戦争論やボーア戦争時の国際関係理解は、たしかに欧米諸国の「帝国主義」的行為の特色を捉えています。
また、内村は、近代戦争がますますある目的を達するための手段たりえないこと、いわゆる「正義の戦争」と「不義の戦争」の区別をますます非現実的なものにして行く傾向を指摘しています。「戦争の害は益々増してその益は益々減じてきます。随って戦争は勝つも負けるも大なる損害たるに至ります、戦争はその代価を償わず、その目的に達せざるに至ります、……かかる場合に臨んで最もかしこき国民は最も早く戦争を止める国民であります。こうして最も愚かなる国民は最後まで戦争とその準備とを継続する国民であります。」(戦争廃止の必要、1908)
内村は「非戦論」を発表した後、日露戦争が始まると積極的に反戦運動を展開することなく、ただ断じて戦争を弁護しないという態度を堅く守った。この内村を丸山は次のように評価します。
「小慷慨家」と嘲り、「国家は実在す、空想にあらざる也」と天晴れ「リアリストを以て任じた樗牛ら-丸山は彼らを「日本帝国主義の思想的ラッパ卒という-の立場と、樗牛によって「腐儒詩人の空想」と嘲罵された内村の立場と、いずれが果たして歴史の動向をより正しく指していたか。これは単に学校の試験問題ではない。
 この丸山の内村「非戦論」紹介の文章は、内村自身の「非戦論」に劣らない強さがある、君たちはどう思うか、戦争が行われる現実を前に、君たちはどう判断し、行動するのかと、問い詰める強さです。


2.吉馴の問い

 私自身、大学在学中に丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」を読んで、大学院への進学を決心したのですから、丸山先生の文章にはたしかに魅力がります。「疑似宗教」的な「天皇制」に、異議を申し立て抵抗を示した「例外」として、内村鑑三らの「無教会」を「忠誠と反逆」で取り上げておられます。でもそれは淡々と描いてみせるふうで、内村の主張に賛否を問うよう響きはないと思うのです。先生、どうしちゃったの?って感じなんです。

A. 丸山先生がこの内村非戦論紹介を書かれた1953年ころの歴史状況と、丸山先生の問題関心は、『定本 丸山眞男回顧談』(下)(岩波現代文庫、2016)で知る事ができます。その一章に「サンフランシスコ講話、朝鮮戦争、六〇年安保」があり、「平和問題談話会」の活動を中心に語られています。
1948年7月にユネスコが発表した「戦争をひきおこす緊迫の原因に関して、八人の社会科学者による声明」が『世界』編集長だった吉野源三郎の所へ来た。吉野は日本でもこのようなものができないかと考え、1948年9月「平和問題談話会」を東京・京都で結成。メンバーは安倍能成、和辻哲郎、田中耕太郎、仁科芳雄、清水幾太郎、久野収、大内兵衛、丸山眞男、末川博ら。丸山自身は「やっと戦争から解放されたので、平和問題を科学的に考えよう」という会だったと言っています。

 平和問題談話会は4度声明を発表しています。

①1948年12月「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」-平和は社会組織の根本変革と結びつく。

②1950年初頭「講和問題についての声明」-前面講和、中立不可侵と国連への加入、軍事基地提供反対」。
 おそらくこの時ではないかと思われるのですが、法政部会(他に、経済部会、文科と自然部会など)で、憲法9条の問題を論じた。左派の磯田進は「軍備のない国家はない。」正統左派ではない大内兵衛も「国家である以上は、完全非武装というのはあり得ない」という。丸山は、「〈普通の国家〉論で言えば、軍備のない国家はないが、憲法9条が契機になって一つの新しい国家概念、つまり軍事的国防力を持たない国家ができたと、考え得るのではないか」と議論した。

③ 1950年6月朝鮮戦争勃発。この後、12月に出され声明「三たび平和について」。その総論部分、初めの2章を丸山が執筆しました。-京都の左派vs東京の保守リベラルを納
得させられるような一種の研究論文のようなスタイルの総論を目指した。

④ 1959年12月「安保改定問題についての声明」東京と京都それぞれに。

③「三たび平和について」の声明の内容について討議する過程で、平和問題談話会の精神-対立する両陣営のいずれに与する事を避けるため-永世中立論が浮上。しかし、スイスの中立は戦争か平和かを主権国家は自由に選びうるという前提で、「おれは中立だ。ほかの国はしたければ勝手に戦争をしろ」という中立論。しかし、核兵器がある以上、ほかの国は勝手に戦争しろとは言えない。もちろん「核兵器がある以上」と丸山をして言わしめたのは、8月6日の広島司令部で点呼朝礼中の被爆経験に他ならない。VG研究会が終わった後のお寿司屋さんで私も聞いた事があります。朝礼中の兵たちは、通信塔の影になったおかげで直接の被害は受けなかったが、室内に戻ったらガラスが散乱して大変なことになっていた。そして「(学徒動員で?)司令部ヘ通ってきていた女学生たちは、翌日から来ないんですよ。道で被爆したんでしょう。
 「戦争は他の何かをもたらすことがあろうとも、平和だけは決してもたらさない…軍備は平和を保障しない、戦争を保障する」(世界の平和は如何にして来る乎)という内村の言葉は、日清日露戦間期ではなく1911年のもので、「非戦」についての聖書の教えというより、国際関係史の観察に基づいたものかもしれない。

B. 内村の「非政治的ないし反政治的傾向」に、丸山はここでは「触れない」

 チョット辛辣ないい方になりますが、内村は「非政治的」であったから「非戦」を貫けたのだと思うのです。
 日本が帝国主義諸国によるアジアの植民地化に抵抗する役割を放擲して、逆に日本もアジア侵略に参加するようになる国際的転回の決定的な兆候と見抜いて、内村は日英同盟を批判したと、丸山は評価します。
 たしかに、内村は日英同盟について次のようにいう。
彼等(ボーアの人たち)は世界の最大強国を相手に二ヶ年の長き間独立の苦戦を続けてきた。彼等は東洋の天地に於て彼等の同情者が起って、其の方面に英国の注意を惹き、為に彼等の頭上に鍾まる圧迫の減ぜられんことを望んだ。…同情者と望みし者は今は彼等の敵と同盟した。」(「日英同盟に関する所感」1902.2.)
強に屈し、弱を圧するの術に慣れて、十字架星下に自由の為に戦ひつつある者があることを憶はない。東洋の日本国は今や君子国ではない、自由は已に我等の裡にもない……日英同盟なる者は実は日英同盟にはあらずして、英国と長州との同盟である」
(同上)
たしかに内村は、日本という国家が権力闘争のゲームに参加するさまを描いている。しかし、勢力争いに関心を持たない内村はゲームの参加者からは外れている。その意味で、内村は「非政治的」である事によって、「非戦」の道を進んだといえるだろう。
これに対して、例えば植村正久はキリスト者も「国民国家」の主体でなければならないとし、国家の「権力」機能をみとました。その立場から植村は、内村の非戦論をそのまま認める事はできなかったのです。
・植村正久:「戦争と基督教会」(1903.10の講演筆記『植村正久とその時代』所収)
 「国家主権を認め懲罰を許す以上は、これを国際間に適用すべからずとするは大いなる自家撞着なり」
・南原繁:自衛権を国連に委託するようなイメージで、国際平和を実現しようとする。
 




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