2025年06月29日「三位一体の神と私たち」

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三位一体の神と私たち

日付
説教
新井主一 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 16章12節~15節

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12節 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
13節 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
14節 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
15節 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
ヨハネによる福音書 16章12節~15節

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説教の要約

「三位一体の神と私たち」ヨハネ福音書16:12〜15

本日の御言葉では、三位一体の神と私たちとの関係が示されています。

ここでは、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである(15節前半)、という非常に重要な主イエスの宣言が記されています。これはこのヨハネ福音書で繰り返し示されてきた天の父なる神様と主イエスとの一体性の上に成り立つ真理です。ヨハネ福音書ほどこの真理を具体的に示している御言葉はありません。

 その上で、「だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである(15節後半)」、と聖霊のお働きが追加されます。つまり、ここでは、父と子と聖霊なる神の一体性が明確にされているわけです。「父が持っておられるものはすべて、主イエスのもの」であって、それをそのまま聖霊なる神様が受けて、私たち罪人に適用してくださる、この全体像を通して、ここに三位一体の生ける真の神の姿が映し出されているのです。

私たちのキリスト教信仰にとって、この神の三位一体の教理は本質的なものであり、父、子、聖霊なる神の一体性、ここにこそキリスト教の土台があります。通常、私たちはこれを三位一体論、という概念で信仰告白しています。

 ウェストミンスター小教理問答書は、この三位一体論を端的にわかりやすく告白しています。

 問6 神にはいくつの位格があるか。

答 神には、三つの位格がある。それは父と子と聖霊であって、この三つは一つの神で、本体は同一であり、力と栄光は同等である。

 これが、最も簡潔に示された三位一体の教理であり、これが告白できるのがキリスト教会です。

カトリック教会もプロテスタント教会も、この教理においては完全に一致していて、また多くの教派があっても、異端でない限り、これに異議を唱えるところは一つもないのです。

 その上で、大切なのは、この三位一体の教理が、私たちのキリスト教信仰にどのように機能しているか、どのような役割を担っているか、ということなのです。これを丸暗記していても、結局あまり役に立たないし、いつの間にか頭の片隅に追いやられて思想レベルで終わってしまうのがオチではないでしょうか。この三位一体の教理が信仰のオブジェにならないために、これが私たちの信仰生活の中で用いられなければなりません。

では、私たちの信仰生活の中での役割は何か。それは、神を正しく礼拝するための教理である、ということなのです。「父と子と聖霊」、この三者を等しく礼拝するための教理、それが三位一体論なのです。これは、父が子より上とか、聖霊はランクが下であるとか、そういう間違いをしないための教理なのです。キリストの教会とは、「父と子と聖霊」、この三位一体の神が唯一の生ける真の神であり、この三者が等しく礼拝の対象であることを告白する信徒の交わりなのです。

 その上で、最後に大切なのは、この三位一体の神と私たちとの関係です。

 それは、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。(15節)」ここに示唆されていて、ここには、今、私たちがいただいているものが、いかに偉大なものであるかが示されています。

 主イエスは、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」、と言われた上で、「その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる」、と約束されているからです。「その方」というのは聖霊なる神で、その聖霊なる神が「わたしのものを受けて」、というのは、「父が持っておられる全てのもの」、に他なりません。それを「あなたがたに告げる」、と主イエスは約束されたのです。つまり、私たちが聖霊なる神からいただくものは、「父が持っておられる全てのもの」、となるわけです。

 父から子へ、子から聖霊へ、そして聖霊から私たちへ、この順序で、「父が持っておられる全てのもの」を私たちは受け継ぐことが許されている、これが、三位一体の神と私たちとの関係です。私たちには、想像を絶する祝福が約束されているのです。

 しかし、それだけではありません。私たちから父なる神へと遡る関係があることも忘れてはならないのです。主イエスは、ご自身に与えられた栄光を、父なる神にお返しすることも言われてきたからです。そして、そのために私たちが用いられるからです。

 これはすでにこの告別説教の中で主イエスが明確にされてきたことです。

 「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。(14:12、13)」、この通りです。

 ここでは、「父は子によって栄光をお受けになる」ことがはっきりと示され、そのために、「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」、と私たち信仰者が用いられることが約束されています。つまり、これは、私たちの働きが、最終的には天の父の栄光を現すために用いられる、という驚くべき事実なのです。

そして、そのためにわたしたちを導いてくださる聖霊なる神様を私たちに遣わしてくださる約束が直後になされます。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。(14:16)」、この通りです。私たちが天の父のご栄光を現すために、天の父が聖霊なる神様を遣わしてくださる。つまり、ここでは、父から子へ、子から聖霊へ、そして聖霊から私たちへ、という先ほどの順番を遡る形で私たちと三位一体の神様との関係が示されていて、これは私たちから父なる神へという方向なのです。

三位一体の神と私たちとの関係は、神様からの一方通行ではないのです。そうではなくて、相互の交わりの関係なのです。私たちは、三位一体の神と親しく交わることが許されているのです。これがいかに偉大なことであるのか、私たち思い巡らしたいのです。

 そもそも、神と私たち罪人との隔たりはあまりにも大きく、私たちは神に近づくことさえ出来ない程に堕落した者たちでありました。しかし、神の方から私たちに近づいてくださり、あろうことか、御子主イエスが十字架で死んでくださって、私たちの罪を帳消しにしてくださいました。そればかりでなく、永遠の命と恵の世継ぎという父が持っておられる全てのものを私たちに約束してくださった上に、生ける真の神との交わりに入れてくださったのです。

 途中で引用しましたウェストミンスター小教理問答書の序論であり結論とも言われています問一はこのように謳います。

 問1 人のおもな目的は何であるか。

答 人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。

 これは、三位一体の神様がわたしたちを憐れみ、交わりを持ってくださるという一方的な恩恵に対する私たちの信仰告白であり、これ以上ない神賛美なのです。